お知らせ

聖書 マルコ福音書 一章三十二節~三十四節

 

 兵庫県知事選挙ではSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)による情報発信が選挙結果に大きく影響しました。

 今は物の変化が激しくて、人間の感覚がついていけません。数十年前までは、こんな世の中を一切想像できませんでした。変化は日進月歩ではなくログ対数的で、高齢者には殺人的です。今では個人が持っている携帯電話で世界に向けて発信することが可能です。この動画もアイフォンで撮影しています。数十年前まではあり得ませんでした。選挙に携わった人や大手メディアも、このような変化が原因で、選挙結果が変わると思わなかったのでしょう。

 長男を撮影した当時最新のビデオカメラはセットで五十万円ほどしましたが、今から見れば、ボケボケの映像しか残せませんでした。今のソニーがあるのは、ぼくたちユーザーが支えてきたからです。カセット・CD・MDウオークマンで音楽を持ち運びました。今では音楽も映画も好きな時に好きなだけ手に入れることができる機械が、ポケットに入る大きさで、おまけに電話もできるんです。しかも、これほど貨幣価値が下がった日本でも十数万円で購入できます。映像にもステレオにも、たんまりと金を注ぎ込んできたハイエンドユーザーからすれば、少々値が張ると言われても、高いと感じるどころか、ありがたいと思うほどです。

 ぼくが作詞作曲した曲を楽譜にして演奏してくれるピアニストに昔の話をしましたら、レコードは見たことあるけれど、回っているのを見たことがないと言われました。レコードは見るもんやなくて、聴くもんやで、てなことで、46センチのウーハー(低音用スピーカー)の付いたステレオでレコード音源を聴かせてあげたら、感動してました。

 今では機械が小さくなって、機能が満載していますけれども、どんなに高級なワイヤレス・イヤホンを使っても、低音がお腹に響くことはありません。体全体で音を感じるには大きいスピーカーが必要です。もっと音を楽しみたければ、最終的にコンサートホールに行くしかありません。

 バーチャル(仮想的)が流行っている現代に一番足りないのは本物の現実に触れることです。

 

【イエスの元に人々は集まった】

 さて、福音書には、純潔を守るユダヤ人からは嫌われていたシリアやツロやシドンから、イエスの噂を聞いた人々がたくさん集まったと書かれております。イエスはユダヤ人が嫌う人々が住む地方に行くことが多かったようですから、イエスはユダヤ選民思想に反感を持っていたと思います。

 とは言うものの、その一帯の全ての町や村から人々が集まってきたなんて言うのは、ちょっとオーバーな表現で、実際にそんなことは無かったでしょう。今までは、そのように言っておりましたけれども、ここ数日で考え方が変わってきました。

 間違いを認めない既存のメディアのようなことをぼくはいたしません。考え方が変わった時には、変わったとか間違っていたとか、素直に言います。

 とにかく、聖書は大袈裟な表現をしていただけだと思っていたのですが、いやいや本当かもしれないと思うようになったんです。

 というのも、初めに申しましたとおり、今はSNSによる配信によって。可愛い動物や有名人が登場する動画は数十万人に見られるというのが当たり前のようになっております。情報が一方的に流されるのを見るのではなくて、個人は見たいものを見に行く時代になったということです。ただし、面白くないものや嘘を見分ける能力が必要です。

 政府や行政や大手メディアが発信する情報を疑う世代が育ってきたとも言えそうです。

 SNSにも既存メディアにも疑わしい情報はたくさん流れているのですけれども、多くの人の目で見ることによって、正確そうな情報も見つかる可能性が高くなります。そんなわけで、既存のメディアを見ないで、インターネットから情報を得ようとするのが現在主流になりつつあると思います。

 最近のテレビには「専門家にお伺いします」というフレーズ(表現)がよく使われます。どんな人が出て来るのかと思えば、専門家の発言とはとても思えない発言をなさる方が多いのには驚かされます。ぼくは学位しか持っていない程度の聖書の専門家ですけれども、こんなぼくでも大手メディアに登場する専門家が間違っていることに気づいて腹が立つことが多いのです。ぼくの専門分野でそうだということは、他の分野でも同じように感じている専門家がいるはずです。そうだとすれば、大手メディアが連れてくる専門家というのはこの程度の専門家だということです。もちろん中には素晴らしい人もいますけれど、権力に靡(なび)かない人は登場機会が少ないと判断できます。つまり、既存のメディアの情報にはかなり片寄りがあるので、そのまま信じ込んではならないことが判ります。正確な情報を得ることは今も昔も変わらず難しいのです。

 

【人々は足を運んだ】

 情報メディアがあっても真実を知ることは難しいのです。ましてやそれらがなかった昔の人たちは、どのようにして情報を得たのでしょうか。何かヒントがあるはずです。

 昔の情報源は「噂(うわさ)」だと思います。噂が広まるのはSNSも同じです。そんな状態で事実を知る確かな方法は、昔から「百聞は一見にしかず」という通り、自分で確かめる以外にありません。

 情報メディアを持たない時代の人は、自分で確かめることの重要性をよく知っていました。しかも、それがどうでもいいような噂ではなくて、自分や家族の命や健康に関わる重要な情報だと思ったならば、何十キロメートル離れていても、確かめに出かけて行くのは理にかなったことです。そして経験した人が他の人に話す。それを聴いた人がまた現地に行く。そんな連鎖が起きたはずです。嘘が真実であったから情報が次々と広まって多くの人が集まったのでしょう。噂を聴いた人々が、足を運んで情報を確認したことが重要なのです。

 

【ぼくたちは】

 昔は年に一度、教会の代表が全国から集まって総会をしていましたが、数年前の流行病(はやりやまい)の騒動以降、対面で行わない教会会議が増えました。衰退する教会が目立つ中で、どうすれば教会が成長するするか、人が集まるか、という話し合いが、ズームで行われています。笑っちゃいます。こんなことでは成長は見込めないでしょう。こんな時代だからこそ、めんどくさくても時間と金を使って集まるべきです。今日の聖書を読んだだけで解るはずです。

 家族も友人も、大切な人たちの関係は出かけて行って安否を確認し、自分のできることをする。イエスは、そんな熱心な人たちに囲まれていたに違いありません。

下記のリンクから動画礼拝説教をご覧いただけます。

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