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ザ・スズナリ

「ザ・スズナリ25周年によせて」(2006年発行 パンフレットより)

 


ザ・スズナリ25周年によせて(2006年)

(敬称略 50音順)

 

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青木

グリング

 

 

スズナリの楽屋にいると、いつも「ひと昔前の青春」を感じてしまう。元々がアパートなせいかもしれない。楽屋の窓からボンヤリ下北の路地裏なぞ見つつ、これから始まる芝居に思いを馳せていると、あの頃特有の「有意義な不毛」を感じて幸せになる。誰に届くか分からない不毛な芝居を、だいの大人が集まって真剣に作り続けられるのは、なんと幸福なことだろう。「いつまでも」と願うのは、オッサンになってきた証拠かもしれない。

赤堀雅秋

THE SHAMPOO HAT

 

 

楽屋で一人でいるのが好きだ。皆より二時間くらい早く劇場入りして、まだ新鮮な空気の楽屋を一人で占拠する。窓際に座って、目下の坂道をただただ眺める。コギレイなオネェチャンとたまに目が合う。見下ろしているが、見下されている。煙草に火をつける。煙を必要以上に大きく吐き出す。ここで吸う煙草は、格別の味がする。

天野天街

少年王者館

 

 

フズリナめく、スナズリめくソノ小さな黒い函ではじめて公演打ったのは、少年王者館はじめて二年目、一九八四年八月のコトでした。「電気の化石を発掘するシバイ」でありました。まつりばやし耳につんざく夏の下北半透明なキオクの底に横たわる海岸に打ち上げられたザ・スナメリの死体のような観客たち。夏だというのに小屋の中は、冬の下北半島のサキッポみたいに冷えてたなあ。

トモアレ二十五周年オメデトウございます。

岩松

 

 

 

まだ舞台裏の方に何だか三角形の楽屋があった頃が懐かしい。その楽屋にいた或る女優の足の爪が西陽に照らされていた、生々しい記憶。それからも数々の思い出がある。舞台美術作家の磯沼陽子さんは「スズナリって夢だったんです」と言って昨年『アイスクリームマン』の美術をやってくれた。まるで身内を自慢するみたいにスズナリを案内した私だ。祝二十五周年!

柄本

劇団東京乾電池

 

 

スズナリ開場二十五周年、お目出とうございます。今年は僕達、東京乾電池も三十周年でスズナリ劇場でやらせて頂きました。色々な劇場があります、すきずきであります、それぞれであります。僕の一番好きな小屋はスズナリ、ここは芝居の神様のいる小屋であります。これからも、我々小劇団(大劇団も)の旗印として、頑張って下さい。

大川

大川興業

 

 

25周年おめでとう。

初めてスズナリの舞台に大川興業が立ったのは、もう16年以上も前のことだ。

それ以来、本公演や江頭のソロライブ等、数多くのライブをやられてもらった。

その度に新たなとんでもない試みをスズナリはその深い懐で受け止めてくれた。

江頭のライブでは、お尻から水や粉を出したり、本公演では3年前から、前代未聞の真暗闇の演劇にチャレンジしてきた。

スズナリのおかげで、数々の伝説を生み出すことができた。

スタッフの皆さん、本当にありがとう。

 

これからもよろしく!

大橋泰彦

劇団離風霊船

 

 

25周年、おめでとうございます。19875月、演劇のメッカ下北沢スズナリに、劇団が初めて乗り込んだ朝を、私は今でも鮮明に覚えています。マチネやソワレで観るいつもの街は清清しい朝の顔で、薄汚い私たちを快く迎え入れてくれました。小屋入り20分前にはほとんどのメンバーが揃い、ドアが開くのを待ちました。心地良い興奮と緊張の中、小春日和の朝日に背を向けて階段を登っていったあの朝を、私は忘れられません。

大堀こういち

O.N.アベックホームラン

 

 

25周年おめでとうございます。

O.N」でお世話になっております。

そして、スズナリで公演をさせていただくのが私の目標のようになっています。なんかいいんですよねえ。スズナリ。

 

また宜しくお願いします。

加納幸和

花組芝居

 

 

