かわら版

「アホの妻のチャンピオンベルト~特別編」

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あらためまして、
いつもラーメンみのりのメルマガをご覧下さり、
本当に、ありがとうございます。

私をはじめ、スタッフ一同、
みなさまからのご感想を、
とても楽しみに、毎回、
拝見させていただいております。

沢山の励ましや勇気を頂き、
心から感謝申し上げます。



今回は、いつもと趣向を変えて、
私から見た石崎(大将)との出逢い、
そして、「みのり」がオープンする
物語をご紹介させて頂きます。


私が大将と出会ったのは、
1994年1月3日。

新札幌のホテルのロビーが初めての場所でした。

あれから16年が経ちましたが、
結婚生活を振り返ってみると、
大将には、ずっと、
一つだけ大きな不満があります。

でも、すごく優しい人なんです。

そして、最近になって、
私の気持ちが少し変化してきました。


さて、私たちの出逢いは、
実は、お見合いでした。

手配師のおばさんから大将の写真を見せてもらい、
神妙な表情でこちらを見つめる緊張した姿から、
最初、私は素朴で頼りがいがある人なんだろうと、
勝手に想像していました。

誰か、一緒にいられる人を
ずっと探していたのです。

当時、私の年齢は、
30代で、毛皮の販売をする会社で
事務の仕事をしていました。

けれども、
仕事にも生活自体にも満足できない日々。

「結婚をして、まったく違う世界に行きたい」

毎日、そんな事を考えていました。

会社では、
年上の同僚から、
プライベートな事をネチネチと
聞かれたりする事に、
少し疲れていました。

そんな、私でしたが、
将来には夢がありました。

「小さくても持ち家に住めて、
生活が安定していて、
親を大事にしてくれる人と
結婚をしたい」

そんな私に、
手配師のおばさんはこういいました。

「アワビの養殖の仕事をしていて、
しっかりした人だよ」

それを聞いた私は、
無邪気に考えていました。

「これで、きっと夢が叶うんだ」

私にとっての白馬の騎士が、
大将だったのです。

そして、私達はホテルのロビーでご対面。

「想像より老けているなあ。
見た目もパッとしないし…」

それが、第一印象でした。

「でも、お付き合いしながら好きになればいい」

そんな風に、自分を励ましたりしていました。

「何とかなりそうかな、どうだろう?」

そう思っていた私の背中を、
両親は「立派な人だね」と後押してくれました。

それから、約3ヶ月でスピード入籍。

一緒に暮らし始めた最初のうちは、
お庭のある大きなお家に住むことが出来、
将来の期待も膨らんでいました。

「これから人生が良くなっていくはず…」

ところが、しばらくすると、
アワビの会社の業績が悪くなってきたことから、
生活の雲行きが怪しくなってきたのです。

収入もガタンと減ったので、
私たちは団地に引越し、
セカセカとした暮らしをすることになりました。

「私は、この人しかいないんだから、
頑張ってついていかなきゃ」

そう、思いながらも、
何だかとても辛くて、
ストレスで体調を崩したりしていていました。

そうこうしているうちに、
アワビの会社が倒産。

私たちは、カニの卸をやるか、
知り合いのつてでラーメン店をやるか、
どちらかを選択することになりました。

その時には、生活のためには私も働かなきゃいけないと、
私も覚悟を決めていました。

結局、カニの仕事は安定していないので、
知り合いがやっているラーメン店に
私たちは修行に入ることにしました。

当別にあったその店の社長さんは、
顔も身体もゴリラみたいに迫力がある、
本当に怖い人でした。

気に入らないことがあると、
しょっちゅう、
中華鍋や、
熱湯のついたさいばしで、
従業員を叩いたり、
お客さんの前で、
口汚く怒鳴ることもありました。

とくに、社長は、
なぜか大将のことが気に入らないらしく、
感情を爆発されることが沢山ありました。

「ブタは邪魔なんだよ!」

私から見た大将は、
社長よりも仕事が出来て、
従業員からも慕われていました。

それが、きっと
気に入らなかったんだと思います。

あと、理由もないのに、
お客さまに土下座させられたこともありました。

あの光景は、
一生忘れられません。

大将の背中を見ながら、
私は、恐くて、
何も出来ませんでした。

悲しくて、悲しくて、
泣きながらまかないのラーメンを
すすったのを覚えています。

あれは、テールスープを試食した日でした。

私は、その社長が憎たらしくて、
嫌でしょうがありませんでした。

それでも、大将は、
どんなに嫌なことがあっても、
自分より弱い人に当り散らすようなことはありませんでした。

私には、とても出来ません。

すごい人なんだなと思いました。


ところが、
そんな事があっても耐えていた私たちに、
ある日、いい報せがありました。

千歳に店を出して、
ゆくゆくは任せてくれる
というのです。

私たちは涙を流して喜びました。

「自分たちの店が持てる」

それからは、365日、
身体がバラバラになるくらい、
毎日、仕事を頑張りました。

