第 5章 流れない想念にはワケがある
6 観察しているのはいったい誰なのか?
ここで素朴な疑問があります。
これまでさんざん、「自分(らしさ)」とは「想念」を選り好みするパターンであり、よろいに過ぎない、と説明してきました。
では、その想念の選択の様を、いったい誰が観察しているのでしょうか?
よろいが「偽りの自分(仮面) 」だとすると、よろいを脱いで現れる「真の自分」とは何なのでしょうか?
脳はテレビのような受信機、パソコンのような情報分析 ・処理装置に過ぎません。
テレビ兼パソコンを頭脳に持った身体は、同時に自ら行動して体験するロボットでもあります。
想念を取捨選択するシステム、つまり「心」が、身体という機械を動かしています。
そして、このシステ厶に指令を送り、行動の結果を観察しているのは、あなたの「意識(体) 」です。
一般には、 「意識 ( 体 )」 というよりも「霊」というイメージの方がピンとくるかもしれません。
この「意識」が何層にも分かれていること、そして表面では人それぞれ分かれた形を取っているものの、深いところではつながっていることは、心理学の説明からも知られています。
つまり平たく言うと、人間とは「身体」 「心」 「霊 ( 表面意識・意識体 ) 」の3つが合体して出来上がっているということです。
一般の感覚からすると、「〇〇さん」と言う時イメージされるのは、「身体」であり、
その人の性格 「心」 であったりするため、これらが人間の主たる要素と考えがちです。
しかし本来、人間の主役は「意識体」なのです。
想念を元に行動を起こさせ、その結果である現実を観察しているのは、他ならぬ「霊と呼ばれる意識体」 なのです。
見えないものが主役であると言われても面食らうでしょうが、意識の世界についての説明は避けて通れません。