店長のエッセイ・随筆

酵母のひとりごと

2011年11月

 

 実りの秋、食欲の秋、読書の秋。屋久島で秋といえば、各小中学校や町、集落ごとに行われる運動会が思い浮かぶ。とにかく行事が続く、とても忙しい時期だ。
 先日、今住んでいる麦生集落の運動会に参加した。麦生の運動会は、皆が主役になれる。子供も大人も一体だ。全くどこにも境目のない様子をみると、都会では味わえないであろう暖かさを感じる。日本中、世界中で色々なことが起きている今、このような平和な環境の中にいられることをありがたいと思う。まるでここだけスローモーションのように、ゆっくりと時が流れているみたいだ。


 スローモーションのようだと感じる瞬間は家の周りでもある。きらきらと光る海の上をすーっと船が流れていく姿を見るとき、以前紹介した我が家の日本ミツバチの観察をしているとき。巣箱から蜜を求めて飛び立つ姿、蜜を集めて巣箱に帰る姿を見ていると飽きない。「まっしぐら」という言葉がぴったりで、私もこんなふうに働こうと思わされてしまう。
 大勢の蜂たちには、役割分担がある。門番をする者、蜜を集めに行く者などいろいろだ。その行動は寄せては消える波のようで同じことの繰り返しだが、本当に自然すぎて心をくすぐられる。工房を訪れる方にもミツバチを見てもらうことがある。ミツバチの姿を見た瞬間、子供の瞳のように目を輝かせる。私はそれが嬉しくてたまらない。心地のいい非日常を味わえる機会は特に大人には必要だと思う。

 

庭にあるミツバチの家

 

 日本ミツバチのことについて、知識が欲しくて本を読んだ。20数年ミツバチと付き合いがある久志富士男氏が執筆した、「我が家にミツバチがやってきた」「ニホンミツバチが日本の農業を救う」などだ。奥が深すぎて、ますます蜂のことを知りたくなってしまった。
 日本ミツバチは、よく逃亡するという。西洋ミツバチは逃亡しない。この違いは日本ミツバチは、逃亡を組織するための言葉を持っているという。食糧が乏しいなど条件が悪い時、討議し移転日を決める。その一週間前から無駄な蜜と花粉は集めない。そしてその前日には、貯めている蜜を全員おなかいっぱい食べる。そして当日、巣を一斉に出て、あっという間に飛び散る。ミツバチと接していると、確かに言葉を持っているかもしれないと思うこともたびたびある。人間と同じで食べ物の好みもあるようだ。私が植えているハーブの花に同じミツバチが繰り返し来ているようすをたびたび見かける。


 工房で蜂話になることも多く、ある方が久志氏とつながっていることがわかった。その後のやり取りの中で、屋久島の日本ミツバチは固有種である可能性が高いことがわかってきた。ご存知のとおり、屋久島には固有の動物、植物、昆虫が多い。ミツバチは巣箱ごと移動できるのでさまざまな土地に持ち運びができる。しかし、屋久島のミツバチが固有種だとすると、他の日本ミツバチの持ち込みや屋久島のミツバチを島外に持ち出すことは避けなければならないとのことだ。


 農業は人の手だけで行えない。必ず裏方がいる。その土地の自然のバランスを保たずして成り立たないと思う。パン工房をするかたわら未熟ながら、農業にも携わっている。酵母のことや蜂のこと、畑のことは共通点が非常に多い。今は知識がほとんどないけれど、私なりに「知る」の積み重ねをしていきたい。そしていつか、それらを知りたい人に伝えたい。

 

このエッセイは地域の企業広報誌に連載されています

(2011-11 屋久島徳州会病院広報誌70号)

 

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酵母のひとりごと

2011年8月

 

 こんにちは、お元気ですか?
 例年より早く、梅雨明けしましたね。とは言え、結構雨が降ったりして、例年の夏に比べて境目のない感じですよね。それでも、合間に見る青空や入道雲、夏色の海には"夏の訪れ"を感じます。