開場以来、はっきりとした演劇的見識を持って運営され、只の貸し劇場ではなかったスズナリも25周年。おめでとうございます。初めてスズナリに立てたのは、21年前。階段席になる前は、奈落に元飲食店の空間があり、夜明けまで打ち上げさせてもらいました。大きな思い出は、一ケ月公演を二回もさせて頂いた事です。客席も眼一杯飾り立てたその舞台(奥女中たち)は、初演再演とも、贅沢な演劇経験が出来ました。

川村

T-factory

 

 

25周年、おめでとうございます。お互い歳月を重ねましたね。これからも健康に気を付けて、さらにやっていきましょう。私の演劇の出発はまぎれもなく新宿という街と下北沢のスズナリです。

 

これからもよろしくお願いします。

倉持

ペンギンプルペイルパイルズ

 

 

動員数が増えて、もはや小劇場のキャパシティでは間に合わなくなった劇団の方々が、「本当はまたスズナリでやりたいんだけど……」と寂しそうにこぼすのを度々耳にします。そこからも、スズナリが決してステップアップの過程にあるだけの劇場ではないことがよく分かります。だからうちの劇団の場合、常に動員アップを目指しつつも、スズナリで公演を打てている現在を、ある意味幸福に感じるのです。

ケラリーノ・

サンドロヴィッチ

ナイロン100

 

 

20余年の演劇人生で一番嬉しかったのは、スズナリで初めて公演を打った25歳の夏の、仕込みの日です。楽屋に足を踏み入れた時の感動は一生忘れないと思います。本番中は雨漏りするわ下の店のカラオケはうるさいわで大変でしたが。

25周年ですか。おめでとうございます。あの時の僕と同い年ですね。

 

ここ最近の充実のラインナップには目を見張ります。ぜひ近いうちに交ぜて頂きたいです。

小池博史

パパ・タラフマラ

 

 

私は、舞台芸術は身体と空間と時間の三つの要素をいかにブレンドさせるかだ、といつも言っている。演劇や舞踊などと言う狭苦しい枠組みでは収まりきれない大きさを持つのが舞台芸術の魅力だろうと思うが、それらの要素をグイグイ引き出せるだけの楽しみの要素を持った劇場は少ない。「ザ・スズナリ」は、小さく、そして魅惑に溢れた劇場である。身体が見え、空間の豊穣さが息づき、だから時間を作るのが楽しい劇場。いいですよ、「ザ・スズナリ」。

鴻上尚史

サードステージ

 

 

25周年、おめでとうございます。すっかりごぶさたしていますが、ずっと 魅力的な場所で、また、機会があったらお願いしたいとずっと思っています。男楽屋・女楽屋の二つがあって、ちゃんと近くに役者用のトイレがあった時の衝撃は、今でも覚えています。

一言では言えない、いろんな思い出が詰まっています。

古城十忍

劇団一跡二跳

 

 

厳粛というか神妙というか、そんな思いに包まれる。いい芝居にしなきゃと、いつもに増して気合が入ったりする。妙なところにドアがあるし、楽屋もロビーも狭くて寒い。使いやすいとは言い難いのに、この空間の持つ魔力のような魅力にいつもハメられる。念願のスズナリの舞台に上がったのは1988年、劇団旗揚げから2年後のことだった。

 

以来18年。原点というか故郷というか、創作意欲に駆られて今なお衝動のように引き寄せられる。

小松和重

サモ・アリナンズ

 

 

「淋しいのはお前だけじゃない」っていうドラマで号泣してた学生の頃、チャリでプラップラ~と下北へやって来たらなんと!ドラマに出て来た劇場があるじゃないですか!「ザ・スズナリ」おおっ、本当にあるんだ!とか思ってちょっと憧れてたんですよ。で、自分が芝居始めてからは、必ずスズナリでやってやるって思い続け、やっとサモアリでスズナリの舞台に立ち、夢が叶ったので「サモアリ辞める」って言ったら、皆に鼻で笑われました。

斎藤晴彦

劇団黒テント

 

 

ザ・スズナリの開場25周年おめでとうございます。私たちにはザ・スズナリはいつでも親しみと優しさに満ちた桧舞台です。

 

いつかまた、ザ・スズナリでやりたい放題の芝居がやれる日を夢見ています。

坂手洋二

燐光群

 

 

25周年、ありがとう

 

