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2019-06-16 23:57:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は前置きなしで、深川長屋の岩撫さんからの取材を掲載させていただきます。

 

10月にオープンするサイトは、助け合いの輪を拡げるためのサイトです。

 

そのため、現在既に地域活動やボランティアを行っている団体さんに取材をさせていただき、それを掲載することで、共感した地域の方に参加しやすい形をつくろうと目論んでいます☆

 

 

 

 

聴手:岩撫さんがボランティアをするきっかけとなった、江東区の“シニア世代の地域デビュー講座”に行こうとした時の気持ち、いわゆる収入を得る仕事ではなくボランティアしようにとした時の気持ちを教えてください。

 

岩撫:今まで地域とは無縁の生活をしていたのですが、60歳になってこれからの人生を考えた時、地域と関わることの大切さを感じていたので申し込みました。お金とかではなく地域で自分は何ができるのかを知りたくて、気軽な気持ちで受講したんですよね。

 

聴手:そうすると、最初から『ボランティアをしよう!』というような決意があって行ったわけではない、と。

 

岩撫:あ、それは全くないですね。私、ボランティア精神というのはあまりなかったですし、今もそれは変わらないです(笑)ただ、『何かしたい』という思いはあったんですよね。

 

聴手:いま、『何かしたい』という気持ちを持っている人は多いでしょうかね?

 

岩撫:講座は何かしたいと思っている人が来ると思うのですが、それ以外でアンケートを見ていても、『何かしたい』と思っている人は多いと思います。実はボランティアに興味のある人っていっぱいいると思っています。いっぱいいるんだけど、誰もやっていないんです。

 

聴手:どうしてだと思います?

 

岩撫:僕自身もそうだったのですが、一つはやりたいボランティアがなかったんですよね。単純に。

 

聴手:それは、“自分自身の中にやりたい明確なボランティアがなかった”のか、“自分の中でやりたいボランティアは決まっていたが、該当するボランティア組織がなかった”のか、どちらでしょう?

 

岩撫:“これがやりたい”という明確なものはないです。僕はなかったし多分みんなもそう。後、当時募集されていたボランティアの多くって、ベッドメイキングとかそんなのが大半だったんですよね。だから『これは楽しくなさそうだ』と思ってやらなかった。

 

聴手:なるほど。

 

岩撫:ボランティアとかって、基本はやっている自分が楽しめるものがベストだと思うんです。だけど、そういうものに該当するものがなかった。ボランティアはやりたいよ。でも、なんか自分が楽しめそうな、やってもいいなと思えるボランティアが少ないんだと思います。

 

聴手:深川長屋さんは、だからこそ明確に何かというものをつくらずに、その都度できる範囲で、誰かのやりたいことを応援している感じなんですね?そういう意味ではボランティアの初心者でも参加しやすいですか?

 

岩撫:初心者大歓迎ですが、その人の為に何かをお膳立てすることはないです。一緒に活動に参加しながら自分のやりたいことを見つけてほしいと思っています。

 

聴手:現在10名の会員さんは最初からのメンバーですか?会員の入れ替わりというのはあるのでしょうか?

 

岩撫:新規で入っている方もいます。今の会計の方は自ら名乗り出てくれた方です。また、長屋カフェでは当日お手伝いをしてくれる方が3名います。活動を知ってから入ってくれるのが、一番嬉しいですね。

 

聴手:今、『何かしたいけど何をしよう?』と思っている方は、何から始めたら良いと思いますか?

 

岩撫:講座から始めるのは有効だと思います。講座ってハードルが低いので、もっといろいろな講座を開けばいいのにって思っています。講座に来る人たちって何かをやりたくて来ているだろうから。漠然と何かをしたいと思っている人が多いだろうから、その共通ベースのある中で仲間をつくって、何かを始めてみるのはいいと思います。

 

聴手:次に深川長屋さんの活動内容についてご説明願いますか。

 

