Tel / 

カムラチ仲間

ほとんど知られていない、
難病「カムラティ・エンゲルマン病」についての交流サイトです。

プロフィール

 

EPSON015.JPG
管理人 HAYATO

ぼくは、新藤勇人(しんどうはやと)です。小学4年生です。

お父さん、お母さん、お姉ちゃん、弟、おばあちゃん、6人で暮らしてます。

小学1年生の時に、自分が「カムラティ・エンゲルマン病」だと分かりました。

ぼくは、病気のために体がうまく動かせず、運動もぜんぜんだめで、

運動会の徒競走では、いつもだんとつのビリです。

ふだんの生活でも、みんなについていけないことも多いです。

悲しいこと、つらいことも、けっこうあります。

なぜ、「かむらち仲間」というホームページを、作ろうと思ったかというと、

自分と同じ病気の人がまわりにいないからです。

「ホームページなら、もしかしたら同じ病気を持つ人と、

交流できるかもしれないよ」とお父さんが言ってくれました。

そして、作ってもらいました。

カムラティ・エンゲルマン病は、とても珍しい病気なので、

同じ病気の人が見てくれるかわからないけど、交流できたらうれしいです。

そして、いろいろな話を聞いたり、悩みごとを相談したいです。

他の病気を持ってる人の話も、聞いてみたいです。

よろしくお願いします。

 

父、母からのメッセージ

   こんにちは、勇人の父と母です。

 勇人の異変に気付いたのは、保育園の年中組の時でした。走り方がなんとも奇妙で、足も遅くなりました。それまでは、走り方は奇妙でも、皆にさほど遅れを取ることなく生活できていたのですが、年中組になってから、次第に病気が表面化してきたのです。それでもその時は、ひどい運動音痴、くらいに考えてました。

 年長組になる頃にはいよいよ運動音痴がひどくなり、体も痩せてきて、運動会の徒競走ではあまりにも駆け足が遅く、友達ばかにされて泣いている姿など見かけた時、これはなんとかしてやらなければ、と考えるようになりました。もちろんその時でも、勇人がカムラティ・エンゲルマン病に掛かっていることなど分かりませんでしたし、そんな病気があることさえ知りませんでした。関節がうまく動かせないようなので、スポーツ整体に掛かってみようか、くらいの認識だったのです。

 

 ある時近くの整体外科に行き、レントゲン撮影をしてみたところ、どうも骨の映り方がおかしい、ということで、地元の総合病院の整形外科を紹介してもらいました。そこで受診し、レントゲンを撮ってみたところ、やはり骨の映り方が普通ではない、という結果になりました。普通白っぽく映るはずの骨が、ひどく暗い映像になってしまうのでした。それでもカムラティ・エンゲルマン病というのはかなり珍しい病気なので、その疑いを持たれることなく、しばらく様子をみてみよう、ということになりました。

 しばらくしてまた受診し、レントゲンを撮ってみたところ、やはり同じように映るので、整形外科の先生が、小児科の先生に相談してみたところ、カムラティ・エンゲルマン病の疑いがある、という結果が初めて出たのです。もちろん私たちにはチンプンカンプンの病名でした。先生によると、遺伝子の変異から来る骨の病気で、当時日本で数例しか確認されていない、まだ発見されて間もない非常に珍しい病気ということでした。現在でも世界で200名くらい、日本でも30人くらいしか確認されていないようです。治療法は今のところありません。

 もちろんまだ疑いの段階だったので、小児科の先生が東京の専門医に資料を送り相談してみたところ、やはりその疑いが濃い、ということになりました。はっきりさせるためには、全身に造影剤を流して診断するしかない、ということになり、今度は1時間半ほど離れたところにある、小児専門病院を受診することになりました。そこで造影剤の検査をし、また九州の専門病院で遺伝子の検査をしてみたところ、カムラティ・エンゲルマン病であることが確定しました。確定した頃には勇人はもう、小学1年生の夏の終わりを迎えていました。

 

 この病気は、難病ではありますが、子供のうちは、日常生活は(個人差にもよりますが)普通に行うことが可能です。体がうまく動かない、疲れやすい、食欲が少ない、などはありますが、投薬治療や他人の介護が必要、ということはありません。大きくなるにつれて、次第に骨の痛みが出てきて、投薬により痛みを抑える対処治療が施されていくかもしれない、ということでした。

