ごあいさつ

現代の中国鍼灸と日本鍼灸

現代の中国では五行説を古代の形而上学として捉えており、鍼灸の世界では迷信の一種であって、実際に使うことはたまたま一致したときのみです。特に現代では小針刀理論が誕生し、解剖中心の治療が多くなっています。

 当然にして日本の鍼灸師でも、古代中国の医学理論を使って治療することは難しく、また古代理論を理解すらしていない人が多いです。古代の中国医学理論は主に漢方薬の理論としてあり、鍼灸は経絡学説が中心で、経絡と経筋、皮部などが治療理論としてありました。経絡とは現代の脈管学、経筋は筋学、皮部は神経に当たります。しかし文革前の中国では鍼灸も陰陽五行説が理論の中心でした。それは清の時代に皇帝が「鍼灸は君の奉ずるところにあらず」と宣言し、鍼灸は皇帝の御殿医としての立場を追われ、民間に消えていったからです。漢方薬は廃止にならなかったので、中国医学は陰陽五行を中心とする漢方薬理論に呑み込まれ、経絡や経筋、皮部理論のような鍼灸基礎となる解剖学は埋没してしまいました。陰陽五行説が鍼灸の理論となったのは、古代から王朝変遷の法則として五行の相生相剋理論が重視されており、鍼灸も五行の相生相剋に呑み込まれなければならなかった事情もあります。

日本では源平が権力闘争の中心であり、次期政権は源氏と平家の交替劇という形で推移していました。中国では三皇五帝というのがあり、最初の王朝は相生によって王位を謙譲されるという形で推移します。ところが禹が夏王朝を開いてからは王位謙譲がなされず、前の王を滅ぼして臣下が王位を乗っ取るシステムになりました。こうなると次期政権は、前の王から権力を簒奪した悪者になります。そこで「前の王は火の徳によって政権が運営されていたが、現在の王に至って火の徳が失われ、ただの匹夫に成り下がった。火も恩恵を与える物ではなく、火災をもたらす劫火となった。そこで水の徳を持つ代表が、災いをもたらす火を伐って、新しい王となる。これは天の命令である。天の命が改まったから革命である」という理屈が使われ始めました。もし五行の理屈がなければ、新王は主人を殺した逆臣に過ぎなくなります。だから五行理論が天の摂理として、すべての事象に当てはまらねばならなかったのです。この理論は中国で誕生したといわれていますが、上海中医薬大学の李鼎先生はインドから伝来した物とし、インド仏教の地火木風水が源流と唱えています。そしてインドの五元素説は、ギリシャの四元素説がアレクサンダー大王のインド遠征によってもたらされたものとしています。四元素説とは、火・空気・土・水が世界を作っているとする考えですが、実は四元素説は五元素説なのです。四元素で全ての物ができているならば、人も四元素から成り立っているはずですが、人間は四元素だけで足りず、そこに魂というものが必要だとしています。だから実質は五元素です。それがインドに伝えられ、インドから中国へ入って五行説になったと考えられます。五行の相生と相剋は、四元素説の関係と非常に似通っています。さらに物質を細かくすると気になるという気学説は、中国の鄒衍(すうえん)が唱えたことになっていますが、古代ギリシャのデモクリトスも水が蒸発するのを見て、分子を考え付きました。こうしてみると五行理論や気の理論は、古代ギリシャの哲学思想がインド経由で中国へ入ってきたものと言えます。その五行の相生と相剋は、時の権力者に気に入られたため普及したと思われます。そこで中国では五行が絶対的な原理として幅を利かせるのです。

ところが中国の鍼灸は清朝時代に「鍼灸は君子の奉るところにあらず」として廃止され、漢方薬のみが生き残りました。のちに清朝の滅亡に伴って漢方薬も廃止され、民国では西洋医学が中心となるのですが、その後に中共と国民党が内戦し、中共が勝利したために中国医学が国医として復活しました。漢方には辧証治療が残っていましたが、鍼灸は清の時代に滅びてしまったため経絡学説が埋もれてしまいました。それで漢方の内科辧証を外科領域の鍼灸にも取り入れて、辧証論治として完成しました。しかし滅んだはずの中国鍼灸も、日本の代田文誌や木下晴都の著書などを中国語に翻訳出版して導入し、とりわけ木下の『坐骨神経痛と針灸』を取り入れて中国式比較対照試験を確立し、鍼の治療効果を数値化しようとしてきました。その方法とは、昔から使われている鍼灸手法と、新に生み出された鍼灸手法を疾患ごとに一定の患者数に分け、23年をかけて比較するものです。治療者は自分の治療が古い治療法なのか、それとも新しく作り出された治療法なのか知らされていません。全体の管理者のみが知っているのです。そのため必然的に治療をマニュアル化できない辧証治療はふるい落されました。そして1988年ごろから鍼灸では辧証が使われなくなり、比較試験による統計結果に頼るようになって、治療効果を評価するため鍼治療による治療評価基準の統一もなされました。だから現在の中国鍼灸は昭和30年代からの日本鍼灸が基礎になっているといえます。さらには1992年ごろから小針刀の理論が普及して、その理論が圧倒的な治癒率と共に鍼灸界を席巻しました。だから中国の現代鍼灸は、治療においても理論においても、大きく変わったのです。

