歴史

康寧山壽福寺は、臨済宗妙心寺派の末寺です。

播磨風土記によりますと「神前郡・岡里」は『古代(応神天皇の時代)より、市川に沿って播磨の国から但馬の国に通じる街道があったと伝えられるほど開けていた。』と記される現在の比延地内において南禅寺派の寺院として『壽福寺』が創健されました。

創健は、元和3年(西暦1617年)草健昌州和尚の開山と寺籍調査書にありますが、元和3年5月27日に入寂なる記録から、実際の創建はそれ以前と考えられます。

その後、明歴元年以前の火災により当寺院は焼失しましたが、正徳か宝永年間に現寺院の上の平地石水梵桂首座の開基により龍頷紹賢和尚妙心寺派の寺院として開山されました。

また、明治32年には現在の地へ蓬州義仙和尚によって移転改築され、大正9年10月に本堂と庫裏を新築しております。

以後、鐘楼堂の改築、梵鐘の再鋳、更には位牌堂の新築、旧庫裏の一部を改築しております。

また、念願でありました本堂と接続しています庫裏の老朽化に伴い大庫裏新築の建設に着手し、心温まる浄財により平成9年4月に完成し、現在に至っております。