インフォメーション
訪問をありがとうございます。
昨夜は、職能団体会議が夜にありました。
今週は日中も慌ただしく、冊子制作の皆さまへの返信メールが遅れていますが、週末に一気に対応させていただきます。
さて、今朝は喫茶店に車での間にぼんやり歩いていました。
毎日通る道ですが、そこにはいつも掃除をしてくれている地域の方がいます(業者さんか住民課は不明)。
朝7時前後に掃除を行ってくれる方がいるということに地域力を感じたのですが、改めて考えてみると、地域はそうやって成り立っているんだなぁ~、ということを感じました。
まちをきれいに掃除してくれる人
みどりの手入れをしてくれる人
困っている人を助けてくれている人
etc
そういう方々がいて、このまちは成り立っている。
地域の活動に関わっていて感じるのは、地域活動をされている方々は『地域を自分事として主体的に』取り組んでいるということです。
そして、私たちはそれを『当たり前』と思わずにいることが大切なのかもしれないと感じました。
『誰かがやってくれているからいいや』ではなく、感謝と同時に『この状態を継続するために自分に何ができるか』の視点が大切だと思ったのです。
どんな取り組みも元をただせば一人ひとりの力を集約したものであり、現在の地域を維持しようと思ったら、今後もそういう担い手は必要になる。
そうやって『地域を自分事としてみる』ことで、主体的な担い手の輪が広がった時に、地域包括ケアや共生社会というものが具現化されていくのではないかと、改めて感じました。
ルールがあって人が動くのではなく、人が動いてルールができる。
昨夜の専門職の活動と地域の活動を照らし合わせて、朝からそんなことを考えてしまいました。
訪問をありがとうございます。
昨日は、お昼に文化センターに集合し、社会福祉協議会と地域住民団体のコラボレーションで行う『第4回地域福祉フォーラム』のお手伝いをしました。
受付と開始直後のアナウンス、ワークショップのサポーターをお手伝いさせていただいたのですが、こういう地域の方々が主体的に学ぶ場というものは良いなぁ~、と思います。
そして、意外に地域住民の方々と仲良くなれていることを実感し、またしても幸せを感じてしまった私です☆
さて、今日は『幸せ』という言葉について書いてみます。
この、一見ポジティブな、だけどなんとも抽象的なポワンとした言葉。
私も良く使用しますが、改めて考えると『幸せっていったいどういう状態をいうんだろう?』と気になってしまいました(どーでも良いことに拘ってしまうのが私です)。
そこで、様々な書籍を読んだり、ググってみたり、人に意見を求めたりして、私なりに定義をつくりました。
それが、これです☆
『バランスの取れた状態、かつ、未来が今よりちょっとでも良くなると感じられる(信じられる)状態』
今、『は???』って思った方が8割くらいだと思います。
いや、とある書籍を読んでいた時に、『幸せは不確定要因の中で起きる不幸中の幸いである』という内容を読んで、その後に、『幸せとは何かということを漠然と言っている時点で、単なる感情の状態でしかなく、だったら気分が良くなるサプリでものんどきゃいいじゃん』みたいな文章を読んで、カチンときてしまったのですよね(あ、実際の書籍はこんなひどい書き方はしていません)。
悔しいけれど、私は『幸せ』という言葉を安易にふわっと使用しているし、その時の気分(感情)で使っています(先の著者が言っている『本当の幸せではなく心の中の感情の話』です)。
が、この内容を読む限りは、『感情で幸せを語っている奴は本当の幸せなんかわかるはずがない』とバカにされたようで、なんか悔しくなったのです。
一方で、『確かに、幸せというものを目的にするのは変だよなぁ~』と考え、だったらちゃんと自分なりの定義を持とうと思ったのですが、行きついた先は『お釈迦さま』の世界でした(私自身は無宗教です)☆
つまり、煩悩と空の中間であり、それは『当たり前の日常』なんだという結論に達したのですね。
でも、未来に期待も持ちたいから、『当たり前の日常だけど、今よりちょっと良くなることが期待できる状態』を加えて、私は幸せと定義することにしました。
・・・という話を夫に話したらニヤリと笑われ、
『今よりちょっと良くなることが期待できるって・・・それって、煩悩そのものだよね』
という返答が☆
あぁぁ、どこまでも欲にまみれた私です。
そして、壁にでも『煩悩退散』のお札を貼っておこうかしらと反省しました。
追記:真面目な話、人間の進化を考えると『未来に期待をする』ということは欠かせない自然の欲求だそうです。
そして、幸せを求める心は重要かもしれませんが、それを目的とすることはあまりよろしくないということを知りました☆
訪問をありがとうございます。
昨日は一日事務所で過ごしたのですが、とてもとてもたくさんの『良いこと』がありました。
そのことを書かせてください。
まず、朝は地域のサービスBをお手伝いいただいている方が来社してくれました。
なんの為に来てくれたかと言うと、あまりに殺風景な事務所に少しでも温かさを持たせようと、直径1メートル近くある大掛かりな工作を作ってきてくれたのです。
近いうちに、写真のアップ方法を習得したらここに載せます♪
この方は、いつも私に元気と知恵と笑顔をくれるのですが、昨日もたくさんの元気をいただきました。
本当にありがたいことです。
そして、今日行われる『地域福祉フォーラム』にもご参加いただける約束をしてお別れしました☆
そして、午後からは中小企業家同友会の方々に来社いただき、18日に行う社会保障の現状と今後についての発表練習を2時間していただきました。
ソーシャルビジネスを行う当社にとって、社会保障の現状と今後を布教すること、そして、そこから地域住民や企業に主体的に地域について考える機会を持っていただく働きかけを行うことは、ミッションだと(勝手に)思っています。