日本では手の感覚を重視する大阪式の鍼治療も、浅野代表の臨床実習で同級生が20人もいて、誰も「索」と呼ばれる硬結を触知できない。それでも卒業して鍼灸師は量産され、整形は流行っているのに鍼灸院が成り立たない。浅野代表も入学した一年目、「鍼灸の免許を取って開業するのは十人に一人です。そのうち続けていられるのは十人に一人です」と教師に言われました。うちのクラスは80人ちょっといたのですが、そのうち8人開業して誰も成功しない計算になります。この現状は何とかしないといけません。

 浅野代表が治療実習の時、臨床家の先生が「ここに硬結がある」と言われても、誰も理解できませんでした。それを知って「手の感覚に頼った治療では、ごく少数しかできないな」と感じ、理論的に刺鍼ポイントを特定できそうな中医学に興味を持ち、当時の浅川先生の書籍を読み漁り、ついには中国留学していました。すると中国では、中医の問題点が指摘された本が出版されていました。まず中医の曖昧さ。体温だろうが脈だろうが自分を基準にして測り、壮熱とか高熱とか微熱とか判定するが、じゃあ何度から何度までがそれなのかが定義されていない。脈にしても呼吸を基準としているので、治療者の呼吸が速かったり遅かったりすれば不正確になる。古代では血管が栄養したり感覚を伝えると考えられていたため、経絡の一部である脈を採ることが重要でした。しかし脈自体が曖昧で、デジタル化されていない。感覚的なものになるから、誰でもできる治療法とはならない。誰でも鍼治療できるには、熟練した高度な手指感覚を持っていなくても治療できる簡単な方法が必要でした。

 そこで浅野代表は解剖にしたがって治療すれば、誰でも治療できるんじゃないかと考えました。そして姪に跡を継がせようと思いましたが、そのためには誰でも治療できる方法が必須で、しかも浅野代表が後継者教育にも慣れている必要がある。そこで新米鍼灸師を教えることを始め、硬結を探すことのできない欠点を多刺により補い、正確にツボを探せない人でも治療できるようにしました。姪は跡を継ぎませんでしたが、他の人に教えたりして過去に治療家を教育してきたことは、それなりに役に立ちました。北京堂の治療法は簡単で、ほとんどの人が半年程度でマスターできますが、それは手指感覚が悪くても治療できるからです。学校で習った筋肉や神経の解剖に基づいて治療するので、それまでに習った知識でこと足ります。鍼を刺入することさえできれば、誰でも患者の九割程度は20回以内で完治させられるでしょう。ただ本方法は微妙な感覚に頼ってポイントを探す鍼ではないので刺鍼範囲が広く、20分で60本ぐらいは刺さなければならず正直しんどいです。しかしせっかく大金を払った鍼灸師免許が無駄になるより、しんどくても確実に営業が続けられるだけマシです。本法を三ヶ月から一年習って開業し、まだ閉店した人はいません。その事実からも実際の治療見学は大切です。

 本法は、例えば「腕が挙がらなければ何筋に刺鍼しろ」とか、「ぎっくり腰で足が立たなければ何筋に刺鍼しろ」など『鍼灸院治療マニュアル』があるので、解剖図、そして人体断面図を見れば素人でも治療できます。指先の微妙な感覚で硬結や反応点を探す必要もなく、微妙な圧力で脈を調べる必要もない。また「どの方向へ何センチ刺入する」などの経験もいらず、竜虎交戦とか透天涼など高度な手技もいらない。本治療法は症状によって何々筋と指定されており、刺入方向は多数が骨に向けてであり、刺入深度は骨に接触するまでの単刺しか使わないから簡単です。どんな名人だろうが骨の中まで鍼を刺入できないので、グリグリと鍼を押し込んでいれば必ず止まります。そして「重い、締め付ける、だるい、腫れぼったいなどの感覚が、鍼しているところにありますか?」と尋ねて、きちんと目的物に当たっているかどうか患者に教えてもらえばいいのです。いかなる初心者にでも、できそうな治療法です。

