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☆またしても下書き保存をしてしまいました☆
訪問をありがとうございます。
昨日は半日ゆっくりと過ごし、午後からは一般社団の取り組みをしていた私です。
うーん、要領を良くして一日休みを取りたいものです☆
さて、今日は『評価の軸をどこに置いていますか?』という話を書かせていただきます。
一昨日、とある動画を観ていた時に、「評価軸を他人に置いている人は承認欲求が高くなる」という話を聴きました。
確かにそうですね。
日本人は、特に評価軸を他人に置いている人が多いと聞きます。
また、同調民族と呼ばれているように、空気を読むとか共感力が大切とか、「周囲に合わせること」を求められがちな気がします。
これって、個人的にはもったいないなぁ~、と思うのは私だけでしょうか?
自分自身を振り返ってみると、私は小学生の頃から「連れション」はしなかったし、何かを聞かれた時は自分の考えを伝えていたし、自分大好きな日々を送っていました(今と変わりませんね)。
でも、だからと言って、いじめられたり仲間外れにされたことはなかったです。
もしそうされたとしても、ぜんぜん応えなかったでしょうが(一つのグループで仲間外れになったら他のグループに行けばよいだけなので)☆
他人って、自分が思っているほど「自分のことなんて見ていないし考えてもいない」んですよね。
自分のことを一番考えて見ているのは、きっと自分自身です。
そういう意味では、もっと自分を大切にしてあげて、やりたいことや考えていることを声に出して良いのではないかなぁ~、と思います。
自分に評価軸がある人って、強引に見えることもあるかもしれませんが、自分(の感覚など)を大切にしている分、相手のことも尊重する力があると、私は感じています。
別に無理に自分の意見を周囲に伝える必要はないと思いますが、必要以上に周囲に合わせる、ということもしなくていいんじゃないかな~、なんて考えてしまう私です。
何があっても一生付き合っていくのは自分だからこそ、周囲への配慮も大切ですが、まずは自分を一番大切にする☆
そんなことを考えながら、今日も自分をたくさん甘やかしながら過ごそうと考えている私でした☆
訪問をありがとうございます。
連続投稿になってしまいますので、興味のある方のみお読みいただけたら幸いです☆
私は物事を取り組む時に、ユーザーにとって「リスクを最大限減らすこと」を考えます。
人って、なにか新しいことを始める時、確実性があること(安心とか失敗しないとかそういうこと)、「私にもできるかも」という現実達成可能性を感じた時に、一歩を踏み出すと勝手に考えています。
なので、なにかで誰かと取り組みたい時は「相手にとってのリスクは何だろう?」ということと、「敷居を低くすること」を、とてもとても考えます。
で、ですね。
リスクを考える視点として、私は5つの視点で考えていますが、それがこれです。
「金銭的リスク」「肉体的リスク」「時間的リスク」「頭脳的リスク」「精神的リスク」です(この5つの視点は行動デザインの本で学びました)。
一つひとつを書き出すととても時間がかかってしまうので割愛しますが、要は、「1つの視点で見ないで多角的な視点で相手のリスクを減らす努力をする」ということです。
また、リスクを最小限にすると同時に、「相手にメリットになることはなんだろう?」と考えます。
と、こんなオタク思考で、毎日の大半をぐちゃぐちゃと想像しているのが私です。
あ、ちなみにこれは本題ではありません(ホント、自由人ですみません)☆
さて、少し前からやたらと「コミュニティ」だとか「つながり」という言葉が聞かれるようになったと思うのですが、これは、以前から書いているとおり、「日本人が超孤立化したことに対する弊害を感じているから」です。
