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2019-08-08 08:44:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、午前中にサイト制作の打ち合わせを行い、午後から実績入力と健康マージャンの場所貸し、夜はN区に出かけてきました。

 

詳細は書けませんが、本当に勉強になりました。

 

そして、いつものごとく終電で帰宅した私です(お付き合いいただいたHさん楽しかったです♪)

 

 

 

 

さて、突然ですが、私の職場の机の上には、子ども達の写真を飾っています。

 

机の上には、電話と卓上引き出しと写真があるという、極めてシンプルな状態ですが、この写真、開業当時のままの状態…つまり、7年くらい前の写真なのです。

 

小学校低学年だった長男は中学生になり、保育園だった長女と次男もランドセルを背負って小学校に通っていますが、写真は小さい時のまま。

 

これは、私自身が『写真を撮る習慣がない』ことに関係しているのかなぁ~、と思っています。

 

 

 

 

 

日ごろから写真を撮られなれている人は、非常に自然体で写ることができますが、撮られ慣れていない人って、カメラを向けられただけで、カチンコチンになってしまいます。

 

で、我が家は、小さいころから私が写真を撮る習慣がないため、全員、カメラを向けたとたんに顔をそむけるのです。

 

・・・なんて、インスタが始まるっている時代にそういうのってどうよ!という感じですが、何度長男・長女に言っても『写真撮らなくてよい』と言われます。

 

そんなわけで、子ども達3人で写っている写真は10年間で3枚くらいしかないという状態で、机の上の写真は貴重なものなのです☆

 

皆さんは、ご家族で撮った写真はたくさんお持ちですか?


2019-08-07 07:33:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は午前中に地域ボランティア団体の取材を行い(本当ににぎやかな団体さんでした!)、お昼から社会福祉協議会を訪問し、その後、午前中に行った団体取材のテープ起こしを行いました。

 

最近はこんな感じで1日が流れています☆

 

 

 

 

さて、数日前に『信念の折り合いのつけ方』という記事を読みました。

 

そこには、『自分の信念と違う相手と折り合いをつけながら仕事や活動を進める方法』について書いてあったのですが、大変納得すると同時に勉強になりました。

 

この記事の中では、『そもそも人は、目の前の物事に対して自分の価値観というフィルターをかけて見ている』としています。

 

そして、それは個々違うものであり、自分と価値観が違うものだからといって『それは違うでしょ!!!』と声を荒げて怒る人はいませんよね。

 

ところが、それが曲げられない自分にとって大切な『主義』や『信念』になると、途端に他者のそれとぶつかってしまいます。

 

で、なんで『価値観』は許容できるのに、『信念』になったとたんに許せなくなるのだろう?という疑問が、私の中で湧いてきたのですが、とても納得のいく答えを書いてくれていました。

 

それは『人の持つ信念とは、その人が仕事(や活動)を頑張るうえでの、もっと言えば生きていく上での、大事な「心のエンジン」でもあるからだ』というわけです。

 

 

 

 

さらに、その信念を他人によって踏みにじられた時は、強い怒りにもなり得ると書かれており、妙に納得してしまいました。

 

確かに、信念は自分にとっての励みにもなるし、かたやそれを侵された時には痛みにもなる。

 

うまいこと表現するなぁ~、と感心しました。

 

と同時に、これはもしかしたら、自分の信念を理解する一つの手段になるのではないかと考えてしまった私です。

 

 

 

 

例えば、他人とコミュニケーションをとっている時、『あ、なんか違うな』程度は自分と相手の価値観の違いであるので、この『違う』部分をメモしておく(逆も然り、です)。

 

■私はいただきますを言わないで食事をする人が苦手。とか

 

また、他人とのコミュニケーションをとっている時や、他人の言動を見ていて『怒り』を覚えた時、『あ、これは自分の信念に通じる部分かもしれない』ということを理解して、これまたメモに書いておく。

 

こんな感じで、自分の快不快をメモに書き出せば、自分がどんな価値観を持っていて何を大切にしているかが見えてきます。

 

そんな感じで、メモにある程度書き溜めることができたら、それが自分の『取り扱い説明書』になるのかなあ~、と思いました。

 

 

 

 

で、ですね、気づくと早速試してみたくなって、ここ数日、やってみたわけです、私☆

 

そうしたら、何だか『自分の思っている自分』と『本当の自分』って違うもんだなぁ~ということを実感し、ちょっとだけ凹みまして。

 

えぇ、自分の思っている自分より、本当の自分の方が『はるかに』許容量の小さい人間でした(一番腹を立てていたのが、私の名前を書いていたお菓子を子どもが勝手に食べたことでした!)。

 

…なんてことをしながら数日過ごしていたのですが、凹んだものの、新たなダメ自分を発見し、それはそれで『人間らしくて良いんじゃない?』開き直っている次第でありまして。

