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2019-02-28 07:24:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は近所のケアマネさんと当社の癒しケアマネと3人で飲みに行きました。

 

どこでも日々様々なことがありますが、それでも前を向いて未来は明るく持ちたいな、と思う私です。

 

そして、今夜は亀戸地域の主任ケアマネ会に伴う意見交換の日で、自転車の充電をし忘れないように気をつけている私です(出社したらすぐに充電しないと!)。

 

 

 

 

さて、今日は私が地域活動を行うにあたってのスタンスを書かせていただきます。

 

私はよく、同職種・他業種の方問わず『地域のためとはいえ、よくそこまでするよね~』と言われます。

 

で、ですね、私は自分で『これからの地域で信頼関係が構築できる仕組みをつくる』と決心して活動を行っていますが、『その仕組みで地域の人全員を救おう』なんてことは、これっぽっちも考えていません。

 

というのも、私はきっとボランタリー精神が低いのだと思いますが、私が守ろうとしているのは『信頼関係構築ができる人』だけです。

 

多分ですが、これからの社会はお金のあるなしの『所得格差』だけでなく、他者を信頼できるかできないかの『信頼格差』も起きると私は考えています。

 

既に、シェアリングエコノミー(メルカリとか)の普及にもありますが、これからの時代は拝金主義のみの価値観は終焉し、“信頼”も大きな価値の1つになると思っているのです。

 

 

 

 

今までこの国は、安全第一主義で数々の組織(町内会や会社の交流会等フォーマルな交流機会)を壊してきたと思いますが、社会保障が今後現状を保てないこれからは、揺り戻しが起きると思っていますし、その時に必要となるのはムラ社会の再来ではなく、“信頼し合える人たちのコミュニティ”だと考えているのです。

 

で、私の覚悟は“信頼社会の構築にのってくれる方々は、全力で安心できるコミュニティつくりに協力します”とコミットしますが、ネガティブチェックばかりする方々については、“知らんがな”と言う感じです。

 

“他者に裏切られることがあるかもしれないけど、自分で相手を見極めてつながるかを決め、その実績の積み重ねで信頼関係を構築し、助け合いのギブ&テイクをしましょう”という方々のみと一緒に社会の仕組みを創っていけたら、それだけで私は満足なのです。

 

むしろ過剰なリスクマネジメントに捉われる方は、この仕組みには抵抗感があり、二極化するでしょう。

 

 

 

 

というわけで、先日、ルール重視の社会に疑問を書かせていただきましたが、今回は信頼社会について書かせていただきました。

 

どういう形でも良いと思いますが、何より大切なのは『自分自身が何を拠り所にして生きていくか?』を、今一度しっかり考える事だと私は思います。

 

行政には行政コストがかかる。

 

信頼には信頼コストがかかる。

 

どちらを選ぶも自由ですが、どうかコストをスルーしたいから信頼の代替を行政から得ようとすることだけはやめていただきたいと思う今日この頃です☆