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訪問をありがとうございます。
昨日も通常運転の私でしたが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?
今回も、長々と書いてしまう恐れがあるため、前置きは短くして書かせていただきます。
前回は、『超高齢化とデジタル進化によって雇用の形態が変わって、社会保険自体が維持できなくなっている』ということを書かせていただきました。
今回は、社会保険が維持できない今、どういう形になっていく可能性があるか?ということについて書かせていただきます。
あ、これは私見であり、私の書いていることが『絶対』ではありません。
なので、皆さま各自でも社会情勢を調べて、ご自身なりの動向を予測していただけたら幸いです。
社会保険の破綻。
このままいけば、その日が来るのはそう遠い日ではないと私は予測しています。
そして、それを防ぎたいと考える国は、どうにか社会保険が維持できるよう仕組みをいじろうとしているのですよね。
今まで散々票取りのために後手に回してきたツケが、もうできないことにやっと気づいたわけです。
それが、財務省であれば、介護保険に対して『介護保険料の原則2割負担』であり、『ケアプラン作成の有料化』等であるわけです。
年金の額も、ジワリジワリと減っていますし、税金の額も増えているわけで。
でもそのスピードでは、追いつかないわけです。
国の対策以上に、社会保険料の給付率は高いのですから☆
そこで出て来たのが、『ベーシックインカム』です。
個人的には、オランダが実験を開始すると言われ出した2014年から注目していました。
これは簡単に言うと、『国民全員に平等に必要最低限のお金をあげるから、自分たちで何とかしてね』という制度です。
国民全員というから、オギャーと生まれた0歳の赤ちゃんから高齢者まで、全員です。
ちなみに、ベーシックとは基本的という意味であり、インカムとは所得という意味があります。
今の日本だと、月の配分は7万円だとか8万円だとか言われています。
財源は、今まで通り取られている税金と、社会保険をなくしたことで浮く人件費(公務員とか社会保険庁とか不要となる機関の人件費)で賄うとされています(税金の割合がどのくらいになるかは不明ですが・・・)。
『コストを最大限削減してその分皆さんに分配しましょう』という、極めて効率的な制度なわけです。
このメリットとしては、ざっくり言うと、不平等の解消・貧困対策・少子化対策・時間の使い方が自由になる、という点が挙げられています。
不平等の解消という部分については、50歳前の世代以降は、社会保険料(特に年金)は支払った分もらえないという“不平等”が明確になっています。
これは以前から大きな不満を生んでいるのですよね。
介護保険もそうですが、社会保険って、『保険料をかけていない人ほど手厚い支援を受けていて、ガッツリ受けていた人ほど十分な保障を受けることができない』といういう仕組みになっています。
孤独化・孤立化が進み、助け合いの気持ちが薄れてきているからこそ、“だったら自分で何とかしたい”という気持ちが生じるのは、ある意味、当然の流れかもしれません。
貧困対策としては、一定の所得を担保することで、制度の狭間や知識がなくて支援を受けられなくなる人というのが、減るわけですね。
同時に、生活保護などの不正受給はなくなります。
また、(満額かは別として)オギャーの0歳児から所得がもらえるわけだから、『お金がないし社会情勢が不安定だから』という理由で出産をためらっている不安は解消されます。
他、今まで『日本国民の三大義務』とされていた就労が、義務でなくなるわけです。
最低所得はあるのだから、仕事をしたくない人はその所得の中で生活してね、それ以上に暮らしを豊かにしたい人は働いてね、ということ。
こう聞くと、『なんだ、ベーシックインカム、いいんじゃない?』と考える方もおられるかもしれません。
一方でデメリットとしては、財源確保の方法もありますが、「そもそも現在の社会保険の恩恵を受けている人は生活ができなくなる」という課題があります。
何度も書いていますが、ベーシックインカムの導入により社会保険は無くなるわけです。
つまり、医療保険や介護保険を受けている方々は、「全額自己負担」となるわけですね。
月7〜8万円で衣食住以外にそれらも賄えますか?という話です。
また、世の中に沢山いる社会保険に関わっている機関に勤めている人達は、自分達の職がなくなるといことで、デメリットを感じるでしょう。
※ベーシックインカムの導入で働く人が減るという意見もありますが、それはないと私は考えています。
ここまでお読みいただいて理解されたと思いますが、ベーシックインカムとは「全て自己責任」なんです。
「困ったら国が助けてくれる」という考えが、通用しなくなるわけです。