震災で助け合いが必要な時に実感されたことも大きな影響を及ぼしており、「やっぱり繋がりって必要だよね」という気持ちを持った人も多いと思います。
自覚の有無はともかく、国際的にも「孤立は人を殺す」ということが証明されていますし(乳幼児や高齢者で実験がいくつもあります)。
そういう意味でも、会社や家族など旧来のコミュニティが崩壊した今、「新しい何かしらのコミュニティ」に属することはとても大切であると私は感じているし、実際に様々なところで様々な形でコミュニティが形成されています。
その中で、強く感じることは「コミュニティに属する時は、受け身の姿勢はもったいない」ということです。
これは、行動レベルの話ではなく気持ちの問題ですが、「このコミュニティで自分は何ができるだろう」というマインドで関わるのと、「このコミュニティは自分に何を与えてくれるのだろう」というマインドで関わるのは、確実に違います。
そして、私は、どうせコミュニティに関わるのであれば、前者の気持ちで関わってほしいな、と思っています。
なぜかというと、前者はプラスの力で物事を考えますが、後者は評価の力で物事を考えてしまうからです。
つまり、受け身の姿勢って、コミュニティに対する批判率が高まるのですよね。
人の力って掛け算なので、こういう評論家・批判家がいると、一気にモチベーションが下がります。
だから、こういう「受け身チャン(クン)」がいることに気づいた時は、その批判が建設的であるかを検証し、単に周囲の不安を煽るだけの批判の時は、速やかにその方にはご退場いただく対応を取った方が良いと思います。
また、新たなコミュニティに属する時は、自分のマインドを時々振り返った方が良いと思います。
人って、楽しさより不安に影響を受ける傾向があるので、不安を煽る人はコミュニティにとって危険因子でしかないのです。
私自身、複数のコミュニティに属していますが、この部分は自分でも気をつけており、無意識に受け身チャンになっていないか振り返っています。
コミュニティの重要性が謳われる一方で、参加する時のマインドというかマナーを伝える場はないなと思い、こんなことを書かせていただきました。
昔のコミュニティと今のコミュニティの違いは、「今は緩いつながりとなっている」ことです。
一つのつながりにガッツリ入り込むのではなく、複数の緩い繋がりを持つ。
これが今の特徴だと感じています。
だからこそ、コミュニティに参加する時のマナーって大切だよね、という話でした。
あなたはどんなコミュニティにどんなマインドで参加していますか?
訪問をありがとうございます。
昨日はたくさんの方が来社してくださいました。
朝一番は、数年前に施設研修講師で関わりを持たせていただいた方がわざわざ千葉から来てくださり近況報告を兼ねてお話をさせていただきました。
サービスBの最中に尊敬する地域の方が「近くに寄ったから」と来てくださり、区内大学創設に向けての話をしました。
その後、来年から当社で行う予定の健康麻雀の方との打ち合わせや、サービスB担い手さんが事務所の飾りつけをしてくださったりで、気がついたら16時になっていました。
人が来てくれる環境というのは、なんともありがたいですね☆
さて、一昨夜に社会保障について話をした時に、こんな質問が出ました。
「国がお金が無い無いと言っているけど、医療保険についてかけた額と受ける金額を考えたら、足りなくなるわけがないのではないか?」というものです。
具体的にはこのような質問でした。
【私の説明】
現在の医療保険について、75歳未満の方々は1年間に平均23万円弱の医療保険を一人平均使っています。
75歳以上の方は、1年間に平均94万円強の医療保険を一人平均使っています。
【質問】
一人の人が年収500万円だとして、健康保険を70歳まで1割(50万)支払った場合、50万円×50年=2500万円を納めている。
75歳から85歳まで生きたとして、使った費用は94万円×10年=940万円。
今まで支払った保険料で賄えるのではないか?
