インフォメーション
訪問をありがとうございます。
今日は、どんよりとした天気でしたが、大きく天候が崩れる事もなく過ごす事が出来て、良かったです。
皆さんは、どんな一日を過ごしましたか?
さて。
私は、午後から入院されているご利用者のお見舞いと、提供票配りでした。
私はケアマネジャーになってから、できる範囲で提供票を手配りするようにしていますが、この時間は大好きです。
どのくらい好きかというと、担当者会議と同じくらい好きです。
そんな時にしか、支援者の方々と顔を合わせてお礼を言える機会はないですからね(あ、先方のお邪魔にならないよう、3分程度で失礼するようには気をつけています)。
あ、あと、自転車を全力で漕げるのが気持ち良いです♪
現場の方々って、本当にありがたいですよね。
ケアマネジャーは、その力だけでは何も成すことができませんが、現場の方々は違う。
技術を持っていて、それを行使してご利用者の為に直接支援を提供してくれます。
そして、ご利用者に支援を提供する中で、気づきを私たちケアマネジャーに教えてくれます。
だからこそ、彼らの持っている力を最大限引き出せるようになりたい。
ご利用者・ご家族の持っている力だけでなく、支援者であるチームの力も最大限、引き出せるようになりたいなぁ〜、と思います。
そのために、どうしたら良い関係が築けるかには、重きを置いています。
提供票を渡す際には、お礼を伝えるとともに一つはご利用者が感謝していたエピソードを添えるとか、電話で話をする時は、『はい、〇〇センター、△△です』と言われたら、『環介護センターの加藤です。△△さん、××さんはおられますか?』と、電話に出た方の名前を呼ぶとか、電話交換の際には『お願いします』を必ず伝えるとか、電話に出た担当者には、『いつもありがとうございます』から始まり、『今、お時間はありますか?』と確認するとか、3分以上の電話の時には『〇分ほどお時間をいただけますか?』『〇つ、お伝えしたいことがあるのですが』と確認したりとか、etc
これらは、私自身が受けて『いいなぁ〜』と感じたものの、真似ばかりです。
配慮の上手な方って必ずいて、その方々の技術を真似ることから始めて、自分の技術にしています。
ちょっとした気遣いで、お互いの気持ちが柔らかくなる配慮が、私は大好きです。
お互いに気持ちよくチームとして連携を図りたいと思いますし、それを、ちょっとしたお互いの配慮という形で表すことで、実現できることってありますよね。
当社の一番近い包括の主任ケアマネさんは、必ず深くお辞儀をしながら、『いつもお世話になっております』と言ってくださいます。
こういう一言が、スラッと言える方は本当に素敵だと思います。
また、担当者会議を開催する時、私は必ず『チーム』という言葉を使いますが、この言葉って、いろんな意味で効果を感じることができます。
これは、数年前に、とある方の担当者会議の様子を見て、『あ、いいなぁ』と思ってから、意識して使っているのですが。
あぁ、今日は、人様の真似についてばかり書いてしまいました。
当社の法人名は『株式会社エンパワーメント』です。
言葉のとおり、『その人の持っている力を最大限引き出す』なんですよね。
これは、私の目標です。
そして、当社の理念は『関わる人が笑顔になれる支援を提供します』なのです。
これは、ご利用者だけの満足ではなく、事業所に迎合するわけではなく、『関わる全てが満足できる(折り合いのつく)支援を提供します』という気持ちを込めています。
これが私の目標であり、そのための第一歩が『配慮』なんですよね。
そして、一緒に働く職員に、この想いが伝わっているといいなぁ、と思います。
とはいえ、現実は厳しく、まだまだ感情に揺さぶられたり、忙しさで余裕のない私がいます。
理想には程遠い私ですが、少しでも目標に近づけるように、周囲の方々に元気をいただきながら頑張りたいと思います。
皆さんは、普段どんなことに意識して想いを形にしていますか?