これはある意味、今までのツケ(モラルの低下)が回ってきたということなんです。
物事は相対性です。
誰かにとって都合の良いことは、誰かにとって都合の悪いこともあるのです。
そして重要なのは、これは日本だけでなく世界的に検討されている制度であり、個々が損得で賛否する話ではなくなっているということです。
日本は国会で物事を決めます。
その時に、ベーシックインカムのを推奨する立候補者が多く当選すれば、一気に制度として導入されるでしょう。
その時に焦っても時すでに遅し、です。
そうならないためにどうしたら良いか?という部分で、社会保険に携わっていて全体を俯瞰的に捉えることのできる、ケアマネジャーの価値があると考えています。
具体的に私が提案するのは「地域の中で社会保険に変わる助け合いを作りましょ」ということなのです。
長々と書きましたが、言いたいことはそこなのです。
前回書きましたが、デジタルが担う部分は担えば良い。
その分、人にしかできないことを考えて、行動に移していくということが大切になってくるのです。
といわけで、皆さんは今までの社会の流れ、今後の社会の動向を踏まえて、何をしますか?
訪問をありがとうございます。
昨日・・・鋸山に行く気満々だった私の希望は、またしても打ち砕かれました。
長男が午前中部活だったことと、長女が『文具品が欲しいかららら〇ーと(地元の総合店)に行きたい』などと言い出したからです。
普段好き勝手ばかりしていると、家族から要求が上がった時には譲らざるを得ないところが悲しい。
というわけで、昨日は午前中マッタリとして、午後から家族で出かけた次第です。
皆さまは、休日を満喫しましたか?
さて。
私は最近、社会保障についてダラダラと書いていますが、お読みの方の中には『何で今さらそんなことを書くの?』と疑問に思われている方もおられるかもしれません。
そのため、今回は、勝手に私の予測している今後の社会と対策について書かせていただきます。
週初めから堅苦しい内容になってしまいますが、お付き合いいただけたら幸いです。
世の中には様々なニュースが飛び交っていますが、私たち(国全体)にとってポイントとなるキーワードは、『デジタル進化に伴う働き方革命』と『ベーシックインカム』だと、私は感じています。
まず、『デジタル進化に伴う働き方改革』についてですが、いわゆるAIの進化によって、今まで人間が担ってきたルーティーンの仕事は、その手法をコンピューターに学ばせることで代行させることができます。
それが、AIを理解されていない方々にとっては『自分たちの仕事がなくなる』という恐怖に貶めているのだと思うのですが、それは、半分当たっていて、半分間違っていると私は考えています。
当たっている部分としては、『何も考えずに自分の仕事を作業として行っている人』は、確実にAIが人に変わってその業務を担うと思います。
逆に、その仕事がAIにとって代われない価値を生み出している人は、AIとうまく共存してこれからも仕事を失う事はないでしょう。
つまり、『自分の仕事は、どの部分がコンピューターが変わって担う事ができるものなのか?』を考えて、取って変われない部分の強化に努めることが大切だと、私は考えています。
ちなみに、人口減少に向かっている今、デジタル化が進むこと自体は良いことなんです(というか必然)。
コンビニとか、介護職とか、タクシーの運転手とか、建築関係とか、今、人材の不足している分野はたくさんあります。
これは、先月末にハローワークに行って聞いてきたので事実です。
これらをデジタルが補うというのは、極めて合理的なのですよね。
そこでですね、重要な問題が生まれてくるのです。
それが、『超高齢化だけでなく、失業率も上がることによる社会保険の破綻』です。
少し前に書きましたが、現在の日本の社会保障は、『医療・年金・労災・雇用・介護』の5つです。
そして今、一番負荷が高いのは年金であり、次が医療です。
それに加えて、雇用保険も今後負荷が高くなると、もう、社会保険という形で『皆で支え合いましょう』という余裕はなくなるわけですよね。
だって、収入が減るだけでなく支出が増えるわけで、倍のダメージを受けるわけですから・・・。
デジタル化により人が行っていた部分を機会が担うようになると、人件費が浮きます。
その分、税金として入っていた国の収入(社会保険料という税金)が減るのです。
今の日本って、社会保険が手厚くって本当に過ごしやすい社会だと思います。
同時に、手厚くしている分、現在の日本の借金は1000兆円だと言われています。
1 , 0 0 0 , 0 0 0 , 0 0 0 , 0 0 0 , 0 0 0 円
ゼロが15個もある・・・。
しかも、このままいけば、(高齢化と失業率の伸びで)確実にその数字は上がっていきます。
これ、今後、働き手が少なくなる状況で、どうやって消化していくのか?