ここまで真剣に考えてくださる方がいるというのは素晴らしいと思います。
そして、やはり財源は足りないという結果であることの説明をさせていただきました。
理由としては「健康保険が共助だから」です。
私たちの納めている保険料は、自分が使うためのものではありません。
じゃあ、誰が使うのかといったら「保険対象者全員」なのです。
分かりやすい例えで書くと、年金を一番得として受け取っているのは、「年金をそもそもかけていない世代の方々」です。
支払いゼロで、受け取りだけしているのです(それが良いとか悪いとかの話ではありません)。
国の保険は、「自分のためではなく、今の保険使用者の為に払っている」なのです。
だから、「共に支え合おう」の共助なのですね。
そして、高齢になるほど健康リスクは高まるため、高齢者が増えるということが悩ましい課題になっているのです。
また、生産人口全員が就労しているわけではありません。
というわけで、今の国民の平均年収は450万弱というリアルに計算するとこんな感じになります。
【20歳で就職し65歳まで平均年収50万円で働き85歳まで生きた人の場合】
支払った額:50万円×45年=2250万円。
使った額(0歳~75歳):23万円×75年=1725万円。
使った額(75歳~85歳):94万円×10年=940万円。
収支差額:2250万円-1725万円-940万円=-415万円。
働いている人ですら現在の平均寿命で計算したら、医療費負担は払った額よりたくさんの支出となります。
しかも、国民全員が働いているわけでもないわけで、その分の費用は就労者が負担しています(専業主婦や就労できない方々等)。
そう考えると、国が医療費の増大に対しての施策を考えようとしている理由がご理解いただけると思います。
100歳まで長生きしたら、いくらの医療保険がかかるのでしょうか。
なんて、今日は数字の話ばかりですみません。
私はオタクですが、今の国民が社会保障に興味がなく、不安不安と言いながら「なんとかなるだろう」「自分が割を喰うことはないだろう」という自信を持っていることや、関心を持たないことに不安を感じます。
興味があるなしではなく、自分たちの生活なんだけどな、と思います。
そのため、一昨夜話をさせていただいた際、こういう質問をしていただけたことはとても嬉しかったです。
いつも書いていますが、国というのは国民の集合で、自分たちのために組織として機能しているものです。
難しく感じるかもしれませんがそのあたりを理解していただき、国に丸投げ・困った時は依存するのではなく、まずは国の現状を知り、「自分たちの生活は自分たちでどうにかしようというマインドを持つ」ということが、っても大切だと思います。
ちょっとの助け合いで削減できることって、たくさんあります。
そのことを、一人でも多くの方に感じていただき、主体的に社会保障を考えていただきたいと、改めて思いました☆
訪問をありがとうございます。
昨夜は、中小企業家の集いで、今後の社会保障について話をさせていただきました。
いつも書いていますが、社会保険で仕事をさせていただいている以上は、今の社会保障の現状と課題を布教することは専門職の役割の一つと勝手に自負しています。
一番生活に密着したリアルなことなのに、なかなか自分事に落とすことが難しい課題ではありますが、一つひとつ丁寧に布教していきたいと思います。
一緒に発表まで付き添っていただいたメンバーに感謝感謝です。
さて、今日は何かを行う際に「誰と行うか?」について書かせていただきます。
私のことを知っている方はご存知だと思いますが、何かを始める際は基本的に一人です。
そして、たくさんの方々にそれを話しまくって、「良いね!」と言ってくれた方と一緒に取り組みます。
そのため、取り組む内容によって毎回組むメンバーも違うという状況です。
なぜそんなことをするのかというと、“仲間だから”という理由で相手が興味がないことを無理やり参加させたくないからです。
私自身、興味のないことはやりたいと思わないし、例え良く知っている人から何かを頼まれても、気分が乗らなければモチベーションも効率も下がります。
自分がそんな状況だからこそ、他人様に対しても「〇〇の仲間だから手伝ってくれて当たり前」と強要したくないな、と思ってしまうのです。
集団の力って掛け算ですからね。
主体的に楽しんで取り組める方と、一緒に何かをやりたいな~と思います。
2025年まであと少し。
この時期を一つの目安に、冊子制作の目途が立ったらサイト制作に取り組みますが、お声をかけても決して強要するつもりはありませんので、私からお誘いをさせていただいた時に「参加したくないな」という方がおられましたら、遠慮なく言ってくださいね。