 もちろん各流派には脈診により一回で治癒させてしまう治療者もいるでしょうし、長野式やトリガーポイントの鍼もあります。良導絡もあり、経絡治療もあります。でも本法のように半年程度で誰でも簡単にマスターできません。また世界最初の鍼灸書である『鍼灸甲乙経』には「一度刺して効果をわからせ、三度刺して治ったことを患者に実感させる」とあります。これに書かれているとおり鍼治療には即効性があるため、中国では鍼治療を「手到病所」とか「鍼到病所」と言います。それは「手で病気を取り除くように治す」とか「鍼で病巣を取り除くように治す」という意味です。もし鍼に漢方薬ほどの遅効性しかなかったら、誰も鍼治療を受けようとは思いません。わざわざ治療所に出向かなくても治療できる漢方薬へと患者は流れるはずです。この「鍼は一回で効果が現れ、三回で治ったことを実感させる」という即効性があるからこそ、患者は手軽な漢方薬ではなく、わざわざ治療院へ足を運ぶのです。

 本治療院の方法は、ギックリ腰なら一回で立てるようにし、急性捻挫なら一回で痛みを消し、寝違いなら一回で解消する治療法ですが、マニュアルどおりにやれば誰でも成果を上げられます。もちろん治療できる疾患は限られているので、他の治療法を否定するものではありません。しかし治療法を何も教わらない鍼灸師が多い現状では、三回治療しても効果が実感できず、治療した直後は好転した気分になっても三日目には元に戻り、はっきりした効果が上がらないまま何ヶ月、あるいは何年も同じ鍼灸院に患者を通い続けさせ、結局は完治しないどころか徐々に悪化して行くケースが多数あることを患者さんから聞くのです。それならば簡単で誰にでも確実に効果を上げられる治療法を普及させることが、鍼灸師を救う面でも患者さんたちを救う意味でも意義があります。もちろん本法も線維筋痛症など二十回以内で完治できない疾患もありますが、そうした難病は名人や達人に任せ、優れた先生が簡単な疾患に時間を取られないよう、一般鍼灸師が治せる疾患はマスターしやすい本法で治療すべきと思います。

 本治療院の治療法は簡単にマスターできるため、誰にも治療法を習わず開業する鍼灸師に最適です。どんな人でも患者の希望通りに治癒させ、失望させないからです。

 鍼灸院は数回で完治させられないと、鍼灸院に患者さんが来ても評判はとれず、患者さんによるネズミ講式の患者さん紹介もないので潰れてしまいます。数回での完治するからこそ、患者さんは新患を紹介してくれるのであり、開業しても潰れずに済みます。得意疾患の患者さんを十回以内で完治させてしまう方法をマスターすれば開業が続けられることは、うちの弟子が何人も開業して潰れていない実績で証明しています。何十年も修行している時間はない。治せる疾患だけマスターし、とりあえず患者を増やし続けるだけならば半年も勉強すれば十分です。本治療院の方法を使えば、だいたい3ヶ月で治療法をマスターでき、残りの3ヶ月で患者さんによる治療実習を積めば開業できるようになります。一般の会社でも三ヶ月いれば仕事を覚えるのです。

 名人や達人は独特な触覚を持ち、不思議な治療理論で難病を数回で治すでしょう。しかし中国医学を理解できず、すぐれた指先感覚も持たない鍼灸師は、何年かかろうが名人の域に到達できません。しかし患者さんを呼んで治療しなければならない。だが三度目の正直で効果を実感させなければ患者さんは来なくなり、食っていけない。

 本法は難しい理論は一切なく、刺鍼して置鍼すれば筋肉が緩んで血流が改善するという中国の実験結果に基づいて、筋肉が緩めば神経の圧迫もなくなり、痛みが消えるという単純な理論を組み立てているので、誰にでも理解出来て治療できる治療法といえます。六ヶ月でマスターできる治療法など、他にはないように思えます。

 これは浅野代表が、さまざまな奇穴や新穴を調べ、その奇穴や新穴が作られたのは、恐らくこうした疾患に使うためだろうと想像した結果できあがった治療法です。だから先人のパクリです。

 代表は治療法を習わずに開業した鍼灸師に、どうやったら整形に並んでいる患者を横取りできるか、その方法を教え、鍼灸院を開業できると勘違いして鍼灸学校に入学した人たちを救うためと、治療できない鍼灸師の下へ通い続けて時間と金を浪費し続ける患者さんたちを救うため、そして難病を治療できる名鍼灸師がしょうもない疾患の患者さんで時間を削られないようにしています。

