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チャーンは、600年前、中国との進貢船による交易の際に渡来したとの伝承です。

その当時は、士族階級や、経済的にゆとりのある人々の間で、声や体形を楽しむために、趣味として飼育されました。

それが、第二次世界大戦の戦禍にあい、絶滅の危機に瀕しましたが、戦中、戦後を通して、保護活動にあたった方々のおかげで現在に至っています。 

 

 

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 チャーンは、声を楽しむのが、主目的で保存され、声音を三味線に例えて、ミージル・中ジル・ウージルの声を作ることや、鳴き調子としてのウチンザシ(打ち出し)・フチアギ(吹き上げ)・チラシ(しめ)など、またはクィーナギ(声の長さ)にも追求がなされたわけで、各地域によって、理想とするパターンを決めるまでに至りました。

また、形質の面からは、短足でトサカが三又、または五又で羽毛の柔軟さと色の美しさを求めて、工夫を進めてゆき、機会あるごとに鳴き合わせ会を開催し、昭和36年5月16日には「全沖縄鶏鳴会」が結成され、その後、昭和50年1月には、「沖縄チャーン保存会」と名称変えがなされ、正統保持による保存の方向を堅持することとなりました。

 

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①形質

チャーンの形質で、特徴として挙げられるところは、からだ全体として丸みがあり、胸元の張りも強く、短脚で安定感に満ちたことと、頭部は発達した単冠を持ち、目も耳朶も小さく、肉垂れが退化して全くない上に、目の周りから頰・くちばしの下部、さらには胸部までまで羽毛で密に覆われて、いわゆる翁型になっていることにあり、くちばしの色では、淡黄色または、鉛色、象牙色等に分かれますが、個体によっては、やまぶき色を呈するものもあります。

②声

古くから、「ケッケーケッ」の調子で謡うことに基本の型が置かれていますが、実際には、最初の鳴き始めの声(打ち出しという)をゆっくり下げて出し、「ケー」を次第に吹き上げながら長く引き、しばらく声を止めて末尾の「ケッ」を力強く打つことが理想とされています。

その動作も始めの「ケッ」で頭を高くもたげ、「ケー」と伸ばす際には、空を向き、止めの「ケッ」で頭を軽く下げて打つことを好ましいとしてきました。

 

 

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