〜My Story〜⭐️自己紹介

【秋山美穂子 Mihoko Akiyama 自己紹介】

 

《音楽との出逢い》

母が音楽好きだったこともあり、私は母のお腹の中にいた頃から、グルダが演奏するベートーヴェンソナタ「月光」を聴いて育ちました♪

東京都調布市で生まれてからも母に様々な童謡を教えてもらい、歌うことが大好きでした。

 

4歳で幼稚園に通うようになり、幼稚園の先生がオルガンを弾いている姿に憧れ、5歳で念願のピアノを購入してもらい、習い始めました。

譜読みも早く、どんどん曲が進み、あっという間にソナチネへ・・・

小学校3年生になる時に、調布市から稲城市へ引っ越しが決まりました。

しばらくは電車で通っていましたが、ご近所の方に良いピアノの先生がいらっしゃるからと、新しい先生をご紹介して頂くことになりました。



《新しいピアノの先生に代わり、小学校4年生で初めての挫折を経験!》

小学4年生の春、狛江市に住む桐朋学園の江戸弘子先生門下の白井和子先生のもとへ!

譜読みが早かった私は、得意気に先生の前でピアノを弾きました。が、その後の先生の

「これでは、お遊びと一緒ね!基礎が全くできていない!もう一度一からやり直し!」の一言に大ショックを受け、初めてピアノで挫折を経験します♪

 

それから10ヶ月くらい、何も曲は弾かせてもらえず、ひたすら指の形とハノンのみでした!

そのような辛い日々も続きましたが、先生の厳しいご指導のお陰で徐々に基礎が身につき、小学5年生での初めての発表会では、ベートーヴェンの「ロンド」を演奏することができました♪



《大好きな恩師との別れ》

白井先生のレッスンは、リズムが悪ければ背中を叩かれ、ペダルの踏み方が悪ければ私の足の上から踏まれるというスパルタで毎週ドキドキのレッスンでしたが、先生が私を一生懸命伸ばしてあげようという気持ちが伝わってきたせいか、先生からの愛情はものすごく感じました。

そのような白井先生のレッスンのお陰で中学生時代は、私にとって伸び盛りでした。

ところが、中学2年生の時、先生が船橋市へお引越しになってしまいました。

しばらくは、学校帰りに頑張って通いましたが、徐々に勉強との両立も難しくなり、いよいよ音大進学か、一般大学か岐路に立たされることになりました。

そして、先生が勧めてくださる音大を元に母とも音大巡りをし、武蔵野音大へ行った際に附属の音楽教室があることを知り、中学2年生の3月に受験をし、武蔵野音大へ進学をしようという決意と同時に、これまで一生懸命私を育ててくださった白井先生の元を旅立つことになりました。



《武蔵野音楽大学附属音楽教室へ(中学3年〜高校3年)》

 

音楽教室での生活は、同期にはミスチルのヴォーカル櫻井くんのお姉さんや、後のNHKうたのおねえさんになった「ゆうこお姉さん」などと共に刺激の多い日々で、より一層ピアノに励む毎日でした♪

高校1年生の時には、音楽教室でのオペラ公演があり、モーツアルト「魔笛」に出演したことをきっかけに、声楽にも目覚め、高校2年生より本格的に声楽も習うことになりました。

みんなで「武蔵野音大へいこう!」という同じ目標を持っていたことで、受験の年には仲間の絆も感じ、とても心強く、受験に対する恐怖などは全くありませんでした^^



《武蔵野音大での生活》

音大へ入った私は、目標を達成できた達成感を得ると同時に、高校生まで我慢してきたバドミントンをやりたくなり、音大唯一の関東リーグ加盟しているバドミントン部へ入部して、バドミントンにハマり、ピアノの練習が次第に疎かに・・・

そんな私をみかねた大学の恩師の岩谷晴代先生が、またまたスパルタに!!

これまでスパルタに慣れてきた私は、スパルタレッスンでないとサボる癖があるようです♪

 

けれども、小学生時代の白井先生との出逢い〜武蔵野音大の学生生活は、恩師や友人たちに恵まれ、今このように音楽を続けてこられている大きな源となっています。



《聖セシリア女子短期大学講師となって》

武蔵野音大卒業後は、運よく神奈川県大和市の短大幼児教育学科にて、9年間ピアノの実技と幼児歌曲弾きうたいの実技レッスンを担当することになりました。ここでも高校時代から習ってきた声楽がとても活かされました♪

非常勤講師だった私は、出校日が週2日だったこと、夏休みや冬休みが長いことから、再びピアノを真剣に学びたい気持ちになりました。長い夏休みを利用してベルリン芸大でピアノ伴奏法のレッスンを受けたり、大学の恩師岩谷先生の元でソロを学んだり・・・

そのうような矢先、武蔵野音大にピアニスト・アシュケナージさんの妹、エレーナ・アシュケナージ先生が、モスクワ音楽院からいらっしゃるとのこと、ラフマニノフが好きだった私を岩谷先生が、「アシュケナージ先生のところへ連れて行ってあげるから、ぜひみて頂きなさい!」と引き合わせてくださいました。