訪問をありがとうございます。
昨日、私は一冊の本を買いました。
新潮社出版『介護殺人〜追い詰められた家族の告白〜』というタイトルで、毎日新聞大阪社会部取材班の書かれた本です(1300円)。
数日前に、毎日新聞社の記事を転記させていただきましたが、それを含めた数々の介護殺人についても記事が載っています。
昨日が発売日であり、帰宅の途中で本屋を3軒まわり探して買いました。
以前より、介護の受け皿の一つに支援者支援が必要と感じており、実際にそのことを声に出していましたが、この本を読んで、更にその気持ちは大きくなりました。
本書は、介護殺人の加害者やその関係者に、殺人を犯すまでに至った経緯・介護者と要介護者の普段の関係性などを取材しています。
私が毎日新聞社の取材班の方々を素晴らしいと感じたのは、単にセンセーショナルな本で終わらせるのではなく、『普通の家庭で殺人は起きており、しかも加害者は、本人(要介護者)を大切に思って献身的介護をされている人が多い』ということを書いているところです。
加害者だけど被害者。
被害者だけど加害者。
介護殺人って、過激な書き方をしようと思えばいくらでもできると思うのです。
刺激的で読者の不安を煽るような書き方をすれば、本の売り上げは上がるかもしれない。
実際に、介護に関するルポは、そのような種類が多かったと思います。
しかし、この本は、そうではなく、当たり前の家庭で当たり前に起こっている介護問題の現状を、派手に書くことなく事実のみで記載しています。
そして、単に事実の羅列で終わらせるのではなく、最終章を使って、データをあげて今後の家族介護に対してや、社会に対しての提言も行っています。
社会のせいにしたり、国を悪者にするのではなく、現在の課題をきちんと分析して提言しています。
そういう本が出版されたことを、私はとても嬉しく感じます。
そもそもの介護保険の目的は、社会的入院でかかる費用削減が目的であり、『核家族となった時代に家族で介護を担えないなら社会で介護を担いましょう』というものでした。
同時に、措置の頃に課題となっていた『利用者の選択権』についてもきちんと担保しましょう、費用も応能負担ではなく応益負担にしましょうという、ある種の権利と平等が期待されて始まった制度です。
行政だけでなく、民間の創意工夫を活かして、要介護者の支援と生活の質を向上させましょう。
私自身、措置の時代からこの仕事に就いているので、その時の期待感はよく覚えています。
そして、地域包括ケアシステムへの舵きり。
応益負担の部分だけが残り、『やっぱり介護は家族や地域が支えましょう』という考えに変わりました。
もともとそうだと言えばそうでしたが、『社会が支える』から『家族や地域が支える』に変わった。
そのこと自体には、私は大賛成です。
そして、その上で思うことは、であれば、家族や地域が過度な負担なく支える仕組みを、今までたくさんの要介護者・家族をみてきた専門職や行政、社会福祉協議会が全面的にバックアップし、受け皿を作っていきましょうよ、ということです。
お金って湯水のようにあるわけではないから、どうしても社会保障として支えるには限界があります。
生活保護受給者は、この20年間で倍の人数に膨れ上がっています。
であれば、地域で支え合いができる仕組みを、地域に丸投げしてしまうのではなく、介護に携わってきた我々が、まず行政に受け皿構築の提言を行い、行政・社会福祉協議会らと協力し合いながら、『どうしたら地域で支え合いの体制がが、継続的に行える仕組みをつくれるか?』を考えていくことが大切だと思うわけで。
目の前のご利用者のみの視点ではなく、『地域』まで視野に入れ課題を行政や包括に提言することは、私たちケアマネジャーにとっては、とてもとても必要なことだと思うのです。
提言するって、ある意味勇気がいるかもしれません。
でも、それって、私たちしかできないことだと思うし、これをしていかないと、いつまで経っても行政が地域の現状を知るということはできないと思うのです。
地域包括ケアシステムを、机上の空論にするのも実現するのも、もしかしたら、私たち専門職の対応次第なのかもしれないと、この本を読んで、再度感じました。
人に何かを勧めることをあまりしない私ですが、この本はぜひ、読んでいただきたいです。
そして、今の自分には何ができるかを考えて欲しいです。
専門職のみでなく、できるだけ多くの方に読んでいただきたいです。
地域の住民の見守りの大切さ、専門職の情報提供とアプローチ、行政の受け皿大勢の整備。
みんなが自分ごととして、『今の私には何ができるか?』の視点で『介護』を考えることができた時、そして行動に移せた時、本当の意味での連携とか支え合い社会って実現できると、私は思います。
皆さんは、専門職として地域を見据えた時、何ができると思いますか?
