<代表挨拶>

081A2B86-A155-4E42-A224-525E9F5BDCAD.JPG

塾長 河野 健一(英語哲人)

※一見、コワモテですが、高校時代には、「漫才研究会」にスカウトされ3枚目、面白い人です。

 

この度は、当塾のHPをご覧いただき、誠にありがとうございます。

 

当塾についてよくご理解いただくため、また、私という人間をよく知っていただくため、少し長くなりますが、私の生い立ちやここに至るまでの歴史をお話ししようと思います。

 

私、英語哲人(本名 河野健一)は、神奈川県の座間市に、地方の国立大学を出て一部上場企業に入社した父、専業主婦の母親の元に生まれました。

 

小学校の頃は、凡庸な子供で、成績は、ほぼオール3でした。高学歴・元優等生が多いこの業界では、珍しいのかも知れません。

 

中学生になっても、大きく変わったわけではなく、テストの成績はそこそこ良いものの、落ち着きがない、授業中におしゃべりをするなどで、内申点はさほどよくなく、高校受験では、地区で4番目の高校に、550人中500番くらいの成績で滑り込みました。

 

自分としては、英語や国語などの文系科目が得意であったものの、エンジニアの父親の勧めと、「見返してやりたい」という気持ちから、高校では1年生の時から塾に通い、私立理系を目指します。

 

猛勉強の甲斐あって、高3になる頃には、理系の成績で学内では16位になってました。

 

ところが、、、。

 

自分の適性、これから勉強したいことや、将来就きたい職業など考えると、自分は文系の方が良いかな、、、と思い始めてしまいました。

 

相当迷いましたが、高3の夏に文転をしました。

 

私立理系のクラスに所属しながら、私立文系の受験を決めたわけです、、、。

 

きつかったですが、なんとか頑張った甲斐があって、学校でも模試の成績では文系で3位というところまで上がりましたが、上位校しか受けなかったこともあり、現役では結果を出せず、浪人を決めます。

 

浪人時代は、河合塾千駄ヶ谷校(東京本校)に通いました。

 

授業も面白く、受験勉強に専念できたので、とても充実した時間が過ごせました。

 

努力の甲斐あって、河合塾の最後の全統マーク模試では、英数国で全国4位になることもできました。

 

その年の受験では、落ちた大学もありました(5勝2敗)が、第一志望の立教大学法学部国際・比較法学科(当時)に受かることが出来ました。

 

浪人時代に、努力をして達成する喜びを知りましたので、そのまま遊び呆けてアホ大学生(立教は、チャラいイメージがありました)になるのも嫌で、入学式の日に体育会ボクシング部に入ります。

 

ボクシングは、全くセンスがなかったですが、先輩にとても可愛がってもらい、最後は副将になり、4年間続けることになります、、、。

 

ボクシング部の傍ら、勉強も頑張りました。

 

他人のノートは借りず、全て自分で授業に出て、その日習った内容を、ボクシング部の部室がある志木に移動するまでの電車の中で復習しておりました。

 

その甲斐あって、卒業に必要な単位を、3年次に全て取得することが出来ました。

 

ボクシング部を続けるために、2年次からは埼玉で一人暮らしをしていたのですが、生活の足しにするため、学校から紹介してもらった高3生男子の家庭教師をすることになりました。

 

これが、私の人生に大きな影響を与えます。

 

自分が一生懸命に教えると、その「熱」が相手に伝わり、相手も頑張るようになる。

 

相手の成長を願って教えることにより、自分も同時に成長できる。

 

「教える」仕事の楽しさを実感しました。

 

そんなこともあり、卒業したら、海外に出て日本語教師になるのも良いな、と思い、英語の勉強もしておりました。

 

ところが、周りが就職活動をしだすと、それに流されて焦り出し、結局、ボクシング部の先輩の勧めもあって、大手の金融機関に就職します。

 

大学卒業時のTOEICの点数は、725点でした。

 