そこで強まってくるのが、『もう、事実上破綻している社会保険制度はやめよう。国民に平等に分配するベーシックインカムにしようよ』という声です。
という話まで書いたところで、またしても長くなってしまったので、ベーシックインカムについては明日以降書かせていただきます。
最後に、なんで私がこんなことを書いているかというと、『今の社会は今後大きく変わるよ。だからこそ、一人ひとりが過去から現状をきちんと理解して、今後、自分たちの安心と安全の確保に何をすべきかを考え、行動に起こしてほしい』という気持ちがあるからです。
ほんと、今は国が大きく変わる時期なのです。
その時に、『国がどうにかしてくれる』という受け身では、生きていけない人が続々と出てきます。
だからこそ、そうなる前に、皆が自分のコミュニティ・地域を守るために、何をするかを考えてほしいと思い、こんなつまんない堅苦しい内容をダラダラと書いています。
現在と今後の社会情勢を理解して、皆さんはどうしたら良いと思いますか?
そのために、あなたは何ができると思いますか?
訪問をありがとうございます。
日曜日☆
先週は家族会議の結果、お義父さんのお墓参りに行きましたが、今日こそは鋸山に家族で行くと約束しています。
皆さんは、休日を楽しんでいますか?
そんなわけで、今日はコミュニティについてガッツリ書く時間もないので、サラッとした内容を書きます。
タイトルのまんまですが、インプットとアウトプットは同じくらいが良いと私は感じています。
私はいつも書いている通り、気になることがあるとすぐに調べ出して、結構な深さに掘り下げます。
これって、何というかキャパシティを超えてしまいそうになる時があるのですよね。
頭がパンクしそうになるというか。
考えていることがまとまらなくなるというか。
以前は、誰かに話を聞いてもらうというアウトプットを行っていたのですが、ここ最近はここでアウトプットをさせていただいています。
というわけで、皆さま、私の思考整理にお付き合いいただいてありがとうございます。
特にここ最近は思考をそのまま書き出しているので、マニアックになりつつあるというか、オタクぶりを発揮しているなぁ・・・と反省しています。
適当にサラッと読み流していただき、興味のあるところがあれば、返信をいただけると幸いです。
共に、オタクっぽく話をしましょう。
ちなみに、私の頭はロジカルかもしれません(思考の段階では感情はあまり入らないもので)。
とまぁ、私はこんな感じですが、何かを吸収した場合、本当にアウトプットは大切です。
なかなか誰かとじっくり話をするという機会のない方は、様々なところにブログを書く場所があるので、頭の整理に活用すると良いかもしれません。
なーんて。
今日は本当に内容のない話ですみません。
明日は月曜日☆
コミュニティについて書いてみたいと思います(コミュニティのあり方は追求すると本当に楽しいです♪)。
皆さま、素敵な週末をお過ごしくださいませ☆
訪問をありがとうございます。
今日は土曜日ですが、半日はモニタリング訪問を予定しています。
皆さんは、休日を楽しんでいますか?
