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2017/12/19

私はこの方法でしか生きられない。

私は【卑怯】や【弱さ】や【不義】を容認できない。そういう性質である。

 

(卑怯な”人”とはしない。一個人に焦点を当てたところでその本質は無くならないから。)

 

 

 

上記の”質”(サンスクリット語でプラクリティと呼ばれる)で溢れかえっているこの世の中。

 

 

それと真正面から向き合い続けなければいけない事にこの半生で何度か疲れ果てたこともある。

 

 

 

その度に自分自身を癒し、「強くなろう!」と鍛錬を繰り返してきた。

どんな事象への対処法も「結局自分が強くなるしかない」と思っている。

 

 

 

 

 

私はバカ正直にしか生きられない。

 

 

 

不正や不義は本来の健全な形に戻したいとやはり思ってしまうし、残念ながら自分の力量不足でそれが私の力では難しいと判断したならば、私は私自身を2次被害者にしない為にもその場から離れる選択をしなければならない。

だってそれを選択する事を決めているのは私ではなく”そこにいる人達自身”であり、私にはその選択を変える事は決して出来ないから。

「変えられる!」と思う事こそ私自身の驕りである。

 

 

 

 

だから私は常に私自身と向き合い続けるべきなのである。”外的事象”とではなく、”自分自身”と。