 

もし、お時間のある方がおられましたら、数日間でもよいので、ペンとメモ帳をポッケに忍ばせ、こっそり『本当の自分メモ』をつけてみてください。

 

以外に小さいことに心惑わされていて、笑えるかもしれません☆


2019-08-06 07:27:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は一日中テープ起こしをしていました。

 

2時間の録音に10時間はかかってしまうという非効率さをどうにかしたいと思いつつ、音声アプリを使用しようかどうしようか悩んでいます。

 

そして、それだけたくさんの尽きない話題を引き出してくれる取材班の方と、ご協力いただいている活動団体の方々への感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

今後もたくさんの取材が控えているからこそ、どういう進め方をすればよいのかを試行錯誤していきたいと思います。

 

 

 

 

さて、今日は地域活動を行う方々のマインドで、私自身が学んだことについて書かせていただきます。

 

その前に…ですが、私の肌感覚として、最近の地域ボランティア・地域活動の大半は、『合意形成型』で事業を進めていくところが大半です。

 

昔ながらの町会等はトップダウンでリーダーが主導しながら各自が役割を分担され、その役割を遂行する形が主体でしたが、現在の活動団体・ボランティアは、リーダーもそれ以外も比較的フラットな関係で、参加者の様々な意見を議論しながら、取り組み内容を検討・進めていく傾向が強いように感じています。

 

また、一人の人が複数の活動に参加していて、それぞれが点の存在でありつつも、気分転換(?)をしながら活動をされている傾向が強い気がしています。

 

この2つについて、先週末取材をさせていただいた団体の代表者…長年(30年以上)民生委員から保護司・町内会会長等、がっつり行政の事業の中の活動さんを経て、今は地域密着の取り組みを経験している方とお話をする中で、見えてきたものがあるので、今日はそのことについて書かせていただきます。

 

 

 

 

の方に昔と今の活動の違いを挙げていただくと、今は活動メンバーは、『特別ルールやマニュアル・規則を設けないで、自分の特技を活かして活動した方が、個々の良さが活きる』と話しておられました。

 

例えば、男性の方だと、手先の器用さを活かして、子どものおもちゃ作りをされたり、庭の手入れをしてくれたり、雨漏りを直してくれたりと、活動以外の部分でも役に立ってくれているようで。

 

昔は役割の責任が重く、規則もしっかりとあった中で自分の役割を遂行するという形だったのが、今は自由に自分にできることを楽しみながら取り組む形になっている、と話していました。

 

つまり、役割に自分が該当する形から、個々が得意にしていることを担う形に変化している、というわけです。

 

地域の様々な活動団体に場所貸しをしながら、自らも各自の運営がうまくいくようにできる部分は協力しているという、この代表者の方は、毎月運営会議を開催しながら、『前向きな気持ちのある人を、みんな(運営委員)で応援するスタンス』を取っていると話してました。

 

また、彼自身の人脈を活かして、運営委員には、地域の民生委員さんや町内会の活動メンバーなどが参加をしています。

 

最近、イベント型のボランティアが流行っている中で、こういう地域密着の活動というものは、ある意味珍しいかもしれません。

 

 

 

 

よく、『地域ぐるみ』というと、昔ながらの地縁のイメージが強く拒否感を持たれる方もおられるかもしれませんが、この団体はフラット型の組織なため、和気あいあいと地域で3世代活動が行われています。

 

私の主観では、町会等の組織型とも違う、好きな人同士で集まった組織とも違う、何というか、この居場所を通じて『地域で生活する』ということを、良い意味で実感でき、地域で自分の居場所を確認できる形が取れるようにみえました。

 

そして、どうしてそれができるかというと、昔からあるご両親の住んでいた日本家屋を開放し(昔なじみの場所)、中の運営は時代に合った形で進めているからではないかと思いました。

 

 

 

 

で、インタビューの中で特に印象的だったのが、こんな言葉です。

 

あ、この方は今年80歳になられますので、時代を踏まえてお読みいただけるとありがたいです。

 

『今、社会でも学校でもボランティア、ボランティアって言っている割にはね、本当のボランティア、本質のボランティアというものを教えていないんですよ。我々子どもの時にはね、「(戦後)これからは民主主義ですよ」という言葉を教わったんです。『民主主義って何ですか?』って聞いたら、先生が「もうやりたいことは自由でいいですよ」と言うんだけど、それがわからないんですよ。何やっていいかわからない。で、ただ民主主義民主主義という言葉だけで動いちゃう。頭でっかちの民主主義で動いちゃう。本当の意味の民主主義がわからないまま、言葉だけの民主主義で動いていたんです。』

 

 

 

 

