第7章 観察を促進 ・サポートする術
3 感謝する
◇困った時の万能薬「感謝瞑想」
感謝瞑想とは、念仏やマントラのように、ひたすら
「あリがとうございます」
と唱えるものです。
精神的にアンバランスな状態にある時、特に沸騰する想念に苦しんでいる時、感謝瞑想の効果は絶大です。どんな想念が流れてきても、どんな状況にあっても、ただ「ありがとう」を繰り返します。
理屈抜きで、馬鹿になったつもりでやること。繰り返しているうちに収まってしまいます。
頭痛や肩こりがあったら、その箇所に「ありがとう」、
あなたを苦しめている怒り、不安、嫉妬などの想念に「ありがとう」、
あなたの大嫌いな上司や隣人に「ありがとう」、
あなたが許せない政治家や宗教家、企業や社会体制にも「ありがとう」、
という具合です。
◇感謝瞑想の真の効果とは?
今まで意識すらしなかったものを 「感謝の対象」として意識することで、見えていなかったことに気付いていくことが重要なのです。
感謝瞑想とは、気付きの範囲を広げる方法、つまり想念観察を強制的に深めていく究極の方法なのです。
その結果、あなたの意識は安定し、波動も上昇してくるので、アンバランスな低い想念波動の影響を受けにくくなるのです。
このことは、肉体細胞の活性化にもつながりますので、老化のスピードを鈍らせることにもなり、まさに「良いことづくめ」なのです。
◇感謝するのに抵抗がある人へ
皆さんのほとんどは、自分に利をもたらしてくれるものにしか感謝しません。
それは「都合」の感謝であり、「ラッキー! 」とか 「嬉しい!」とほぼ同義語になっています。
感謝できないものに感謝するなど、なにか無理をしているような、善人ぶっているような感があります。「ぞくぞくするような沸き上がる感動とともに感謝の念が毎回湧いてこないとダメだ」という思い込みにとらわれているからです。
そもそも「感謝の念」とは「想念」に過ぎず、それを垂れ流すことが感謝瞑想の目的ではないのです。想念の山と谷の片方にすぎないものを、毎度每度取り込んでいくことを目指しているのではありません。
「ありがとう」 の状態とは、すべてを受け入れた状態、中立の状態です。
「ありがとう」を唱えることにより、次第にこの状態に近づいていこうというものなのです。もちろん痛みや不幸退散の呪文ではありません。
あなたの身体の痛みや不快な想念は、あなたの意識がバランスを崩していることを訴えています。
あなたの嫌いな個人や社会のさまざまな存在もやはり、隠れていて自分では見えない、あなたの不調和な要素を鏡となって映し出してくれています。
あなたのアンパランスな状態に気付かせてもらったから「ありがとう」 なのです。
◇うまくいかない、という人へ
騙されたと思って、「ありがとう」をくり返し唱えてみて下さい。
最初は5分と続きません。色々な想念が浮かんできたり、気が散ったりして幾度となく中断します。
そのうち、
「こんなもの、何の意味(効果) があるんだ」
「馬鹿らしい」
「まるで宗教みたいだ」
「気持ちがこもっていない感謝など無意味だ」
などといった想念が流れてきて、あなたは完全に止めてしまうかもしれません。
しかし、ここがポイントなのです。
ここにあげたような想念がまさにあなたのエゴ反応です。
感謝を通じて初めて、「感謝できない自分の姿」が想念の形であぶり出されました。必要があってそのような想念も流されているのです。
あなたが 「自分 (エゴ) 」を振り回している限り、その想念の虜になるでしよう。
それを教えてくれた想念に、あなたは感謝できませんか?
感謝瞑想をしながら、想念もしっかり観察して下さい。両者は不可分です。
◇緊張した感謝を観察する
沸騰した想念や身体の痛みに対して、感謝瞑想を続けている時、次のような想念が流れがちです。
「いつまで経っても痛みや想念が消えないのでイライラする」 ・・・焦り
「すぐ感謝することを忘れてしまって、感情の虜になってしまう」・・・自責
こうした想念と格闘している間は、まず症状の改善はみられません。力んで感謝をする結果、緊張状態に陥るわけです。
いい加減やり尽くし、どうでもよくなったところでやっと消えた、つまり気が付いてみたらいつのまにか無くなっていた、ということが多いようです。
感謝の背景に打算が働いていることを、まずはよく観察して下さい。
痛みや想念に感謝する振りを見せながら、これにべったりとへばりつき、押し流すような感じで、エネルギーを注いでいるのです。いわば「念」を送っている感覚なのですが、これでは逆効果です。
前にも述べたように、「感謝の念」は想念です。山と谷・・・つまり「もっと痛め ←→ 痛み消えろ」 という両極が交代する波を増幅しているようなもので、中立の状態とは程遠いといえます。
ポイントは、まず力を抜くことです。
中立の状態とは、「どうでもよくなった状態」 、言い換えれば一切のこだわりが無くなった状態のことです。
といっても、一朝ータに力の抜き方など身に付くものではありません。
「感謝したくないけど・・・でも感謝するぞ、ちくしょう」
などと、初めのうちは歯を食いしばってやったっていいのです。
お稽古ごとでも車の運転でもそうですが、力み返ってさんざんやってみた末、
うまく力が抜けるようになった時、ようやく身になってくるものです。
◇実践 ・ 感謝瞑想
漠然と感謝しようとしても長続きしませんから、目につくあらゆるものにありがとうと言ってみましよう。
辺りを見回して下さい。
[家の中にあるもの]床、 トイレ、食器、布団、冷蔵庫、TV、畳、オーディオ製品
[身体]胃、目、鼻、耳、心臓、肝臓、膀胱
〔衣服〕下着、靴下、靴、コート、鞄、傘
[外 ] 公園、道路、鉄道、 バス、大地、草木、水、太陽
[会社 ] OA機器、建物、ごみ箱、エレベーター、デスク、事務用品
〔人間〕家族、友人、知人、同僚、上司
〔目にみえないもの] 電気、ガス、空気、日光、音、ことば、身体を動かしているエネルギー
初めは目に入る、具体的なものからやってみるといいでしよう。もしそれがなかったら、生きていられるか、あるいはどれほど不快 / 不自由な思いをしていたか考えてみるといいでしよう。
今まで、無言で無償の奉仕をしてくれている彼らに、ただの一度でもその労をねぎらったことがありませんでした。
今からでも遅くありません。やってみて下さい。
感謝していなかったものが多すぎたからといって、自分を責める必要はないのです。
自分が無数の存在に支えられて生きていることを自覚するための、いかに「感謝知らず」であったかを知るためのエクササイズなのですから。
感謝できないもの、感謝するのに抵抗があるものは何ですか?
(ネガティブな想念、苦痛な現状、周囲の不快な人々???)
そして、なぜできないのでしょうか? その答えは感謝を通じてあなた自身で導き出して下さい。