訪問をありがとうございます。
今朝は、社会保障審議会に関する情報提供のため書けませんでしたが、昨日は個人的に、とても有意義な会に2つ参加しました。
一つは、区のフォーラムです。
これは、毎月参加をさせていただいている、住民・行政・社協が行う会議で、年に一度行われるフォーラムです。
今回は、さわやか財団の堀田会長にお越しいただいて講演の後、地域で活動に取り組んでおられる方々のシンポジウムを行いました。
私自身は参加者として出席をさせていただいたのですが、一般区民の方々が370名以上参加されており、その中で、地域包括ケアを踏まえた『互助』についてがテーマでした。
いやぁ、当地で仕事をしていて、本当に良かったです。
下町ならではの『義理・人情・思いやり』を、住民の方々からたくさん感じることができました。
そして、毎月の会議も含め、フォーラムの開催に向けて頑張っておられた自治会長さんを始めとする、運営メンバーの方々に、改めて主体性とそれを楽しんで行っているワクワク感を知り、嬉しくなりました。
堀田会長の講演で、参加者が互助に対しての取り組みを身近なものに感じていただけたことを実感し、これから更に当区は盛り上がっていくだろうと、確信しました。
また、団地ですでに『支え合い体制』を行っている方に面談のお願いをして、その仕組みを教えて欲しいとお願いしました。
今月末か来月初旬にお会いし、その仕組みを聞き、文書化して、当社隣の事務所でも来春を目標に取り組んでみたいと思います。
そして、その中で、うまくいったポイントや改善点を検証し、『住民同士の支え合い体制の手順』ようなものを作り、各自治会に拡散したいというのが狙いです。
住民の点の活動を面に広げる。
専門職や行政が作るのではなく、住民発信型というのがポイントです。
負担は大きいでしょうが、今から始めれば、3年後には何とか形になるのではないかと考えています。
また、昨夜は当社で『地域を考える勉強会』を行いました。
これは、7回目になるのですが、ご参加いただく方々には感謝の気持ちでいっぱいです(これはいつも感じることです)。
今回は、地域で介護事業を行いながら、インフォーマルで高齢者コミュニティの場を立ち上げ、更にそこに子どもを交える体制を作ったGさんにお越しいただき、取り組みの様子をお話しいただきました。
同業者の中でも、その取り組みをしっかりと理解している人は少なく、活動を知っていただく良い機会となったことを嬉しく思います。
そして、当社隣で行う事業の計画も報告させていただきました。
ちゃっかり、今後、皆さんにも助言をくださいとお願いしちゃいました☆
来月は、Gさんの高齢者コミュニティの見学を兼ねて、そこで忘年会を行うこととなりました。
終了後は、行政課長と課員の方に、フレイルの飯島教授にお会いした報告をして、再度、当区で取り組みたいという意向を、しつこくしつこく伝えてきました(お二人にはいつも申し訳なく思います)。
勉強会に来てくださっている課員の方は、インフォーマルの活動を行っている団体に対して、区の予算をつけるように提案してくれている他、この会の意見も区の会議に案として取り入れてくれたりしています。
本当にありがたいです。
そして、ちょっとずつですが、何かが進んでいる感触を得られています。
そんなこんなで、今週はなんだかたくさんの人と話す機会がありますが、いつも感じるのは、『人の話を聞いてそれをどう自分に活かすかが大切』ということです。
勉強会終了後は、いつものことですが、帰る方向が同じ仲間と船橋で食事&反省会を行いながら、意見交換をさせていただきました(この方は言語力が半端なくあり哲学チックな話ができるため、非常に刺激を受けます)。
人との交流って本当に楽しい♪
皆さんは、地域でたくさんの方々と交流を楽しんでいますか?
訪問をありがとうございます。
今日はいつもよりも寒く感じる私です。
寒さに比例するように背中も丸くなってしまいますが、皆さんはいかがですか?
