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訪問をありがとうございます。
先日、区内に大学創設の実現に向けて行動している方から、『地域活動と健康に関するデータが欲しい』と話を受け、外国のデータも含めて送付したところ、『早急にこれらをまとめたものが欲しいから、1~2枚程度の用紙にまとめてくれないか』という依頼を受けました。
また、現在作成しなければならない書類(ケアマネ業務以外の)が4つあり、いい加減本日中にカタをつけたいと思います。
というわけで、これを書き上げたら早速取り組みたいと思います☆
さて、今日はタイトルに書かせていただきましたが、『情報は面で捉え意図を考える』について書かせていただきます。
突然ですが、私はケアマネジャーの考えていることや感じていることを知りたくて、ケアマネジャー専用サイトに登録しています。
このサイトで得ているものは、『ニュースや記事が上がった時のケアマネジャーの反応』です。
で、ですね、そこで良く感じるのですが、『ちょっと記事の内容に踊らされ過ぎていないか?』ということです。
これはケアマネサイトだけではないと思うのですが、記事の表面だけを読み取って感情で反応するというのは、結構危険だと私は考えています。
例えば、11月2日に『ケアマネの受験者数が昨年度の6割減』というニュースが出ました。
内容としては、こんな感じです。
厚生労働省のまとめによると、今年度の介護支援専門員の実務研修受講試験を受けた人は全国で4万9312人。13万1560人だった昨年度の37.5%にとどまっている。一気に6割強も少なくなった。
今年度から受験資格の厳格化が実施され、現場で経験を重ねたヘルパーなどが対象外となった影響が大きい。かなり忙しい割に収入はさほど増えない、といった認識が広まった可能性もある。
厚労省の担当者は、「直ちに地域の介護サービスに深刻な影響が及ぶとは考えていない。今後の動向を慎重に見極めていきたい」としている。
ケアマネ試験の受験者は過去10年、概ね13万人台から14万人台で推移してきた。2016年度は12万5000人まで下がったが、10万人を下回ることはなかった。全21回の最少記録は17年前、2001年度の9万2735人。今回はその約半分となった。
(以下、理由についての分析が続く)
閲覧数は6,000弱、コメント数は100弱ですが、びっくりしたのが、大半のコメントが『ケアマネなんて割に合わない仕事だから当たり前だよ』みたいな内容だったのです。
タイトルを見て文章をサラッと読んでいるのかもしれませんが、『あ・・・ここのコメントはそうなんだ』と思いました。
普通で考えるとインプットとアウトプットのバランスで考えた時、1年間で6割も受験者が減るというのは緊急事態です。
が、それを『待遇が悪いんだから当たり前』で済ませていいのだろうか?と思ったのは私だけでしょうか?
いや、それ以前に色々とツッコミどころ(自分が担っている仕事を卑下すること自体に対するツッコミ等)は置いておいても、ここで私が気になったのは、実際の数字と厚労省のコメントのギャップです。
高齢者は増えているのに、受験者数がピークの3分の1以下に減っても静観できる状態って何なの?と思ったわけです。
で、ですね、別の情報として、数年前に厚労省は『今後の社会保険に関するスケジュール』というものを出しています。
その中の一つに、『軽度者(要介護2以下)の総合事業移行』というものがあります。
これは、いつ行いますという時期の明記は避けていますが、いずれやるということは決まっているのです。
また、先月、ケアプラン作成にAI導入のシステムが初めて発売されました。
これらの情報と、厚労省の『静観』を照らし合わせた時、何となく意図が透けてみえてきたのは私だけでしょうか?