岩撫:現在の核として『下町先生教室』と呼んでいるのがあります。これは、ちょっとした先生になるくらいの知識とか技術とかがある方に先生になってもらって、地域に教室を開いています。先生は自分の技能が役立って嬉しいし、教室に来た人も色々な事を知ることができて嬉しい。こういう場所を地域で増やしたいというのが『下町先生教室』です。具体的には、折り紙教室と絵手紙教室と男の料理教室を行っていて、それぞれ3年以上経っているので、来られる方は78割常連さんですが10人くらいで行っています。

 

   認知症カフェは、会員の中で認知症のお母さんがいる方がいて、その方が発起人となり始めたのですが、これも3年以上になります。気楽に来られる場所を考えて、江東区文化センターで行っています。今では30名以上の方が参加して、参加者同士で会話する場になっています。また、認知症の方も5名程度来てくれ、周囲の協力も受けながら積極的に会話を楽しんでくれています。10分以上は会話をされています。

 

   こちらもリピーターが多いので、主体的に通っていただくというのは良いことだと感じています。

 

聴手:参加費はいくらなんですか?

 

岩撫:絵手紙・折紙は1500円で、男の料理教室は11,000円です。これは、会場費・材料費・講師謝礼としていただいています。だから手ぶらで来ていただけるんです。認知症カフェは区からの助成金を受けているので、お茶菓子代の実費200円です。

 

聴手:一昨年度は認知症カフェマガジンも発行していましたよね。

 

岩撫:これは助成金を活用して年4回機関誌を出していました。昨年度は一度休止していたのですが、せっかく作ったメディアルートを終わらせてしまうのはもったいないと思い、今年度はまた助成金を取れたので、つくります。

 

聴手:先ほどの『下町先生教室』で、実際に先生になられた方に起きた変化とか改善はありますか?

 

岩撫;絵手紙の先生が教室の途中で癌になったのですが、それでもギリギリまで続けてくれ、後日、娘さんの方から『教室をとても楽しみにしていた』という話を受けました。その時に、先生をしてもらうことがその人の生きる喜びになっていたことは実感しています。他の方々を見ていても、先生をやることって楽しんじゃないかな、と思うんです。あと、絵手紙とか折り紙って、よくある講座ですが、僕はもっと普段あんまりないような…『お城の教室』とかそういうのがあっても良いと思っています。

 

聴手:その人その人が持っている長所を皆で分かち合えたら良いという感じなんですね。

 

岩撫:そうそう。散歩の達人でも良いと思います。先生が『この地域は隅々知ってますよ』と案内してくれる、みたいな。

 

聴手:じゃあ、深川長屋さんは、『何かしたい』と思っている人にとって、ボランティアの一歩としては門戸が広いですか?

 

岩撫:基本的にはボランティアって楽しくないといけないと思うんです。その楽しみを、来てくれた人と一緒に見つけていきたいという気持ちは常にあります。特別『〇〇を用意しています』ということはないけどね。

 

   例えば、誰かが何か教室を開きたいと言った時などは、その人を中心に教室が開けるよう応援したいと思います。

 

聴手:深川長屋さんがお膳立てするのではなく、深川長屋さんの場を使って誰かが何かをできるということですね。

 

岩撫:そうそう。やっぱり何かやるにあたっては一人ではできないわけだから、それを手伝ってくれる人が何人かいて、そこで何かが達成していけばそれが一番素晴らしい、ボランティアの理想形かな、と持っているんですけどね。やりたいことをやって、それが皆さんの役に立てば良いと思っています。


2019-06-15 07:29:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日はとても楽しい一日でした。

 

9時半から13時過ぎまでサービスBがあり、その後13時半から17時半過ぎまで地域の活動団体2か所に取材を行い(初体験!とても楽しかったので、この話は明日書きます)、19時からケアマネ仲間で会合という名の飲み会をしました。

 

一昨日も地域活動・ボランティア取材に向けて、社会福祉協議会のボランティア連絡会(団体が主体的に取り組んでいる連絡会)の会長さんとお話するという、とても楽しい時間をいただいた後、助け合い活動連絡会で主体的な地位住民の方々と交流の場を持つことができました。

 

こんな感じで、地域活動は行えば行うほど心が豊かになっていくと思い、そんな環境にいる自分を幸せだなぁ~、と思います。

 

皆さま、いつもありがとうございます☆

 

 

 

 