 最近、誰かに手紙を書くことがありますか?
 私は、もともと手紙を書くことが好きです。手紙はもちろん直筆で、そして飾らずに、季節のことや近況などをつらつらと書きます。今は電子メールが一般的ですが、あの無機質な感じが好きになれず、必要な時しか利用しません。どんなに乱れた文字でも、紛れもなく差出人の書いた文字や文章がたまらなく好きです。手紙友達に、80歳を超える方が二名います。私は、その方たちにも横書き文章で手紙を書きます。時々「あなたの真似をして、横書きにしました」と、横書きで返事を下さることもあります。まったく別の世代でも、何かと話題はあるものです。遠くにいても、とても近いところにいるような、なんとも不思議な感じが好きです。

 

お店の前の風景

 

 数日前、小学校一年生の次男が、国語の授業でハガキを書く機会がありました。せっかくなので、茨城県に住む私の両親に出してくださるように希望しました。何て書いたのか、家でゴロゴロしている次男に聞いてみました。
 「ばばへ、いつもおもちゃを買ってくれてありがとう。じじへ、目が治って良かったね。」
と、答えました。目頭に熱いものを感じました。私がすっかり忘れていた、父の目の病気のことをしっかりと覚えていたのです。次男は勉強の理解度がかなり低いのではと、この先の大きな不安を感じていた矢先です。私は、たった一本の固い固いものさしを持って、次男を測っていたのだな、と恥ずかしく思いました。「人として」という視点で、互いにどうあるべきか、どんな風に成長したいのかじっくり考えてみたくなりました。


 このハガキの話題をきっかけに、また手紙を書きたくなりました。高齢の手紙友達には特に。今、当たり前にある環境がいつまでも続くとは限りません。あとは、両親に。たまには電話でなく、手紙でも書こうかな。きっと間違いなく、喜んでくれるはずです。
 また、お逢いしましょう。

 

このエッセイは地域の企業広報誌に連載されています

(2011-8 屋久島徳州会病院広報誌67号)

 

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酵母のひとりごと

2011年7月

 

 こんにちは、お元気ですか?
 今年の梅雨も、よく雨が降りますね。去年はもっと湿度が高く過ごしにくかった記憶がありますが、今年はそれに比べて数値的には低いようです。パン工房では、温度や湿度計とにらめっこすることが多いので、これまで気にやも留めなかった温度や湿度の変化に少し敏感になっています。時期外れの話ですが、冬の日の出直前に気温が1℃ほど下がることも温度計を見るようになってから初めて知りました。


 去年の6月は、石窯の初火入れ自家製酵母の種起こしなど、大きなイベントがあったので、強烈な記憶がよみがえってきます。一年が経ち、石窯は入り口周囲に黒く煤が付き、早くも風格らしきものが現れました。パンの神様"天然酵母"は、自分の変化を恐れることなく、パワフルになり続けています。  去年のこの時期に、自家製酵母はあきらめようかと考えていたのが嘘のようです。いろいろな問題は「時が解決する」といいます。やなり一年で大きな変化があり、時が解決したということもたくさんあるように感じています。ただ、勝手には解決しないので「あきらめない」という自分の気持ちは不可欠である、と肝に銘じておきたいです。


 最近、酵母の影響か、パンが笑うようになりました。カンパーニュという丸いパンを焼く直前にクープを入れます。(パンが発酵する際に発生するガスを抜く目的で切り込みをいれる)今まで軽くぱくっと割れて焼きあがっていたのに、6月に入るころからぱーくーっと強烈に割れるようになりました。突然の変化だったので、偶然かと思いきや、それからは毎回そのような表情を見せてくれるようになりました。

 窯おじさんに何故このようになったか聞いてみると、真顔で「パンが笑っている。」と答えていました。焼き立てのカンパーニュをじっくり見ると、なるほどパンは笑うんだ…と納得してしまいました。パン生地からパンに変化するのを喜んでいるというのが私なりの解釈ですが、つきあっていくうちに違う解釈が出てくるかもしれません。この文章だけ読むと「そんな、バカな…」とあきれてしまうかも知れませんが、実際に目で見ると「こんなことがあるんだ!」と大半の人が感じるはずです。普段よく見ていない、どうでもいいような事柄の中にも必ずいろいろな変化があります。これからも長居年月をかけて、パンの表情の変化を見続ける楽しみが、またひとつ増えました。


笑っているパン!

