ごあいさつ(水無月)

 

会員・顧問の皆様には、その後いかがお過ごしでしょうか。本県では新型コロナウイルス感染症の新たな発症者はここ最近では確認されていませんが、北九州市のような例をみますと、いつ発症者がでるか不安な日々は続きます。
  
今月からプロ野球は無観客での試合が開催されるようで、他のスポーツも感染防止対策をしながら徐々に再開されるようです。
  
しかし、剣道は感染拡大防止の原則である3密(密集・密接・密閉)を回避することは、大変難しくまだ当分の間は、稽古(対人)が出来る状況ではありません。
  
残念ですが、今月も稽古会を中止とします。
なお、社会の情勢や全剣連、県剣連の方針を注視しながら稽古会再開の日を判断したいと思います。
  
稽古会再開の日を楽しみに、もうしばらく独り稽古等、工夫しながら稽古に励んでいただきたいと思います。

 

 さて、今回は高野佐三郎先生の「剣道稽古の心得」から抜粋して紹介します。

 

一、有形の業によって無形の心を修養せよ

剣道は広大無辺にして、何処まで進めばその究極に達し得られるものか、殆ど測り知ることができない。故に、之が修行を積み上達するに従って、いよいよその妙味を覚え、いよいよ深遠及び難きを感ずるものである。昔から「剣道は終身修行の業」というが、恐らく終生之を極めても、その極致に達することはできないであろう。とはいえ、何事も心掛け次第ということがある。心掛けさえよければ意外のところまで進み得るものである。所謂「技神に入る」の境地に達することも、決して不可能なことではない。古来幾多の剣豪とか剣聖とか言われる人達が、その一度剣を抜いて立てば、忽ち神出電入の妙技を現し、縦横無碍の秘術を施し得るに至ったのも、畢竟するに心掛けの賜、言葉を変えていえば、思念工夫、真剣錬磨の結果に外ならないのである。
  
しかしながら剣道修行の目的は、必ずしも各人が名人達人にならなければならぬというものではない。上達は望ましいことではあるが、その目的とするところは、寧ろ上達を目がけての修錬そのものの内に存する。即ち必死の錬修によって得られる精神上並びに身体上の獲物こそ、真の剣道修行者が心すべき大切な眼目でなければならない。
   即ち、有形の業によって無形の心を修養することを目的とする。

 

二、杉と檜と楠に譬えた訓え

 剣道の理を杉と檜と楠とに譬えた面白い訓えがある。これは剣道を稽古する者が、いみじくも忘れてはならない根本の心得を、最も適切にかつ解りやすく説いた洵によい訓えである。
  
杉と檜とはその成長が速やかで、何年も経たないで見上げるような大木となるのである。大風に遇えば根と共に倒されてしまう。これは地上に伸びゆく幹や枝の高さや大きさ比例して、地中に突き入る根の割合が浅く小さいことに原因するのである。これを剣道に較べていえば、自己の起用なるに任せ、或いは力量のすぐれたるを恃んで、心に重きを置かず、ただ業だけを稽古したものに比べることができる。こうした人は、心という根ができていないから、いざ真剣試合という場合に臨んで、杉や檜が風に倒されるように、意気地の無い破れを招くのである。平日の稽古は外見には如何にも華やかで元気らしく見えるが、根本である精神が十分に養われて居らぬから肝心な場合に役に立たぬことになる。また楠を見ると、至って成長が遅いのであるが、何年経っても成長が止まぬから年を経て大木となる。この木は上に一寸伸びれば下にも一寸伸びる。幹が十丈になれば根も十丈張る。それ故にどんな大風に遇っても決して倒れることのない洵に大丈夫な木である。剣道の修行に志すものは、この楠の如く業と心を両方面の一致した修行を積み、剣道本然の奥義に達しなければならぬという訓えである。

 

以上

  

令和2年6月1日

                                  深久会会長 高木弘伸

 

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