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2021-03-12 21:37:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、仕事終了後に集中して作業をしていたら、うっかり日付が変わっており更新ができませんでした。

 

その分、今日は長々と書きます・・・というのは冗談で、通常運転で書かせていただきます。

 

今日は午前中にご近所ミニデイの茶話会版を開催しましたが、新しい仲間がまた増えました。

 

春ですねぇ。

 

賑やかにお話をされる方々をみつつ、日々の平和に感謝していました。

 

 

 

 

さて、突然ですが、私は社会状況を3つのニュースアプリで確認しています。

 

1つはH〇Kニュース、そして2つはユーザーのコメント機能がついているサイトです。

 

コメント欄のついているサイトというのはなかなかもって勉強になります。

 

大衆向けのサイトの方は国民目線でのコメントが目立ち、善し悪しは別として『生活者目線』でのコメントが目立ちます。

 

対するもう一つのサイトは、経済中心のものなのですが、こちらはビジネス目線でのコメントが目立ちます。

 

・・・で、この2つのサイトは、同じニュースを取り扱っているにも関わらず、コメントの支持が真逆なんですね。

 

生活者目線は、現政権に批判的な部分が多く、善いことは善い、悪いことは悪いと分かりやすいコメントがなされています。

 

一方、ビジネスサイトの方は、「問題あるかもしれないけど、とはいえ経済は廻っているし支障はないから良いんじゃね?」という考え方が多いです。

 

 

 

 

このある意味真逆のようなサイトを両立しながら読んでいると時々とても疲れるのですが、まぁ、私がつかれるかどうかは別にして、ここで考えたのは「なんやかんや言っても、結局、今の社会の物事を決めるのは大抵はビジネス系目線である」ということです。

 

そこに、行き過ぎた資本主義の傾向を個人的には感じるのですが、事実がそうである以上、文句を言っても仕方がないし、与えられた環境の中で個々が最適解を考えていくしかないんだろうなと感じています。

 

 

 

そのニュースについてですが、数年前からジェンダーが取り上げられ、森本首相の発言以降は女性差別が再発し、はたまた、昨今のビジネスでは、ことさらに「多様性」というワードが使われている状況。

 

こういう記事を観るたびに、なんとなく違和感を感じていたのですが、今日はその理由が分かり、すっきりしました。

 

それは、「多様性を認めるということは、机上で議論したりビジネスから学ぶものではない」ということです。

 

言い換えるならば、「本気で多様性を身につけたいなら、自分とは状況の違う人達とたくさん話をしない限り、多様性を育むことはできません」ということですが、(意図的かどうかはともかく)本当の意味での多様性をわかっていない人や分断を創っている人たちほど、自分と同じ価値観の人同士でつるみ、「多様性を認めろ」と声高に言っている状況に、違和感を感じていたのだということが分かったのです。

 

 

 

多様性って、様々な世代や状況や価値観の違う人との交流機会が大切なわけで、相手の話を聴きながら自分の身に置き換えて想像するという、相手に寄り添うことから始まると、私は感じています。

 

その上で、自分との違いも含めて相手を状況事そのまま受け入れる『寛容さ』が、多様性を持つということだと思うわけで。

 

特に、ビジネスで多様性を掲げる人たちが知っているつもりの多様性とは、自分と同じような環境や価値観で過ごしている外国人や異業種と交流することで『多様性をわかったつもり』になっているだけ。

 

そもそも、物事の尺度がビジネスからしか考えられない思考では、本当の意味での多様性や寛容さを育むことは難しいのではないかなぁと思うし、きっと、彼らよりも公立学校のPTA役員や教員、町会役員や役場職員の方が、よほど多様性なるものを理解しているんだろうなぁ・・・なんて思ってしまうわけです。

 

 

 

 

そんなことを考えながら帰宅し、今しがた家族に音声データを渡したら『悪いけど真面目過ぎて聴く気になれない』と言われてしまいました(抑揚がないから聴きにくいらしい。トホホ・・・)。

 

さぁ、これから再度音声録音に取り組むのですが、何時に終わるかは・・・不安でいっぱいです☆

 

皆さんは、多様性をどのように捉えていますか?

