私が開院した理由

昭和45年(戌年)大阪万博の年、整骨師の父の二男として誕生しました。

 

小学校4年生から始めたサッカーで、たくさんケガをしました。
骨折2回、捻挫、打撲、数知れず。いつも父に治療してもらい
治してもらっていました。

 

自宅が治療院ということもあり、小さい子供が肘を外し、
大泣きしているのをドキドキしながら聞いていました。
数分後に泣き声がやむのです。

 

父が治療して笑顔で帰って行く子供を見ていたことを
おぼえています。こうして自然に子供ながら、この世界を
見てきたように思います。

 

しかしながら私は、整骨師になりたいと思ったことは
ありませんでした。小中学校の頃は練習ある日も無い日も
暗くなるまでボールを蹴っていました。

 

小学生の時プロサッカー選手になってブラジルに行くのか、
ヨーロッパに行くのか真剣に悩んだ時もありました(笑)

 

夢中になっていたサッカーも終わり次のステージは何をと
考えた時、整骨院の学校に行くことに決めました。


  

苦労しました。

高校までの勉強とはまるで違い医学の勉強は、最初新鮮でしたが
脳みそに汗・・・

 

仙台の学校に入学してすぐに午前は勉強、
午後は夜遅くまで整骨院で修行、何度も心が折れそうでした。

 

そして国家試験前三か月間は、寝る時間も惜しんで勉強しました。
学校に行く時間ももったいなかったです。

 

この時期が人生で最も勉強した時でした。

 

そんな苦労が実り一発で国家試験に合格しました。
本当に本当にうれしかったです。サッカー以外にうちこんだことが
なかったから、その時の先生、仲間に感謝してます。


 

大きな壁

25年前、男鹿に戻り修行しました。当初はケガの患者さんが多く
来られとても順調でしたが評判が良くなるにつれて
(腰・肩・首・ひざ)の重度の患者さんが来院されるようになってきました。

 

ケガ専門の整骨師でしたので重度の慢性患者さんを治せない、
治らない大きな壁に突き当たりました。

 

そこで患者さんの症状を少しでも良くするため
高度な治療を勉強するため東京、仙台を7年間
月1回、土日にかけて休まず通いました。

 

ようやく自分の目指す形に

 男鹿に来て25年、これまでのご縁に感謝しながら、今以上に
患者様の笑顔を多くするよう休日などは出来る限り時間を見つけ
東京方面に出かけ色んな治療法や勉強会に参加し、地域の皆様が
笑顔になれますよう日々精進して参ります。

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

 

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