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日本での東洋医学の歴史

 

2000年まえに中国 揚子江の付近は肥沃な土地であったためいろいろな植物が生えてそれを人間の健康に生かして生まれた漢方薬と 黄河という泥の川沿いの人々が考え出したヨモギをもぐさに変えて人間の身体にもぐさとしてツボに置き焼いて痛みを取るというお灸や魚の骨や植物のとげなどで少々痛くてもそれによって痛みを取るやりかた、つまり鍼や灸の原型みたいなものが行われたことが始まりと言われています。

実際は近年ヨーロッパの温暖化により昔の原人が氷河から解けでできたがその人の背中には今の背中の太陽膀胱経とすんぷん違わずお灸で焼いた後のある アイスマンが出てきたので、紀元前からすでに苦しさをなんとか逃れたいためにお灸がされていたことが知られています。

さて日本はその医療が仏教とともに鍼や灸の考えが入ってきたが、鍼などは御天医(天皇など位の高い人にのみ医療に利用される以外は民間に広がらなかったが)日本は鎖国もしていて民衆の間にお灸が流行った。例えばお伊勢参りや東海道五十三次などで通行に足が疲れないようにするため三里というツボに灸をしていない者と一緒に歩くな、と言われたり奥の細道を書き残した松尾芭蕉の最初の文の書き始めが有名です。

それゆえに日本では当然日本流に独自に発達してこれに頼ってきたのです。けれども明治時代になって日本がドイツ医学を選んでしまったので、日本の伝統医学は無視され日本医師免許の為に西洋医学のみ採用されたのでした。また戦後マッカーサーが日本上陸の際、一目見てこんな野蛮な医療は止めてしまえと言われたときそれに激しく抵抗し守り抜いた先生方のお陰でいまも鍼灸治療が無くならなくて済んだのです。

新しい薬が出来たとしてもきつい副反応が出たためにすぐ淘汰され消えてなくなる新薬もたくさんあることを見ればこんな医療を残してくれた先祖に感謝するのが良いのでは、大いに積極的に使って我々の健康や病気予防になるのであれば、嬉しいことですね。

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