今回はケアマネジャーの例を挙げましたが、今はデジタルの発達で点の情報が溢れています。
その情報を受け取る側である私たちは、上手に情報を自分の中に取り込まないと、情報過多のこの時代で生きていくことは困難だと思います。
少なくとも、点に切り取られた情報のみに感情で反応するのではなく、他の情報を引っ張り出して面で情報を俯瞰的に捉え、『今何が行われようとしているのか?』『(今回の情報を含め)一連の情報はどういう意図があり、現状にどういう影響を及ぼすのか』を考え、その上で『それによって何が見えてくるか』『じゃあどう反応したらよいか』まで考えて意見を言うなりコメントをしないと、何というか、極めて的外れな、ただのはけ口で終わってしまいます。
なぁんて、朝から考えながらたくさんのコメントを流し読みしてはお腹いっぱいになってしまった私でした。
訪問をありがとうございます。
先週から『うへぇ~』というくらい追われまくっている私です(はい、通常運転です)。
憧れるのは、ゆったりしっとりと落ち着いた女性ですが・・・うーーーん、無理そうなので諦めます☆
さて、ここ数年、私は自分の説明書作りに頭を悩ませています。
自分という人間を端的に表現する方法を考えているというか☆
で、最近は、良い案が浮かんだらそれを名刺の裏面に明記しようと考えています。
なぜこんなことを考えたかというと、ここ1~2年で同職業以外の方々とお会いすることが増えたのですが、その時に分かりやすくシンプルに『私はこういうことをやろうと考えています』と表せるものが欲しくなったのです。
あ、そもそも名刺自体を持ち歩く習慣がないので、やはり社交的な場では名刺くらい持たなければ経営者としていかんだろう、と反省したことが発端なのですけどね。
ホント、名刺交換の習慣を廃止してほしいと心底願いますが、日本にいる限りは必要な習慣だから、いいかげん名刺というものを持ち歩かなければいけないと思いつつ、どうせなら、有効なものにしようと考えたのがきっかけです。
とはいえ、ケアマネジャーについてではありません(ケアマネ事業は現在の職員に委ねています)。
私は主任ケアマネジャーを更新するつもりはないし、今後は地域づくりメインでいく予定なので、地域に関する取扱い説明書をつくろうと考えています。
で、色々考えているのですが、まずはビジョンから書くことにしました。
地域に対するビジョンは『全ての人が認め合い活躍できる地域をつくる』です(長くなるので説明は割愛しますが、本気で狙っています)。
その上で、簡単な説明文をいくつか考えました。
気に入っているのは『15年以上のケアマネジメント経験と奔放な行動力とオタク気質を活かして、0から1を楽しんでつくります』です。
で、その下にサービスBモデル事業実施、地域活動連絡会世話人という経歴と、活動団体への場所提供、冊子と地域限定コミュニティサイト制作(予定)を書こうとかと思っています。
これが出来たら、名刺を持つ習慣はできるし、はじめましての初対面の方にもスムーズに自分のことを理解してもらえるかなぁ~、なんて考えてはニヤニヤしています。
はい、どこまでもバカみたいなことに捉われている私です☆
訪問をありがとうございます。
昨晩、就業時間を過ぎてからマッサージに行ったのですが、またしても身体のコリを指摘されました。
よく勘違いされるのですが、施術者の皆さんは私のことを「こんなにガチガチになるまで仕事を頑張るなんて…ストレスも半端ないですよね」と心配してくれます。
が、期待を裏切るようで申し訳ないのですが、多分、恐らく、今の私はストレスフリーです。
ありがたいことに、もともと仕事自体は苦ではないし、働くこと自体を苦しく思ったことはありません。
また、職場の仲間がとてもしっかりしているので、我慢は一切せずにやりたいことを心ゆくまで楽しませていただいています(今が一番楽しいです)。
考えたことを行動に移せるって、ものすごく幸せだと思うし、周囲の方々には感謝しかありません。
そもそも私の前身のコリは仕事とは全く関係なく、単純に好きなことをしている時、集中し過ぎて姿勢が固定するからです(2時間とか同じ姿勢で没頭するので、気づいたらガチガチになってる、みたいな感じです)。
でも、施術者の方の心配を否定したくはないので、そのことは言わずに心配に対して感謝をしています。
ありがたいことです。
さて、今日はタイトル通り、「善意の失敗は良しとしたい」ということについて書かせていただきます。
私は、ありがたいことに、多分人様よりも様々な経験をさせていただいています。
元々8割が好奇心でできている人間なため、疑問を掘っているうちに課題を見つけられるし、解決方法が思いつくとそれが合っているか試したくて実践してしまうのです。
