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2018-09-08 07:21:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は、当区社会福祉協議会とボランティア団体の主催する『ボランティアまつり』に参加する気満々の私です。

 

どんな活動が地域にあるのかを知れるなんて本当にワクワクします。

 

また、その中でたくさんの知り合いにも出会うことができそうで、それも楽しみにしている私です☆

 

 

 

 

さて。

 

一昨日、社会保険と会議について、とある方と意見交換をしました。

 

その中で、時代は大きな変革期だよね、という話から、『介護は急速にデジタル化が進んでいるよね』という話になりました。

 

このデジタル化に対しては、業界に抵抗感を持っている方が一定の割合でいることを感じている私です。

 

あ、デジタル化否定の意見に対しては、何かを言うつもりはありません。

 

ただ、デジタル化を『機械が介護を行うってことでしょ。どうせ人の介護なんてダメだって言いたいんでしょ』とか、『何だかよく分からないけどこれ以上(変化に)振り回されるのはイヤ』というネガティブな反応は持ってほしくないなぁ~、と思うわけで。

 

 

 

 

私は、急速に進んでいるデジタル化によって、介護の未来は明るくなると思っています。

 

というのも、現在の悩ましい課題の一つに、“書類や業務に追われ、個々の高齢者に気持ちのこもった介護が十分に提供できない”と感じている職員がいるからです。

 

『デジタル化=介護職員不要』ではなく、『デジタル化=介護職員が高齢者としっかりと向き合える時間が確保できる』になると感じているのです。

 

また、いわゆる身体介護をやってもらう側の高齢者自身にしても、もしかしたら人の手よりも機械の方が心理的負担が少ないことがあるかもしれないと考えています。

 

 

 

 

例えば、排せつ動作について☆

 

あなた自身の身に置き換えて、どちらを選ぶか考えてみてください。

 

■トイレで排せつ後、家族や介護職員にお尻を拭いてもらう。

 

■トイレで排せつ後、ウオシュレットでお尻を洗ってもらう。

 

どちらが良いでしょうか?

 

私はウオシュレット派です。

 

 

 

 

例えば、コミュニケーションや相談事について☆

 

■独居高齢者になった時、AIロボットと相談やコミュニケーションを行う。

 

■独居高齢者になった時、専門職と相談やコミュニケーションを行う。

 

どちらが良いでしょうか?

 

私は、専門職に相談やコミュニケーションを行った方が良いですね。

 

 

 

 

そんな感じで、0か100で『人間VSロボット』と考えるのではなく、人間が行った方が良い部分は人間が行い、ロボットが行った方が良い部分はロボットが行えばよいと思うのです。

 

そして、『デジタル介護はイヤ』という方には、人間の介護を提供すれば良いと思うのです。

 

そんな感じで、介護方法の選択肢が増えると捉えれば、介護のデジタル化は悪いものではないと思いませんか?

 

 

 

 

現在の日本は、医療の発達と死生観を考える機会がないため、長寿の一途を辿っています。

 

そして、働き手が少なくなっている今、介護スキルを持っている専門職は減っていくでしょう。

 

その時に、介護職員が業務が忙しすぎて思いやりの心を忘れてしまったり、過度な介護負担で腰など身体を壊さないためにも、機械にできる部分は機械が担って、人間にしかできない部分を介護職員が『専門職として』対応できる環境つくりって、とても大切だと思っています。

 

この価値を作っていくことが、今現場で働いている専門商に必要な視点とスキルだと私は思っています。

 

同様にケアマネジャーはAIを頭ごなしに否定せず、現在のAI状況を正しく知り、その上でケアマネジャーの価値を私たち自身で作っていくことが大切かと思うわけで。

 

ちなみに私自身は3年前にケアマネの価値は『相談援助技術とマネジメント能力にある』と考え、勉強会に参加しています。

 

 

 

 

以前も書きましたが、時代は大きな変革期の真っただ中です。

 

不安に思うこともたくさんあるかもしれませんが、そういう時こそ現状を正しく捉えて、『今、自分は社会になにができるか?』を考え行動することが大切なんだよなぁ~、なんて考えている今日この頃です☆

 

皆さんは、この時代の変革をどのように受け止めていますか?


2018-09-07 07:23:00

訪問をありがとうございます。

 

今朝、喫茶店に来て「アイスコーヒーの大きいサイズをください」と言ったら、小さいサイズのアイスコーヒーが2つ出てきました。

 

・・・きっと、カップを切らしていたのでしょう。

 

そして、大きいサイズとは、小さいサイズの1.5倍なのだということを知った私でした☆

 

 

 

 

さて、今日で地域の課題解決について書くのは、いったん最後にしたいと思います。

 

あ、ちなみにここで書いていることは、そのままケアマネジメントにも応用できます。

 

話し合いを進める上で、ポイントになることっていくつかあると思うのです。

 

そして、それを参加者全員で毎回確認しながら進めていかないと、話し合いってうまくいかないのですよね。

 

 

 

 

例えば、私の場合はこんな感じで行います。

 

■目的とゴールの明確化(何のために集まっていただき、何を解決するのか?)