 診断が下された時はさすがにショックでしたが、命に係わることもないようなので、なんとか乗り越えて行くしかないと、私たちは話し合ったものです。勇人の方も、カムラティ・エンゲルマン病と言われてもさほど現実感はないようで、ひどく落ち込む様子はありませんでした。

 それでも体がうまく動かせないという劣等感や、時にからかわれたりすることもあり、勇人は保育園の頃から登園を嫌がるようになっていました。大泣きし、私たちを困らせましたが、まだ小さいため、抱っこもしやすいし、意識もそこまで発達していないため、なんとか登園させていました。

 小学校になっても、学校に行きたがりませんでした。特に勇人は自意識が高いため、プライドが高く、ひどい心配性、不安症で、からかわれることがなくとも、恥ずかしい、嫌だ、という気持ちになり、学校が始まる朝になると、眠たさと、学校への不安から、耳を塞ぎたくなるような声で大泣きし、手足をばたつかせて抵抗するようになりました。それでもなんとか着替えさせて、朝ご飯を食べさせて(食べることもしないのでジュースだけ、とか、時には何も食べないまま)学校へ行きました。もちろんこんな状態ですから皆と学校に登校できるわけもなく、車に放り込んで無理やり連れて行く、という日々でした。

 恥ずかしい話ですが、時に怒鳴ったりしたこともありました。なぜ普通に学校に行く事が出来ないのか。それが悲しくて腹立たしくて。世の中には同い年くらいの子で、もっとひどい病気や障害があっても、耐えて乗り越えて生活している子がいるのに、どうしてお前は、という気持ちです。そんなに嫌なら学校に行かせなくていい、という選択肢もあるかもしれません。学校が全てではない、学校に行かなくても普通に大人として生活している人はいる。そうかもしれません。そういう教育、というか方法もあるかもしれませんが、これから大きくなり、自分の力でやがては生きていかなければならないことを思った時、嫌なことがあれば逃げてしまえばいいや、という人間になって欲しくないのです。

 もちろんひどいイジメを受けている、ということなら話は別ですが、自分が苦手なこと以外はそれなりに嫌がらずにやっていたり、幸いなことに運動は駄目でも学習の方は良好であり、自分でもそれをちょっぴり誇りに感じているようなところもあるので、なんとか学校には行かせています。その代わり学校カウンセリングや公共のカウンセリングはことあるごと受けたり、とにかく学校との連携は緊密取ったりしながら、なんとかやってまいりました。

 

 4年生になった今でも、やはり朝は駄目です。特に苦手な授業や催し物がある日は、泣いて学校に行きたがりません。苦手な体育など、見学でもいいと言っているのに、それでも見学が恥ずかしくてつらいようです。今でも週5日のうち、半分以上は車で学校まで送っています。嫌なこと、つらいことを乗り越えてみよう、という気持ちにはなかなかなれません。嫌なものは拒絶する、という性質はなかなか変わりません。それでも自分のペースでできる運動なら、ちょっとは楽しんでやるようになりました。小学3年の時、なんとか乗れるようになった自転車、今ではゆっくりした速度ですが、かなり遠出することもしています(もっとも父親の私が休みの日にサイクリングに付き合うため、週末以外は家で宿題をやったり、ゲームをしたり、youtubeを見たり、姉や弟と遊んだり、ですが)。

 

 長々と書いてまいりましたが、このホームページを開設したのは、勇人にちょっとでも前に進む勇気、力をもらえたら、というのが理由です。勇人もプロフィールに書いてますが、非常に珍しい疾患のため、周囲に同じ病気の人がおりません。そこでカムラティ・エンゲルマン病の交流サイトで交流を持てたらと考え、検索してみたところ、あまりにも患者が少ないためなのか、私たちには見つけることができませんでした。それなら自分たちで作ろうか?ということになり、勇人もその気になっているため、開設してみました。同じ病気で悩んでいる人、そのご家族のお話など、聞かせていただけたら幸いです。

 また、カムラティ・エンゲルマン病の交流サイトを調べているうちに、世の中には私たちの知らない難病がいくつもあるのだということにも、気が付きました。そんな方たちのお話も聞かせていただけたら、幸いです。

 

 共同管理人として、私たちも「かむらち仲間」を運営していきますので、よろしくお願いいたします。