 本院の治療法は『鍼灸院開業マニュアル』というDVDが出ています。運動器疾患と痛みの疾患が多いのですが、これだけ治療できればやっていけるので、それ以外の疾患で患者が来たら「もうちょっと上手な鍼灸院に行ってくれ」と断ってください。北京堂はBクラスの鍼灸師を養成するためにあり、特Aクラスを目指してはいません。だから理論も理解しやすく、治療法も効果が出やすい。もし書いてある効果が出なければ刺鍼法に問題があるので、マスターしている人の治療を見学し、自分の誤った治療法を直してもらうしかありません。そしてホームページに書いてある効果が出れば、それは自分の鍼灸技術が並みだということだから、そのまま患者を治療してレベルアップしていけば良いのです。しかし残念なことに世間には、まったく治療技術を持たなくて完治させられないダメダメ鍼灸師が多く、半年通っても一年通っても患者さんが完治できず、当然にして鍼灸院も紹介がなくて患者さんも増えず、徐々に患者さんが離れて行って閉院するしかなく、鍼灸に対する一般人の信頼も失っているという現実があります。そのため鍼して電気を流し、脳内にエンドルフィンを発生させて、一時的に麻酔している鍼灸院が多いのが現状です。しかし患者さんは脳内麻薬で痛みが抑えられているだけなので、通っても完治しないので他の治療院に移ってしまう。そしてここへ来る頃には麻酔の対症療法で13年は経過しており、筋肉が萎縮しきっているため完治させるまで1年ぐらいかかる。だから初心者の皆さんも36疾患だけは十回以内の治療で確実に治せるB級鍼灸師になりましょう。それが実現できたあとならば、良導絡でも脈診でも辧証でも勉強しいてレベルアップされたらいいと思います。

 しかし理想的なのは、この治療を含めて、どの治療法が何の疾患に最も効果的なのか明らかにすることです。この治療ですが、例えば脊柱管狭窄症についていえば、椎間板突出型と誤診による間欠性跛行しか治せません。だから様々な流派を集めて、疾患ごとに治癒率を検証することが、中国の鍼灸に対抗する上で重要なのではないかと考えます。疾患ごとに最善な鍼治療法が特定されれば、患者は最も効果的な治療を受けることができます。しかし鍼灸の団体は、そうしたことはやらないので、鍼灸師は自分で一つ一つの疾患ごと様々な治療法を試してみて、どの治療法が最も早く治るのか結論付けねばなりません。そこで必要なのは、治癒ならはっきりしていますが、中国のように疾患ごと、どの程度の症状がどこまで改善したら著効で、どれだけなら有効で、どこから無効にするかという治療効果の統一された判定基準を決めること、そして調査方法はハガキによるのか電話によるのか、どんな方法によって調査するのか決めることです。中国の方式に倣うようですが、文革時代の中国では鍼灸の有効率がすざまじいものでした。ところが文革が終わって世間が落ち着き、書かれている通りに治療しても、記載された効果に遥か及びませんでした。そこで「文革時代は宣伝のため、著効を治癒に、有効を著効に、無効を有効に、悪化を無効に水増ししたのではないか」と結論付けられました。そこで中国では、従来は治療者ごとにバラバラだった治療効果の判定基準を統一した基準にし、各治療者がその統一基準に従って自分の治療した患者を評価しようとなりました。そして皆が同じ土俵に上がることで、同じ疾患を治療した結果が、治療者によって変わることを防ごうとしたのです。だから日本でも、治癒の基準、著効の基準、有効の基準、無効の基準を確立し、また調査方法を決めなければ、一人の治療者が著効と判断した内容でも、他の治療者は有効と判断するなど統一されません。評価基準を自分で作るのは大変なので、当院の『鍼灸院開業マニュアル』には腰痛や五十肩など、治療効果が治療者にも患者さんにも分かりやすい判定基準を設けています。これは代表からの提案でしたが、さらに優れた方法があれば、それを使うべきです。ただ現状では何もないので、その試作は声の保存で喩えればエジソンがレコードを発明した段階であり、テープレコーダやCDへと進化する段階が必要なのは言うまでもありません。『鍼灸院開業マニュアル』の治療効果判定基準は試用ですが、その評価基準を使って、さまざまな治療法による効果を評価すれば、いずれの治療法がどんな疾患で優れているのか判定できるので、その疾患で使用する治療法が決まってきます。

