♪ 近況&インフォメーション ♪
たとえ空が落ちて来ようとも。
もう去年のことになりますが、12月はココロにくる映画を観ました。
「人生、いろどり」
吉行和子さんが泣かせてくれました。
葉っぱビジネスの実話を映画化したものでしたが、こういう映画はなかなか地方のシネコンでは観ることが出来ないのでちょっと遅れて観ることになりました。
ベテランという言葉では片付けられない、表現を積み重ねてきた人たちの技術以上のもので、気持ちよく泣かせてもらえる映画でした。
それと、人口が減少している地方の抱える雰囲気は日本のどこでも変わらないのだということもやはり痛感しました。
今日は営業が変則的になってしまいましたが、午前中八郷にいました。
すごい古民家のお宅を訪問させて拝見させていただいたりしていました。
萱葺きが下から見ると八層くらいになっています。一層ごとに古い萱と新しい萱が交互に模様になっています。
一番下にだけ藁が葺いてあります。それはもう時の経過で白い色に変わっていました。
古い名家とはこういう存在の仕方をするのだと知りました。
いろいろな人が訪ねてくるという話を名家の大奥様に伺いました。
あるとき、瓦屋の営業(?)さんが来たそうです。
そんな歴史的価値の高い立派なお宅にです。モノを知らないというのは怖いことだな、と思いました。
しかも、その瓦屋さんが「名人」を意味する屋号(会社名)だったそうです。
名人が瓦を葺かせてくれというだろうか?名人ならお客からお願いしてくるものだろう、というわけです。そんなオチで笑いながら終わったんですが。。。
自分はその後、身を恥ずかしく思いました。
コーヒー豆を自家焙煎していますが、美味しいと思いますから買ってください、買って欲しいなあとやっぱりまだまだ思ってしまいます。
この美味しさを伝えたいな、とか、言葉でもっと表現しないと伝わらないのかな、とか。
ずっと80年も90年もたくさんの人を見てきた方には名人をあらわす屋号の営業さんが矛盾して滑稽に見えたのでしょう。
その後、つくばに帰ってきて、身を正して焙煎に向かいました。
人一倍向き合ってきたつもりでしたが、これからも、ずっとずっと「修行の身」です。
たぶん、30年や40年やっても、より先を目指して向かわなければ、どこまで積み上げても「勘違い」にしか過ぎないのだと感じました。
そんな勘違いは恥ずかしいものです。
007スカイフォールは個人的に共感できる映画でした。
年齢による衰えを感じながらも、仕事を全うしようとするボンド。
髯を剃るのは剃刀。ネットによる攻撃をしかけてくる相手にアナログなゲリラ戦で迎え撃つ姿勢も、本当に共感しました。
スカイフォールはラテン語の格言に因んだタイトルらしく、もとの格言では、「空が落ちてきても、世界が終わっても、正義を貫く」というような意味のようです。
こんな決意こそ、いまの時代は泥臭くて、うざいと敬遠されるようなものかもしれません。
自分の身は汚さず、部屋の中のパソコンの前で、或いはクリーンルームで、テキストか、検索したページのまま、ココロを動かさず処理する。
そういうことが仕事だと信じている「勘違い」が横行しています。
だからこそ、素材主義ではなく、形式主義ではなく、
物事を追究している人間しか当てになるものはないと思うのです。耳障りの良い口先だけの営業トークよりも。
深い水に沈むようにココロの中にいくつかの出来事が沈んでいきました。
楽しくしか生きるつもりのない人がいます。
その場限りの言葉で人を煙に巻いて生きていく人もいます。
全てが明るみに出る時代がはじまりました。
これまでのように浅はかな嘘とその場限りの処世術では誰にも見透かされる時代だと思います。
検索したような浅い知識では底が知れる本物の時代です。
最近専門誌を読んですら、嘘と浅はかさに驚くようになりました。
残ったのは
たとえ空が落ちてこようとも、世界が終わっても、勘違いすることなく、真摯な姿勢で「美味しいコーヒー豆」をロースト出来る様に自分を律し続ける、
という決意です。