さて、今日は先日出席した職能団体最後の理事会で、尊敬しているWさんとの話から考えたことを書かせていただきます。

 

当区で7月1日に主任ケアマネジャーの会を設立することは以前から書かせていただいていますが、その総会の際にグループワークをしようと考えています。

 

で、どんな内容が良いかを皆でウンウン考えていたのですが、前向きで主体的な意見交換をしようという話になりました。

 

で、事務局の私はその為の資料をつくったのですが、その話をWさんにさせていただいたのです。

 

 

 

 

今の主任ケアマネジャーって、実にたくさんの役割を担っていますが、その一つ一つについて明確に理解している人って少ないと感じています。

 

『ケアマネジャーの指導育成と適正な事業運営とネットワーク作りでしょ』ということはご理解いただいていると思うのですが、実際に計画的にこれを取り組むとなると、どこから手をつけていいのやら分からずうまく動きが取れないというか。

 

決してやる気がないわけではなく、『どう動いてよいかわからない結果』うまく活躍できないということが、主任ケアマネの機能の部分に於いては課題の一つだと感じています。

 

だったら、国の求めているガイドラインを示して、その上で『現場にいる自分達がやりたいこと』と『自分達が(能力的に)できること』と『(国や社会が)求めていること』の3つの重なる部分を出すことができたら、主任ケアマネの今後の具体的な方向性と、それに伴う計画が立てられると思ったのです。

 

 

 

 

それをWさんにお伝えし、『アドバイスが欲しいです』とお願いしたところ、自分の中でくすぶっていた部分を見事に突かれました。

 

『加藤さん。これ(国)のガイドラインを初めから示してしまうと、介護保険ありきの考えしか浮かばなくなる恐れがあるよ。介護支援専門員ならそれで良いけど、ケアマネジャーであるならば、介護保険に関わりつつそれ以外の資源や制度も活用する視点が必要で、そういう意味では、介護保険の主任介護支援専門員ガイドラインを示すことは、逆に視野を狭める可能性があるということに注意が必要だよね』

 

全くもってその通りなのです。

 

そして、そこが私のジレンマの部分であったことに、言われてから気づきました。

 

このサイトを読まれている方々はご存知かと思いますが、私自身は自由人なため制度という枠に縛られることなく、たくさんの情報から先々を予測し、必要になるであろう取り組みを行っています。

 

ただ、じゃあこれを『社会に求めらるから』ということで、主任ケアマネジャーが行う『べき』なのかということについては、とてもとても難しいと感じているのです。

 

介護保険制度の介護支援専門員の役割って、本当に細かくて調整を始め大変なのです。

 

それを真摯に取り組んでいること自体、十分だと思うのですが、更にその上をいくことを出すことが妥当なのか?

 

と同時に、『そもそも、現場のケアマネジャーは、介護保険という枠を外した時に何をしたいんだろう?』という発想に戻りました。

 

 

 

 

これはよい着眼点だと自分で自分を褒めています。

 

なぜなら、先の3つが必要と言いながら私自身は『できること』と『求められていること』にしかフォーカスしていないことに気づいたからです。

 

来週から、改めてできる限りのケアマネさんに『何がしたい?』『どういう役割を担いたい?』とヒアリングをしてみようと思った私でした。

 

そして、そこからグループワークの内容詳細を考え直してみようと目論んでいる私です。

 

・・・という話を今朝、寝っ転がってマンガを読みながら夫にしたところ、突然ペラペラと話し出した私にビビった夫は、

 

『 陽 子 ち ゃ ん 、 マ ン ガ 読 ん で い る ん だ よ ね ? ? ? 』

 

と驚いていました。

 

あぁ、私の脳みそは何でこんなに考えてばかりいるのでしょう・・・。


2019-06-14 07:26:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は長々と書きすぎたと反省したため、今日は短く☆

 

 

 

 

何かに取り組んだ時、私は結構な割合で“権力”というものを意識しています。

 

権力の何を意識するかというと、権力というものが活動に付与されるのであれば、その活性化や具現化につながり良いのですが、個人に付与された場合、結構な割合で“さまざまな意図を持った人たち”が集ってくるわけで、それが本来の理念とか目標を狂わせてしまう場合が多々あることを感じているからです。