 

■意見に対しての反応は良いが、人に対する批判はダメ。

 

■基本的に誰の意見も否定はしない(モヤモヤする時は「なんでそう考えるのか?」の質問をする)。

 

■楽しんで参加する。

 

 

 

話し合いなど人が集まると、それだけ多くの価値観に触れることになるのですよね。

 

その時に自分の価値観を誇示してしまうと、本来の「課題解決」という目的から逸れてしまい、「意見の押し付け合い」になってしまいます。

 

そうなると、ゴールはおろか、終了時には参加者がぐったりしてしまい、「もう参加したくないな」という気持ちになってしまうことって、あると思うのです。

 

何か困っていることがあって、どうにかしたいと思って参加しているのに、それを解決できないのは残念だなぁ~、と思うのですよね。

 

そのため、上記のことを全員で意識しながら、話し合いには臨んでいただいています。

 

『楽しんで』は、楽しくないと話し合いなど会は継続できないので、まずは主体的に楽しむ(満足してもらう)ことを、意識してもらっています。

 

これ、話し合いを始める前に確認するだけでその後の進行が大きく変わるので、良かったら試してみてください。

 

 

 

 

また、会議の参加者に満足感を得てもらいたい場合、私は気をつけていることがひとつあります。

 

それは、『結論を出し次につなげる』ということです。

 

これをしないと、次の話し合いに発展していかないので、参加者は毎回『この話し合いは何のために行われているんだ?』という気持ちを抱いてしまいます。

 

『今日の話し合いがゴールのどこまで進んで残りの課題は何か?』を明確にすること(全体の中での今を理解する)って、私はとても大切だと感じています。

 

また、余裕があれば、今日決まったことを、実践でどのように活かせるかのコメントもできれば良いと思います☆

 

 

 

 

ちょうど昨日、午前中に現在の社会保険(医療保険と介護保険)の課題と、さまざまな会議の進め方について話をする機会があったのですが、とある方は、こんなことを言っていました。

 

『会議を進める上で大切なことは、言語と認識を統一させること(共通言語・共通認識)』。

 

その言葉が、とてもしっくりときた私です。

 

これは専門職に対しての意見ですが、それぞれの価値観をそれぞれの価値観のままに話すのではなく、キーワードなどの言葉は定義を持って、その上で話し合いを進めることが大切だという話を受けました。

 

また、進行具合を途中途中でまとめて、全員で共通認識の上、会議を進めると良いということを教えていただきました。

 

 

 

 

そして、さまざまな話し合い・会議の方法があると思いますが、どんな方法でも『目的とゴールを見失わない』ことって、とてもとても大切です。

 

会議のための会議ほど意味のないことはありませんし、そういう会議を行う人を私は『時間ドロボウ』と呼んでいます。

 

また、私自身も誰かの『時間ドロボウ』担っていないか、反省しつつ毎日を過ごしています。

 

皆さんは、話し合いや会議の進め方について、どのように考えていますか?

 

良い進め方がありましたら教えてください☆


2018-09-06 07:03:00

訪問をありがとうございます。

 

半月ほど前に、“いつも通っているカフェがリニューアルして行きにくくなった”と書かせていただきましたが、現在は会社近くのカフェで、毎日ガツガツとサイト更新と勉強を行っています。

 

ここの良い所は、朝の6時45分から開店していることです☆

 

といっても、先月下旬からは勉強時間を冊子制作に費やしているため、知識欲が溜まっている私です☆

 

 

 

 

さて、今日は個人レベルの課題から『グループ(活動団体・集合住宅等)単位でのあるある』かを考えるにあたって、どうしたら良いかを書かせていただきます。

 

ここでまず最初に行うことは、“行政の示している理念を共有する”ことです。

 

当区ですと、『ともに支え合い、健やかに生き生きと暮らせる地域社会の実現』です。

 

その上で、現在ある施策目標のうち地域住民に関係することを抜粋しますね。

 

■生きがいづくりや個人の経験や能力を引き出し地域貢献をする。

 

■地域での支え合い体制をつくる・強化する(生活支援サービスの充実もここに含む)。

 

 

 

 

この基本理念と目標を全員で確認した上で、目標に対してそれぞれが抱えている“困りごと”や“課題”を挙げてもらいます。

 

方法としてよくあるのは、グループで付箋を活用したワーキングです。

 

ザックリと説明させていただきますね。

 

