こげらファームの始まり

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「広い土地が欲しかってん」

 

えっ?
私が質問したのは桃を作り始めた理由だったのに、父から返ってきた答えは予想外のものでした。

 

 

伝統的な桃の産地である和歌山県の桃山町の、桃畑の横に立つログハウスで、私は桃農家の父に珍しい農法で桃を作ることになった経緯を聞いていました。

 

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「広い土地が欲しかった」

という理由で、私の父は、15年前から無肥料かつ農薬散布は一回だけという特殊な方法で桃を作っています。


※この文章を書いた2022年時は農薬一回散布でしたが、2023年の桃は無肥料・無農薬桃です。

 

通常、桃は20種類ほどの農薬を使用して作られます。
現在の桃は、嗜好品として品種改良を重ねられているため、自然な状態ではできないのだそうです。

 

そういったセオリーからかけ離れた作り方をするのに、どれだけ強い意志や情熱があったのか、その背景を聞き出したかったのですが、どれだけ聞いても「こだわり」みたいなものは見つからなかったというのが正直なところ。

その代わりに分かったのは、好奇心旺盛で、その好奇心を満たすために流れに身を任せていたらこの桃ができてしまったということでした。

 

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では、早速はじめていきましょう。

 

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約15年前、私の両親は、自由に遊べる広い土地を2-3年もの間ずっと探し続けていました。

ツリーハウスを作りたい、畑をしたい、炭を作る釜を作りたい、ピザ釜も、ドームハウスも作ってみたい…と、頭の中にはたくさんのイメージであふれ返っていて、早く実現したいのにその土地がなかなか見つからず、うずうずした数年間を過ごしていました。

 

そんな時に出会ったのが今の桃畑で、そこは小高い丘の上で見晴らしが最高に良かったので、もう「ここしかない!」と母が気に入りすぐに購入を決めました。


ですが、農家ではなかった両親がその土地を手に入れるためには、3年間農業に従事しないといけないという条件が付いていました。農地法というちょっとややこしい法律で定められているからです。

 

でも、その条件をクリアすればその土地を手に入れられる。
それならその条件をのむしかないでしょう!と、その土地に生えていた桃の木ごと引き受けて桃農家になることを決めました。

 

ここで私なら、絶対にそんな条件は受け入れられないと思いました。

その土地がいくら魅力的でも、3年間も農家という「仕事」を引き受けるなんて面倒は背負いたくないからです。

 

でもそんなことは彼らには関係ありません。
私の両親は、好奇心が面倒くささに勝ってしまう人たちでした。

 

(余談ですが、知り合いから「羊の赤ちゃんが生まれたから飼ってみない?」と声がかかれば即答で「飼う!」と言い、本当に飼い始めてしまうような人たちです。)

 

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以前飼っていた羊のぐーくんとべーちゃん 

 

 

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自由に遊べる広い土地を手に入れたと同時に引き受けてしまったのは「桃農家になる」こと。法律により、最低3年間農業をしないと土地を手に入れることができません。

 

桃を3年間作ることを決め、次はできた桃をどうしようと考え始めました。そして安易に農協が買い取ってくれるだろうと相談しに行きました。
すると、素人が作った桃は買い取れないと言われました。そうです、両親は一日も桃作りの研修を受けていない素人でした。

 

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「それでそれで、どうなったん?」

 

私は自分が少しワクワクしている気がしてきました。

 

「それで、作った桃を誰かに買ってもらわないと、と焦って千恵子(母の名前)と一緒に親戚や友人にハガキを送ったんよ。」

 

ーなるほど!そうきたか!と、私はもう完全にワクワクしながら話を聞いていました。

 

そしてハガキは知人のみならず無農薬の作物を扱っているお店など、思いつく限り送り、

「とにかく買ってくれるところを自分達で探した」んだそうです。


私なら、桃畑の元の持ち主にまず聞くけどな、と心の中で思いながらも話は進んでゆきます。


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ーここまで聞いていて不思議だったのは、次から次へと現れる問題を乗り越えるエネルギーはどこから湧いてくるのかということ。

私はやや興奮気味に、疑問をぶつけてみました。

 


「仕事もしながら、桃農家を引き受けるのは、嫌じゃなかったの?」

 

なんとなく始めた桃作りは、剪定、摘蕾(てきらい)、摘果(てっか)、袋掛け、草刈り、収穫、そこからは箱詰めや伝票書きと販売に関わること、桃を作って売るための労力は果てしなく、しかも日照りで倒れそうな暑さの中作業をして、天気の都合で仕事をしないといけないし、台風やら鳥や虫の被害、病気と自然の条件に一喜一憂しないといけないことが本当に大変だったそうです。

 

そんな時は、孤独ではないことが功を奏したそうです。

 

冗談を言ったり、もし失敗しても食いっぱぐれるわけではないから大丈夫、と夫婦で励まし合いながら淡々と黙々と進めていったようです。

 

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桃作りの知識も経験も乏しい2人が本を読んだり冗談を言いながら手探りで始めて2-3年経った頃、ふと地元の桃農家さんから一緒に桃を売りませんかと声がかかりました。

 