そうこうするうちに、
千歳に出したその店は、
本店を上回るほどの繁盛店になりました。

私達は、どんなに身体が疲れても、
自分達の店に夢を膨らませていました。



そんなある日、
とんでもない出来事が起こりました。

社長が、私たちを
突然、店から追い出してしまったのです。

その日、いつも通りに
午前8時に出勤した私たちでしたが、
社長が先に店にいて、
いきなり怒鳴りつけてきたのです。

「遅刻しやがってけしからん!
出て行け!破門だ!」

そういって、
社長が二の腕をまくりあげると、
びっしりと刺青が入っていて、
私たちは言葉を失ってしまいました。


完全ないいがかりでした。

しかし、どうすることもできす、
来た道を2人でトボトボ引き返してきたのです。


突然の事で、
本当にびっくりしましたが、
冷静になってみると、
あれだけ大将にひどい事をした人ですから、
縁が切れてかえってせいせいしました。

「あんな奴の顔を2度と見ないですむわ!」

それなのに、大将は、
あまり怒った様子もなく、
お気楽な様子。

「お世話にも沢山なったじゃないか」


社長の予想では、
千歳の店が本店を上回るほど
繁盛をするなんて、
ぜんぜん考えていなかったようです。

こうして、私達は、またもや
突然、路頭に迷ってしまいました。

その時には、もう、どうやって、
生活していこうか考えるのが精一杯で、
夢どころの騒ぎではありませんでした。

そして、どうするか考えていたのですが、
心の中では大将も、私も、こう考えていました。

「もう、私達には、
ラーメンしかない」

でも、どうしたら自分たちで
お店をオープンできるんだろう…。

そうすると、
ありがたいことに、
お店の常連さんや、
友人、仕入先さんなどの色んな方が
応援して下さることになり、
自分たちの店をオープンできることになったのです。

そして、1995年1月24日、
千歳市自由が丘という場所で
私たちは店を始めさせて頂きました。

店名は、「道裕」(みちひろ)の「道」と、
「紀子」(のりこ)の「のり」を合わせて
「道のり」(みのり)と名づけさせて頂きました。
「みちのり」ではなく「みのり」と読みます。

「まだまだ、美味しいラーメンを
つくれない私たちだけど、
一歩ずつ一歩ずつ進んでいこう」

そんな事を話しながら店名を決めました。

そして、本当に休み無く、
スープの仕込みから営業、
翌日の準備と後片付けで、
朝の5時から夜の12時まで
365日働きました。

お店は、自衛隊さんや、
地域の方々にご愛顧頂き、
おかげさまで、
にぎやかな毎日。

そして、7年後の2002年、
7月22日、自由が丘から、
現在の36号線沿いに移転したときに、
「道のり」を「みのり」と、
変更させていただいたのです。


振り返ってみると、
色んな事がありましたが、
中でも、大将には腰のヘルニアがあって、
ずっと辛かったと思います。

厨房にダンボールを敷いて
ショックを和らげたり、
靴のつま先を切り落とすような工夫をして
頑張っていました。

横で見ていて心配になりましたが、
泣き言は、殆ど聞いた事がありません。


あと、これまで、
大将がしてくれたことで、
一番嬉しかったのは、
私が乳がんになった時に、
一生懸命はげましてくれたことです。

「やばいかな…」

そう、考えつつも実際に乳がんの診断を受けたとき、
私は、本当に怖くて、不安で一杯でした。

当時は、今のように、
再発も無く完治する人は、
まだ、少なかったのです。

病院の廊下に張ってある
誘導テープの上をフラフラと、
真っ直ぐ歩けないくらい意識が
もうろうとしたのを覚えています。

「せっかく私を選んでくれたのに、
全摘になってごめんね」

大将には、そんな手紙を書いたのを
覚えています。

そして、明日、手術というその日の夜。

小さな川に面していた私の病室に
パッと光が入ってきてパパパンと音が鳴りました。

窓に近づいて見ると、
大将が向こう岸で花火を
次から次にあげているのです。

私は、思わず窓を開けました。

「絶対に大丈夫だよ。
心配ないよ。
俺がついているから!」

大将が涙ながらに声を張り上げていました。

あの時には、本当に勇気が出て嬉しかったです。


あと、一つだけある不満については、
どうしても言いたいのですが、
長くなってしまうので、
それは、また、
いつかご紹介したいと思います。


みなさんもご存知のように、
大将は、年だけはとっていても、
子供みたいな人ですので、
ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、
どうぞ、ご容赦下さいませ。

あと、何かお気づきになられた時には、
色々とご指導下さいませ。


ご来店下さった時には、
元気なるラーメンを精一杯
お作りさせていただきます。

石崎紀子


愛笑コメント
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今回、妻の気持ちで
初めて分ったことがたくさんあって、
びっくりしました。

次回は、また、私の物語を中心に、
お届けさせて頂きます。

第9ラウンドはこちら

アホのチャンピオンベルト