この言葉、私はとても共感できるのです。

 

今は、社会保障費を削減だとか健康延伸だとかの手段として、やたらと『地域活動』『ボランティア』などが取り上げられています。

 

が、それは活動の本質ではなく、本質的な部分は、『地域活動やボランティアなど、ギブ&テイクではない恩送り(自分の与えた恩を他の人に回す)をすることで、自分自身の満足感や成長を実感できる』ことであり、だから『お手伝いをさせていただく』の気持ちになるんですよね。

 

この部分がわかっていない人がボランティアや地域活動を行った場合、ギブ(与える)に対してテイク(見返り)を求めるから、恐らくバランスを崩してしまうと思います。

 

そして、こういう本質の部分は、言葉でいくら説明しても納得しにくく、実際に取り組みをしている活動団体の中に入って行動することで、初めて体得することができると、私は感じています。

 

 

 

 

私がよく行政に『地域の活動団体を上手に使ってほしい』というのはこの部分で、地域の住民が活動を通じて本質を理解できるように、上手に導いてほしいということで、決してボランティア講座を開けばよいというものではないのです。

 

いかに上手に地域の活動に住民を誘導できるか、そして、地域の活動団体・ボランティア(互助)が活躍しやすい土壌を創れるか、そしてそして、彼らの力をエンパワメントしつつ、活動と並行してより深い福祉やボランティアの講座を開催し、らせん状に地域力を上げていけるかが、行政や社会福祉協議会に求められている役割だと感じています。

 

そのための仕掛けやサポートを上手にしていただきたいと切に願うし、地域住民の優しさを上手に地域力に活かしていただきたいと思います。


2019-08-05 07:41:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は1日ゴロゴロとし、子ども達に『つまんなーい』と言われながら過ごしました。

 

子ども達は夏休みに突入しましたが、大人はそうもいきません。

 

『人生は自分で切り開くもの。つまんないと思うなら、自分で楽しくする方法を考えて実行したら?』と言い放ち、レンタルした漫画を読み漁っていた私でした☆

 

 

 

 

さて、今日は、地域活動について書かせていただきます。

 

現在、昨年度に『地域限定助け合い冊子制作』にご協力をいただいた団体様宛に、取材のお願いをしています。

 

これは、紙媒体の時は十分に聞き出すことのできなかった『活動を始めたきっかけや、活動に対する想い』を語っていただくことで、地域活動を行っている方々のマインドを、区民の方々に知っていただこうという狙いです。

 

以前から書かせていただいていますが、家族・企業・地縁と様々な縁が薄れている今、新たな縁をどのように持つかが、世界全体(特に先進国)の課題となっていると思います。

 

日本は、昨年から企業の縁が変わってきており、家族の在り方も(都内限定かもしれませんが)単独世帯が増えている今、変わってきています。

 

地縁については、町内会をはじめ、自治会の加入率も減少しています。

 

一方で、社会は個人の集団で成り立っているわけで。

 

そこには、様々な価値観を持って様々な生活背景を持った人たちが集っています。

 

 

 

 

 

昔の地縁は、相互監視の機能が強く、自由というものがありませんでした。

 

それでも地縁が生きていたのは、『相互協力をしなければ生きていけなかった』からです。

 

それが、戦後地縁の役割を行政が担ってくれたことで、国民は自由を獲得し、同時に個人の困りごとは行政が対応してくれることになりました。

 

が、それも長引く不況や人口減少の影響か、限界に来ています。

 

そのうえ、地縁や行政の代わりに縁を担保していてくれた企業も、『終身雇用は無理宣言』をしたことで、これからは企業に依存することはできません。

 

そこで、次に来る縁は何なんだろうか?というのが、私の疑問だったのですが、『新たな形の地縁』がベストではないかな、という結論に達したわけです。

 

 

 

 

地域には、実に様々な活動・ボランティアがあります。

 

こういう『利害関係を抜きにしたお互いさま活動』というものは、実は今の損得勘定の中で生きている私たちにとっては、一番の頼りになる縁になると感じています。

 

様々な活動の中から、自分に合った活動を『選択』し、そこで活躍することにより『誰かの役に立つ』。

 

どの組織も、自分がその組織で『共同作業』を行うことで、組織力は強まるといわれています。

 

だからこそ、自分が無理なく活動できる場で『行動』することで、地域でストレスなく居場所を設けることができるわけで。

 

そして、その行動が誰かの役に立った時、初めて人は『自分はここにいることに意義がある』と感じられると思うのですよね。

 

 

 

 

昔のように、そこに住んだだけで強制的に入らざるを得ない地縁ではない、新たな地縁が『お互いさま』をベースとして成り立つ地域活動にあると、私は感じています。

 

