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2018-09-26 07:48:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は職能団体の会議に参加しました。

 

東京都職能団体では、ケアマネジャースキルの可視化を目指して、シートを作成しています。

 

数年にわたり“プレ実施→改善”を繰り返していますが、新人からベテランまでの評価軸をつくるってこんなにも難しいということを実感しています。

 

私にできているのは、会議参加者の方々のスキルを盗むことくらいでしょうか?(盗めているのかも怪しい)

 

とはいえ、毎日遅くまで何かしらの委員会や団体が主体的に活動を行っている姿は素晴らしいと思います。

 

 

 

 

 

さて、私は最近苫米地さんの書籍も読む機会が多いです。

 

で、ですね、この方の何といってもすごい所は『書籍数がハンパなく多い』多いということです。

 

そして、先日は“人はなぜ争うのか?”ということ、戦争の起きる原因について書かれていました。

 

 

 

 

ザックリ書くと、『自分以外の価値観を受け入れることができないから』らしいですが、これは、確かにその通りだなぁ~、と思います。

 

私は小さい頃、断定的に物事を言う癖があり(視野が狭かったのですね)、よく両親から『絶対ということは、人はいつか死ぬということ以外ない』と叱られていました。

 

大人になってからは、自分の思考に固執するよりも、他人の思考を知ろうとする興味の方が勝っているので、断定的な考え方・言い方は殆どしなくなりましたが、他人様をみていて感じるのは、『熱心になっていることほど自分の考えに固執してしまう』ということです。

 

きっと、それだけ一生懸命考えたのだから、その分だけ自分の意見を守りたいんだろうなぁということは分かります。

 

そして、その一生懸命さを『そうか』といったん受け入れることは、優しさなのかもしれないと思いました。

 

相手の意見そのものと言うより、相手の意見に対する姿勢を受け入れる、と言った方が良いかもしれません。

 

 

 

 

以前にも書きましたが、正義の反対はこれまた正義で、お互いの主張を譲り合わない結果、争いが起きます。

 

そして、よく考えてみると、私たちは争いをしたいのではなくて、『今、この現状を良くしたい』という共通認識はあるわけで☆

 

であれば、自分の考えをすべて通すことを目的とするのは、ある意味本質から外れることで、それが無駄な争いを生んでしまうのではないかな、と、改めて考えました。

 

そういう考えで、今の私の中でのベストな対応は、『いったん相手を受け入れる。そして、重なる部分を一緒に活動する』です。

 

違う部分に関しては白黒明確にするとか、相手を論破するのではなく、『あ、あなたはそういう考えなのね』と認めれば良いのだと思っています(決して突き放すのではないですよ)。

 

いろいろな考えはあると思いますが、この『受け入れる』ができることは、『優しさ』であり、その優しさのある人は、本当の意味で『強い』人だと、最近は感じています。

 

なんてことを考えている私はオタク気質なんだろうなぁ~、と思いつつ、やはり人はおもしろいと思ってしまいます。

 

まだまだ未熟な私ですが、だからこそ、世の中の様々なことを楽しみながら知り、色んな考えを吸収したいと考えている今日この頃です☆

 

皆さんは、優しさと強さについて、どのように考えますか?