とてもパワフルでご熱心なアシュケナージ先生のレッスンで、益々ラフマニノフが好きになり、2年ほどお世話になりました♪



《結婚により音楽から離れての生活の始まり》

短大講師をしながら、ソロ、伴奏共に楽しく充実した生活の最中、結婚により長野へ住むことに・・・

今まで、家事もほとんどやってこなかった私は、結婚と同時に仕事を辞めて母と同じく主婦として家庭に入らなければと思い、今までの短大の仕事や30人いた個人レッスンの生徒さんを手放し、長野で音楽のない結婚生活が始まりました♪

長野県は両親の実家のあるところなので、馴染みはあったものの、最初は日々の生活に慣れることでいっぱいいっぱいでした。

けれども、次第に恩師や友人、生徒さんとの生活を思い出すと同時に音楽のない生活に寂しさを感じるようになりました♪

音楽から離れたことによって、私自身が今までどれほど音楽に支えれれてきたかを思い知らされました。

音楽は、人との心を癒すのみならず、生きる力を与える!

まさに私は、長野での音楽のない生活で、それを実感しました♪

 

 

《東京に戻って新たな第一歩は小学校での音楽専科〜杉並学院へ》

5年程の長野での生活から東京に戻り、私にできることは音楽しかないと感じ、新たに始めた仕事は、川崎市立岡上小学校での音楽専科でした♪

そこでも素晴らしい校長、教頭先生に恵まれ、基本的に非常勤講師は一年ごとに学校を移らなければならないのですが、5年間同じ小学校でかわいい子ども達と音楽が溢れる生活を過ごしました。

学校では、入学式、卒業式、運動会、学習発表会など、あらゆる行事において音楽が欠かせないものと、ここでも感じることができました♪

同じ小学校で5年勤務させて頂きましたが、そろそろ移動・・・という時に、杉並学院からお話をいただき、音楽の授業と高等学校の合唱部のコーチとして勤務させていただくことになりました。

合唱部は、私が勤務した前年度はNHK合唱コンクール全国大会で金賞ということもあり、プレッシャーもありましたが、練習熱心な生徒さんと共に初めてのNHKコンクールに参加させて頂くことができました。順調に全国大会まで残れたものの、その年は銀賞に終わりましたが、私にとっても貴重な体験となりました♪



《早稲田大学で音大時代が蘇り、東京音大大学院へ》

学校に勤務しながら、次第にピアノの生徒さんも増えると同時に、自身の中で改めてまた勉強したい気持ちが湧いてきました。

声楽が好きだった私は、ドイツ語ももう少し学びたいな〜という気持ちがあり、学ぶなら父の母校でもある早稲田大学で学びたいと思っていました。

先ずは、ドイツ語検定2級を取り、2011年早稲田大学文学部へ入学しましたが、その年は3.11の震災の年、入学式も4月の授業も無く、5月にいきなり軽井沢でのドイツ文学合宿からスタートしました。

文学部には音楽に造詣の深い先生方やクラシック好きな学生さんが多く、また文学部敷地内にある学生会館は練習棟のようになっていて、ピアノだけでなく合唱やオケなどの練習の溜まり場で、そこに行くと音大時代が蘇ってきました。

授業も「魔笛」の翻訳や「エリザベート」の翻訳、「オペラ論」など私の興味深い授業ばかりで、益々音大時代を彷彿させられました。

卒論もベートーヴェンの「第九の絆」と、音楽に絡めて書きました。

 

好きな授業が多かったこともあり、学内の奨学金も頂き、独文では首席で卒業することができました。

 

小学校の頃から可愛がってくださった恩師などに報告をしたところ、「せっかくそこまで勉強しているなら、音大で大学院に行ったら」と勧められました。

大学院に行くなら、中学時代からお世話になった武蔵野音大に行きたい気持ちは山々でしたが、ちょうど武蔵野音大はキャンパス建て替え時期であったことや、受験を決めた時は、既に入試5ヶ月前だったこともあり、恩師と相談した結果、東京音大の大学院に進学することになりました。

 

《ベートーヴェンとの縁》

冒頭で、私は母のお腹にいた時から、グルダの「月光」を聴いて育ったと書きましたが、不思議と私の何かの節目には常に、ベートーヴェンがついてきます^^

初めての発表会では、ベートーヴェンの「ロンド」、大学入試では「月光」ソナタの終楽章、早稲田の卒論では「第九」、そして私が東京音大大学院に入学と同時に、慶應大学で教えていらした武蔵野音大先輩でベートーヴェン研究者でも有名な平野昭先生が東京音大大学院の非常勤講師に!