 

そんな考えがあるので、私は自分自身の写真等は極力掲載していません。

 

先日、『何で加藤は活動に写真を掲載しないの?』と聞かれたためここに敢えて書いたのですが、私が取り組みたいのは「地域活動の推進」であり、「活動に取り組んでいる私」ではないのです(もとい、私の写真なんて私自身が一番興味ない)。

 

 

 

 

だからといって写真を掲載している方々を批判しているわけではありません。

 

写真を拝見することで、「あぁ、懐かしいなぁ」とか「あ、〇〇さん頑張っているんだぁ」と嬉しい気持ちをもらえますから。

 

ただ、私自身は『私自身より取り組みを知ってほしい』と思うから掲載しないだけです。

 

・・・という話を長男にしたら、『いや、顔の丸いおばさんだから、載せないんじゃなくて載せられないんでしょ』と言い返されてしまいました。

 

『えぇ、顔の丸いおばさんであることは否定しないけど、決して決して載せられないわけじゃないから!!!』と、どうでも良いところでケンカをしている私。

 

すると次男(小3)が突然、『あ!わかった!!!お母さんの顔は、タヌキみたいだから出せないんだよね?』と更なる追い打ちを・・・。

 

まだまだ人生の修行は続くなぁ~☆


2019-06-13 07:25:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、職能団体に来たお仕事のお手伝いをしてきました。

 

この任務も、後2週間ちょっとですが、貢献できることはお手伝いさせていただきたいと思います。

 

 

 

 

さて、昨日は午前中に地域活動の仕事をしていたのですが、改めて地域活動というものを見直した時、イベント型と日常的支援と2つに分かれることを感じました。

 

これは、数年間、様々な活動団体やボランティアを観察していて分かったことです。

 

で、どちらが良い悪いという二項対立の話ではなく、『日常的な活動、時々イベントの開催』が、一番本質的で効果的な取組だと考えている私です。

 

日常的な活動は地域全体の生活を支えていると思うし、イベントというのは活動を知らない方々に知ってもらう機会なので、バランスを考えると、『普段は地道な活動、だけど年に数回はイベントに参加して布教活動を行う』というのが、一番美しいというか。

 

こんなことを書いていると、『堅い御託は良いよ。それよりも行動することが大切』という方もおられるかもしれませんが、私はどんな取り組みもやみくもに行えば良いとは思っておらず、むしろ大切な取組こそ、最大効果をデザインして取り組むことが重要だと考えているのです。

 

 

 

 

地域活動って、本当に地道な取組で効果が出るまで長い期間を要するのです。

 

どの団体も当たり前ですが、人で成り立っています。

 

で、これも当たり前なのですが、人が集まるとその取り組みは活性化し、団体が活性化するとさらに人が集まります。

 

どんなに良い取り組みをしていても、この原理を理解していないと活動は縮小していってしまうのです。

 

私はこれは非常にもったいないと感じており、だからこそ地域のため、誰かのために頑張っている人を取り上げることによって、その活動を応援したいと考えています。

 

そして、1人でも多くの方に、活動を通じて支援者自身が豊かになっているということを知ってもらいたいという願いがあります。

 

それが冊子という紙媒体の取り組みであったし、今取り組んでいるサイトの構築につながります。

 

 

 

 

私は日本でしか生活をしたことがないので他国は分かりませんが、この国は拝金主義が年々高まっていると感じており、そのことに強い危機感を持っています。

 

お金って、なにかを成すための手段の1つでしかないのに、お金がないと生きていけないという部分だけがフォーカスされてしまい、皆が不安に陥っている気がするというか・・・。

 

この概念は本当に危険で、これに捉われている限り、本当の幸福感を得ることはできないと感じているのです。

 

お金のために生きているわけではなくて、幸せになるために生きていることを忘れてしまうと、本末転倒だと思うわけです(だからと言ってお金を否定するわけではありません。お金は生きていく上で必要ですが、お金で過剰に不安を抱くことはやめましょうと言いたいのです)。

 

 

 

 

私は50歳までに行きたい国の1つにフィジーがあります。

 