こうしたベターな治療法を自分なりに確立するためにも、鍼灸学校を卒業したらできるだけ早く開業することです。当院へ来る見学者は、『霊枢』に記載されている九刺も十二刺も、どういう内容か説明できません。例えば短刺ですが、単刺と間違える。そして短刺は知らない。斉刺も知らない。しかし学校で習う『霊枢』官鍼篇に記載された九刺の輸刺、遠道刺、経刺、絡刺、分刺、大瀉刺、毛刺、巨刺、焠刺、また十二刺である偶刺、報刺、恢刺、斉刺、揚刺、直鍼刺、輸刺、短刺、浮刺、陰刺、傍鍼刺、贊刺、さらに五刺である半刺、豹分刺、関刺、合谷刺、輸刺については、それがどんなものなのか説明できなくてはなりません。また筋肉や神経についても知らなかったりする。そんな状態で、何を習おうというのか? やはり教わる基礎がない人には、何を言っても理解できないので、基礎から固める必要があります。だから今後はテストし、そうした教科書にあるような鍼灸内容も答えられない人は見学をお断りしようかと思っています。

鍼に関する記述の少ない『難経』や『素問』、『傷寒論』、『金匱要略』は漢方薬を使うわけではないので、鍼灸師は知らなくても仕方ないのですが、鍼に関する記載の多い『霊枢』、『鍼灸甲乙経』、『鍼灸大成』くらいは鍼灸師をやる以上、古典として読んでおきたいものです。とりわけ『霊枢』は、『甲乙』や『大成』と違って具体的な治療法は記載されていないのですが、昔から多くの人が翻訳し、入手もしやすく、鍼の総論が書いてあるので、それに記載された内容を説明できなければB級鍼灸師とはいえません。排刺や対刺、叢刺などもありますが、それは現在になって治療の必要性から誕生した刺鍼法なので、B級鍼灸師は知らなくても仕方がありません。学校で習った内容を確実に自分の物とするためにも、早く開業して暇な時間を作り、頭の中を整理しなければならなりません。そして何冊も鍼灸書を読み、ホームページを作って、知り合いに無料で鍼治療することです。知り合いなら患者と違い、効かないなら効かないとはっきり言ってくれるので、効く治療法を選ぶうえで参考になります。これをやめて鍼灸院に勤めてしまっては、朝晩の出勤に追われ、また患者のマッサージにも追われて、『霊枢』、『鍼灸甲乙経』、『鍼灸大成』や他の鍼灸書を読む余裕がなくなり、またホームページも作れないで患者が呼べなくなります。そんな状態で開業すれば、治療法も確立されておらず、患者を完治させる自信もない。誰もやっていけません。柳谷素霊も『素問』『霊枢』が名前の由来ですが、『霊枢』の内容すら読んだことなければ、そんな状態で実力など養えません。

なぜ学校を卒業したら直ちに開業したらよいかという理由ですが、最も大きな理由は開業しても最初のうち患者さんが来ないからです。浅野代表は内弟子を育てて治療所を譲ってきましたが、そうすると最初から患者の溢れた治療所を経営することになる。だから伸び代がない。鍼灸のことを知らなくても患者が来るのだから、勉強する時間がない。現在巷に溢れている流行り物の鍼灸書ならいざ知らず、『霊枢』や『甲乙』、『大成』など老中医なら暗唱している鍼灸の必須書籍すら読み込んでない。それでは治療技術はゼロに等しく、また鍼の知識もゼロです。浅野代表は中国留学から帰国すると直ちに開業し、あまり患者さんが来なかったので『素問』『霊枢』を読み、内容の薄い『難経』はもちろん『傷寒論』、『金匱要略』まで手を広げ、『千金』や『翼方』、『外台』の鍼灸部門、さらに大好きな『鍼灸資生経』、そして『鍼灸大全』『鍼灸聚英』『鍼灸大成』『鍼灸甲乙経』と読み進んで、『鍼灸集成』『鍼灸逢源』と古典を読みまくりました。家が焼けた時にそれらが消失してしまうことを恐れ、『難経』『傷寒』『金匱』『大全』以外は持ち出しやすいようフロッピーに入力しました。さらに現代の鍼灸書である張仁を初めとし、李鼎先生や高維濱などの書籍も翻訳しました。こうした翻訳や入力は、鍼灸院に勤めたり勉強会に出席していたならば、それに時間をとられて成し遂げられなかっただろうと思われます。出版したのは翻訳したうちの1/4ぐらいです。

