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議会質問&会派取組

2014-06-09 10:46:00

 

 ◆阪口芳弘議員

 お許しをいただきましたので、通告順に従い、一括質問式にて質問させていただきます。

 

 まず、JR東貝塚駅並びにその周辺地域の問題点について質問させていただきます。

 

 本年、5月19日月曜日、22日木曜日の両日、午前6時から午前9時の3時間にかけて、東貝塚駅の乗車客数を乗車する人の流れとともに調査いたしました。それによりますと、乗車客数は19日が1,173名、22日は1,154名の方々が東貝塚駅から乗車されました。そのうち東側から乗車された方は、それぞれ19日が735名、22日が713名、西側から乗車された方は19日が438名、22日が441名でありました。このことから、約62%の方が東側から、約38%の方が西側からの乗車と判明いたしました。

 

 また、1日平均440名の西側から乗車された方々のうち、自転車置き場を利用された方が1日平均205名、その45%は東側から、55%の方が西側からの利用でありました。

 

 西側から乗車される方の不満は、まず約30メートルに及ぶ長い踏切を渡らないと改札口に行けないこと、また、たびたび時刻どおり運行されないときがあるために、踏切が閉鎖され時間が読めないこと、そのようなことで希望の電車に乗れないこと、さらに、大きな事故などのときは全く渡れなくなるために、近くに住みながら南海線を利用される方々がたくさんおられることが判明しました。中には、無理に渡る子どもたち対して非常に心配されている方々もおられました。

 

 この問題を解決する方法の中で少しでも可能性のあるのが、地下通路を延長し、西側にも改札口をつくることであるというふうに考えております。

 

 以前に地下通路の建設費を試算されたことがあるというふうに仄聞をいたしましたが、幾らかかるのか試算されておられるのならお伺いいたしたいと思います。

 

 先月26日の新聞報道等によりますと、ユニチカの社長が引責辞任し、375億円の金融支援を受けると報道されました。紡績を含む繊維産業は戦前から戦後の日本経済の花形産業であり、ユニチカの前身の大日本紡績は日本を代表する名門企業でありました。私も、ニチボー貝塚の周辺で育ち、市民にとっても自慢の企業でありました。その凋落ぶりは大変残念でありますが、また、その復活は厳しいものであろうかと存じますけれども、ぜひとも再建していただきたいと願っているところであります。

 

 さて、東貝塚駅周辺にはユニチカ貝塚工場跡地の約1万6,500坪に及ぶ広大な面積の空き地があります。前述のことから、恐らく手つかずの空き地を放置され続けるようなことはないと考えます。いずれ、近い将来開発が行われることになるというふうに考えております。何らかの開発が行われるならば西口改札口の建設を条件にするよう求めたいと考えますが、いかがでしょうか。

 

 また、東貝塚駅の西側には通称駅前公園があります。毎年32万円の管理費等がかかっておりますが、全く利用されている様子がなく、もったいないように思えて仕方ありません。子どもたちのために遊具などを設置されてはと思いましたが、場所柄、また安全上いかがなものかと思い、何か利用方法はないかと考えています。

 

 東貝塚駅西側には自転車預かり所があり、約400台の自転車を預かることができます。そのうち33台は一時預かり用になっています。最終電車がおくれますと、預かり所が閉鎖され自転車が取り出せないことも過去に起こりました。そこで、公園内に有料の機械式の自転車駐輪機を設置し、一時預かりに対応してはどうかと考えます。放置自転車対策、また放置自転車防止の啓発にもなると考えますが、いかがでしょうか。

 

 次の問題として、駅の中のトイレについてでありますが、駅の中のトイレは男女共同トイレであり、いまだにくみ取り式であります。平成22年9月の定例会において質問させていただきましたが、その答弁の中に、西日本旅客鉄道株式会社に対してトイレの早急な改善を要求するとあります。

 

 付近も下水管が布設され、質問させていただいてから4年近く経過いたしましたが、その進捗状況をお聞かせください。

 

 続けて質問させていただきます。

 

 平成18年に高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律、通称バリアフリー法が施行され、1日の乗降客が5,000人を超える駅ではエスカレーター、エレベーターの設置が義務づけられています。その後、平成22年に3,000人を超える駅にも適用され、東貝塚駅はその範囲に含まれています。2012年の大阪府の統計年鑑によりますと、乗車客は約2,200人で乗降客はその倍の4,400人程度であると思われますので、その法案の適用範囲にあります。

 