そんな休日の楽しい時間をぶち壊したくはないので、お時間のある時に、今回の記事は読んでいただけたら幸いです。
今日は、“前回の社会保障とは?”の続編として、社会保障が継続困難になった原因について、社会の流れを踏まえて書いてみたいと思います。
相変わらず山崎史郎さんの書籍を参考に、私なりに考えたものを書かせていただきます。
結論から書いてしまうと、社会保障が継続困難になった理由として、3つの原因があると感じています。
1)家族形態の変化(核家族・単独世帯の増加)
2)雇用システムの変化
3)人口減少
まず、1についてですが、高齢者介護が社会問題になったのは、1970年代以降です。
介護保険創設時に、亀井静香氏が『家事援助なんて家族がやることだろう!』と発言したなんて話もありますが、そもそも日本って、『日本型福祉社会論(家族による支えを主とする日本型福祉社会を目指すべきという考え方。1979年の新経済社会7か年計画にも盛り込まれています)』があったのです。
この考え方が根底にあるので、介護保険の生活援助は同居家族の縛りがきついんですね(これは介護保険では制度の上で公平性に欠けるので、本当は強制できないのですが、現実は強制的に生活援助に縛りを与えている保険者は多いですよね)。
国策とも言えるような形で推進された『マイホーム信仰』で核家族化に拍車がかかり、さらに、世の中が便利になった事、親の面倒を子どもがみなくても良いということが“常識”になった結果、2016年には親と既婚の子ども世代の同居率は、わずか11.4%となってしまいました。
そりゃあ、今まで家族が担っていたことを介護保険で対応するとなると、給付が伸びるのは当然のことですよね。
さらに、進み続ける家族の解体(!?)の結果、現在は『孤立化』が大きな課題となっています。
そして、2つ目の原因である雇用システムの変化。
これは、団塊の世代の方々はご存知だと思いますが、戦後の日本社会は『終身雇用』が基本でした。
が、バブル崩壊(1991年)をきっかけに、世の中に大きな衝撃を与えたのは、1997年の山一証券・1998年の日本長期信用銀行の破綻です。
私自身、1997年に社会人となったのですが、短大を出た友人から、ある日突然『出勤したら会社(山一証券)が倒産してた!!!』という話を聞いて、びっくりしたのを覚えています。
そう、1990年代って、本当にある意味大変なことがたくさん起きていた時期でした。
1991年バブル崩壊による失業率の向上、1995年阪神淡路大震災、1997年山一証券破綻や非正規雇用の増大、1998年就職氷河期や日本長期信用銀行の破綻etc
そんな中、社会保障の観点からみると、雇用形態の変化(正規雇用から非正規雇用への転換)は、大打撃なわけなのですね。
なんせ、コロコロ勤め先が変わるということは、安定した税収を得ることが困難になるからです(こまめな変更や追跡が困難)。
また、度重なる面接を繰り返したり、非正規雇用という安定性に欠けた中での就労は、『ひきこもり』を生む大きな原因になっていると言われています。
そうなると、税を徴収どころではありません。
むしろ、失業手当や傷病手当等支給することになります(権利を主張するのが悪いというわけではありません。社会保障の観点から書いています)。
そして、自殺者の増大。
家族や地縁というコミュニティも失われ、会社という組織(頼れるある意味コミュニティ)も失われ、本当に絶望時代の中、様々な課題を抱えて介護保険は始まったのですよね。
そういうわけで、雇用システムの変化というものは、社会保障に大きな影響を及ぼしたと言われています。
そして、3つ目の人口減少。
これは、1と2の結果、そうなったという部分も大きいと感じています。
1986年より施行された男女雇用均等法に加え、先ほど挙げた社会の不安定さから、女性は社会で働かざるを得ない状況を生んだということも事実としてあると、私は認識しています。
現に私自身、高校生の頃進路を決める際に、顧問に『これからは女性も手に職をつけて働かないとだめだ』と言われ、何も知らずに介護の世界に飛び込んでしまったわけです。
昔の女性は大半が就労を『結婚までの社会経験』としていました(これも国策の一つなのですが、書き出すと長くなるので割愛します)。
それが、就労も当たり前のように行うとなると、そりゃあ女性が『子どもを産んで育てる』ということは苦しくなりますよね。
“本当は”第三次ベビーブームは2000年頃に来るはずだったのです。
が、上記に書いた社会情勢の中、誰が子どもを安心して産めるでしょうか?