もちろんそれは鍼灸学校を出て中国留学し、知識があったからできたことかもしれません。鍼灸学校を卒業していなければ、時間だけあっても翻訳できなかったかもしれない。だから帰国後直ちに開業し、暇な充電期間があったことは、その間に鍼に関する知識を蓄える上で有意義だったと思います。それを時間に追われて『霊枢』すら読む時間がなく、「短刺って何?」という状態だったら、治療しても効果を上げられず、いつまで経っても北京堂の鍼灸を完成できなかったと思います。ただ人の治療を真似るだけで思ったような効果を上げられず、自分は鍼灸師として向いてないと考え、転職していたことでしょう。だから暇な開業当初に『霊枢』を入力できたことは、後の為に有意義でした。誰でも同じことをしていれば、北京堂程度にはなれます。

それで感謝すべきは留学時代の友人です。北京の学校で西洋人達が集まって「中医学院のプログラムはひどい。来年の授業内容すら分からない。抗議しよう」ということになりました。そして代表にも署名しろと来ました。代表は署名したが、西洋人以外はしなかったようです。話によると、あまりにも授業がばかばかしいので、失望して帰国してしまった者すらいるといいます。代表も授業内容に不満を持っていたので、帰国しようかと悩んで人に相談しました。代表は日本人なので漢字が分かり、みんなに天才だと思われていたのです。そこでアラブ人に相談すると「お前は我々のリーダーだと思っていた。しかしなんと情けない奴なんだ。フィリップを見ろ。彼は授業がつまらないから中国の鍼灸書を母国語に翻訳している。お前はタダの負け犬で、帰国しようとしている。彼を見習ったらどうだ」といいます。それで留学中に『鍼灸学釈難』を原稿用紙に翻訳し始めました。そして毎週土日は書店に行き、鍼灸書を買い漁りました。それは一年で20キロダンボール18個になり、帰国して積み上げると壁ができました。開業したら、それを読んで古典を入力し始めたのです。それは火災で買い集めた書籍が焼失することを恐れたからでしたが、入力をひらがなやローマ数字でおこない、後で一括変換して漢字に直す方法を思いつきました。さらに入力しているうちに「これは入力するより翻訳したほうが早い」と考え、気に入った鍼灸書の翻訳を始めました。

それに現代の中国鍼灸は、治療は鍼灸でも病気の判定は西洋医学でおこなうので、コエンザイムとか血液数値を調べます。だから鍼灸だけでなく、現代医学の知識も必要です。それは学校で教わるのではなく、一生かけて勉強し続けるものだと思います。その開業の矢先に、勤務して若い時間を無駄に費やすのはもったいない。患者さんを治すには、それなりの知識が必要で、知識がなければ助けられないことは古典の鍼灸書にも記載されています。だから常に医学知識を得ておくことが、技術のある鍼灸師になる道だと思います。『霊枢』や『素問』、『難経』の一節を眼にしても、それが何の一文か分からないようでは到底及びません。

私は鍼灸学校の学生の頃から図書館に通い、いろいろな鍼灸書籍を読みましたが、印象に残っているのは柳谷素霊の『一本鍼』です。当時は何の気なしに読んでいましたがページ数は多くなく、図ばかりで絵本のような小さな本でした。その内容は神経ブロックそっくりで、ほとんどが神経の出口を狙って刺鍼していたため、図では角度や方向がレントゲンのような透視図で示されていました。それを読んで「なんだ。鍼治療は神経ブロックと同じじゃないか!」と考え、それから神経ブロックの書籍を読み始めました。そして木下晴都の『鍼灸学原論』や『坐骨神経痛と針灸』、『最新鍼灸治療学』などを読んで、傍神経刺という方法を知りました。それは腰に75ミリの毫鍼を入れて腰椎の神経出口を狙う方法でしたが、神経の出口へ刺鍼するという手法は柳谷素霊と同じです。おそらく昭和の時代は、刺鍼の効果を皆が神経刺激に求めていたのでしょう。そして翻訳書である『針灸臨床24000例』という本を読むと、坐骨神経痛の治療を木下が2.5寸の鍼で刺入すると治癒率60%なのに対し、中国書籍では3寸鍼を使って70%ぐらいの治癒率を上げていると書いてありました。そこで「2.5寸で治療するより、3寸で治療したほうが効果はいい」と思ったのです。

そして中国留学し、あの翻訳書は間違いだったと知りました。中国の3寸とは3インチのことで、中国1インチは2.5センチだから3寸とは75ミリ、つまり木下晴都の75ミリ鍼による傍神経刺となんら変わりがなかったのです。同じ長さで同じ刺し方なのに中国の治癒率が良かったのは、文革時代の中国人が水増しして書いたためでしょう。

