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●御祭神
月岡神社主祭神 藤井松平家始祖利長公の経歴はその子孫に比べよく分からないところが多いのですが、二代信一公は十一歳にして安城城攻撃に参加したと事からはじまり家康とともに信長に仕え「桶狭間の戦い」その後も徳川援軍の将として「姉川の戦い」「長篠の戦い」「小牧長久手の戦い」など家康が関わった主要な合戦には常に加わり戦功を挙げている。
信一公は二代目家祖として武勇の誉れ高く松平家興隆の基礎を築かれた御方である。
●由 緒
元禄10年(1697)藤井松平家七代の信通公が備中庭瀬から上山城主に転封になり、信通公城内本丸に東照宮を建立し、併せて祖先の利長公・信一公の神霊を合祀し、徳川恩義を追慕し、祖先の遺徳を仰ぎ藩士一同厚く崇敬した。明治4年(1871)廃藩の際、東照宮は藩主の上京と共に東京の藩邸に奉遷され、藩祖利長公・信一公の神霊は湯町に鎮座する日枝神社に奉遷された。
明治10年(1877)旧本丸に壮麗な社殿を建立して松平家祖先の利長・信一両公の神霊を奉遷座し、報恩の誠を尽くし、永く上山の鎮守神と仰ぎ、産土の守護神として祈願すべきとの議起こり、同年6月神社の建設を願い出、同年10月許可を得て月岡神社と称した。明治11年9月神殿落成、同月15日、日枝神社より奉遷座した。明治15年5月村社に列せられ、明治40年8月鶴脛町内に鎮座の九社を合祀。
明治43年5月神饌幣帛料供進神社に指定された。
大正2年稲荷神社を合祀。
●祭礼行事
☆ 元 旦 祭 一月一日
☆ どんと祭 一月十四日
☆ 前 夜 祭 四月二十四日
☆ 例 大 祭 四月二十五日
☆ 夏越の大祓 六月末
☆ 秋季大祭 九月第三日曜日
☆ 七五三詣 十月・十一月
☆ 新嘗祭 十一月二十三日
☆ 年越の大祓 十二月三十日