これは、本当に物凄い巡り合わせで、私もびっくりしましたが、修士論文もベートーヴェンを書きなさいという神様からのお告げのようでした。

実際、論文は平野先生にご指導頂き、修了演奏も「熱情」ソナタを演奏することになるという、ベートーヴェンとは切っても切れない縁を感じずにはいられません。

でも、私自身もベートーヴェンは大好きな作曲家なので、一生をかけてベートーヴェンの作品を演奏していきたいと思っています♪



《東京藝術大学大学院でもベートーヴェン研究を》

東京藝術大学には、10年程前から「音楽文芸」という専攻ができ、大学院のみに設置された学科があります。音楽文芸は、音楽と文学の融合学科ということで、そこでもう少し論文をまとめたい気持ちがありました。

学生時代が長くなってしまった私は、博士まで行けば、流石に家庭崩壊に繋がってしまうと思い、研究生として1年間芸大に在籍し、そこでは音楽教育に関する論文とベートーヴェンの交響曲とリスト編曲のベートーヴェン交響曲と比較論文をまとめ発表しました。



《ボランテイア活動団体を結成♪》

演奏活動をしていく中で、私達の演奏を通して、何かのお役に立ちたいという気持ちから

2018年、動物愛護ボランテイア団体”Rosa"を結成、また2021年には、動物のみならず、コロナ禍で大変な思いをされている病院の医療関係者さまや入院されている患者さま、ご家族、施設などへも活動を広げるべく”Duo Cechilia〜”を結成いたしました。

少しでも皆さまのお役に立てれば幸いです♪



《モットー》

私の一番のモットーは、「ピアノの発表会やコンクールで培った集中力や緊張感を学業にも活かし、生きる力の糧となるようなレッスンを目指す!」ことです♪

 

これまでに音大では、武蔵野音大、桐朋学園短大、上野学園大学に、

一般大学では、京都大学、早稲田大学、慶応義塾大学、東京女子大、共立女子大等に進学しています。

コンクールでは、日本クラシック音楽コンクール、べーテン音楽コンクール、ラナン国際ピアノコンクール、さくら音楽コンクール、あおい音楽コンクール等多数入賞しています。

 

2021年4月、コロナ禍で慶應大学に入学した生徒さんが「発表会やコンクールで得た集中力や緊張感が大学受験にも役立った」と話してくれたことに、大変嬉しく励みになりました。

 

これからの時代、何か困難に直面した時、柔軟性を持ってどのように生きていくかを考えることがとても大切になってくると思います。ですので、音楽を通して考える力や自信に繋がるレッスンを目指していきたいと思っています。

私もたくさんの素晴らしい恩師から多くの愛情と学びを受けてきました^^

その「恩師から得たたくさんの愛情や教えを、今度は私が一人でも多くの生徒さんに伝えていくこと」

これこそが私の使命だと思っています♪



《30年の指導歴を経て思うこと》

これまで、学校勤務も含めて3000人以上の生徒さん方と共に音楽を学んできました。

20代の前半では、私自身も音大を卒業して間もなく、指導法も手探り状態で、とにかく自身が学んできたことを押し付けてしまうレッスンをしていたかな〜と思うこともあります。

 

当時、小学校4年生の男の子が、なかなか指の形が整わず(音大志望でもあったので尚更)厳しく指先を起こして弾くように度々注意していましたが、大きくなるにつれて自身で速く弾く方を見出したかのように指を伸ばしていても快速に弾けるようになった事例があります。

指の基礎ができていなくても弾けてしまった一番の理由は、男の子で力もあったことかな〜とも思います。幼少の頃に指の形が綺麗に弾けなくても、成長と共に指の力もついて、自身で気をつけていれば、次第に整ってきて自分なりの弾きやすい奏法を練習しながら身につけていけるということを10年20年と指導しているうちに気づきました。

私自身が基礎を身につけるのに大変苦労したので、最初は基礎に拘っていましたが、手の形も大きさも人によって違うため、あまり強く言いすぎると返ってピアノが嫌いになる原因を引き起こしかねないので、様子を見ながら伝えていくことが大切と感じています。

また、優しいレッスン、厳しいスパルタレッスン、どちらが良いかも一概には言えないと思っています。

私自身は、厳しい先生が合っていましたけれど、生徒さんも十人十色、皆さん性格が違いますので、特に幼少の生徒さんは、いち早く生徒さんの性格を読み取り、個々の生徒さんに合うレッスンをすることが重要と考えます。

ただ、音大受験やコンクールを受ける際には、優しくばかりしていられない時もあるので、その時は心を鬼にして伝えます^^

けれども、元々「音楽は音を楽しむもの」なるべくなら、生徒さんと明るい笑顔で楽しいレッスンができたらいいですね^^

 

どのような形であれ、一人一人の生徒さんとしっかり向き合って、愛情を持ってレッスンをすれば、必ず生徒さんにも伝わると信じています♪

 

恩師から愛のあるスパルタレッスンを受けてきた私自身が実際に感じてきたので・・・^^

 

音楽は、癒しのみならず、生きていく上で必ず力になると信じています♪