これは、当時にしては、かなり良かったと思います(東大、早慶がゴロゴロいる内定者の平均が、300~400点ではなかったかと思います)。

 

金融機関には、2年間勤めました。

 

給料も良く、安定していましたが、大学時代に家庭教師をやっていた頃に感じていた「充実感」は感じられません。

 

周囲の反対も強く、自分でも悩みましたが、「夢よもう一度」ということで、教える仕事に就こう、と決めました。

 

4年間の、塾での修行期間を経て、大学受験予備校講師(英語)として、独立し、8年間勤めました。

 

様々な生徒様に恵まれ、充実した日々を過ごし、「これぞ天職」と思っておりました。

 

しかし、神田昌典さんなどのビジネス書を読むのが好きで、自分の力をビジネスの世界で試してみたい。自分が教える生徒は、そのほとんどがビジネスの世界へ出て行くので、その世界を知っていても良いのではないか、という思いから、ビジネスの世界に入ることを決めます。

 

「人」を学ぶのに、営業が良いのではないかと。

 

主に建築・不動産の業界で働きました。

 

全国展開するハウスメーカーで神奈川でトップになったり、富裕層相手の収益用不動産の会社で年間トップになったりと、成果も出て、報酬もそれなりにもらっていた時期もあります(成績不振で、リストラされたこともあります。営業あるあるです)。

 

それでも、やっぱり、「教える仕事」の素晴らしさは忘れられませんでした。

 

「いつか自分が理想とする塾を作りたい」と思っておりました。

 

家庭持ちなので、そんなにフットワーク良くは動けないのですが、いつか塾をやるときのためにと、11年ほど前からブログ(アメーバブログ「哲人式英語」)を始め、英語の勉強も続けておりました。

 

そして、色々なご縁が重なり、2024年の2月に、満を持して「哲人式英語塾(実用英語)」、「情熱塾 泰雅(受験英語・補習)」を立ち上げることになりました。

 

実用英語に関しては、海外経験一切なしでTOEIC910点を取得し、現在は満点取得を目指して研究に余念がありませんので、最新情報を含め、その成果を皆さんにフィードバックできます。

 

受験英語に関しては、「難関大学向け」を謳ってはおりますが、私の生い立ち上、「現在出来ない生徒でも、やり方次第で伸ばしていける」「自分の可能性を信じてほしい」と思っております。

 

私自身、遠回りをしてしまったこともあり、「もっとこうすれば上手く行ったのに」 「もっと上を目指すこともできたのに」と思っております。

 

また、個別指導から大手予備校まで14年間経験して、それぞれの利点と欠点、表も裏も熟知しております。

 

私自身は、自分のキャラクターを活かしつつ、その生徒の個性に合わせた指導ができる個別〜少人数制の指導が得意であると認識しております。

 

少人数制の医療系予備校では、テキストの編纂を任されており、英語のカリキュラムの5/6を書き換えました。

 

そして、下位クラスを任されておりましたが、毎年必ず、校内テストで上位クラスを抜いておりました(7年間を通じて、一度も抜かされたことはありません)。

 

同校で任された個別指導では、当初数年間は教えた生徒の100%を合格させておりました。

 

この時の経験が、今回の塾開講の礎になっております。

 

長くなりましたが、「自分の可能性を信じて頑張りたい」、「英語をきっかけに自分の人生を切り拓いて行きたい」という方の力になれたら、と心の底から思います。

 

あなたにお目にかかる日を、心よりお待ちしております。

 

※現在、4人の男児の父親です。子育て談義も得意です。

※「英語哲人」のペンネームで、You Tubeを発信しております(「英語哲人のブレイクスルー英語」youtube.com/@user-nv7cc8ch1p)。一方通行の発信と発信となるので、双方向の対話型授業とは形式が異なりますが、参考にはしていただけるかと思います。

 

哲人式英語塾 情熱塾 泰雅

塾長 河野 健一(英語哲人)