専門用語を使用せず、当事者意識を持ってもらうための話し方や魅せ方など、たくさんたくさん意見をいただきました。
また、話の中で、今後当社が行おうとしている『地域限定双方向のコミュニケーションツール』についても、嬉しい話をいただきました。
皆さん経営者でありお忙しいにも関わらず、こうして集まってきていただけることに感謝感謝ですし、さらに今の社会保障についても一緒に考えてくださるという姿勢に、改めて尊敬の念を抱きました(本当に素晴らしい方々です)。
そして、その後は11月下旬に参加させていただく『当区地域クラウド交流会』の打ち合わせを行いました。
こちらも、社会保障の課題を挙げさせていただき、地域企業が繋がることで地域力向上に貢献しようという提案をさせていただく予定です。
と、毎日をこのようにしながら過ごしているのですが、改めて書き出してみると、私は本当に幸せだと思います。
冊子編集、企業経営者への発表、地域活動など、通常だったらできない経験をたくさんさせていただいています。
自分の信じる道・やると決めていることを助けてくれる方々がいて、それを認めてくれる職員がいて、応援してくれる家族がいる☆
見ようによっては、エゴでしかない取り組みを『イイね』『こうすればもっとイイね』と言ってくれる人がいる。
本当に、ありがたいことだと思います。
そして、当区はそんな地域だからこそ、共生社会の実現や、幸せな社会というものが創れると、私は確信しています☆
至らないところだらけですが、これからもたくさんの方々に助けていただきながら、楽しんで取り組んでいきたいと思います☆
訪問をありがとうございます。
昨日は冊子制作の原稿最終確認のやり取りを中心に仕事を行いました。
思ったよりも大変な作業ですが、それ以上にワクワクする作業。
完成をイメージしながら、お手伝いしてくださる皆さんと一緒に完成に向け進めていきたいと思います。
さて、半年ほど前から私はマッサージに通っています。
というのも、以前、ふらっと立ち寄ったマッサージ店で、
「お客様の上半身の凝りは尋常じゃない。私が今まで対応したお客様のベスト5に入る」
と言われるほど、上半身がガチガチに凝り固まっていることが発覚したからです。
人によっては、肩こり等で頭痛がしたり何らかの身体サインを感じる方が多いらしいのですが、残念ながら(?)私は全くそういうものがなく、言われてもピンときませんでした。
が、次に行った店でも同様のことを言われてしまい、『あぁ、これはきっと、何らかの処置を講じないといけないんだろうな』と考えて、月に2~4回はマッサージに通うようにしました。
このマッサージ、私は1回90分で行っているのですが、その前に20分間「ゲルマニウム」に両手足を浸かるという過程を経ます。
つまり、120分近く時間を取られるわけです。
この時間を多いと取るか少ないと取るかは人それぞれでしょうが、1年くらいはできるだけ通って、一度身体状況をリセットしようと考えています。
1回あたりの料金は高いのですが、食費・コーヒー代と書籍代(とたばこ代)しかお金を遣うことがないので、まぁ、良しとして、可能な限り通っていきたいと思っています。
それにしても、マッサージを受ける度に、どんなお仕事も大変だなぁ~と感じています。
そして、自分がサービスを受けることで、「サービスを受ける側の心理」を勉強中の私です☆
いまのところ、どうせ受けるなら「ただ黙々と(マッサージと言う)作業を行う人」よりは、「お客の健康を改善するという目標を持ち(相手の反応をみながら)作業を行う人」に行ってもらった方が、断然気持ちの良さが違うということですね。
これは、自分たちの仕事においてもそうだと実感しています。
どうせ仕事をするのなら、相手も自分も有意義なものとなるよう進めたいですよね。
訪問をありがとうございます。
一昨日は午前中にモニタリング訪問を行った後、午後から帰宅し長男の運動会をみてきました。
日焼け対策を全くしなかった私は、この夏の日焼け対策が無駄になったかのごとく日焼けをしてしまい・・・。
まぁ、長男の頑張っている姿(2競技しか見られなかったけど)を見ることができ、その後は次男と長女が良くいくという駄菓子屋に連れて行ってもらったり、久々に夫抜きでゆっくりと過ごすことができました。
・・・と満喫して夜中まで夫と子ども達のことを話し込んでしまった翌日(昨日)は、またしても気がついたら夕方で。
昨夜は両親と姉家族と1年に1回の会う約束をしていたので、慌てて準備をして出かけた次第です(トホホ)。
さて、今日は『物事の受け取り方』にについて書いてみたいと思います。
昔からよく思うのですが、物事って、起こった事象より『それをどう感じるか?』の方が大切だなぁ~、と私は感じています。
コップの水で例えられることがありますが、半分水の入ったコップを見て、『もう半分しかない』と思うか、『あと半分もある』と思うかの違いですね。
この例えで言うと、『あと半分もある』と思っていた方が幸せだということです。
で、ですね。
これも私個人が勝手に感じていることですが、私自身は、遠い先のことはこの楽観的視点を持つようにしていますが、近い先に関してはできるだけマイナス視点も持つようにしています。
というのもですね、実は近い先にも楽観的視点を持ってしまうと、準備不十分になってしまうことがあるからです。
目標は楽観的に、戦略・戦術は悲観的に☆
そんな感じでしょうか。
そういえば、以前ここにも転記させてもらったのですが、美智子妃殿下の言われた言葉で大好きな一言があります。
“「幸せな子」を育てるのではなく、どんな境遇におかれても「幸せになれる子」を育てたい”
これは、私の目標です。
子どもに限らず、一人ひとりが“どんな境遇でも幸せを感じることができる”ようになれるため、関わりを大切にしていきたいなぁ~、と改めて今日は感じました。
皆さんは、ご自身の幸せアンテナを高く持って過ごしていますか?