その方の提案は、有機栽培認定を取った桃を大手スーパーに卸すという計画です。
ただし、大手スーパーに卸すためには大量の桃が要る。
1件の農家だけだと数が足りないので、両親にも声がかかったというわけです。


しかも、その農家さんは桃作りも教えてくれるというので、両親は大喜びで「お願いします」と即答。先輩農家さんの指導の下、農家さんお墨付きの桃作りが始まりました。

 

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有機栽培認定の基準をクリアしているということはつまり、慣行農法よりは減農薬栽培で、農薬散布回数は3回ほどだったそうです。


通常、桃は20種類ほどの農薬をかけると言われています。1回に何種類か混ぜて散布するため、回数としては8-10回ほど。

両親以外にも何件かの農家さんがグループに参加し、皆その有機基準を満たす桃を作り、大手スーパーに数年間卸していました。

でも、それは長く続かず、少しずつ辞めていく農家さんがで始め、最終的に卸すのに必要な桃の数が足りなくなって解散となるまでさらに数年ありました。

 

辞めていった農家さんは、殺虫剤や殺菌剤を慣行農法より減らしているため、害虫や病気の発生源になっていると言われ、隣接している周りの農家さんからクレームを受けてグループを離れていきました。


私は、クレームを出す人の立場も理解できるな…と残念な気持ちになりながらそのエピソードを聞いていました。



グループ解散後、また両親は自分達だけで桃作りをすることに。

しばらくして、そのグループ内で熱心に桃づくりや桃の加工品開発に取り組んでいた若手農家さんから、「無農薬・無肥料で野菜や果樹栽培をしている方に指導してもらいませんか」とお誘いを受け、それも「面白そうだから」という理由で「お願いします」と即答。

 

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無農薬・無肥料栽培を広める農学博士 道法正徳氏の物語『マル農のひと』

しばらくは教えてもらった通りの剪定法を忠実に守り、少しずつ肥料も減らしながら桃作りを続けます。

 

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そんな、穏やかで変わらない日常が続いていくと思っていたある時、母の病気が見つかり半年も経たずに亡くなってしまいました。

 

それまで2人でやっていた桃作りを、それから父は一人でやることになります。



2人でやっていたことを一人でやるのは大変で、そのうちだんだん農薬を3回かけるのもめんどくさくなり、かけなかったらどれくらい虫にやられてしまうのか実験する意味も含め、徐々に農薬の回数を減らし、現在の1回散布になりました。※2023年は0回


年によっては虫が発生したり病気が出たこともあり、
病害虫にやられることなく桃が美味しい実をつけるまでに5年ほどかかったようです。

 

今の無肥料、農薬一回散布のスタイルになったのは3年ほど前、2019年頃からだと言います。現時点では、この1回をなくすことは難しいんだそうです。

こげらファームが1回だけ殺虫農薬をかける5月頃、まだ実は青く小さいのですが、その頃に既に虫がたくさんおり、殺虫剤をかけることでその後桃の生育が良くなるそうです。

 

「この1回をかけなかったら桃が全滅してしまうかも」

 

と、父は言います。

木を見ながら桃作りをするその姿は、もう素人の面影はない一人の桃農家に見えました。

 

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「今後は、どうしていきたいですか?」

 

「今72歳だから、80歳くらいまで桃を作れたらいいなぁ。」

 

明確な目標やこだわりはないので、これからも、これまでのように流れに身を任せ、体力的に続けられるまでやろうと思っていると。

 

ここで私は思わず口を挟んでしまいました。

この桃畑をぜひ若い人に継承してほしいと。

 

農薬1回散布で桃を作っている人はかなりレアな存在じゃないでしょうか。

それを、父が高齢で続けられなくなったからと辞めてしまうのはもったいない。大袈裟な表現だけど、地球にとっても損失だと私は思ったんです。

 

何より、農薬が少ない作物を求めている人がいるので、その人達に「もう作れなくなりました」と伝えるのは心が傷みませんか。


でもきっと、父はそんなことはあまり気にしないんだと思います。

広い、見晴らしの良い土地でやりたいことは、まだまだ山のようにあるんでしょう。

 

だから、好奇心の赴くままに、きっとこれからも自分がやりたいことを続けていく。

それを遂行するために、たとえどんな面倒があったとしても、きっと父は好奇心に勝てずに、引き受けていく姿が目に浮かんでいます。

 

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話を聞き終えて、実はこの話は、弱点だったことが強みに変わっていると、ふと気づいたんです。

 

農業や桃作りについては素人でしたし、強い思い入れやこだわりがなかった。

丘の上で、隣接している畑もないため、虫や病気が出てしまっても迷惑をかけるところがない。

さらに、契約している卸し先があるわけではないので、万が一桃が全滅しても誰も困らない。

 

そういった、プレッシャーが全くない状況だったから、リスクも取りやすく、慣行農法とは違うやり方に挑戦できたのでしょう。それが結果的に、他の人がやっていないことだったので、希少価値の高いこげらファームの桃の強みになったんだと気付きました。

 

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「広い土地が欲しかった」

 


強い好奇心を持ったある夫婦が、その土地を手に入れるために始めた桃農家。


それが15年経って、気づけば無肥料・農薬1回散布の「子どもと食べたい」こげらファームの桃ができました。
※2023年は、無肥料・無農薬の桃です。

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