白瀬中尉の生家である浄蓮寺の先祖は、大正3年(1576年)に現在の新潟県両津市(佐渡)より金浦村に来て開基されました。
この書院は、浄蓮寺の客間として昭和7年に本藤のうしろに建設されたものです。
南極探検に要した多額の借金(現在のお金に換算して約2億円)を一人で負った白瀬中尉は、探検後は借金返済の為全国各地を探検記録映画や講演を行って旅しておりましたが、昭和19年8月18日太平洋戦争の空襲を避け郷里の金浦村の生家浄蓮寺に疎開しました。
終戦により昭和20年9月26日埼玉県山村の自宅に引き上げるまで、夫人とともに居住していた建物です。
白瀬中尉は翌年愛知県豊田市で85歳の生涯を閉じました。
この書院は老朽化にともない取り壊すことになりましたが、多くの人々が復元を望み平成8年に浄蓮寺からこの地に移築復元されました。
白瀬記念館の奥にあります。