お知らせ

2021-12-14 08:31:00

曾祖父が人力車、祖父は酒販店、父は酒販店と葬儀社、私は酒販店・葬儀社・民間救急と営んできました。(現在酒販店縮小)創業は祖父の昭和10年頃以外不明となっております。父は妻と弟と酒販店を繁盛させていた中、父の弟が脳卒中で倒れ亡くなります。葬儀は馴染みの葬儀社へお願いしました。その頃の葬儀とは町内の方がすべて進行するもので、葬儀社は祭壇・ひつぎ・香典帳などを納めるだけのものでした。弟のお葬式が分からないながら進んでいく葬儀に違和感を覚えたといいます。父は納めるだけではなく進行もしていく葬儀社が必要と考え、平成7年葬儀社と霊柩運送に参入します。参入後2年くらいで父は糖尿が原因で倒れます。私はまだ予備校生。葬儀はたまに手伝う程度でしたが、急遽、大学進学を止めて父の会社に就職します。父はその後、透析を行いながらも仕事をしていきます。60歳を過ぎるとがんも患い、65歳最後に脳出血で亡くなります。私が30歳の時でした。私は父の死をきっかけにグリーフケアを強く意識するようになっていきます。故人やそのご家族の気持ちに寄り添って葬儀を行っていると寂しさの中の何気ないことへの笑顔に救われるようになります。それが『家に帰りたいと願う患者さんの一時帰宅』でした。これがきっかけで私は平成23年患者等搬送事業に参入します。はじめてみると病院やご家族の考えに理想と現実のギャップに悩むようになります。さらに、令和に入り新型コロナ発生によりすべてが変わっていきます。今日はここまで…

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