 

 

 

まずは個人レベルの課題を、全員に思いつく限り挙げてもらう。

 

例えば、『(生きがいづくりと言うが)具体的にイメージできない』でも良いですし、『(能力を活かすと言われても)どうしたら良いのか分からない』とか、『今、生きがい活動に取り組んでいるが会員が増えない』とか、『活動している人たちが高齢化して次の担い手がいない』でも良いのです。

 

とにかく、思いつく限り挙げてもらうのです。

 

そして次は、各人の課題をグループ内で発表し合い、同じ課題があったらまとめていきます。

 

例えば、『生きがいづくりがイメージできない』と『生きがいづくりって何?』は同じような意味ですよね。

 

そうしたら、それらを同じ場所に貼っていくのです。

 

 

 

 

その後、複数の付箋を見ながら、『これらの付箋を一言で表すと何?』ということを考えます。

 

これが、『個人単位の課題を抽象化したグループ単位での課題』です。

 

先ほどの例で言うと『生きがいの具体的イメージが浮かばないから困っている』になるかもしれません。

 

これが、グループ単位での課題の一つになります。

 

 

 

 

その後、複数挙がった課題に対して話し合いたい課題をみなで選び、意見交換をします。

 

これは、『Aさんにとっては課題に感じていることかもしれないけど、実はBさんは解決方法を知っているかもしれない』からです。

 

その場合は、AさんはBさんの意見を聞いて解決できるので、グループの課題にはなりません。

 

つまり、個人の課題をグループのに挙げた時に、“それが本当にグループ全体のあるある課題となるのか?”を皆で意見交換を通じて考えるのです。

 

 

 

 

課題の抽出とか個人の課題を抽象化するというと、とても大がかりなものに感じるかもしれませんが、その一つひとつは個人から始まるのです。

 

だから、つながりの場が必要なのですね。

 

個人がグループとつながることで、“私の困っていること”を解決できる、または解決の方法に動くことができる。

 

そして、その声が行政にとっては宝なわけです。

 

 

 

というわけで、今回も長くなったのでここで一度終了します。

 

覚えていたら、明日もこの続きを書かせていただきます。


2018-09-05 07:24:00

訪問をありがとうございます。

 

皆さんの地域で昨夜の台風影響はいかがだったでしょうか?

 

私の周りでは電車が停まったことくらいで、大きな被害はなかったです。

 

それにしても、今年は天災が続いているような気がします。

 

 

 

 

さて、今日は昨日の続きで、『(地域包括ケアを進めるにあたって)私たちは何をすればよいの?』という話を書かせていただきます。

 

結論から書いてしまうと、私たちが行うことは『個人の困りごとを伝えていくこと』と『誰かの困りごとに解決の方法がないかを考えること』を行うことが大切なのです。

 

というのも、地域包括ケアシステムとは、地域に合った施策を考え仕組み化することだからです。

 

 

 

 

 

『個人単位での困った』を『マンション単位でもあるあるの困りごとなのか?』と考え、『自治会単位でもあるあるの困りごとなのか?』と考え、『(小中)学区レベルでもあるあるの困りごとなのか?』と考え、『圏域(当区だと4か5)でもあるあるの困りごとなのか?』と考え、圏域でもあるあるだった場合は、市区町村として解決する課題と捉えて、対応する施策をつくるのです。

 

堅い言い方をすると、『個人の課題を抽象化し、地域レベルの課題にして対応できる施策を考えていく』ことがシステムを創る上で大切なポイントになります。

 

つまり、最初の『個人の困った』を出すことが、最初の一歩となるわけです。

 

 

 

 

『個人→集合住宅(隣近所)→町内会→(小中)学区→圏域』と課題を抽象化しながら、“あるある”の課題なのかどうかを考え、圏域レベルでの“あるある”であると判断されれば、それがイコール“地域の困りごと”になるのです。

 

これに対する施策を考え仕組み化することが、地域包括ケアシステムなのですね。

 

大枠のゴールは行政が決めています。

 

そのゴールを描いた時に、自分の中で課題となっている事柄を挙げる。

 

これが、地域包括ケア具現化のために行う、第一歩なのです。

 

決して、受け身で誰かの話を聞くことではなく、課題を挙げて解決方法を模索するだけではなく、一番大切なことは“その課題は地域であるある課題になっているのかを検証すること”なのですね。

 

難しく書くと、“課題を抽象化して普遍的課題であるかを検討すること”なのです。

 

 

 

 

この方法を書き出すと長くなりそうなので、続きは明日書くことにします。


2018-09-04 07:20:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は午前中にケアマネ業務を行い、午後から冊子制作委員会の編集会議を行いました。

 

全部で145の地域団体と認知症カフェ一覧、行政10の担当課、社会福祉協議会の原稿配置を決めることができました。

 