 

 そして、この季節の楽しみがもうひとつ。「挿し木」や「種蒔き」です。近所の方がいろいろな木の枝やハーブをわけてくれて、一から挿し木の方法やコツなどを教えてくださいました。今の時期なら間違いなし!とのことで、教えられたとおりにたくさんの枝を庭に挿しました。

 すると、早いものでは数日で芽吹いてきて、遅くても一週間ほどでほとんどの枝が芽を出したのです。観察するのが楽しくて、たびたび見に行きました。木の芽が葉っぱになる瞬間はおそらく、夜から明け方にだけおこっているような気がしました。しかし、野菜の種が発芽したり葉が出たりするのは、昼夜無関係のようです。あくまでも、私が見る限りのことで何の信憑性もありませんが、今のところ私の目にはそのように映っています。


木の芽が葉っぱになった!

 

 芽吹きの観察が病みつきになり、雨もお構いなしでウロウロ歩きまわっている、今日この頃です。
 また、お逢いしましょう。

 

このエッセイは地域の企業広報誌に連載されています

(2011-7 屋久島徳州会病院広報誌66号)

 

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酵母のひとりごと

2011年6月

 

 こんにちは、お元気ですか?
もうじき梅雨に入りますね。毎日、じめじめが続くと思うと嬉しくありませんが、梅雨明けが楽しみなので、じっと我慢です。
屋久島の夏はとても暑いけれど、都会の灼熱とは違い、自然のいさぎよい暑さで私は大好きです。

 

 そうそう、梅雨に入る前の楽しみがあります。これは、ここ何年も続いていて、私の生きがいのひとつになっています。それは「野いちご摘み」です。5月に入ると、順々に数種のいちごが色づいてきます。なっている場所を記憶しておいて、毎年5月になるとそこへ行きます。いちごの種類によっても時期や場所が異なるので、5月中そわそわしながら過ごすのです。子供たちも大好きで、お店で買う高価ないちごを食べるより、100倍くらい価値があるものを食べるような表情でほお張ります。何より、その姿を見るのが楽しみで、せっせと出かけて行くのです。

 

野いちご大好き!

 

 誰に栽培されるわけでもなく、山の中でたくましく繁殖して、時期になるととても綺麗な花を咲かせます。花が終わると赤や橙色のおいしい実に姿を変えていきます。たわわに実っているのに、「ひっそり」という言葉がとてもよく似合います。

 

 私は幼い頃から「木の実」が大好きでした。(おいしく食べることができるものが。)
明らかに人の家に植えてある、ビワやイチジクなども我が物顔で収穫したものです。通学途中はいつも空腹で、“神様からのプレゼント”といったような勝手な解釈をしていたのです。友達2、3人でイチジクを食べているとき、持ち主の方が出てきたので一目散に逃げました。叱られると思ったのです。遠くでおばさんが必死に叫んでいました。「白い液を、口に入れてはいけないよー」と。イチジクを食べても良いが、イチジクの白いベトベトした液体に気をつけて・・と果実泥棒に親切に教えてくれていたのです。確か、小学校3、4年生頃だったと記憶しています。子供ながらに、人の親切心を胸にずしんと感じた瞬間でした。

 

 これ以降も、このような出来事にたびたび触れ、人を「信じる」とか「許す」という人間になりたいものだと思い続けています。が、実際にはなかなか難しいものです。このときおばさんにかけてもらった言葉そのものが“神様からのプレゼント”なのだから、せめて忘れずに大切に記憶しておきたいと思います。

 

 前号で書いた、ミツバチ一家は今のところ無事にうちの巣箱で暮らしています。せっせとミカンの蜜を集めている姿を見ると「ああ。自分もがんばろう。」と自然と思わされてしまうのです。ミツバチのことは、また報告させてくださいね。
 また、お逢いしましょう。

 