なぜ75ミリの鍼を使うより90ミリの鍼を使ったほうが断然治癒率がいいのか? その答えを考えると、木下は「75ミリ刺せば神経の傍らまで達する」と書いています。90ミリ刺せば神経の傍らを15ミリ通過して大腰筋に刺さります。これは傍神経刺ではなく大腰筋刺鍼です。そして中国の人体輪切り写真集を見ると、片側の大腰筋の中心部が白くなっていました。それは筋肉が萎縮して腱のようになっているということです。傍神経刺は腰方形筋と大腰筋の境目なので、人によっては大腰筋に刺さります。それは神経刺激によって治ったのではなく、大腰筋を緩めることによって大腰筋の中を通る坐骨神経の絞扼を解消しているのでしょう。そう考えることで、さまざまな応用が誕生しました。すると1992年に朱漢章が『小針刀療法』という本を出版し、それに北京堂の絞扼理論と似たことが書かれていたので、「他の人も同じことを考えるのだ」と共感しました。実は1990年ごろ、あまりにも大腰筋の固い患者があり、当時の赤医鍼という太さ2ミリぐらいの鍼を刺しても改善しなかったので、こうした腱のように縮みきった筋肉は切断するしかないのではないかと、太い長鍼を切ってグラインダーで刃を付け、刃鍼を作ることを思いつきましたが、その前に朱漢章が小針刀を作っていたのです。北京堂の治療法は経筋治療をアレンジした物です。

これは鍼灸院側の問題ですが、患者さんは「これまで治療院に行って治療を受けたが治らなかった」といいます。「治らないと治療者に伝えましたか?」というと、「言いました。すると良くなっていると言われます。しかし自分としては全く改善している実感がない。だから行かなくなりました」と答えます。そこに鍼灸院がやっていけない理由があります。

どこの会社でもクレーマーは大切にします。まともなクレーマーは教師であり、先生なのです。もしクレームに対処しなければ、70年代の中国ならいざ知らず、たちまち生存競争に敗れてしまいます。患者さんがクレームを言うということは、少しでも向上してもらいたいと思っているからです。治療効果がないと教えてもらえば、患者さんが効果を実感できるように改善すべきです。もし症状が改善しているのに改善してないとクレームが来るなら、例えば五十肩の場合なら鏡を見せ、床から棒を立てて、「ほら、前はここまでしか挙がらなかったのに、今はこんなに手が挙がっているでしょ」と言ったり、棒に印をつけて手の上がり具合を納得させる方法を考え出すべきです。難聴は本人に分かりにくいのですが、テレビのボリームや家人の意見で改善したことを分からせます。ただ口先で「いえ、改善してます」と否定したところで、患者さんは納得できません。改善したことを本人に納得させる証明が必要なのです。

代表も患者さんの意見を取り入れて、いろいろと改善しつづけてきました。だから潰れずに続けてこられたのです。患者さんは「お客様は、神様です」ではないがオーナーなので、我々にとって上司であり、その言うことが聞けなければ業界を去るしかありません。干されて転職するのは当たり前のことです。しかし患者さんに意見を言ってもらうにはコツがあります。賢そうにしているのはダメで、賢そうにしていると患者さんは「この人に何か言うと馬鹿にされるのではないか」と恐れます。だから何も言ってはもらえません。馬鹿話をして、何を言われても返答していれば、「これは話しやすいし、自分の症状のことにも返事をしてもらえる」と思われるので、建設的な意見が聞けます。

つまり80点の鍼灸師になることです。100点のカリスマ鍼灸師では、患者が「自分とあまりにかけ離れている」と思われて話しをしてもらえません。また60点の鍼灸師も馬鹿にされるので「こいつには何を言ってもダメだ」となります。だから患者さんと対等な関係を築きますが、かといって患者さんにタメ口をきいてはなりません。馬鹿なことを言いつつも、医療知識はあることを知らせます。アスリートはオリンピックとかあるので満点が必要なのですが、鍼灸師はほんの一握りしか食っていけない世界ではないので、床屋と同じく80点を取っていればいいのです。

世間で失敗している鍼灸師は、患者さんに嘗められまいと必要以上に自分を偉く見せています。そのため年齢より大きく見せたいために髭を生やしたりしています。そんなことしなくても、きちんと治れば患者さんを紹介してもらえます。


 中国には「没辧法(メイバンファ)」というのがあります。「どうしようもない」という意味ですが、それではダメなのです。クレームが来たら改善し、効果がないといわれたら有効な方法を考えることです。それが鍼治療でなくとも、西洋医学の方法であっても同じです。代表は鍼灸の適応症でないと考えられる疾患で、病院を紹介して随分感謝されてきました。それによって適切な病院を受診してもらう。患者さんの利益を考えれば、感謝されて知り合いを紹介してもらえるのです。

