きょうもおつかれさまでした。ある海辺の街の夕方、仕事終わりの漁師さん。
釣れた魚をご近所さんにおすそ分け。美味しそうに食べるその姿を見ながら本日の締めくくりの一杯。
たとえ豪華なお料理じゃなくたって、たとえ自分の取り分が減ったって、みんなで食べればそれが“ごちそう”。
そんな優しい心が“食べるの神様”の正体なのではないか。そんな考えから生まれた作品です。
きょうもおつかれさまでした。ある海辺の街の夕方、仕事終わりの漁師さん。
釣れた魚をご近所さんにおすそ分け。美味しそうに食べるその姿を見ながら本日の締めくくりの一杯。
たとえ豪華なお料理じゃなくたって、たとえ自分の取り分が減ったって、みんなで食べればそれが“ごちそう”。
そんな優しい心が“食べるの神様”の正体なのではないか。そんな考えから生まれた作品です。
阿修羅はそれぞれ“農作する”“料理する”“食べる”という3つの顔を持っていて、
それは絶えず巡る“食の循環”を表現しています。
ひとの“手作業”と“まごころ”とが何層も重なり合って今、
「いただきます。」するわたしたちの手元までたどりついた食べ物たち。ペロリと食べてしまうその前に、一度。
この作品が食べ物たちに思いを馳せるきっかけになればと思います。
ツタンカーメンと愛犬・アヌビスが
いっしょにごはん。
カップラーメンができるのを待ちながら、
あなたといっしょに”食べる”のひととき。
なんでも話しかけてみてくださいね。
きっと彼らが聞いてくれます。