このエッセイは地域の企業広報誌に連載されています

(2011-6 屋久島徳州会病院広報誌65号)

 

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酵母のひとりごと

2011年5月

 

 こんにちは、お元気ですか?
気温がだいぶ上がり、過ごしやすくなってきましたね。晴れの日も多く、素敵な春の日を過ごすことができて、本当に幸せです。
 新たな出会いはありましたか?春に限らず、出会いってすばらしいですよね。屋久島は特に、地元・移住にかかわらず魅力的な人が多い土地だと、最近つくづく思います。

 

前回、「気配」について触れました。静かな場所で仕事をしていると、人の気配もなんとなくですが感じるようになりました。工房に訪れるお客様が多いか少ないか、朝の気配でだんだんわかるようになってきました。
 大きく分けると、静かな朝と、こそことと何かがうごめいているような朝に分けることができます。朝から静かだと、お客様の出足が少ないとか、何となくですが、感じられることが多いのです。最初は気のせいかと思っていたのですが、この感覚はだんだん研ぎ澄まされているような気がしています。朝からあまりにも静かだと、正直がっかりしますが、本当にお客様が少なくても
 「ああ、やっぱり当たった」
と思うと、なんだかすごいな!!と自分をこっそり褒めたりしています。のんきに自分を褒めている場合ではないのですが、そんな時は楽しむに限ります。

 

 先日、工房を訪ねて下さった方が、ミツバチの巣箱を譲って下さいました。譲って下さった後すぐに、鹿児島に帰っていきました。知識がほとんどないのにどうしたらよいのか??と思っていたら、偶然、数時間後に屋久島でミツバチを飼っているという方が、工房に来たのです。すぐに、工房の入り口に置いてあった巣箱に反応し、いろいろアドバイスをしてくれました。何だか、楽しみが100倍くらいぶ膨れ上がりました。
 工房の前にはタンカン畑があり、これから花が満開になる時期です。ミカンの花の蜂蜜が採れる!!と考えただけでも、もうたまりません。翌日わざわざ工房に来てくださり、自家製の蜜蝋を巣箱の入り口にたっぷり塗ってくれました。
 「ミツバチがやってくる!!」
と期待に胸を膨らませていたのですが、翌日から二日間は雨模様。そうそう思うようにいくわけないか…と自分に言い聞かせました。

 

タンカンの花

 

 4月14日木曜日。午前中から、蜂が巣箱のところに数匹いるのを確認しました。午後、庭で花壇の手入れをしていたとの時、ものすごい数の蜂が回りに来ました。大げさに言うと空が真っ黒になるくらいの数の蜂が、私の周囲に飛んで来たのです。
 「とうとう、来たか」と思って喜びたい反面、怖くなってちょっぴり離れて観察しました。
 黒の集団は、みるみるうちに巣箱の周囲に移動していきました。こんな瞬間を、一人で見ていたのがもったいないと思いましたが、一人だからこそ見せてもらえたのですよね。
 蜂の生態には、以前から非常に興味があったので、実際に触れる機会ができて本当に良かったです。
 蜂が巣を作ってくれるかはまだわかりませんが、そうなるかも知れないという期待は捨てずに持ちたいです。

 

 ミツバチを飼ってみたいという人の気配を感じが方がいて巣箱を譲ってくださり、巣箱の気配を感じた方がいて知識を与えてくれました。気配がさらなる気配を呼ぶ。偶然とも言いがたいようなことが、目の前にたくさん転がっています。
 ミツバチの黒い集団が来た日の夜、綺麗な満月を見ました。
 またお逢いしましょう。

 

このエッセイは地域の企業広報誌に連載されています

(2011-5 屋久島徳州会病院広報誌64号)

 

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酵母のひとりごと

2011年4月

 

 こんにちは、お元気ですか?
本格的に春、別れや新たな旅立ちを経験する季節ですね。工房にとっては、初めての春を迎えます。どんな変化があることやら。楽しみで仕方ありません。
 周囲の景色、酵母のご機嫌、ぽかぽか陽気に誘われて、お客様が急増する(?)などなど。考えるだけで、ウキウキ、ソワソワします。
 その先に、虫たちがお客様の百倍くらい来るとか、取りきれないくらい草が生い茂るのは、あまり考えないことにしましょう。