 バリアフリー法では、目標として、平成32年度までに全てにエレベーターまたはスロープを設置することを初めとした段差の解消、ホームドア、内方線つき点状ブロックによる転落防止、誘導ブロック、障がい者対応トイレの整備が目標とされています。しかしながら、改札口とホームとの連絡が地下通路であること、引き込み線がありホームに外づけできないこと、ホームの幅が異常に狭い等構造上の問題のために、エレベーターの設置ができない状態が続いております。しかしながら、1人用のエスカレーターや車椅子運搬リフト、多目的トイレの設置は工夫次第でできる可能性があると思いますが、いかがでしょうか。

 

 いずれにいたしましても、このような諸問題に対してJRと協議し、基礎自治体がリーダーシップをとって、身体障がい者、高齢者はもとより、地域に暮らす人たちのために情熱を持って取り組むべきであると考えますが、いかがでしょうか、お伺いいたします。

 

 次に、「バレーボールのまち貝塚」の今後の進展についてお伺いいたします。

 

 2020年の東京オリンピック招致に伴い、1964年に開催された東京オリンピックで大活躍した東洋の魔女ことニチボー貝塚の女子バレーボールチームが一部報道機関に取り上げられ、当時大いに沸いた旧ニチボー貝塚について、当時を知らない若者たちにも知らされることとなりました。しかしながら、バレーボールアカデミー「JVA貝塚ドリームス」も解散され、ナショナルトレードセンターも昨年3月に閉鎖になりました。その後も、ホームページには掲載されてはいるものの新しい働きかけがなく今日に至っており、唯一、市民の目に触れていた看板、これは東貝塚駅の横にありましたけれども、その看板さえも知らない間に取り去られ、記憶の底に追いやられてしまっています。これは、せっかくついたまちおこしの火種を自ら消してしまったと言わざるを得ず、残念でありあます。

 

 貝塚市は、ニチボー貝塚とともに歴史を刻んできたとも言えます。日本全国や世界に誇れる市でありながら、このチャンスを見逃してしまうのは市民にとって大きな損失であると考えます。

 

 また、貝塚市歴史展示館は、ニチボー貝塚の歴史やバレーボールのまち貝塚の象徴として現存し、市民アイデンティティーの一層の向上と貝塚市の知名度アップに向けての取組みを加速させていくという市からの発信に即した存在となるべきものですが、残念ながら現在、その目標にはほど遠いとしか言えず、2020年の東京オリンピックに乗じてさまざまな策を講じることでその目的を果たす存在として、バレーボールのまち貝塚を全国に向けて発信させることも可能かと考えます。

 

 その一つの策として、ニチボー貝塚の歴史、東洋の魔女を世界に生み出したバレーボールの歴史、そこにかかわってきた人々の歴史などを掘り起こし、広く社会にアピールするため、メディアを利用してはいかがと考えます。具体的に申し上げますと、NHKの朝の連続テレビ小説に取り上げてもらうなどです。テレビ小説ですので文字どおり小説があることが条件になります。NHKに問い合わせてみますと、この先2年ぐらいの出し物については何らかの形が決まっているらしいのですが、その先は未定で、もちろん小説がありさえすれば不可能ではないとの返答をいただきました。

 

 取り上げていただくならば、2020年の東京オリンピックのタイミングではないかと考えます。貝塚市のために、まずはテーマを投げかけて小説をつくることが必要になります。

 

 昨年10月には東洋の魔女の一員でセンタープレーヤーであった河西昌枝さんが永眠され、今年5月27日には、元全日本バレーボールチームの監督であり、クラブチームではニチボー貝塚からユニチカ・フェニックスの監督であった小島孝治さんが亡くなられました。しかし、今なら貝塚市のニチボー貝塚を知る、過去の貝塚市を知る方も健在しております。長年にわたり貝塚市に貢献し、その発展を支えてきたとも言えるニチボー貝塚の歴史を継承することは、今に生きる私たちの務めではないでしょうか。

 

 2020年東京オリンピック、貝塚市を全国に知らしめるこの好機を生かし、バレーボールのまち貝塚を再発信させる絶好の機会と考えますが、いかがでしょうか、お伺いいたします。

 

 

 

 

 

◎藤原龍男市長

 

 詳細は後ほど部長からお答えをさせますが、まず一つ、ユニチカが経営危機に陥っているという話をされましたが、実は先週、次期取締役会で社長に就任予定の注連常務と意見交換会をしました。そのときにこう言われました。

 

 ユニチカは、体質改善を今図って、伸びる産業については投資をし、ちょっと時代の流れにおくれたところは縮小していく。そのために新しく事業展開するための費用を銀行から今回融資を受けたのであって、経営危機だから融資を受けたのではないと、危なければ金融機関は融資はしないと、こうはっきりとおっしゃっておられたので、その辺だけは誤解をされないようにと会社のためにもお願いしたい。

