山椒の話

【将軍家献上品としての歴史】

6代に亘り篠山城主を務め江戸幕府の老中を務めるなどした青山家は、丹波篠山の特産として山椒を将軍家へ献上していたことがわかっています。江戸時代に大名や幕府役人の情報を網羅した『武漢』(天保武鑑、弘化武鑑など)の中に、篠山藩(青山家)から将軍家へ献上する「時献上(ときけんじょう)」の品目として、「山椒」が黒大豆や塩松茸と並んで明確に記載されています。また享保元年(1716年)に編纂された篠山藩の地誌『篠山封疆志』には、藩の土産(特産品)として「山椒」、栗、茶、紙、黎豆(黒豆)などが挙げられています。当時から藩を代表する主要な産物として認められ、献上ルートに乗っていた背景を裏付けています。お茶壺道中と同様に、将軍家への献上を表す「御用」の札を掲げた山椒壺の行列が通る際は、たとえ他藩の大名行列であっても道を譲る義務がありました。庶民は直視することすら許されなかったと言われています。山椒は暑さに弱く、傷みやすい性質があります。そのため、通常の参勤交代のようなゆっくりとした歩みではなく、「早道中(ハヤドウチュウ)」のシステムが使われました。昼夜を問わず宿場町ごとに新鮮な人馬を交代させ、最も香りが良いうちに江戸城へ滑り込ませるスピード輸送が行われたと考えられています。

【朝倉山椒壺】

山椒の命である「爽やかな柑橘系の香り」と「鮮やかな緑色」を道中で保つため、気密性の高い丹波焼の「朝倉山椒壺」(内部に釉薬が塗られた六角面取の壺)が開発されました。正面に「朝倉山椒」、背面に「寛永十五年九月吉日」と刻まれた山椒壺が現在も東京国立博物館に収蔵・保管されています。

昭和60年頃、丹波篠山味まつりの恒例行事として、山椒壺道中を復活していましたが、現在は残念ながら行事は行われていません。下記の「篠山秋の歳時記 山椒壺道中」はその行事の時に配布されていたものです。

 

山椒壺道中.jpg

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