 


2021-03-10 21:21:00

訪問をありがとうございます。

 

いや・・・今ね、夜のZOOM会議終了後から1時間かけて記事を書いていたのですが、今、私のWi-Fiがとても不安定な状況であることを忘れており、『登録』を押したとたんに消えてしまったのです。

 

4000字は軽く書き込んでいたため、もう、ショックでショックで(泣)

 

そんなわけで、同じことを2回も書く気は起きず、簡単に書かせていただきます。

 

※最後に、コッソリ資料をいくつか添付しています☆

 

 

 

 

コロナ禍でぶっ飛びましたが、昨年3月末は介護保険制度創設から20年が経った一区切りでした。

 

本当は、制度の一区切りとして振り返り記事がたくさん出るかなと思っていたのですが、そのあたりも全くなく、オタクな私は、一人で介護保険制度の総括を勝手にやっていました。

 

で、気づいたのです。

 

現状、現場において満喫の課題は『人材不足』と『専門性の向上』ですが、これを解消するには『介護職に就くにあたって、介護保険制度創設の理念や目的をちゃんと理解し、その上で、法令を理解し自身の役割を把握し、日々の業務に就くことが大切』という結論に達したわけです。

 

いや、本当はこの辺りを丁寧に書いていたのですが、割愛し過ぎですみません。

 

ただ、20年目を振り返った時に、私は、『介護職が軸をしっかりと持って業務に就くことができれば、多少大変なことがあっても乗り切れることはできるのではないか』と考え、同時に、『介護保険制度の理念や目的と、それに付随する法令や通知を流れで理解することができれば、自身の役割を自覚で気、専門性を高めることができるのではないか』という仮説を立てたわけです。

 

つまり、介護職員が軸を持って専門職として働くことができれば、社会の介護職に対するイメージも変えることができるだろうし、イメージが変われば介護職に就く人も増えるのではないかと考えたのです。

 

 

 

 

実際、この20年間を振り返った時に、『専門職としての心構えだとか、介護保険制度創設の背景だとか、法令(法律・政令・省令)やそれに伴う通知やなどを全体的に説明する講義ってないよなぁ』と思ったのです。

 

つまり、制度全体を理解できるような研修がないのです。

 

もちろん、職業倫理についてしっかりと説明する研修なんてものもないわけで。

 

あるのは、3年に1度、制度が変わる際に『次期改正・改定に向けてのポイント』的な、個人的には『制度の全体を理解していない人に、点で知識を与えてどーすんねん』と突っ込みたくなるような研修ばかりです。

 

同時に、既存の研修って夜や土日に介されるものが多く、子育て中や介護中の職員などは参加ハードルが高いんですよね。

 

なかなか介護職としての軸の部分を育成する研修はない上、研修の参加自体のハードルが高いとなると、どうやって介護職の軸を育める仕組みを創ればいいのか考えました(趣味で考えているので、お前が考える必要はないというツッコミはなしでお願いします(テヘペロ))。

 

 

 

 

・・・で、ここから私の迷走が始まります。

 

『思うような研修がないなら、自分で創ればいいじゃん』と思ったわけです。

 

しかも、私は自他ともに認めるオタクです。

 

特定の事象に対して、どこまでも深く掘り下げることは、得意中の得意であります。

 

そんなわけで、出した結論が『YouTubeの動画でアップし、いつでも誰でも学ぶ気さえあれば勉強できる環境を創ろう』です。

 

それも、スキマ時間に気軽に観ることができるよう1回は10分くらいの作品にすれば、もしかしたら興味を持ってくれる人は増えるかもしれないと思ったわけです。

 

・・・、と、ここまでが、昨年4月の話。

 

 

 

 

それからは、介護系のYouTubeを調べまくり、同時に、現在『教育系YouTube』と言われている番組を見まくって勉強しました(これに半年近くかけました)。

 