 

 もう一つ、バレーボールのまち貝塚の炎を消してまちづくりの火を自ら消したと、こうおっしゃいましたが、バレーボールアカデミーの閉鎖のとき、私は何度となく自ら東京のJVAに足を運びました。副市長、教育長、2人で何度も行き、松浪健四郎日本体育大学の理事長にも間に入ってもらい、森田日体大の監督やいろんな人を使って、何とか延びる道はないか、ユニチカにも行って財政負担を少なくしてくれ、貝塚市はどんなことでもするよという条件も出しましたが、東京でナショナルセンターができたのでこれはいたし方がないと、全部のスポーツのナショナルセンターが東京にできたということで、松浪議員にも何度も頼んで私も何度も足を運びました。5回ぐらい行ったような気がします。それでも難しかったということをご理解願いたい。

 

 何も自ら火を消したわけではなく、これについては私もバレーボーラーとしてのプライドも自覚もありましたので、オール貝塚の力を持ってしても時の流れには逆らえなかったということを阪口芳弘議員、ご理解いただきたいと。

 

 あとのことは担当のほうから答弁させてもらいます。

 

 

 

◎都市整備部長

 

 私から、阪口芳弘議員の質問番号1、JR東貝塚駅並びにその周辺地域の問題点についてご答弁させていただきます。

 

 JR東貝塚駅並びにその周辺地域の問題点につきましては、平成22年の9月議会の一般質問で議員から同趣旨の質問があり、地下連絡通路の整備につきましては、西日本旅客鉄道株式会社に対して協議をしてまいりますとご答弁させていただいております。

 

 議会終了後、早々、西日本旅客鉄道株式会社大阪支社企画課とこの問題につきまして協議を開始し、今までに数回の協議を重ねてまいりました。本市といたしましては、先ほどのご指摘もございましたし、市長のご答弁にもありましたように、ユニチカの跡地の開発等で駅利用者が増加することが見込まれること、踏切の安全性の確保という観点から西側に地下道連絡通路を延伸して改札口を設置する要望をしてまいりました。一方、西日本旅客鉄道株式会社としても、東貝塚駅の課題について認識はある、列車の安全対策費など高額な工事費が必要で、改札機と券売機等の設置、そして人的対応も必要になるというものであります。さらに、バリアフリー法の改正に伴いその対策を求められた場合、対策が困難になるということであります。

 

 本市といたしましては、西日本旅客鉄道株式会社に定期的に協議をこれからも継続してまいりたいと考えております。

 

 ご指摘のとおり、今後ユニチカ跡地の開発が行われるような状況になるならば、開発事業者とも地下道の連絡通路の延伸等につきまして協議してまいりたいと考えております。また、建設費につきましては、鉄道事業者の工事になりますことから正確な試算は行っておりません。

 

 次に、東貝塚駅の自転車駐輪対策でございますが、駅西側にあります東貝塚駅自転車駐車場は午前4時30分に開場し、翌日の午前1時20分--これは、最終電車が12時55分に到着します--に閉鎖されます。ご指摘の最終電車がおくれて自転車が取り出せないということにつきましては、この施設を管理運営しております公益財団法人自転車駐車場整備センターに申し入れをしてまいりたいと考えております。

 

 また、当駐輪場の年間利用率が76.4%程度であり、余裕がありますことから、ご提案の広場内に24時間対応の機械式自転車駐輪機を設置する考えはございません。

 

 トイレの改修につきましては、西日本旅客鉄道株式会社に問い合わせたところ、早ければ平成26年度中にトイレの水洗化と男女の別をする方向で設置すると返事をいただいております。

 

 駅構内のバリアフリー化につきましては、ホームの幅が狭くエレベーターの外づけが困難でありますが、バリアフリー対策としてご提案していただいております車いす用のリフトなど工夫次第で設置ができる可能性があるものにつきましては、西日本旅客鉄道株式会社に要望してまいります。

 

 以上でございます。

 

 

 

◎教育部長

 

 阪口芳弘議員の質問番号2、「バレーボールのまち貝塚」の今後の進展について私のほうからご答弁を申し上げます。

 

 平成15年に日本バレーボール協会がユニチカ貝塚工場跡地の体育館に、全日本女子バレーボールの復活を目指し、貝塚ナショナルトレーニングセンターを設立しました。このことを受け、平成16年度から本市では、再びバレーボールのまちとして復活を図るべく、市民の皆様とともに全日本女子チームを応援するとともに、貝塚ナショナルトレーニングセンターの協力を得ながら、全日本チームの公開練習試合の開催、JVA貝塚ドリームスの応援、小学生バレーボール教室の開催、また全国都道府県対抗中学バレーボール大会(女子の部)の誘致など、さまざまな事業を展開し、バレーボールのまち貝塚の情報発信に努めてまいりました。