そして、何がありがたいかというと、そんなチャレンジを許してくれる周囲の存在がありがたいなぁ〜、と思います。
そんな私ですが、最近読んだ本で「最近の職員かかかりやすい10大疾病」という文言を目にしました。
そして10個の内、「嫌われたくない病」というところに興味を持ちました。
嫌われたくない病は、文字通り嫌われたくないと過剰に空気を読むことらしいのですが、これはある意味危険だなぁと思います(良し悪しではないです)。
なぜならこれが高じると思考停止に陥るからです。
思考が停止してしまうと、自分のやりたいことなんかもわからなくなります。
そうなると、仕事をする意義というのが『給与のため』とか、目に見える分かりやすいもの(結果が一目でわかりやすいもの)に偏ってしまいがちになると思うのですよね。
仕事自体に楽しみを持ちにくくなってしまう。
社会人になると、(睡眠時間を除いて)1日の半分以上は仕事に時間を費やすのに、その時間を楽しめないって何とももったいない気がするのです。
生産者世代が一番多い割合を占めているのに、その人たちが毎日を辛い環境で過ごしているのって見ていてイタイですよね。
社会全体が暗くなってしまうというか。
じゃあ、どうしたら良いかを考えた時に、一番は『仕事を楽しめる環境』をつくることだと私は考えています。
そして、その環境は経営者がビジョンをどれだけ社会のニーズに合わせて掲げられるかと、それに対する善意の失敗を許す環境をつくれるかなのではないかなぁ~、と思います。
余白というか、遊びの部分が社内にあるといいですよね。
私は組織は概念でしかないと捉えていますが、概念である組織のつくる環境次第でそこで働く人の姿勢は大きく変わると思っています。
どうせ毎日の半分以上を費やすなら、自分が楽しいと思える環境で力を出し切ってほしいと思います。
なぁんて、そんなことを朝から考えてしまいました。
訪問をありがとうございます。
今回は前置きなしで続きを書かせていただきます。
前回は、“時代の変革に伴い生き方のルールが変わった”ということと、“どんな形に変わったか”の2点を書かせていただきました。
変わったルールは“自分たちの課題は自分達で解決してね”というルールに変わったと書かせていただきました。
で、今日は、“じゃあ、どうやって自分達で解決すれば良いのか?”について、書かせていただきたいと思います(あくまでも私見です)。
結論から書くと、この新ルールで生き残れるかそうでないかは、“地域(自治体)単位での協力体制が取れるかどうか”です。
勘のいい方は気づいたと思いますが、これ、一見すると大都市ほど不利なルールなのです。
なぜなら、人口が多いほどまとまることが難しく、地域全体の総意として強力なチームとして機能することが難しいからです。
そして、もう一つの大都市の怖さは、“(テクノロジーが浸透していないから)企業の税収もある程度見込めている為、『今は困っていないから当事者意識を持ちにくい』”ということにあります。
本来、国という中央集権から自治体という地方分権に権限が委譲したということは、それだけ自由に自分達に合った財源を使ってよいということになりますから、住みやすい社会を築くことができるわけです。
が、大都市においては、自治体単位に細分化されたとはいえそれでも一つにまとまるには困難な人口です。
例えば、当区では人口数51万人を超えており、これからもその人口は増えると見込まれています。
一見すると良いように見えますが、人口数が大きい分、状況が変わった時のダメージも半端ないのが大都市なのです。
そこで、必要となるスキルが、『今が良いから安心ではなく、先を見越して今から準備に備えること』なのですね。
そして、気づいている方々は、既にその対策に取り組まれています。
地域(自治体)単位での協力体制が取れるかどうかに必要なスキルは、『先を予測する力』と『その対策に対しての行動力を取れるか』です。
その時に必要なものは『一段高い視点で物事を見る力(抽象化)』と『それを自分の生活に落とし込む力(具体化)』です。
『自分の今』だけでなく、国は現在どういう状況にあるのか、自治体は現在どういう状況にあるのかを理解すること。
そして、このままいけば何が必要となるのかを考える力と、その必要なものを揃えるために行動する力が必要となります。
とはいえ、全員にこのスキルを持とうよと言っても、『無理~』という言葉が返ってくるのは目に見えています。
私がここで提案したいのは、全員が上記に書いた視点を持つ必要はないけれど、(自治体)全人口の2.5%はその視点を持ってほしいということです。