並行して、介護保険制度に関する書籍や論文・資料を読みまくり、どこまでも掘り下げて制度について学びました。

 

そして、準備が整ったので、今年早々から『さぁ!動画を製作するぞ!!!』と意気込んだのですが、一番重要なパワーポイントのアニメーション部分がうまくできず、今日まで時間がかかってしまったわけです☆

 

今は、音声を録ったものから子ども達にアニメーション部分を依頼していますが、今月中の開始は難しいかなと感じています。

 

そんなわけで、来月から順次アップしていこうと思うのですが、昨年末からポチポチ作っていた資料をここにアップさせていただきます(実際はアニメーションで動きをつけるので、こんなにごちゃついてはいないです)。

 

流れとしては、『専門職としての心構え(知識と技術と倫理観)』➤『介護保険制度創設の背景』➤『介護保険法について』➤『ケアマネジャーの運営基準について』➤『職業倫理について』➤以下、業務のPDCAについて・・・みたいな感じで進めていこうと考えています。

 

名前出しや顔出しは一切なしで行うので、どこの誰だかは分からないと思いますが、こんな感じの動画がYouTubeに出てきたら、『あぁ、加藤、1年かけて出したのね』と、生暖かく見守ってくださいませ☆

 

※あ、誰もやらないとは思いますが、何かあった時に責任が取れないので、下記資料については無断使用・転用は禁止でお願いします。

 

pdf 第1回:専門職として必要なスキル.pdf (0.48MB)

 

pdf 第2回:介護保険制度の背景と目的①.pdf (0.57MB)

 

pdf 第2回:介護保険制度の背景と目的②.pdf (0.4MB)

 

pdf 第2回:介護保険制度の背景と目的③.pdf (0.48MB)

 

pdf 第4回:ケアマネジャーの運営基準.pdf (0.78MB)

 

pdf 第5回:ケアマネジャーの職業倫理.pdf (0.3MB)

 

※第3回の介護保険法は現在作成中です。

また、第4回以降は時間を測りながら何回かに分割してアップしていく予定です。


2021-03-09 19:37:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は夜に主任ケアマネジャー協議会の会議がありました。

 

全体的にオンライン会議にも慣れていることを実感するとともに、更に円滑に使いこなせるよう、いろいろな操作について勉強中です。

 

 

 

 

さて、突然ですが先々月と先月、私はパワーポイントの操作について勉強していました。

 

今までは自身の美的センスのなさの言い訳として『資料は読めればよい』と言っていたのですが、『いや!これからはどう見せるかも重要になる!!!』と、しごく当たり前のことを実感する出来事があり、少し前からいろいろ勉強しています。

 

今さらですが、パワーポイントって本当に優れた機能がたくさんありますよね。

 

十分に使いこなせていなかったもったいなさを実感しています。

 

 

 

 

そして、無知な私を導いてくれる存在はYouTube先生。

 

検索をかけると、知りたいことに関する動画をアップしてくれるため、毎日のように動画を観ながら勉強していました。

 

・・・なのに、どうしてもスムーズにいかない。

 

そんなわけで、毎回唸りながらパワーポイントと格闘していたのですが、1か月頑張って諦めました。

 

そして、気づいたのです。

 

自 分 に で き な い こ と は 、 で き る 人 に 頼 も う 

 

ということに☆

 

 

 

 

今の学校って、授業で当たり前にパソコンの時間があるんですよね。

 

で、気づいたのです。

 

『 い い 人 材 が 2 人 も い る じ ゃ ん 』

 

ってことに。

 

我が家には、高校1年生と中学1年生の子どもがいます。

 

『何も、私が一人で頑張らなくても彼らに頼めばいいじゃん』と気づいたのです。

 

これ、普通に長男(高1)か長女(中1)に依頼すると断られるのですが、2人に頼むと相談しながら対応してくれるのではないかと思い、とりあえずやってほしい作業のYouTube動画を、何も言わず2人のLINEに投げておきました。

 

 

 

 

いやぁ、2人とも、ひま人真面目です。

 

動画をしっかり観てくれていたため、スムーズにお願いすることができました。

 

そして、数日前にパワーポイントの資料と『ここをこうしてほしい』という依頼内容をまとめたものを渡し、『じゃあよろしく』とお願いしたところ、意外にしっかりと対応してくれていてびっくり!