開場の年、転位・21に参加して以来、スズナリと共に歩んできた。燐光群も二十年余、ホームグラウンドとさせてもらった。一年のうち三ケ月近くいた年もある。おそらく私は、劇場の方を別にすれば、スズナリに一番長く通った人間ではあるまいか。ニューヨーク、セント・マークス・チャーチの小劇場で毎年三カ月の上演をずっと続けてきたリチャード・フォアマンを知ったとき、素敵だと思った。私自身、これから先も、スズナリと共に生きていくだろう。

清水

 

 

 

もう私のホームと言ってもいいでしょう。木造アパートを改築した事が良くわかるそのつくり。下のスナックのカラオケが漏れてくるデリケートな床。車の走行音が筒抜けになる繊細な壁。鍵のかからないバリアフリーな楽屋用トイレ。そしてなにより熱心で愛のある小屋付きスタッフ達。ここから私のライブ人生がスターとしたといっても、少し言い過ぎなだけだ。25周年おめでとう。そしてこれからもよろしく!

詩森ろば

風琴工房

 

 

初めてスズナリの舞台に自分の芝居をのせたとき、いまより少しは若く自信家だったわたしは驚いた。コレハアマリニツマラナイノデハナイカ。ここでずっと本物だけを見て来たんだと劇場にしかられた気がして打ちのめされた。プライドの高い小屋だと思います。この小屋と勝負になる芝居を作りたい。それが10年かわらずわたしを支える思いです。

菅原鷹志

振付師

 

 

僕は昔から小劇場が好きでした。芝居の振付でも小劇場が多く、このザ・スズナリもいろんな劇団で来ていました。その関係でスタッフとは知り合いになり、ここで芝居とダンスを融交した舞台を上演しました。2作品「鏡よ鏡」と“アンタの日記”です。ダンスエリアを確保する為にむき出しのまま使用しました。とっても良い空間になりました。僕の目指す作品はスズナリの空間が必要かもしれません。これからもありつづけて下さい。

鈴江俊郎

劇団八時半

 

 

上演開場ですらないごく小さな場所でこっそり地味な芝居をする。そういうのに凝る仲間とともに旗揚げした劇団でしたから、スズナリでの上演は、お江戸に来たなあ、という感慨よりももっとなにかはるばる遠い空気を感じたものでした。世界の隅っこにいる。だけどそれが同時に世界の中心を引き受けることになる、それはどこにいても中心だ、と無理もせず主張する劇場。そういう空間であり続けてほしいと思います。

高橋亜矢子

劇団ハートランド

 

 

憧れのスズナリに立って6年。好きな所の一つに楽屋があります。

畳の楽屋は心身共に落ち着く場所。休憩時は寝っ転がってウダウダ。疲れもぶっ飛び!

出番前はキリッと正座してメイク。精神統一!

だけど一度だけ恐い経験が…。

それは一昨年の大きな地震の時。

とうとうスズナリが崩れる、とハラハラしたものでした(失礼)

たくさんの役者の思いが詰まったスズナリ。大好きなスズナリ!

 

25周年、おめでとうございます。

佐藤

劇団黒テント

 

 

トーキョー中でいちばん好きな劇場。スズナリには「芝居の神サマ」がすんでいる。わたし、神サマ、信じていませんけどね。思わず信じてしまいそうな……

寺十

tsumazuki no ishi

 

 

幾つの誕生の瞬間がこの場所に塗り込められているんでしょう。

日本一居心地が良くて懐かしい劇場です。

 

とりあえず100周年目指して頑張りましょう。

竹内銃一郎

 

 

 

スズナリで何度公演をしたのか分からないが、いちばん思い出深いのは、桃の会の「東京物語」。最初に一週間ほど公演をし、それからは、役を変えながら毎月末に半年間連続で公演。わたしたちも劇場も、真の意味で野心的だったのだ。

知念正文

劇団鳥獣戯画

 

 

そうですか、二十五年ですか、四半世紀ですね。ボクらとの付き合いも二十年と言うことになりますね。ザ・スズナリには何でもできるという雰囲気があっていろいろな作品をぶつけさせて頂きました。進化したかどうかは定かではありませんが、ザ・スズナリで、鳥獣戯画は生きてきました。今後とも、共に齢を重ねられればと願っています。暖かくおつき合いさせて頂きまして、心より感謝しております。

千葉雅子

猫のホテル

 

 

スズナリ25周年おめでとうございます!猫のホテルも8年前からのお付き合いとなりますが、数々の思い出があります。なかでも劇場の下手側の外に私設通路を作っていつも利用していますが、雨などに弱く固まっております。改造計画があればぜひご一考下さいませ。そして観客との幸福な距離感をこれからもずっと保っていて下さい。さらなる発展を願いつつ、猫のホテルも邁進する所存です。これからもよろしくお願いします!