鍼灸を営業していくうえでは、どれだけの鍼灸書の内容が頭に入っているかが大切です。中国の老中医に会うと「私は『素問』『霊枢』『甲乙』『大成』の内容は暗記している」と必ず言います。代表は暗記していませんが、それでも内容は頭に入っています。それすら入ってない状態では、開業してやってゆくのは難しいといえます。だから一刻も早く、基礎的な知識を身につけなければなりません。そうした四書は一年もすれば読み終えますが、何度も読むことで頭に入ってきます。そうした基本書だけでなく、現代の鍼灸書や西洋医学の書物を読んでおくことも必要です。治療は知識という面がありますから、知らなければ知らないほど患者さんに迷惑をかけます。だから稼ぎの一定部分は書籍に投資します。そして三角筋と首の横、大腰筋や腰方形筋と大腿外側の痛みが関連していることを臨床から理解し、三角筋の凝りが頚部に上ってきたり、外側広筋の凝りが大腰筋に上ってくることから、天部と地部の標本兼施することを知ります。こうした内容を代表は書籍で知りましたが、当然にして小針刀のことも書物で知りました。

知識がなくて患者さんを助けられないことは罪であると、昔の鍼灸書にも記載してあります。『鍼灸院開業マニュアル』と『鍼灸院治療マニュアル』に書かれた治療法が実行できることは最低レベルで、スタートラインに立ったら更に先を目指さねばなりません。そして自分が深い専門知識を得たならば、それを後輩に伝えてゆくことが使命だと思います。だから最初は開業することから始めてください。そして治療したあとは、患者さんに症状がどう変化したのか訊ねてください。鍼は即効性があるので、直後効果で痛みが消えています。それを訊ねないで帰してしまう見学者がいますが、非常にもったいない。そんなことでは患者さんを師とすることができず、技術の進歩もありません。もし改善してなければ、これまでと同じ治療を続けますか?ということになります。「抜鍼したあと、どう症状が変化した?」と訊ねても、「聞いてません」と答えるようでは終わっています。また患者さんの鍼を抜かせてもらうことも重要な勉強なのですが、その際にグイグイ押して、患者さんから「あんたが抜くと痛い」とクレームが来る見学者もいます。そうなると抜鍼させてもらえず、どのように鍼が刺さっているか全く知りようがなくなります。見学者が抜鍼して痛ければ、他の人が抜鍼しても痛いはずですが、患者さんは違うといいます。見ていると抜鍼する時の押手の当たる皮膚が凹んでいるのです。それでは他の刺さっている鍼が動くので痛いに決まっています。それを指摘しても治らない人は、「この人に教えるの?」と嫌気が差します。押手の強さを調べるには料理用の秤で測ると良いのです。だいたい1020gならば合格です。こうして治療者と同じぐらい痛みのないように抜鍼できれば、見学者が治療したときも代表と同じように切皮痛や抜鍼痛がなく治療できます。

見学者は抜鍼するときの痛みが分からないので、鍼を抜くとき無造作に抜きます。だから患者さんに「あの人に抜いて欲しくない」と言われるのです。また「抜鍼します」と言ってはいけません。患者さんは「抜鍼」という言葉が分からず、何をされるかと不安になります。だから「鍼を抜いていきます」と伝えます。難しい言葉を素人に使ってはならず、やさしい言葉で話をします。

 

意味のない抜鍼を練習するには、自分の前腿に9本ほどの鍼を揚刺し、それを抜いていきます。そして押手が強い時の痛み、押手の弱いときの痛みを比較します。押手を弱くしろと言っても皮膚を凹ませる人は、いっそ押手をしないほうが痛みがないのです。ほかにも押手圧を計るため、ゴムスポンジに鍼を刺し、それを料理用の秤に乗せて抜鍼する方法もあります。ゴムスポンジの重さ+押手圧になりますから、その差が1020g以内になるよう押手圧を練習します。抜鍼が痛ければ刺入も痛くなるので、他の鍼灸師より切皮と抜鍼が下手ということになり、B級鍼灸師にはなれません。せめて痛くなく抜鍼できる、痛み少なく刺入できる並みの鍼灸師を目指すことです。切皮や刺入も痛いが、抜鍼も痛いC級以下の鍼灸師では、なかなか競争に打ち勝つのは厳しいです。だから患者さんに刺入と抜鍼を試す前に、自分の身体や身内の身体で練習することが肝要です。