失敗を乗り越えて・・・

2児(息子・娘)のママです。
熊野先生とは、一人目の子の時からお世話になっています。

はじめて熊野先生に出会ったのは、息子を産んで1か月近く経った頃でした。

もともと扁平乳頭だった私のおっぱい。
出産した病院では、「赤ちゃんに吸わせればなんとかなる」、
と言われ何度も練習しましたが授乳はあまり上手にならず、
おっぱいが張るとはどんなことかもわからないまま、
乳首が傷だらけの状態で退院しました。

退院後は病院で教えられた通りに一生懸命授乳し、
おっぱいも張るようになっていたものの、
2週間健診では体重が足りずミルクを少しずつ足すことに。
1週間後に再度健診となりました。

そのころからでしょうか、授乳の度に大量の汗をかいてだるくなったり、
黄色いドロっとしたおっぱいが出たり、
前搾りしようとして乳輪を触ると痛みが出るように。
当時は、「汗はホルモンがいっぱい出るせいかな?」
「黄色いのは脂肪の塊かな?」
「痛いところはあんまり触らない方が良いのかな?」なんて考えていたのです。

そんな時、義母(関西人)の甘いささやきが・・・
「しんどかったらミルク足して寝ればいいやん!」
無知で睡眠不足と疲労感で朦朧としていた私は、
子供を育てた人が言うことだからやっても大丈夫だろうと思い、
夜は息子にミルクを飲ませ、おっぱいを冷やして寝ることに。

すると、おっぱいはだんだんとガチガチになって搾乳しても楽にならず、
鎖骨のあたりまで圧迫感が出るようになりました。
そしてとうとう寒気がしてきたため、あまりにももおかしいと思って熱を測ると、
38度を超える発熱が!
深夜に救急外来を受診したところ乳腺炎であることが判明し、
抗生剤の点滴とおっぱいのマッサージ(といっても、
力まかせの搾乳)を受けてその日は帰宅しました。


数日たっても状態はよくならず、おっぱいの痛みは強くなる一方。
息子の再健診や夜間の受診の度に病院でマッサージを受けるうち、
助産師さんから「そろそろ1か月経つから他に相談できるところを探して」と、
助産師マップを渡されたのでした。


そこで、必死の思いで熊野先生へお電話したところ、
翌日すぐに来てくださってマッサージしていただきました。
私のおっぱいを見た先生は「こりゃひどい」を連発。
そのときすでに左のおっぱいは膿でパンパンでほとんど何も出ない状態だったのです。

その日は、通常のマッサージだけでは足りず、
パンパンのおっぱいをどうにか出そうと、
息子に吸わせながら力いっぱいおっぱいを圧迫したりしていただいたものの、
あまりの痛さに思わず悲鳴が。

次の日も先生のところでマッサージを受けましたが、
発熱による寒気とマッサージの痛みに耐えられず涙がポロリ・・・。
せっかく乳輪部分から乳首の伸びがよくなるようにしていただいたものの、
帰宅するころには乳首がまた引っ込んでしまいどうにもならなくなったため母乳を断念。
薬を服用して母乳を止めることにしました。

その後出産した病院の外科に回され、2週間ほど痛みに耐えながら、
膿や溜まった母乳の自然吸収を待ちましたが、
吸収される気配はなく、結局左右両方のおっぱいを切開することに。

外科の医師や新生児訪問の助産師さんには、
次があっても再発する可能性があるから、
母乳はあきらめた方が良いと言われ、
「母親失格だ・・・」とひどく落ち込んだのを今でも覚えています。


これが私の大失敗。
その時、「もし次があったら絶対すぐに熊野先生に診てもらう!!」
と心に誓ったのでした。



-------------------------------------------


息子の母乳育児での失敗が時間とともに思い出に変わろうとしていた頃。
思いがけず娘を授かり、
「2人目はできれば完母で育てたい!
産前のおっぱいケアについて熊野先生に早めに相談しよう!!」
と思っていた矢先に今度は切迫流産で入院。
3ヶ月ほど入院しましたが、結局は33週で早産。
娘はだいぶ小さく産まれてしまいました。