典彦

劇団B級遊撃隊

 

 

スズナリさんの思い出はいろいろありますがスズナリ15周年記念公演で僕の作品を取り上げていただいたことが一番嬉しい思い出です。

 

ここ数年B級は名古屋に引きこもっておりますがまたスズナリさんの舞台にお邪魔できたら良いなあと思います。

四半世紀おめでとうございます。

高見亮子

かもねぎショット

 

 

25周年おめでとうございます。というより、ありがとうございます。芝居を始めてからスズナリのどの一年にも強力な思い出があります。日常の何十倍もの濃い時間を包み支え続けてくださっていることに感謝。私たちは新参者ですが、これから11年、劇場に笑い声や染みや毒や匂いを塗りつけ浸透させていきたいと思っています。

土田英生

MONO

 

 

誰しも書くことだと思うが、この小さな小屋がこれほどの地位を保ち続けていることが重要だ。『ザ・スズナリ』という言葉は既にフィクションだ。様々な劇団がこの空間で二十五年に渡って虚構を創り続けてきた結果、スズナリ自体が輝きを持った存在となった。私自身、初めて小屋入りしたときの形容し難い感情を忘れられない。スズナリというフィクションはそれこそが素晴らしい作品だと思う。

外波山文明

椿組

 

 

25周年お目出度うございます。数々の名舞台を有り難う!これからも小劇団のあこがれの劇場として、下北沢演劇のリーダー的存在として、益々の面白い取り組みを期待します。ビル化した劇場の多い中で、木のぬくもりを持った貴重な空間です。いつまでもアナログ的手作り演劇を支えて下さい。そしてお願い!椿組にもスケジュール空けて下さいね!!

内藤裕敬

南河内万歳一座

 

 

スズナリの窓から見る裏通りは、繁華街から遠ざかって食卓と寝室へ続くだらだら坂なんだ…と、ほお杖ついていつもその窓から見ている。坂を登ってどこかへ帰り、坂を下ってどこかへ出て行く。その境界線、出入口の角に在る劇場は、一体どんな入口で、どんな出口なんだろう? 都市の中にヒョッコリ開いた何だか怪しい入口で、とても不思議な出口だよな、これまでも、これからも。

夏井孝裕

reset-N

 

 

reset-Nさんはここでやらないほうがいいと思います。」

 二ツ森さんからそういわれたときのことをよく覚えています。空間の方向性の違いを真剣に考えてくれていたのでした。そして、やるならぜひ裸舞台でという思いがけない提案も。私たちの挑戦を理解し、忠告を厭わないその姿勢に感服しました。

 

 そのときの『黎明』がロンドンで上演されたとき、いい劇場だ、スズナリみたいだ、そう私は思ったのでした。

長塚圭史

阿佐ヶ谷スパイダース

 

 

阿佐ヶ谷スパイダースとしては「日本の女」で初めて使わせて頂きまして、それ以降、実は「ともだちが来た」までないのですね、思い返してみると。で、以上。2回じゃん、なんですけども、我々にとっては思い入れの深い劇場です。どちらの芝居も大きな転機となった作品だからでしょう。「ともだち~」はメンバー三人の絆を深める作品となりましたし、「日本の女」で得た仲間は、その後「はたらくおとこ」で再結成し、来年またスズナリに再々集結します。ええ。ここで大暴れするつもりです。

温水洋一

O.N.アベックホームラン

 

 

25周年、おめでとうございます。

演るのも、観るのも、少人数だと「スズナリ」が一番好き。

 

また、お願いします。

長谷川孝治

弘前劇場

 

 

