茂右ヱ門窯
茂右ヱ門窯の起源は、16世紀まで遡ります。
慶弔3年(1598年)、豊臣秀吉の死によって慶長の役から日本へ撤退する時、
平戸藩主の松浦鎮信は朝鮮から陶工たちを平戸へ連れ帰りました。
その中にいたのが、李朝七世の流れをくむ女性、エイ
唐津の陶工であった初代中里茂右衛門に嫁ぎ、中里エイとなり、
高麗の陶磁技法を伝授しました。
中里エイは透き通る白磁を作るために、各地を訪ね理想の陶石探しを行い、
ついに、美しい白磁を完成させました。
そのことから、後世の陶工は中里エイを陶器の神「高麗媼(こうらいばば)」として祀りました。
中里茂右衛門窯は高麗媼(こうらいばば)を開祖とし、平戸藩御用窯として重んじられ、
平戸家宗家として一子相伝で技を守り、伝えてきました。
御上への献上品を筆頭として、藩の調度品、贈答品など手掛け、
19世紀には中国やオランダへも輸出されました。
明治時代にはパリ万博に出品し、高い評価を得ています。
現在、15代中里茂茂右ヱ門の先品がルーブル美術館東洋部門「ギメ美術館」に
展示されており、世界的にも評価されています。