かわら版

みのりの愛笑が歩んだ
「涙のアホベルトへの道のり」

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― 116円 ―

1984年の年末を、
28歳の私は「死のう、死のう」と思いながら、
車の中で過ごしていました。

手持ちのお金が116円しかなかったので、
外の気温は氷点下になっていましたが、
エンジンをかけることも出来ませんでした。

そこは、街外れの普段は誰も来ない山の中で、
遠くに波の音が聞こえました。

頭の中は、とにかく自殺のことで一杯です。

「(私を騙した人が)見える所で首を吊って
せめてもの仕返しをしたい」

そんな、会社をだまし取られた
悔しい気持ちもありました。

本当に、やけくそでした。

それでも、
最後にもう一度だけでも
妻と電話で話をしたくて、
寒さに震えながら、
最後の116円を
私は握り締めていたのです。

電話のダイヤルは、
山の中に来る前に、
何度も回してもみましたが、
つながることはありませんでした。

31日になると、空腹もきつくなり、
お腹がグーグーと鳴りました。

「今日は、大晦日か。
みんな、旨いもの食べているんだろうな」

そんな事を思いながら、
のどが渇くと雪や氷を舐めて過ごしました。

夜になっても、
寂しいのと悔しいのとで、
いつまでも、眠ることが出来ません。

「一人で死のうか、いや、
どうせなら、復讐して死んでやる」

心は、ずっと定まらず、
行ったり来たりを繰り返していました。

このまま縁がなかったら
凍死してしまうかもしれない。

「それもありだな…」

そんな感じでした。

今思えばよく生きていたなと思います。


― 札幌に行けば… ―

明けて1984年の元旦。

私は、自分が死ぬ前に、
妻と最後の連絡を取るべく、
共通の友人を訪ねることにしました。

正直な気持ちだけは、どうしても、
伝えておきたかったのです。

事情を話すと、
彼女は驚きながらも協力を約束し、
今すぐ、結論は出すなといいました。

そして、返さなくていいからといって、
当面の生活費を私に貸してくれたのです。

「私も頑張ってみるから希望を棄てないで」

結局、すぐには、
妻との連絡は取れませんでした。

それでも、彼女の親切や、
涙を流して同情してくれたことに
応えたいという気持ちもあって、私は、
もう少しだけ頑張ってみることにしました。

「きっと、妻子もいつかは必ず、
帰ってきてくれるだろう」

でも、今は、全てを失い、
このみじめな変わり果てた姿を、
この街でさらす事はできません。

そんな事を考えながら、
私は、街を出ることにしました。

「札幌に行けば、
きっと何かが変わる」


― とんでもない臭い生活 ―

札幌に着くと、
正月休みの街は、
福袋や初売りの品を買う親子連れで、
ガヤガヤと賑わっていました。

私は、駅のトイレで顔を洗うと、
ゴミ箱に捨ててある新聞を拾い集めて、
仕事を探すことにしました。

少しでもお金を節約しようと思ったのです。

そして、仕事始めまでの3日間は、
人通りのない豊平川の川ぶちや、
公園なんかに車を止めて寝泊りをしていました。

毎日、ジャンバーにまるまって寝ていたのですが、
よく死ななかったと思います。

そして、ついに1月4日の仕事初めを迎えました。

私は、新聞でチェックしていた、
住み込みで、お風呂があって、
住民票が無くても採用してもらえそうな、
会社の仕事を探し始めました。

すでに10日以上、
お風呂には入っていませんでした。

とんでもない臭い数日間でしたが、
心には決意を秘めていました。

「もう一度、立ち直ってみせる」

しかし、私が入った会社は、
実は、とんでもない所だったのです。

<つづく>

(次回はこちらの内容をお届けします)

「入社月から日本一の電話加入権営業マンになる」


愛笑コメント
=====
人生って、本当に分りませんよね。



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アホのチャンピオンベルト