25周年おめでとうございます。「さ、スズナリだぞ!」…と幾度思いつつトラックのアクセルを踏み込んだでしょうか。東北のはずれにある弘前から下北沢まで大道具を一緒に旅するのは、所帯道具一式かかえて古い恋人の家に転がり込むのに似ています。そこで、おそらく、親しい友となった古い恋人に会って、近況を話したり来し方行く末を話すことはこれからも続くでしょう。願わくば、親しき故の厳しさと親しき故の包容があれば幸いです。

はせひろいち

劇団ジャブジャブサーキット

 

 

「いつかはスズナリでやりたいよね」。第三舞台、青い鳥……夢見る地方在住劇団のスタートでした。そしてどうやら「夢の頂点」だったようです。ひょんなことで2000年、叶ってしまった夢。そこでピタリと欲が止まりました。どうしても「次は紀伊国屋?」とかにならない集団です。かくなる上は「最後まで居続けたい」が今の最大の欲。建築の老朽化とか都市開発とかを敵に回した、劇団の寿命との勝負です。どうぞ、お手柔らかに。

憲司

劇団桟敷童子

 

 

スズナリ25周年おめでとうございます!

老舗感を漂わせながらも、親近感と妙に懐かしさを感じさせる空間が、僕は大好きなのであります。

 

これからも30周年、40周年、そして50周年と息長く、ますますご発展してゆくことをお祈り致しております!

深津篤史

桃園会

 

 

25周年おめでとうございます。25周年といえば私は中学生でした。演劇といえば宝塚と吉本、松竹しか知らなかった頃です。べたべたですね。スズナリさんを知ったのは確か二十歳の頃だったと思います。遠い遠い存在でした。そんな私が今こうしてお付き合いがある事を本当に嬉しく思います。風情のある劇場ですね。凛とした空気と、静かに熱を帯びた気配に来るたびに背筋がしゃんとする心持ちです。

松本

MODE

 

 

昭和天皇の容体の悪化による前年秋からの「自粛」ムードは、その崩御により一気に頂点に達し、民放テレビからCMがなくなった大葬の礼の日。いつもは賑やかな下北沢の商店・飲食街が軒並み臨時休業、人通りもまばらでネオンの明りも消えていた。日本のほとんどすべての劇場での歌舞音曲公演が中止された中、ザ・スズナリは立錐の余地もない大入り満員。1989224日。MODEの旗揚げ公演『逃げ去る恋』の三日前であった。

宮沢章夫

遊園地再生事業団

 

 

この作品は、「こうした種類の劇場」の、「あの舞台」でという感覚は、演出家には少なからずあるのではないだろうか。あるときから、僕の各作品のなかでも、「砂もの」と呼ばれる「砂漠監視隊」をテーマにした戯曲を上演するのは「ザ・スズナリ」でなければだめだと思っていた。根拠を書こうと思えば、もちろん書くことができるが、いくら書いてもこじつけのように感じる。だが、「砂もの」というきわめて不条理感を漂わせ、そして閉鎖された空気に包みこまれた劇構造を表現するのにいちばんふさわしかったのが「ザ・スズナリ」だったのだ。登場人物は男ばかりだ。その汗くささ、男ばかりによって匂いたつ内側に潜めた過剰さにこそ「ザ・スズナリ」はふさわしく、それは木造のあの建物、そして下北沢だということが大きく意味をなしていた。適度な舞台の広さだけではない。閉塞された観客席と舞台との関係だけではない。不条理で、ばかばかしく、滑稽で、あるいはグロデスクな過剰と薄気味悪さや、人の生の愚かさ、哀しさには、あの空間が必要だったのだ。砂漠は広い。だが、それをあの小さな空間で表現することが必要だった。「ザ・スズナリ」が二十五年になるという。どれだけの舞台をそこで観たかもう忘れてしまったが、「ザ・スズナリ」と共振し、作品以上の舞台成果をあげた舞台を私も数多く観た。きれいな座席の用意された劇場を私は否定しないし、「ザ・スズナリ」のいまにも壊れそうな建築が、ある種の演劇を象徴しているとはけっして思わないが、なにかの偶然の邂逅によって幸福な舞台が数多くあったことを私は知っている。「下北沢小劇場スゴロク」なんてものに私はまったく興味が無い。みっつ下がってスズナリに戻る。それのなにがいけないのだ。ことによってはそのことではじめて、いい舞台が生まれるかもしれないではないか。