そして、その2.5%が集まって、次の変化に備えて準備をすることが必要だということです。
さらに言うと、2.5%の人間が仕組みをつくり、13.5%以上の『初動仲間』をつくれるかが鍵を握っていると思います。
そのために、地域で2.5%の人材を探すということを、私は4年前から行っています(その中でリーダーになれる人を含めて探しています)。
確かに、新ルールは大都市にとって不利なルールではありますが、逆に考えれば、人口が多い分、2.5%と13.5%の人間のレベルを上げることはできるというわけです。
10人の中で5人の優れた人材を探すより、100人の中で5人の優れた人材を探す方がレベルは高くなる、という考え方です。
今は世の中が便利になった分、考えるという力が低下しています。
そして、同調圧力の高い日本では、新しい何かを始めるというのは勇気がいります。
が、昔は良かったというノスタルジックに浸るのではなく、何とかなるだろうと楽観的に過ごすのではなく、今とこれからの社会推移を見据えて、ある武器(今ならテクノロジー)を上手に活用しながら、地域の住民が『納得』できる仕組みをつくる。
その上で、地域の住民が『乗っかりやすい仕掛け』をして、地域を一つにまとめ上げる。
これが出来ないと、数年後は大変なことになると私は考えています。
その第一歩として、『ルールは変わった』ということに気づくことが必要なのではないかなぁ~、と私は思います。
そして、願わくばこれを読んでくださる方の中で、一人でも多くの方が2.5%に入ってくれることを期待しています。
どうせなら、楽しみながら社会を良い方向へ変えていきませんか?
訪問をありがとうございます。
11月に入ってから、Wi-Fiを解約してしまったため、今までのように朝更新ができなくなってしまいました。
月初ということもあり、先週は更新をお休みしてしまいましたが、これからはコンスタントに更新を行っていきたいと思います。
先日、とある書籍を読んでいておもしろい言葉を見つけました。
それがタイトルのとおりですが、『ルールは変わった』についてです。
ビジネス書だったため、内容は仕事や組織に関することなのですが、要は社会全体の変革期であることと、それにうまく乗りなさいよ、ということが書かれています。
で、それを現在の社会保障にあてはめた時、どのように変わってどのようなルールになるのか、そして、私たち自身がどんなマインドを持てば良いのかを考えてみました。
まず日本において『何が変わったか』についてですが、一番に挙がるのは『人口構造が変わった』という点です。
そして、『それを見て見ぬ振りができなくなった』ということです。
実は、日本の人口減少は2002年から始めっているのですが、今までは『貯金を切り崩したり借金をしながら凌いでいた』のですが、それもいよいよ限界になり、どうにかしなくてはいけなくなったというのが事実です。
団塊の世代が社会保険を使う段階で現状のままで行くと、日本経済が破綻するということですね。
なぜこのような状況に陥ってしまったのかというと、国民が国という実態のないものにドラえもん効果を期待したことが、そもそもの原因だと私は考えていますが、詳細は割愛します。
じゃあ、今までのルールはなんだったのかというと、『国のつくったロールモデルに則って人生を過ごしましょう』であり、その過ごし方は、“サラリーマンとして企業に属し、定年後は年金・医療・介護の社会保険を活用しながら長生きしましょう”というものでした。
要は、“定年までは国の言うとおりに働いて税金を納めてね。その代わり退職後はあなた達の生活を保障してあげるから”というルールだったわけですね。
が、これからは違います。
多様化した価値観の下、今までのような国の描いたロールモデルは破綻しています。
加えて、爆発的に増える高齢者人口を前に、国が考えていることは、“高齢者の費用負担率を上げて安易に社会保険を利用できない仕組み”です。
つまり、“基本、自分のことは自分で考えどうにかしてね”という考え方に切り替わったのです。
国からしたら、“いや、もともと保険とは事故に対応するものだから頼られても困るんだ”と言うでしょうが☆
というわけで、これからのルールは“自分たちの課題は自分達で何とかしないと生きていけない”というルールに変わったわけです。
納得いこうがいくまいが、まずはここを受け入れないと、これからの社会は生きていけないということを、私たちは理解しないといけないと思います。
そして、『じゃあ、自分達で何とかするってどういうこと?』という疑問が起きると思いますが、これについては、次回に書かせていただきたいと思います。