 

オマケに、『お母さん、音声をくれないと文字や絵を動かすタイミングが計れないから、動画の音声をちょうだい』と、いっぱしなことを言ってきます。

 

そんなわけで、今日はこれから音声を録ろうかと目論んでいます。

 

いや、きっと1回ではうまく録れないだろうから、週末までになんとか完成させて、ドヤ顔で子ども達に音声を渡したいと目論んでいます。

 

 

 

 

・・・とまぁ、そんなこんなで資料制作にいそしんでいるのですが、なぜそんなことをやっているのかと言えば、『今年の目標に掲げてしまったから』なんです。

 

毎年年末に1か月かけて自分の振り返りを行い、社会状況を確認しながら来年の目標を考えているのですが、今年の目標に『介護保険制度に関するhow-toではない資料を制作する』ということを決めてしまったのです。

 

取り組みの間に挫けそうにもなりましたが、子ども達の前で宣言してしまった以上、途中で諦めることはできず、何だかんだと言いながら、細々と準備をしています。

 

そして、この資料製作をなぜ行おうと思ったかについては、明日(忘れなければ)書かせてください。

 

あ、ちなみに、子ども達が資料製作をスムーズに受けてくれたのは、彼らが優しい子だからとかではなく、『やってくれなければ抱き着くよ』と私が言ったからです。

 

えぇ、嫌そうな顔をしていましたが、即答で『やる』と返答していましたよ。

 

そして、高圧的な依頼をしてしまいましたが、こんな形ででもたくさんパソコンに触れる時間を増やせば、少しは彼らが社会人になった時に困らないのではないかなぁ~、と目論んでいる私でした☆

 

皆さんは、今取り組んでいることはありますか?


2021-03-08 21:05:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は朝から一日子育て支援の団体さんに事務所を貸し出し、元気をたくさんいただきました。

 

夜は夜で、同友会江東支部の3月の会を主催するメンバーと打ち合わせをするという、ちょっとバタバタした一日でした。

 

 

 

 

さて、今日は先週末に読み返した書籍の話をします。

 

今から100年ほど前に書かれた書籍『大衆の反逆』という本についてです。

 

これは、ファシズムが台頭しつつあるヨーロッパではベストセラーになったと言われています。

 

作者はスペインの学者『オルテガ・イ・ガゼット』という方なのですが、内容は、近代化の中で寄る辺なく集まった群衆が『大衆』という形で社会の主役となる時代がくることと、それが及ぼす影響について書いた本です。

 

 

 

 

オルテガは、大衆を『他人と自分が同じであると考えて返って気持ちいい気分になる人々』と定義づけています。

 

ちょっと分かりにくいですよね。

 

この文章をもう少し深めると、『大量にいる人たち』『(自分が意味があると感じられる場所がなく)根無し草になってしまった人たち』『個性を失い何ものでもない群衆化した人たち』ということになります。

 

これは、歴史状況(人口急増・産業革命・教育体制など)を鑑みるとよく理解できます。

 

まさに、約100年前の社会は、オルテガの考える『大衆』が出始めた時期になります。

 

その大衆は民主主義の中で政治の中心にやってきて『デモクラシー』を起こし、そのうちに、彼らの中からリーダーが出てきて政治にどういう影響を及ぼすかという内容がつづられており、時代背景をみながら読むと今の時代にも学ぶ部分がたくさんある名著です。

 

 

 

 

この本、実は数年前に購入して読んだことがあったのですが、その時は回りくどい書き方がよく理解ができなかったのです。

 

その後『100分de名著』というNHKの本を買い読んだ時に理解することができました。

 

・・・で、そのこと自体を忘れていた今、ふとしたきっかけで、このオルテガの『100分de名著』がYouTubeで放送されていうことを知り、週末に拝聴しました。

 

