皆さん、はじめまして。北海道出身の古来貴寛 (こらいたかひろ) と申します。
『こばやしクリニック』は約20年間にわたり地域の皆さんとともに歩んできました。
この度ご縁があり、2025年12月より院長を務めさせていただくことになりました。
私は札幌医科大学を卒業後、外科的・内科的側面から様々な患者さんを診させていただきました。
12月からは小林信義先生に代わり、地域の皆さんに貢献できるよう尽力いたします。
至らぬ点もあるかと思いますが、私自身もクリニックとともに成長していきたいと考えています。
これからもこばやしクリニックをよろしくお願いいたします!
院長・医学博士 古来貴寛

【経歴】
平成26年03月 札幌医科大学 医学部 卒業
平成26年04月 市立函館病院 初期研修医
平成28年04月 東京女子医科大学八千代医療センター 小児外科
平成31年04月 札幌医科大学附属病院 消化器外科
令和07年03月 札幌医科大学大学院医学研究科 博士課程 修了
令和07年04月 医療法人社団緑晴会 あまが台ファミリークリニック 内科・小児科・皮膚科
令和07年11月 医療法人社団昂花会 こばやしクリニック 非常勤医師
令和07年12月 医療法人社団昂花会 こばやしクリニック 理事長・院長
【専門医・資格】
日本外科学会:外科専門医
日本消化器外科学会:消化器外科専門医、消化器がん外科治療認定医
日本がん治療認定医機構:がん治療認定医
日本消化器内視鏡学会:上部消化管内視鏡スクリーニング認定医
日本消化管学会:胃腸科認定医
Total Nutrition therapy研修修了
緩和ケア研修会修了
【園医・学校医】
キッズナーサリー浦安園
四街道市立四和小学校
四街道北高校
【こらいたかひろのこれまで】
小学校時代
北海道にある釧路町というところで18年間過ごしました。釧路湿原の中にある町、というイメージです。タンチョウという頭が赤い鳥が飛んでいますし、テニスコートに降り立ったタンチョウも見たことがあります。小学校の裏に回るとほぼ湿原で、モウセンゴケという食虫植物も観察できました。昔、小学校があった場所は海だったようで、小学校裏の山を掘ると貝の化石が出てくるような自然しかない地域でした。小児喘息を持っていたことを言い訳にしますが、球技や陸上競技は全然動けずに苦手でした。その代わり、マット運動や跳び箱など器械体操は好きでした!
中学校時代
小学校の同期100人がそのまま中学校に上がるため、メンバーは変わりませんでした。運動は相変わらずできませんでしたので、体育、体育祭はかなり嫌いでした。運動部男子が非常にモテたため、合唱部だった私は、運動部が羨ましかった記憶があります。勉強と部活とで3年間は楽しく過ごすことができました。高校受験では第一志望に合格することができ、中学校生活を終えました。
高校時代
釧路町の田舎の中学校から、釧路市の進学校に入学し、私はとても驚きました。みんな初めまして~くらいの4月に、当時のセンター試験数学2Bという分野を解いていた友達が何人もいたことです。私は、大学受験というものも知らないで、高校受験がゴールとさえ思っていたくらいの世間知らずで、まさに井の中の蛙でした。私が入学したのは理数科というクラスで、3年間クラス替えのない理系の大学受験に特化したクラスでした。学校のテストでさえもみんなについていくのに必死で、センター試験や2次試験を想定した全国記述模試ではぼろぼろの成績でした。1日3時間しか寝ない友達がいたので、寝ないで勉強したらもっと成績が上がるかもしれないと真似して夜中まで勉強するも、翌日の授業がまともに聞けないなど、非効率な生活をしていました。焦って勉強しか頭になかったせいか、高校3年間の思い出はとても少なく、もったいない過ごし方をしたなーと後悔しています。高校生の時に外科医になりたいと思い、医学部を目指すことになりますが、変な勉強の仕方をしていたこともあり成績は伸びず、現役では合格しませんでした。
浪人時代
高校卒業後は釧路を離れ、1人札幌で予備校生活をスタートさせました。釧路の知り合いは数名いましたが、基本的に1年間は1人で過ごしました。規則正しい生活を心掛け、初めての塾通いを楽しんでいました。第一志望である札幌医科大学の医学部を受験し、何とか合格することができました。
医学部時代
浪人生活の1年があったせいか、医学部での6年間はとっても楽しく過ごすことができました。6年間合唱部に所属し、歌って、飲んで、旅行して。医学部の同期で、同じ合唱部であったメンバーの1人とお付き合いし、のちに結婚することになります。釧路の実家には、6年間の生活費や授業料、教科書代など本当にたくさんお金を使わせてしまったなーと申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちでいっぱいです。大学では飲み会が多く、学年が上がると後輩に奢る流れがあったため、家庭教師のバイトを週2回で行っていましたが、毎月金欠な毎日でした。
