理論と理屈も大事
丸万店主は、幼少期より短距離だけは結構早い方(自分でも云うのも変な感じですが・・・)で常に上位グループに入り、1年生から6年生迄バトンをつなぐ縦リレーにもほぼ毎年選ばれていました。 が、本格的に取り組んだことも無く、ただ何となく走っていただけでした。
高校まで同様でしたが、高2時に体育教師として赴任してこられた【妻鹿功先生】に、体育の授業中や週1回の陸上クラブでの指導を通して、理論と理屈を教えて貰い、効果的な身体の動かし方も判り易く手ほどきされました。
当時の学校や部活動は、精神論がまだまだ主流で、ストレッチの概念すらなく柔軟運動もそこそこに『練習場に付いたら直ぐに練習を始めろ、開始直後から常に全力を出し切れ』『練習中は常に声を出し続けておけ』と言われ続けました。
長時間に及ぶ練習のやりすぎで怪我をしても、『気合や根性が足らないからだ』と言われ、怪我での練習離脱にも散々文句を言われていました。少々の発熱や腹痛、軽い捻挫では休むことはまず出来ませんでした。
怪我をした時でさえそんな風なので、練習途中で水を飲んだり、小休憩を取る事は絶対に悪いとされて、厳しく処罰されていた頃です。
そこに反旗を翻す形で【妻鹿先生】は、科学的トレーニングや、ストレッチの重要性、短時間ずつ・真剣に集中してやる事が大事で、段階的に強弱をつけた練習をすることが怪我の予防にもなる。更に、水分補給や休憩の重要性も説かれていました。
大目標・中目標など、具体的な目標を設定し、その為に日々の練習で何をなすべきかを明確にして、それぞれにあった課題を与えられており、自主性も非常に大事にされていました。
剣道部員の私には何から何まで違う指導方法は目から鱗状態でした。
今では誰一人疑う人などいない指導法ですが、これは40年前の話です。
体育教師間でも異質なのは、いち高校生から見ても明らかで、教師間でのギクシャクぶりも目立ちました。 しかし、実際にこの指導法で部員の底上げを実現し、陸上部員の県大会上位入賞者を続出させ、複数部員がインターハイ出場も叶いました。
その後ホッケーを始めてからは、セットプレーで中腰での15m程の全力疾走を毎日毎日30本近く強制的にさせられて、通し練習では攻撃のバックアップもあり、勿論セットプレーもあります。練習の仕上げで部員全員での3キロのランニングが日課で、人生で一番走らされていたのがこの頃です。
そんなある日、陸上部員の練習に飛入り参加した際に、正式な陸上競技場(鴻池陸上競技場)で100m走を計測して貰える事になりました。
妻鹿先生の指導を思い出しながら準備し、非公認ながら【11・0】で走れました。
あれから38年以上が経過しました。運動習慣は皆無となり、筋力も瞬発力もスタミナもなくなりました。体重だけは15キロ以上も増加し現在は80キロ手前です。
これではとてもとても昔の様には走れません。 あの頃の走りは今では夢か幻の様に、遠い遠い思い出となっています。