なぜフィジーに生きたいかというと、この国の人は国民の主観的な幸福度が高いらしいのです(国民の94%が幸福を感じているのです)。

 

そんな彼らが大切にしているものは、『人』なんですね。

 

血縁はもちろん、地縁、宗教関係者etc、沢山の人との関係を大切にしており、この国ではある意味「孤独になりたくても慣れない環境」というものがあるようです。

 

また、その『人』を通じて相互扶助関係が育まれていると言われています。

 

経済的に豊かな国とは言えないけれど、だからこそ、『誰かを助けたり、誰かに助けられたり』という関係が、自然に成り立っています。

 

事実かどうかは訪問した際に確認したいのですが、この国では自立を『誰にも依存しないこと』ではなく『なるべく多くの依存先を担保すること』としており、『自己責任』ではなく『お互いさま』を学び、『競争』よりも『共生』を重んじるとされています。

 

これ、とても大きな安心感を生むと思うのですよね。

 

 

 

 

今の日本は政治家を始め、やれGDPを上げることが大切とか世界と比べて日本は何位ということに拘っていますが、私は競争社会がある一方で、フィジーのような緩やかな生き方も受容できる社会を日本に築くことができたら、と思っています。

 

自分を大切に思い、同じくらい他人のことも大切にできる地域の実現☆

 

その第一歩が『助け合い』であり、それは人情のまち江東で実現できると確信しています。

 

そして、それを実現するためには、今地域活動に励んでおられる方々を知ってもらうことから始めたいと思っています。

 

・・・で、50歳までにお金を貯めて、写真ではなく本物のフィジーに行きたいと目論む私でした☆


2019-06-12 07:18:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は、職能団体全体会がありました。

 

総会まで後2週間ちょっと。

 

研究会では委員会報告をしなければならないので、練習しなくちゃ(汗)。

 

 

 

 

さて、今日は主任ケアマネについて書かせていただきます。

 

主任ケアマネジャーとは、5年以上のケアマネジャー経験を積んだ人が、ケアマネジャーのボトムアップや地域づくりという『個別支援を超えた役割』を担うために創設された資格です。

 

再来年度から、各事業所の管理者を主任ケアマネが担うとなったためか、今はどこの都道府県でも主任ケアマネが量産されています。

 

その中には、進んで資格を取る方も、会社からの指示で資格を取る方もおられるでしょう。

 

私は主任ケアマネの更新をする予定はないので、主任ケアマネの任期が切れる前に当区ケアマネ全体のボトムアップできる環境づくりをしようと励んでいます。

 

それに伴い、先週から改めて主任ケアマネ研修のガイドラインを熟読し直しているのですが、まぁまぁ、いつ読んでも主任ケアマネさんは大変だなぁと思います。

 

 

 

 

現に担当しているご利用者の支援の他、ケアマネへの個別支援、事業所内人材育成の実施・支援、地域におけるネットワークづくり・社会資源の創出と、サラッと書いてしまいましたが、どれも高いスキルを要します。

 

で、厚労省からは、「様々な知識・技術力を総合的に身につけ、利用者や家族から信頼される人材に成長してね」と期待をされています。

 

また、最近では産業医ならぬ産業ケアマネなるものを流行らせようとしている風潮もあるし、本当に求められている役割と責任は大きくなるばかりだなぁ〜、と感じています。

 

 

 

 

なんと言ったら良いかわかりませんが、国や自治体に、もし一言言うことができるなら、

 

「報酬が定額だからって、何でもかんでも押し付けるなーーー!」

 

と言いたいですねー。

 

そして、こんな大変な負荷を担っているからこそ、主任ケアマネは個々が過度に頑張るのではなく、団体として大きな力を持って地域に関わっていくことが、役割を遂行するために必要だと私は感じています。

 

 

 

恐らく、参議院選が終わったら社会保障関連は大きなメスが入るので、第8期に向けて本格的に白熱した議論が始まるでしょうが、どうか、全体最適の視点で議論をしていただきたいものです。

 

そして、私たち主任ケアマネジャーは『こんな役割を担うのは無理!』と諦めずに、どうしたら期待された役割を遂行できるのかを考え取り組んでいきたいなぁ~、と思います。


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