こんな時期だからこそ、背筋を伸ばして颯爽と歩きたいですね。
さて。
16日に社会保障審議会介護保険部会にて、ケアマネジャーの医療連携に関する検討が記事に載っていました。
何となく感じるのですが、お偉いさんに何だかんだと言われなくても、連携の必要があれば医療機関は連絡をくれますし、逆にケアマネも家族から連絡をいただいたら、医療連携をとっていると思うのですよね。
やる人は加算がなくてもやるし、やらない人は加算があってもやらない。
これは何に対してもそうですよね。
また、財務省は17日、麻生大臣に『要介護2以下は軽度者と位置付ける』ということと、『軽度者給付の縮小』、『(要介護2以下の)訪問介護によるヘルパー生活援助は、重度化予防にどう繋がるかをケアプランに明記することを』等を提言しました。
要は『社会保障に入ってこれ以上お金をかけてくれるな』ということですね。
生活保護受給者は、この20年で2倍になったようです。
そして、公務員の給与は上がり続けています。
本当に国は財源をどうにかしようという気持ちがあるのか、よくわかりませんね。
客(国民)に不利益を与え待遇を悪くし、借金を莫大に増やし続ける状況の中でも、社員(公務員)の給与を上げ続けるのは、国という機関くらいのものでしょう。
そりゃあ、財源もなくなるわな。
今までの流れから、今後の予測はメドがたってきましたね。
個人的には、今回の財務省の提言は次期改定に向けた提言というよりも、駆け引きの為、今の時点で提言した感があります。
そして、次々期改定には実現してもらうつもりでしょう。
次期、そしてその次の改訂は、今までの介護保険の制度を大きく変える流れとなりそうです。
皆さんは、今回のニュース、どのように感じましたか?
訪問をありがとうございます。
最近、毎週お弁当を作っている私ですが、早起きしてお弁当を作るたびに『世の中のお母さんは、本当に偉いなぁ』と思います。
皆さんは、お弁当は好きですか?
さて。
本日は、長文になりますが、とあるニュースを引用させていただきます。
介護者支援については今まで何回も書かせていただいていますが、今回のニュースは、正に、その最たるものとして注目していた事件の結末です。
大切な家族だからこそ、最期まで良い関係を維持できるように距離感を大切にしてもらいたい。
『大丈夫』という言葉は本当に大丈夫なのか?
介護者の介護力は、 今はどの程度あるのか?
ご本人と介護者の力関係や距離感等々。
その部分の評価を間違えないようにと、私は常に意識しています。
そして、過度な負担に陥ることのないように、介護保険に限らず必要な支援に繋ぐことができるよう、情報提供に努めています。
介護保険の目標は、自立支援と継続的な在宅生活の実現。
その一番の支援者である家族介護者について、皆さんはどのように対応しておられますか?
(以下、記事を転記)
2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。
一家は両親と息子の3人家族だった。1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、「休職」を理由に認められなかった。
母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、カードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった。長男は母親との心中を考えるようになる。
そして2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。やがて死に場所を探して河川敷へと向かった。
「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。そして「一緒やで。お前と一緒や」と言うと、傍ですすり泣く息子にさらに続けて語った。「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」。
その言葉で心を決めた長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。それから約2時間後の午前8時ごろ、通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。
京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。冒頭陳述の間、被告席の長男は背筋を伸ばし、眼鏡を外して右手で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。そして「お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください」との言葉には、長男が「ありがとうございます」と応え、涙をぬぐった。
――この事件が一地方ニュースに留まらず、ネットなども通じて「地裁が泣いた悲しい事件」として日本中に知られることになる。親子の境遇や長男に同情する声や温情判決に賛同する声などが広がった。
それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みた。しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。
事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも不明のまま。行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、絶句して、判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた。
やがて判明した死因は自殺だった。
琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。地獄を味わった彼の言葉やその後の人生が、在宅介護に限界を感じ、絶望している人への何らかの助けになるのではないか。そう考えて必死に動いた記者を待っていた、悲しすぎる結末だった。
厚労省によると、要介護(要支援)認定者数は620万人。要介護者を抱える家族が増える一方、後を絶たない介護苦による悲しい殺人事件。なぜ悲劇は繰り返されるのか。どうすれば食い止めることができるのだろうか……。
デイリー新潮編集部