そして、そのお互い様精神が育まれることで住みやすい地域が創られると思うし、そういう地域が広がることで優しい社会になると感じています。

 

それを、関わらせていただいている当区で実践し、一つの結果を出したいと考えて、サイト構築に取り組んでいます。

 

そんなわけで、明日は地域の活動団体のマインドについて、覚えていたら書かせていただきたいと思います☆


2019-08-04 08:37:00

訪問をありがとございます。

 

昨夜はいつもより早めに帰宅したのですが、子ども達は友達と花火祭りに行って不在。

 

夫は、仕事で不在。

 

そんなわけで、一人でビデオ屋さんに行き、大量に漫画を借りてきた私です(少年漫画)。

 

 

 

 

さて、一先日、介護職員8万人ので形成されている『日本介護クラフトユニオン』が職業意識実態調査を公表し、その中で、介護職員の72.2%の職員が『働く上での不安がある』と答えたというニュースが流れました。

 

具体的には、『自分の将来のことが不安(51.6%)』『利用者に適切なサービスができているかが不安(35.3%)』『仕事中の事故が怖い(19.5%)』だそうです。

 

また、同時に、80%の職員が『働く上での不満がある』と答えていたと言うことで、その内訳は、『賃金が安い(53.7%)』『仕事量が多い(39.0%)』『連休が取りにくい(26.2%)』となっているそうです。

 

で、ですね、この公表内容の基となるソースを調べたのですが、どこにも掲載されていないため、今回はアップすることができませんでした。

 

 

 

 

個人的には、7月26日に開催された資料が、介護業界の現状を把握する参考になっています。

 

【介護人材の確保・介護現場の革新(参考資料)】 

https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/000531297.pdf

 

何事も、ソース元を調べることは大切ですが、ユニオンの公表した『不安』については、特に介護業界に限った話ではなく、現時点で生産年齢世代全体が感じていることだと思っています。

 

もとい、全業界の中で観たら、介護業界は比較的不安が少ないのではないかとすら感じているというか。

 

同時に、不安が『利用者本位が叶っているか』という意見が2位になっていたのは、専門職仲間としてとても嬉しいと感じました。

 

 

 

 

報酬に関しては、正直、社会全体のバランス(社会保障費や高齢者人口等)と現時点での報酬のバランスを考えた時、今の報酬は妥当だとも感じており、これを上げるには、国民が納得するだけの『自分たちの専門性の発揮』が必要になると感じています。

 

そして、それをどのように打ち出すのかを、静観していきたいと思います。

 

・・・というのも、こういう情報を受けて、一見、正義のヒーローを装った『介護職の給与上げろ主張』は出てくると思います(職員の不満につけ込んで、心地よい主張をしながら共感を増やそうとする人々)。

 

で、その時に気をつけていただきたいのは、『そういう主張は、果たして、本当に今の社会で妥当な主張なのか?』ということです。

 

また、報酬向上を要求すると言うことは、それ相応の『社会に与える価値提供の提案』もセットにしないと、上手く行くことは難しいと感じています。

 

同業者の不満のはけ口になるだけの主張とならないよう、そのあたりは戦略的に進めて欲しいと思います。

 

 

 

 

ちなみに、個人的に苦手としている主張の仕方は、『私たちはこれだけ頑張っていて大変な想いをしているのだから、報酬を上げるべきだ』というものです。

 

これ、感情的にわからんではありませんが、こういう感情のみの主張は通らないと断言します。

 

同時に、こういう主張しかできない人がいたら、その人は『自分のポジション取りのためのパフォーマンス』だと私は認識しています(こんな主張をされたら、むしろ他業界から馬鹿にされると思っています)。

 

なぜなら、報酬というのもは『価値』に対しての対価であり、自分たちの『価値』を掲示せずに一方的に『報酬向上』だけを主張するのは、美しくないし説得力もないと思うからです。

 

まぁ、現状、こういう主張をする方や団体は多いので静観していますが、内心悩ましさを感じています。

 

 

 

 

なぁんて考えながら、今回のニュースがどのくらい次期改定に反映されるのか、ユニオンの井上さんの社会保障審議会での発言が、どの程度影響力を与えたのかを観察していきたいと思います☆

 

井上さんの主張はとても上手にデータを活用していて、『介護職員の人材確保は満喫の課題である』とした上で、『介護職員は現状に不満を持っている』という現状伝達にデータを上手に活用し、『だから介護職員の報酬を上げる必要がある』と、美しくまとめています。

 

ケアマネジャーは残念ながら需要と供給のバランスが取れているためこの手法は使えませんが、自分たちの『価値』を的確に表現できる主張が出るかどうか、楽しみにしています(個人的には現状の支援データを取って分析したら、すぐに価値の可視化はできると感じています)。

 

あ・・・今日は、オチが何もなかった!!!


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