いやぁ、文字で理解することも良いのですが、番組も相当わかりやすく説明されていて、今なら『大衆の熱狂する危険さ』や『大衆が与える影響やポピュリズム』について、30分は説明できそうなくらいに知識を得ることができました。

 

同時に、本棚から『100分de名著』と呼ばれる本を読み返すと同時に、長男にも本とYouTubeを勧め、来週末はこの本について意見交換をする約束をしました。

 

ホント、私の子どもは大変だと思います。

 

 

 

 

私が中でも面白いと感じたのは、『庶民と大衆の違い(生き方)』です。

 

庶民とは、『住んでいる土地が移り変わっても、そこで新たなコミュニティを創り、地に足をつけて自分の役割のようなものを考えながら他者と共生している人たち』のことを指します。

 

対する大衆とは『平均人である』とし、『自らを特別な理由によって評価しようとせず、自分が皆と同じだということに一向に苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じて返っていい気分になる人』としています。

 

そして、『平均人が権力を握った時、平等という名の均一化が図られ、平均人の凡庸な精神が平等の名の下に、秀でた個性を抑圧する』と言っています。

 

平均人であることに心地よさを感じ、『みんなと同じが正しい(正しさを所有していると思っている)』『正しいことはみんなが支持するはずだ』という圧力が生じた時に、個性ある人を排除しようとする怖い社会になるなぁという感じ。

 

これ、今の社会を振り返った時に『ドキッ』とすることはありませんか?

 

 

 

 

自分という軸や、自分を超えた畏敬の念を持たずに、周囲が『これが良い』と言えば、すぐに流されていく大衆。

 

さらにオルテガは『大衆は自らの力を過信し、何でもできると勘違いしてしまう怖さ』を述べています。

 

これは、まさにここ20年以上日本でみられる『構造改革』が起きていることも、解説を読むとよくわかります。

 

物事を何でも単純化し、今の自分達に合わなければ簡単に『壊してしまえ』と熱狂する。

 

それを意図的に行い、大衆をコントロール(洗脳)する人がいたら、社会はおかしなことになるでしょう。

 

そして、それを行ったヒトラーなどを例に挙げていましたが、今の日本においても同様の流れを創ろうとする空気を感じているのは、私だけでしょうか?

 

 

 

 

書き出すと止まらないので、そろそろ終わりにしますが、本書の中で一番学んだことは『保守こそリベラルである』という考え方です。

 

私の知っている保守やリベラルは相反するものであり、右左と多極するものという認識があったのですが、今回、このセリフを聴いて非常に腑に落ちました。

 

リベラルとは『寛容(他者を受け入れる、尊重する)』という意味で、押し付け的な『リベラル』は本当のリベラルではないとバッサリと言ってくれています。

 

多数派が少数派を尊重する寛容さ、それこそがリベラルだとオルテガは言っているのです。

 

保守の『昔ながらの歴史(伝統や文化や礼節やマナーなど)を守りつつ』もリベラルの『寛容さ』を持つことが、社会にとっては大切である。

 

つまり、合意形成を図る時など、強いリーダーが社会を一色に塗りつぶすものではなく、無数の考えを持った人たちと折り合いをつけながら生きることが大切で、だからこそ作法(礼節やマナー)が合意形成には必要だと言っているわけです。

 

そして、彼の言う『合意形成に必要なもの』は、面倒くさいけど、それ以上に大切なことではありながらも、それは『単純化したものが好きな大衆』には受け入れられないかもしれないと感じました。

 

冷静に物事を考え、多様な意見を聴きながら自分自身の意見と擦り合わせて落としどころを見つけていく。

 

人間は複雑な生き物であることを理解し、物事を単純化せず考え続ける。

 

 

 

 

長々と書きましたが、もし興味を持っていただいた方がおられましたら、下記にYouTubeのリンクを貼るので聴いてみてください☆

 

【100分de名著:大衆の反逆(オルテガ著)】

 