宮本勝行

にんじんボーン

 

 

ザ・スズナリという劇場名を知った時、「いいね、いい名だね、平凡で非凡」。その姿を見た時、「来るべきお客が来そうだね。更にいいね、泣けるね、こりゃ」。これが約二十年前。何でもできる気がしていた僕は俳優養成所の生徒だった。出番は数分、楽屋に数十分。何もできなかった。祝・二十五周年!あの時でさえ、老舗の顔をしていたスズナリは、さらに貫録をまとう哉。思い出は書ききれるはずもなく、芝居を乗せて、旅はまた続く。

安田雅弘

劇団山の手事情社

 

 

巨大なスタンダード

 

俳優で立ったのは‘84年、大学生だった。ザ・スズナリは東京の小劇場を語る上で一つのモデルになっていた。その巨大な功労を語る資格が私にあるとは思えないが、その後の20数年の間に、日本の演劇界の中心を小劇場が担うようになったのは確かで、その意味で、ここはもはや日本の劇場空間の基準といっていい。「楽屋をも少し」「音漏れをなんとか」云々はあろう。が、その重みと魅力は、今後増すことはあっても減ずることはないと思う。

山中正哉+柳澤明子

トリのマーク(通称)

 

 

1999年から毎年公演させていただいていますが、先日初めて観に来て下さったまちづくりを研究している大学の先生が「アパートの建物の中にそっくり劇場が入っている」その構造に興奮してらっしゃるのを見て、見方を変えれば、まだいろいろな発見ができるのだなあと気持ちを新たにしました。わたしたちは発見を続けたいと考えています。様々な困難はあると思います。でもいつまでもザ・スズナリが続いていくことを希望します。

山口良一

劇団東京ヴォードヴィルショー

花組エキスプレス

 

 

25周年、おめでとうございます。開場して間もない頃の若手公演、平成元年から毎年公演させていただいている「あほんだらすけ」、そして一昨年には本公演でもお世話になりました。僕の演劇人生で一番あがらせてもらっている劇場なんですよね。「あほんだらすけ」はスズナリという空間があってこその舞台だと思っています。これからも多くの方に楽しんでいただける公演を、スズナリの舞台で作らせてくださいね。

わかぎゑふ

リリパットアーミーⅡ&ラックシステム

 

 

スズナリの舞台に立って暗転を経験すると、

芝居の神様が宿っている小屋だと確信する。

それは上質な闇であり、温い懐だ。

だから、スズナリではいつも奉納気分で芝居をする。

そんな芝居に嘘のつけない小屋が少なくなった。

だからこそ、いつもあそこに返って、神聖な闇に

包まれたいと思う。

 

いやぁ、なにはともあれ25周年おめでとうございます!

結城孫三郎

結城座

 

 

25周年おめでとうございます。

 

スズナリでは舞台に水を張ったり随分無茶をしています。スズナリだと何かやらかしてやろうって思うんですよ。劇場のもつ力なのかな。あと大好きなのは小屋構え。これからも演劇界をリードしていって下さい。

流山児祥

流山児☆事務所

 

 

4間間口の「何もない空間」、そこに魅力的な役者がいれば!と私達は70年代、地下劇場、大衆演劇、テントと巡り1982年スズナリという元アパートのブラック・ボックス(小屋)に辿り着いた。使い易く人のぬくもりのある劇場。下は飲み屋。私達芝居者の仮の棲み家と25年も甘えて棲みつかせてもらっている。現代演劇の最前線としてザ・スズナリは様々な意匠をもった劇を生み出している。只々多謝。

渡辺えり子

劇団宇宙堂

 

 

好きです

 

スズナリでの公演の時はいつも、演劇の女神に見守られているような安堵感を覚えます。若い頃から観客で観た芝居の感動とともに、また新しい芝居を作ろうという熱情が自然と生まれてくる劇場です。舞台でも楽屋でもロビーでも数限りない思い出があります。本番に衣装が間に合わないと切羽詰まり、急遽山形の実家から母親を呼び寄せ手伝ってもらったのも、スズナリのロビーでした。真夏の公演でまだクーラーがなかった頃、袖にいた当時70歳の東銀之介が「戦争よりもつらい」と言った言葉も忘れられません。スズナリは恋しい劇場です。

 

 

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