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2018-03-30 07:36:00

訪問をありがとうございます。

 

私事ですが、最近、『企業マーク』なるものを作りたいと考えていまして。

 

きっかけはですね、突然のインスピレーションです。

 

これが、実に素晴らしいデザインで、神が降りてきたのではないかと、私自身、一瞬疑ったくらいです。

 

それで、早速、その素晴らしいイラストを描き留めたのですが、まぁーーー、その下手さっぷりったら・・・。

 

基本、丸すら上手に描けないので、イラストを上手に描けるわけがないわけで☆

 

トホホだったのと同時に、イラストの上手な人を探そうと思いました。

 

 

 

 

さて。

 

先日、知人と飲みに行った際、『加藤さんは無理をし過ぎ』と言われました。

 

『いや~、今の私は過去最高に楽しいことしかしていませんよ』と思いましたが、敢えて聞き流してしまいました。

 

きっと、その方には私は無理をしているイメージがあるのでしょう。

 

こんな感じで、周囲の方々に『そんなに頑張り過ぎないで』という声をかけていただくことはあります。

 

 

 

 

正直、私は、我慢と頑張ることは一番苦手です(どうでも良いのですが、『頑張る』の語源って『我を張る』らしいですよ)。

 

そして、苦手な頑張りをしてまで実現したいことがない限り、基本的に、辛抱・我慢・頑張りはしません。

 

そして、欲張りな私は、ワクワクすることとか、やりたいことがたくさんあるのですよね。

 

そのたくさんの楽しみを、一つでも多く実現したくて取り組んでいるだけなわけで。

 

時間は限られていますから(時間は私にとってお金より大切です)、その時間は1秒でも楽しく過ごしたいというのが、私の(利己的な)願いです。

 

だから、他人様の物差しで『無理しないでね』と言われても、今一つピンとこないのですよね。

 

好きでやっていることにブレーキをかけられた感じがするというか・・・。

 

ただ、心配してくださっていることは感じるので、『気にかけてくださってありがとうございます』と感謝し、『心配してもらえる私って幸せだわ~』と思っています。

 

 

 

 

こんな感じで、自分では『好きでやっていること・納得して取り組んでいること』でも、他人様からは『よくやってるよね・無理してるんでしょ』と思われることって、あると思うのです。

 

これって、単純に、意識と価値観の違いだと私は感じています。

 

例えば、小学校によくいる(?)二宮金次郎って、薪を担ぎながら本を読んでいますよね。

 

勉強熱心な部分に尊敬を受けて銅像を作られるようになったと思うのですが、じゃあ、彼が努力家だったかというと、私はそうは思わないのですよね。

 

『彼は、単純に読書(勉強)が好きだっただけ』だと思っています。

 

頑張ろうとか使命感とか義務感ではなく、『単純に読書が好きだから効率的に読書していただけ』だと思うのです。

 

ただ、周囲からしたら、『あいつ、スゲー』になるわけで、結果、銅像になってしまった。

 

そんな感じで、他人様の言動を見て違和感を感じても、『無理しちゃだめよ』とか『頑張り過ぎじゃない?』と感じるのではなく、『あぁ、この人は没頭するほどやりたいことがあるんだなぁ~』と感じた方が、何かに取り組んでいる人にとっては幸せだと私は思います。

 

そして、声をかけるなら、『無理しないで』というブレーキよりも、『かっこいー』とか『頑張っているね』というアクセルの方が、相手にとっては幸せだと思うのです。

 

結局、自分の現実は、自分の意識(思い込み)でできていますからね。

 

人って、自分が聞きたいことしか聞かないし、見たいものしか見ないから☆

 

同じ事象でも、それをよく取ってプラスに転じる人もいれば、悪く取ってマイナスに転じる人もいる。

 

 

 

 

とにもかくにも、私は決して無理に頑張ったりはしませんので、ご心配は無用です。

 

できることには取り組みますが、その後は他力本願な部分も多いですし、ストイックさとは無縁です。

 

たまに、描くものの実現のために無理をすることはありますが、そんなのホンの一時ですし、私自身が覚悟して行っているので、後悔することはありませんから大丈夫です。

 

そして、私が一番言われて嬉しい言葉は、『may I help you?(手伝えることある?)』です。

 

 

 

 

皆さんは、自分が楽しいと感じることに取り組んでいますか?