24分:大衆の反逆1

 

24分:大衆の反逆2

 

24分:大衆の反逆3

 

24分:大衆の反逆4

 


2021-03-05 19:08:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は、午前中にご近所ミニデイがあり、午後はひたすら資料作りに専念していました。

 

あ、今日のご近所ミニデイは、『話し相手がほしい』とのことで、新しい仲間が西大島からバスに乗って来てくれました。

 

少し遅れたおひな様をしたりと、それはそれは優しい時間を過ごすことができました☆

 

 

 

 

さて、今日は『認識共同体』について書いてみます。

 

きっかけは、『東洋経済オンライン』を呼んでいる時にちょうど『分断による民主主義社会が危うくなる』という記事を読んだことです。

 

この『認識共同体』とは、社会学者のピーター・ハース氏が考えた概念で、『同じ考えを持った集団』という意味です。

 

日々生活する中で、私たちは同じ人たちばかりと過ごしていると、似たような思考になります。

 

もしくは、似たような思考の人が集まって何かに取り組んだりします。

 

これは、物事が円滑に進むうえでは便利・快適なのですが、悩ましいのは『同じ思考の人ばかりと接すると、自分たち以外の意見を理解できなくなってしまう恐れがある』ということなんです。

 

以前『日本の常識は世界の非常識』と言われたこともありますがそんな感じです(雑な説明ですみません)。

 

自分の選んだ環境で快適に過ごすことで、『自分の世界が世間の常識』となってしまうというわけです。

 

 

 

 

・・・とまぁ、認識共同体自体は多かれ少なかれ誰しもある状況だと思うのですが、悩ましいのは、その『自分の常識を絶対視して他の意見を聞き入れることができなくなること』です。

 

そういう人は結構いるし、私自身も意識しないとそうなってしまいます。

 

そうすると、ここ数年SNSなどで顕著なように、ニュースを観ては誹謗中傷をしたり相手を批判したりと、攻撃的になってしまうのですね。

 

攻撃性の少ない人は、『あいつら、本当に社会をわかってね~な~』的な上から目線が発信されます。

 

 

 

 

これ、攻撃性も嫌ですが、もっと怖いのは『話がかみ合わなくなる(話し合いができなくなる)』んですよね。

 

例えば、『貧困対策』について考えた時。

 

資産家の一族に生まれた人は貧困者を想像できないだろうし、苦労してお金持ちの人になった人は貧困者に対して『努力が足りない』と思うだろうし、貧困者は頑張ってもどうにもならないことを嫌っていうほど知っているので『ムリゲー』って思う。

 

このかみ合わなさ、わかってもらえますか?

 

3タイプを挙げましたが、例えば、この3人が同じテーブルでなにかの議論をする時、話がかみ合うことは極めて難しいでしょう。

 

それぞれのタイプの人が政権を握ったとしたら、恐らく政策は全く違うものになるでしょう。

 

こんな感じで、いつも『自分が心地よい空間』にいると、そことは違う世界の人の存在を知っても、その人に対して想像力を働かせることが、とても難しくなってしまうのです。

 

 

 

 

・・・話は戻りますが、東洋経済オンラインでは認識共同体が及ぼす影響について書かれた際に、その罠にはまらない方法として『近所の人と仲良くなる』ということを挙げていたのです。

 

これ、まさに私がいつも主張していることなのです。

 

地域って、金持ちもいれば貧困者もいて中流の人もいる。

 

様々な人が『土地』だけで結ばれている関係なのです。

 

だからこそ、その中でたくさんの人と交流することが、自分の『認識共同体』という思い込みのフレームを外し、同時に、様々な人に対しての想像力を育むのです。

 

そんなことを改めて考え、『あぁ、良い記事を出してくれてありがとう、カズオ・イシグロさん』と思いました(・・・ってか、なぜ『いしぐろかずお』さんじゃないんだろうとも思いました)。

 

社会にはたくさんの人が住んでいて、それぞれ価値観を持っていますが、皆さんは他者の考えをどこまで受け入れることができますか?


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