久米宏さん
久米宏さんが、元日に旅立たれていたとの一報の後、続々と各社が速報している様です。
【ぴったしカンカン】【ベストテン】【ニュースステーション】他、各局で、その局を代表する看板番組を持たれていました。
1985年(昭和60年)10月に始まった【ニュースステーション】は、【判り易く解説し、中学生でもニュースが理解できる】事をモットーに、番組制作がなされていました。
当初、金曜日(華金)は、【金曜ステーション】と題して、出演者全員がノーネクタイやラフな格好で登場し、全国各地の方言や特産物(地元民が愛する名物)を紹介するコーナーや、あなたの〇〇度チェック、もあり、平日とは違ってくだけた雰囲気で気楽に見られた事を思い出します。
学生時代・就職してからも、吾平に帰って来てからも、視聴する事は日課となっていました。
1988年(昭和)10月19日、川崎球場で行われた【近鉄VSロッテ】のダブルヘッダー第二試合目の中継延長。
1991年(平成3年)1月~2月にかけての【湾岸戦争】の速報・軍事の専門家を招いての解説付きの詳細報道。パトリオット・トマホーク・スカッドのミサイルが乱れ飛ぶ映像。
1993年(平成5年)細川連立政権誕生前後の報道。政治家のデフォ人形を登場させ、政治家個人により親近感を持たせたり、しょっちゅう自民党の大物政治家に丁々発止の議論を吹っかけて本音を引き出そうとしてみたり・・・と、政治を身近な物として考える契機を与えた。
1995年(平成7年)1月17日の【阪神淡路大震災】報道。地元サンテレビとの合同で詳細報道の継続・連日に渡る安否不明者名の報道。
放映当初の頃より、模型や積み木などを多用して、視覚的にも判り易い番組作りをされていました。
などが直ぐに思い出されます。
しかし、その一方で、高視聴率で影響力が強い故に、
1994年(平成6年)6月27日の【松本サリン事件】の際に、被害者でもある河野義行さん宅を冒頭で速報(映像付き)し、断定こそしていないが、河野氏を犯人であるかのような印象を与える、著しく配慮を欠いた映像を流す。
1999年(平成11年)2月、所沢の葉物野菜の【ダイオキシン汚染】報道。
などの、誤報道(詳細や因果関係が判然としない中での、速報性に重きを置いた、見切り発車的な、結果的に稚拙な報道)も数件ありました。
当時は今と違って、テレビの力・影響力は絶大で、誤情報が契機となり、営々と築かれてきた名誉や信用・ブランド力を一気に失ってしまわれた方も居られました。
これらは、後に、久米宏氏自らが、番組内で謝罪し、検証と共に訂正報道をされておられましたが、風評被害で失われた名誉回復にまでは至っていない気がしました。
良くも悪くも、テレビの力を体現し、強い影響力を持った番組であり、後の世迄続く金字塔を打ち立てた番組であったと思います。
裏方のスタッフの方々の熱量や、共演者の小宮悦子さん・小林一喜解説員・朝岡聡さん・渡辺宜嗣さんらの力量によるところも大きかったと思いますが、やはり、久米宏さんが群を抜いて存在感を示していたからこそ、長寿番組になったのでしょう。
数多くの番組で楽しませて頂きました。ありがとうございました。