出産後2ヶ月間は搾乳の日々。
息子の時に壊したのが影響しているのか、年齢のせいなのか、
搾乳ダイアリーに書いてある標準の搾乳量よりも出てくる母乳量は少なく、
「完母で育てられるのかな?」
「娘が退院したらうまく吸えるかな?」
「また乳腺炎になるのかな?」
など毎日おっぱいのことで悩みながら搾乳することが続きました。

そして退院少し前からの直母練習。
予想はしていたのですが、
私の乳首が吸いにくいせいで娘は吸い付いても口が滑って外れたり、
すぐに疲れて飲めなくなってしまうため、
あまりおっぱいを飲めない状態でした。

退院前日から当日朝にかけて病院に泊まり、
娘のペースで授乳する機会もありましたが、
丸一日経っていないのに乳首がヒリヒリ、皮がめくれ始めました。

「これは早く対策しないとおっぱい続けられない」と思った私は、
退院後すぐに熊野先生にお電話して受診。
「おっぱいは早めのケアが肝心。よく覚えてて来てくれた。」と、
丁寧にマッサージしていだきました。
すると、娘もなんとか飲めるようになり、
ミルクの追加が必要な状態ではありましたが、
母乳を続けることができたのです。

そこから半年間は、大きなトラブルもなくうまくいっていたものの、
退院から6か月が過ぎて、
娘の吸い方が少し力強くなったなぁと思い始めたころ、今度は白斑、
しこり、乳首の付根が切れるなどおっぱいのトラブルが増え始め、
2週間に1回程度のペースで通うことに。

ある時は白斑から開通させるのに「イテテテ」となったり、
またある時は噴水のようにしょっぱいおっぱいが噴き出したり、
右が調子良くなったと思えば今度は左が悪くなり・・・
よくもまぁこんなにトラブル出るなぁと、自分でも呆れていました。

息子の時に壊した左のおっぱいはというと、
いつもピンポン球くらいのしこりが残り、
昔はよく出るおっぱいだったのに、
右にくらべて半分くらいしか出ないおっぱいに。

娘の体重の増えもあまりよくなかったので、
先生にはずいぶん気にかけていただき、
体重計をお借りしたり、
授乳の仕方や離乳食についても色々アドバイスしていただきました。

それでも先生とは毎回合言葉のように、
「一人目のときの時よりは・・・」とお話ししながら、
トラブルの度に対処方法などを教えていただき、
再び自分でなんとかコントロールできるようになりました。

こうしてやっと母乳育児を楽しめるようになったころには、
娘は追加のミルクですっかり哺乳瓶好きに。
おっぱいの飲み残しが多くなり、ミルクの缶や哺乳瓶を見て、
「そっちがいい」と泣くことも多くなりました。

私としてはもう少し続けたい気持ちもありましたが、
泣いている娘を見るのもかわいそうだし、
夜中の搾乳を頑張る体力も限界だったため、
「ミルクに切り替えて離乳食がんばろう!」と思い、
満10ヶ月の時に断乳を決意。
今は卒乳マッサージを受けています。

断乳以来娘は一日3回の離乳食をモリモリ食べ、
食後のミルクもしっかり飲み、
早産児の定期検診で診ていただいている先生もびっくりするくらい体重が増えました。
未だにたまにさみしくなりますが、
娘のまるまるニコニコした顔を見ると、
このタイミングでの断乳が私にはベストだったと思います。

娘の母乳育児は完母の夢こそかないませんでしたが、
一時でも楽しむことができてうれしかったです。
熊野先生に助けていただいたおかげで、
息子の時にした失敗を乗り越えてここまでできた・・・。
先生には本当に感謝感謝です。

これからも熊野先生に出会って、
母乳育児を楽しめるママがたくさん増えますように。
先生、いつまでもお身体大事にお元気でいてください。
                                       



 匿名ママ