原稿作成に協力をいただいた団体、編集会議で助けていただいている皆さま、膨大な校正を迅速に対応してくれるメンバーのおかげです。

 

恵まれているなぁ~と思います、私☆

 

いつもありがとうございます。

 

 

 

 

さて、今さらかもしれませんが、今日は『なんで地域包括ケアが必要なの?』ということと、『実際に私たちは何をすれば良いの?』という2点について書いてみたいと思います。

 

あ、いつものごとく2つ目は明日に持ち越しになりそうですが・・・。

 

 

 

地域包括ケアを一言で言うと、『その人らしく住み慣れた地域で安心して暮らすための仕組み』です。

 

これまで何度も書いてきましたが、そもそも介護というものは生活密着型なため、全国一律の仕組みではなく地域特性を最大限活かした社会保険を狙って創られました。

 

これは、戦後不自由だらけだった社会が成熟し、個々の権利や自由を尊重してくれているあらわれなのです。

 

そのため、国が出したルールよりも保険者の解釈が強くなっており、各自治体によってルールの判断基準は微妙に異なっています。

 

そして、地域包括ケアシステムというのは、『地域ごとにそれぞれ抱えている課題や事情は違うから、特性を最大限活かして効果的な仕組みを創ってね』という、より柔軟性に富み、効率的で効果的な仕組みを創ることが求められています。

 

つまり、地域包括ケアシステムが必要な理由は『効率的・効果的に国民一人ひとりの人権と自由を尊重する』ためなのです。

 

お金がないからだとかいろいろな解釈をする人もいますが、本来の理由はこれです。

 

 

 

 

これに順応して行政・地域・専門職が一致団結し、地域の特性を把握した上で『自分たちのまちの仕組み』を創っている地域もあれば、相変わらず国からの指示待ちで、実績を積むために中身のない会議を繰り返している地域もあります。

 

この差は、数年後に大きなものとなって表れてくると私は考えており、様々な地域の進捗状況を聞く上で、『先進的な取組を行うことができている自治体』には、ある特徴があることに気づきました。

 

その特徴とは、『行政で柔軟な考えを持ち行動力のある人がいるか否か』です。

 

 

 

 

当たり前だよ、と思われた方も多いでしょう。

 

えぇ、当たり前なのです。

 

私 た ち の 中 で は ☆ 

 

これ、行政の中では『当たり前』ではないから悩ましい事態が起こっています。

 

 

 

 

そもそも行政職員に求められているスキルは、『いかにルールに住民を当てはめて支援するか?』です。

 

個別性というのを聞いていたら仕事になりませんし、例外を認めていたらルールは崩壊します。

 

だから、ガチガチに細かいルールを作成し、そのルールを管理・守れる人が『良い職員』だったのです。

 

それが突然、『ルールを自分たちで考えて創りなさい』と言われたものだから、ある意味、忠実に優等生を貫いてきた人たちは、パニックでしょう(いや、本当は突然でもないのですが、他部署から異動した職員は経過を知らないので突然と感じてしまうのです)。

 

さんざん思考力を持たないことを良しとされてきたのに、今さら創意工夫が大切って・・・という心境かもしれません。

 

 

 

 

また、縦割りシステムで仕事をしてきた行政にとっては、連携の取り方もわからない方が多いです。

 

そして何より悩ましいのは、係長や課長レベルになる人は、ほとんどが『わき目もふらずに真面目にルールを守ってきた』方が多いのですよね。

 

だから、柔軟な考え自体が理解できないし、縦割りが身体に染み付いているから今さら発想の転換も難しい。

 

私はここに、『地域保活ケアシステムがうまくいかない理由』があると感じています。

 

個々の職員の責任ではないのです。

 

そもそも旧型システム(思考不要なルール重視型)で成果を挙げてきた人たちに、急に変わることを求めることが無理なのです。

 

その証拠として、ガチガチ真面目のルール重視型の方がヘタに決定権のある役職に就いてしまうと、必要以上に『それは私の役割ではありません』とか、リスク回避に回って計画が滞ったりするのです。

 

少しでも計画の成果を挙げようとして、俯瞰的に仕組みや構造を見ずに、点(縦割り)で目標や求められていることを捉えるため、へんてこで不可解な会議や対応をしてしまうのです。

 

そのことを最近改めて実感した私でした。

 

(行政職員全員ではありません。本当に一部の職員の傾向です)

 

 

 

 

長々と書きましたが、地域包括ケアの正体と必要性はご理解いただけましたでしょうか?

 

そして、現在ネックとなっている課題についても書かせていただきました。

 

明日は、(覚えていたら)『じゃあ、一体どうしたら地域はまとまるの?』について書かせていただきます☆


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