 

 前回、天然酵母のことを少し書きました。現在は非常に安定して、パン作りの主役になってくれています。が、昨年6月から種起こしを始めて、教えられた手順で行っても失敗ばかり。なかなかパン作りが始められませんでした。教科書通りやればできる!と、思い込んでいたので、失敗の日々に正直
 「この先、かなりまずいかも…」
と不安でいっぱいになりました。酵母も生き物ですから、私の不安な気持ちの波動を受けてしまったのですよね。言葉を発しない生き物だけに、繊細です。

 

 結局、失敗の原因は、(1)私自身の気持ち、(2)梅雨時期の80%を越える湿気、(3)小麦の質、の問題であったと分析しています。実は、自家製酵母が起きなかったら、市販の扱いやすい天然酵母に頼ろうと思い始めていました。
 そのころ、ちょうど梅雨が明け、ようやく湿度が安定しました。小麦を九州産のものから北海道産などに産地を変更したということも加わりました。すると、
 「うそでしょ?」
と目を疑いたくなるほど、元気に種が起きたではありませんか。それから種継ぎという作業を繰り返し、ようやくパン作りにこぎつけた時のことを、一生忘れないと思います。
 それまで経験した、力強い発行ではありませんでしたが、パンを膨らませる力をどうにかつけていました。今では、かなり強力な天然酵母になっています。声は出しませんが、明らかに「気配」を感じさせてくれました。

 

 工房のまわりに民家がほとんどなく、緑に囲まれた静かな場所にあります。なので、今まで感じることがなかったような「気配」がすることがたびたびあります。それぞれ、小さな小さなものたちが伝えてくれるのです。
 「私たちも生きています。」
と。木の枝から新芽が出てきています。これから、緑がどんどん濃くなり屋久島が元気に見える季節ですよね。海の色が夏色に変わるのも、とても楽しみです。
 どうぞ、素敵な新年度になりますように。
 また、お逢いしましょう。

 

このエッセイは地域の企業広報誌に連載されています

(2011-4 屋久島徳州会病院広報誌63号)

 

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酵母のひとりごと

2011年3月

 

 こんにちは、お元気ですか?
 節分が過ぎて、台所に数匹の蟻がいました。ちぎりたてのタンカンにはカメムシが一匹じーっとしていました。季節の移り変わりですよね。例年、春一番が吹くころに、季節の移り変わりを感じたものです。

 

 今年は二月初旬に、ささやかな変化を実感できてうれしかったです。忙しく勤めをしていた時は、それらを素直に感じる余裕がなく、今になって
 「もったいないことをした」
と思ったりします。忙しく仕事を続けることができたということも、これはこれで元気に過ごせていたという証であるし、この上なく贅沢な過去、現在だと思っています。

 

 私は「自分もまわりも変化する」という事柄が好きです。変化を恐れる人も多いですが、私は非常に忘れっぽいので、過去を振り返ることをほどんどしません。
 最近は、変化する物や事柄の中で、しっかり記憶しておかなければならない「宝物」が登場しました。それは「自家製天然酵母」です。天然酵母といっても、種類が多くかなり抽象的ですが、当工房の酵母は、レーズンと小麦で起こした、自家製酵母です。
 わかりやすく言うと、天然酵母とは、自然界の微生物をパン作りに適するように培養したものです。商品化された天然酵母も数多くあります。白神こだま酵母やホシノ酵母などです。酵母というと、まさに「生き物」と対峙している感覚が強くなります。それが、天然酵母パン作りの楽しさでしょう。

 

 その「生き物」の命をつなぐ作業を繰り返し、パンを作る。酵母は声を出しません。声も表情もなく、増殖するものの不思議さに、すっかり魅了されている今日この頃です。
 これから、暖かくなります。酵母も衣替えをするように、変化を見せてくれるでしょう。

 

このエッセイは地域の企業広報誌に連載されています

(2011-3 屋久島徳州会病院広報誌62号)