初期臨床研修~市立函館病院~
北海道の中では初期臨床研修先として人気のある市立函館病院。救急車搬入台数が道内でもトップクラスに多く、研修医にとっては非常に経験値が積めると人気でした。函館という町にも住んでみたいという気持ちもあり、私はここを第一希望で選んでいました。初期臨床研修1年目は消化器内科3ヵ月、循環器内科3ヵ月、救急科3ヵ月、外科3ヵ月を選択しローテートしました。上部消化管内視鏡検査は消化器内科の3ヵ月でたくさん学びました。診療終了後には胃カメラのシミュレータを用いて胃カメラの練習をし、基本的操作方法を取得しました。初期臨床研修2年目には必修の地域実習1ヵ月や精神科1ヵ月などをこなし、残りを消化器外科や心臓血管外科、呼吸器外科、乳腺外科、小児外科にあてることで、外科専門医を取得するのに必要な手術症例数を、初期臨床研修中にすべて経験することができました。非常に有意義な2年間だったと思います。仕事自体がつらい時もあったのですが、この2年間は妻が千葉県八千代市で初期臨床研修をしていた影響で、2年間遠距離だったこともつらかったです。
医師3年目~八千代医療センター 小児外科~
将来は小児外科医を目指し、札幌医科大学の消化器外科教室に入局しました。ずっと北海道でもよかったのですが、妻が八千代市に出たっきり、3年目以降も産婦人科医として八千代に残りたいと希望されました。これ以上遠距離は嫌だぞ~と思ったのと、1度は北海道外で小児外科を勉強してもよいかもと思い、当時の消化器外科の教授にお願いし3年間の国内留学という形で妻が勤務する八千代医療センターに赴任しました。私は小児外科に3年間、妻は産婦人科に3年間勤務しました。
妻「うちで診てる妊婦のお子さんが横隔膜ヘルニアかも」
私「じゃあ、生まれたら小児外科で手術かもね」
こんな感じで産科と小児外科は密接に関わる科で、院内でも自宅でも情報交換していました。小児外科は対象疾患が多すぎてびっくりします。鼡径ヘルニアや陰嚢水腫、臍ヘルニア (出べそ) などありふれた疾患から、生まれつき食道が閉鎖している子、鎖肛といって生まれつき肛門が無い子、へその緒の中に腸管などが脱出している臍帯ヘルニア、生まれつきお腹の壁が形成されず腹腔内臓器が体外に出ている腹壁破裂、尿道口と膣口と肛門が形成されず1つの穴になっている女の子なども経験しました。手術で元気に退院する子がほとんどでしたが、一部は救命できず亡くなる赤ちゃんも診させていただき大きな経験となりました。
医師6年目~札幌医科大学 消化器外科~
妻と2人で札幌に戻り、私は消化器外科医として、妻は引き続き産婦人科医として診療を開始しました。上部消化管チーム、下部消化管チーム、肝胆膵チームなどローテートしながら少しずつそれぞれのチームで手術を行いました。ロボット手術を積極的に行っている教室であり、多くの手術がロボット手術になっていました。6年間大学にいましたが、下部消化管チームが長く、主に大腸癌の診療に携わっていました。大学院にも進学し、直腸癌術後の排便機能というテーマで学位を取得することができました。プライベートではこの6年間の間に、娘と息子が生まれ4人家族となり賑やかになりました。
医師12年目~あまが台ファミリークリニックから現在~
この度、ご縁があり四街道市のクリニックを承継することになりました。承継日までの間、長生郡のあまが台ファミリークリニックで学ばせて頂けないかとお願いしたところ受け入れてくださり、2025年4月~11月までの8ヵ月間所属しました。開業を目指す若手医師を指導する院長のもと、内科、糖尿病内科、小児科、皮膚科の患者さんを数多く診療しました。院長をはじめ、クリニックの理念に共感する優しいスタッフからたくさんのことを学びました。年齢を問わずに受け入れ、地域住民の健康を守るそのクリニックは、地域に愛されているなと強く感じました。信頼され、このクリニックに来たら不安が和らいで安心しておうちに帰れる、患者さんからはそんな声がたくさん聞こえました。私はこれまで小児から成人まで主に「外科的側面」で患者さんを診てきました。あまが台では小児から成人まで「内科的側面」で診させていただいたことで、私の臨床の幅が広がり自信につながったと思います。私は開業医としてスタートを切ったばかりですが、地域の皆さんに貢献できるよう尽力し、これからもクリニックとともに成長できたらと考えています。