そして、泥船かもしれませんが「なんか面白そうだから協力するー」という方がおられましたら、声をかけてください☆
サイト制作の詳細は来月下旬にはお伝えできるようにしますので、ちょっとでも興味のある方がおられましたら、一緒にチャレンジしましょう♪
訪問をありがとうございます。
昨日は半日かけて、ケアマネ事務所の配置替えを行いました。
しっかりとした職員がいる他、手前味噌ですが当社職員のチームワークはピカイチで、作業はとてもスムーズに進みました。
感謝感謝です。
さて、私は社会保障の中で『地域包括ケアシステム』という言葉が出た時に、「いよいよ中小企業が強い時代になる」と確信しました。
また、国が掲げている「地域包括ケアシステム」を知らない人が多いな、と感じています。
そんなわけで、今日は改めて地域包括ケアについて書かせていただきます。
このシステム創設のきっかけは、経済成長と手厚い社会保障によりご近所に助けてもらったりすることがなくなったことと、インターネットの普及により人の個性は多様化されていることから始まります。
今までの日本は「みんな一緒」がベースの総中流社会であったため、国としては中央集権を取りやすかったのですよね。
モノが不足していた時代は、みんなが助け合って生活をしていましたし、その中で、情報は回覧板や電話連絡という人を介して行われていたため、周囲の目(ご近所さん)を気にしながら生活をする事が常でした(足並みが揃っていたわけです)。
しかし、社会保障が整備されたりモノが溢れることによって、必ずしもご近所さんと「助け合う」必要はなくなりました。
また、インターネットの普及により情報はネットを通じて簡単に拡散したり、多様な価値観に触れる機会も増え、自分が気のあった人とどこででも繋がるできるようになりました。
結果、日本人の中で「周囲に合わせないといけない」という意識は薄れました。
そして、様々な価値観・ライフスタイルを持った人が増えたわけです。
そうなると困るのは国です(多様な価値観の人々をまとめるのは大変ですからね)。
で、「地域によって課題や強み・弱みは違うんだから、これからは各自治体でうまくやってよ」というスタンスに切り替わったわけです。
これは考えてみれば当たり前の話で、人口300人高齢化率40%の地域と人口50万人以上高齢化率20%の地域では、生活スタイルも違えば、抱えている課題も違います。
それを無理やり同じルールにあてはめるのではなく、それぞれの地域特性を踏まえて、うまいこと国民が住みやすい地域を創ってねというのは、妥当な考えだと思います。
そして、これが「地域包括ケアシステム」のベースになります。
この「任せるよ」という部分についてですが、これは「高齢者」を限定にしています。
「高齢者の人が住み慣れた地域で安心して暮らせる地域を創ってね」というのが、国が自治体に出したオーダーです。
そして、自治体によって様々な方法で取り組んでいます。
熱意をもって取り組んでいる自治体もあれば全く動かない自治体もあるし、とりあえず取り組んでいる体をとる自治体もあります。
様々な自治体の取り組みをみていて私はいつも感じるのですが、「(ルール重視の)従順な職員に育てた役所職員に豊かな発想を期待することはムリなんじゃネ?」ということです。
これは役所の職員の批判ではないです。
そもそも、ルール・マニュアル第一主義の方々に「柔軟な発想」を求めること自体が間違っているのです。
そして、そのことを理解している主体的な自治体は、地域住民や地域の企業を上手に巻き込んで取り組みを進めています。
もう一度書きます☆
「主体的な自治体は、地域住民や地域の企業を上手に巻き込んで取り組みを進めています」
そう、この成功の可否を握っているのは、実は自治体や専門職ではなく、地域住民や地域の企業だと私は思うのです。
当区の役所職員はありがたいことに、住民や企業に対して聞く耳を持ってくれています。
お願いや相談をすると、一緒に考えてくれますし協力もいただけます。
唯一足りないのは、リーダーとなり(役所内を)上手にまとめてくれる人でしょうか。
だから、地域住民に感じているリアルな課題を挙げてもらい、効率的で発想力豊かな企業に解決策を一緒に考えてもらう。
地域住民と企業が自治体と上手に協力し合えば、「三方よし」の地域が創れると私は確信しています。
これが、「中小企業が強い時代になる」の理由です。
時代の変化と地方分権(細分化)に強いのは、地域密着で小回りが利く中小企業。
ここは結構大きなポイントだと思います☆
そして、国の描いた地域包括ケアシステムのイメージ図や進め方をそのまま信じるのではなく、システムの目的とゴールを理解して、「今の自分たちの地域」の特性を把握して、自分達で一から創ることが大切だと、私は思います☆