そういう意味でも、私は少子化は社会が起こした現象以外の何物でもないと感じています。
あぁ、またしても長々と書いてしまいました(最近、こういうのが多いな)。
次回は、(忘れていなかったら)社会の変革により失われた“コミュニティ”について、書きたいと思います。
この3つの悩ましき課題の一番のインパクト(影響)は、“コミュニティの解体”だと思うので☆
コミュニティの解体が、社会全体に不安を生み、さらにいインターネットの情報によりダイバーシティ(多様化)が進んでいる今、人々が求めているものと、そのあり方について書いてみたいと思います。
訪問をありがとうございます。
6月に入りましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
私は相変わらずバタバタとしております。
昨日は、地域のコアメンバーオジサマ達と、冊子制作の案内文・企画書最終確認を行い、その後は行政各課を廻って挨拶と協力の依頼をしました。
この冊子がどのくらい横断的に機関・団体・人を繋ぐことができるかはわかりません。
が、行動を起こせば、一歩は踏み出せるし、一歩を踏み出せば、何かが変わると信じて、できることを楽しみながら取り組みます♪
さて。
今日は、社会保障について、書いてみたいと思います。
この先、長文のサイト更新が続くと思いますが、ここはとても重要な部分なのです。
私は、何かについての今後を考える時、その分野の歴史を学び、社会の流れを学び、現状を把握し今後を予測するというプロセスを、とてもとても重視しています。
なので、ここで発信することで、これを読んでいただいている方々が、少しでも社会保障と今後の社会の在り方について考えていただくきっかけになればと、切に願います。
あ、私の鶏並みの頭脳ではしっかりと理路整然と説明をすることが難しいので、山崎史郎さんの書籍を参考に書かせていただきます。
まず、社会保障の基本的な定義を書くと、1950年に社会保障制度に関する勧告に定義されている、“いわゆる社会保障制度とは、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他困窮に陥った者に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥った者に対しては、国家扶助によって最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることをいうのである”とされています。
本当にわかりにくく書いてくれていますよね。
要約すると、“社会保障制度とは社会保険(5つの共助保険)・公的扶助(生活保護)・公衆衛生(保健所や地域保健活動)・社会福祉(児童・障害福祉)。これを保障して、みんなが安心して健やかに過ごせる社会にするからね”という意味だと思います(雑過ぎ?意味は合っているはずです)。
戦後の不安期にこういった保障をしてくれたことは、国民にとって安心を与えたことでしょう。
さらに、高度経済成長の後押しもあり、ある意味、今の日本が他国と比べ信用があるのは、社会保障制度を確立したことが大きいのではないかと私は考えています(国民の生活の質が担保されている)。
みなが同じ方向を向いて、明るい社会を目指し頑張れた輝かしい時代だったと思います。
そう。
社会保障というものは、そういう時代背景を踏まえて設立されたものなのです。
社会保障の基本理念は、“自立”と“社会連帯”です。
昔は皆が同じ方向を向いて頑張っていた。
共助の“お互いを支え合う”という仕組みも、高度経済成長期に家族や会社組織という“安心できるもの”がある中でだからこそ、皆が大きな不満を抱くこともなく、進めることができた。
そして今、社会は大きく変わりました。
それに伴い、社会保障も変革の時期に来ているのではないか?と私は思うのです。
多様化が認められ格差社会になり、“みんな一緒に”という時代ではなくなってきてしまった。
この状況を踏まえて、これからの社会保障はどのようなあり方にしたらよいのか?
次回は、社会保障が不安定なもの、多数の国民にとって負担となっている原因について書いてみたいと思います☆