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2019-02-27 07:26:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は数年ぶりにある方と会いました。

 

初めてお会いした時から頑張り屋さんでしたが、相変わらず目をキラキラさせて頑張っている姿に、元気をもらった私です。

 

そして帰りのタクシーでは、なぜか運転手さんに「おススメの抹茶のど飴」をもらい、タクシー業界の話で盛り上がりました。

 

人との出会いは楽しいですね☆

 

 

 

 

さて、先週末から意識的に時間をつくり、改めて世の中の変化を考えています。

 

2000年以降で大きな変化と言えば、一番に挙がるのは通信機器の発達です。

 

この“おかげ”か“せい”かは分かりませんが、様々なことが破壊されたなぁ~、と感じています。

 

今日はちょっと長くなってしまうかもしれませんが、そのあたりについて感じたことを書かせてください。

 

 

 

 

ネットの普及により世の中が便利になった一方で、悩ましいことに人間が退化していると私は感じています。

 

何でもググればすぐわかる世の中になり、私たちは“考える”ことと“不確実性を愉しむ余裕”が無くなってしまったような気がするのです。

 

そして、“自分にとって(都合の)良い意見が絶対に正しいと感じてしまう可能性”を秘めているのも、ネットの怖い特徴だと考えています。

 

オタクの私はネットを多分に活用していますが、それらのデータを組み合わせて予測することが好きなので、基本的に考える力はそれほど低下した感じがないのですが、“不確実性を愉しむ余裕”は減ってきているな、と感じています。

 

また、ネットは、自分にとって都合の良い部分だけを切り取れるため、考え方が偏らないようにテーマごとに最低20個は記事を読むようにしていますが、それでもウッカリすると、自分にとって都合の良い部分だけを切り取って活用しようとしてしまします。

 

そして、今の社会が便利になったにも関わらず、一向に気持ちに余裕が生まれないのは、もしかしたら、“考える力が低下したことにより、人間が社会システムの歯車”になりつつある事と、簡単に答えが出るからこそ生じる“不確実性を愉しむ余裕”がないからかもしれないと、先日気が付きました(後は、自分と考えの違う他者を排除しようという排他主義)。

 

 

 

 

思えば、ルール至上主義になったのはいつ頃のことからでしょうか?

 

考える力が低下している今、過剰なルール至上主義は、ルールが社会に合わなくなってきても、そのことに気づかない恐れがあります。

 

もし気づいたとしても“でも、私にはできることはないし”という考えに陥る危険があります。

 

これは怖いことだなぁ~と私は考えてしまうのですが、ルール重視の方からすれば、“世の中ってそんなものでしょ”という感じでしょうか。

 

よく言う言葉ですが、正論が正解じゃないのですよね。

 

だからこそ、今一度“ルールというものを見直して、原則主義(物事を判断する時の考え方や枠組みだけを示す)にしようよ”と思ってしまいます。

 

 

 

 

なんて書いたら、ルール重視の方たちからは、“日々私たちはグレーゾーンの対応で困っているんだから、白黒はっきりとしてくれないと困る!”とか言われるかもしれません。

 

が、私たちが今やるべきことは、ルールや規則を厳しくすることではなく、自分達の思考力と言語力を上げることだと思うんですよね。

 

なぁんて考えながら、夫にブチブチと話をしていたら、子ども達に『お母さん、機嫌が悪いからってお父さんに当たらないで!』と言われてしまいました。

 

ちゃんと夫が訂正してくれましたが、私が真剣に話すと怒っているように見えるようです。

 

反省反省☆