 

 しかしながら、ご指摘のとおり、平成25年3月末をもって貝塚ナショナルトレーニングセンターが閉鎖されたことに伴い、各種事業の継続は困難な状況となりました。

 

 しかし、本市にとりましては、バレーボールは昭和39年の東京オリンピックでの女子チームの金メダル獲得以降、半世紀にわたり本市を象徴するものの一つとして大きなアピールポイントであると考えております。2020年に東京オリンピック開催もありますことから、今後、どのようなことができるのか検討してまいりたいと、このように考えております。

 

 以上でございます。

 

 

 

 

 

◆阪口芳弘議員

 

 どうもありがとうございました。

 

 自席からではございますけれども、JR東貝塚駅並びにその周辺地域の問題点についてと「バレーボールのまち貝塚」の今後の進展についての再質問をさせていただきたいと思います。

 

 地下連絡通路ということを私、申し上げまして、こういった大きな問題は、私がここで質問して、それならやりましょうというようなことではなかなかないと思うんですが、人口減少が最近よく言われる中で、やはりいかにこのまちを住みよいまちにするのか、安全で便利に暮らせるにはどうしたらよいのかというようなことを考えていきますと非常に有効性があるのかなと。

 

 そして、公園が実際にありますので、余り使われていないと申し上げていますけれども、その公園に例えば連絡通路をつくると。ほとんど使われていない公園を利用する、貝塚市の持っている財産を利用する、これがいいのではないかということで質問させていただいたんです。

 

 いかに他市に比べて魅力あるまちにするかということを考えていっていただきたいなと思うのが質問の第1点と、あと、1万6,500坪ということです。実は、あの広いところをずっとユニチカさんは置いておられますけれども、何にされるんですかということをよく質問されます。私、そのうちに今みたいな話があるので動き出すのではないかというような話をしていますけれども、地元の方々は本当に、あれずっと置いておいて、何かできるんであろうと期待も相当ありますのでこういった質問をさせていただいた次第でございまして、例えば1万6,500坪ですので、1万円の付加価値をつけるだけで1億6,500万円というお金が生まれてくるんです、単純計算ですけれども。こういった形をぜひ利用して推進していただいて、さらなる要望をしていただきたいというふうに思っておりますが、いかがでしょうか。

 

 あと、トイレを水洗にしていただけるということを今年度中ということでございましたけれども、実際にできるのかということと、それと今、男女別のトイレにはなってございませんで、共同トイレになっておりますので、これをぜひ男女別のトイレにしていただきたいということ、また、できますならば多目的トイレにもしていただきたいということであります。

 

 あと、「バレーボールのまち貝塚」の今後の進展につきましてでございますけれども、特に我々の地域は昔、ニチボー貝塚であったりユニチカ貝塚であったり、働いていた方々が実はたくさん地域に今も住んでおられます。東貝塚駅構内の話をさせていただきましたが、そこに「バレーボールのまち貝塚」というふうな垂れ幕がございました。それがいつの間にかなくなってしまっているんで、皆さんが、特に今申し上げた方々が、もう貝塚市は「バレーボールのまち貝塚」というようなことをやらないんでしょうかというふうなことがあって質問させていただいたと。2020年の東京オリンピックのとき、特に非常にチャンスなのではないかなということで、ぜひメディアを利用した活動をされたら費用対効果というか、余りお金も使わずにできるんではないかということでそういう質問をさせていただきましたので、実際にそういうことを考えていただけるのかどうか、再度質問させていただきたいと思います。

 

 

 

◎藤原龍男市長

 

 ちょっとだけ私のほうからは、まず1万数千坪に上るユニチカの工場跡地の更地部分、これは貝塚市としてもユニチカに有効活用をお願いいたしております。

 

 ただ、いっとき、皆さんも知っていると思いますが、一般財団法人民間都市開発推進機構にユニチカの土地を買ってもらい融資を受けて、それをユニチカが買い戻しています。20万円以上になっているわけです、簿価は。それを例えば5万円とか8万円で売れるはずないんです。そんなことしたら株主代表訴訟の対象になるんですね。阪口芳弘議員が坪20万円で買うところがあるよと言ってくれはったらすぐでも買うと思います。今まで3度も4度も公募をしました。十四、五万ぐらいが限界でした、正直言った話が。

 

 私は先週何しに行ったかというと、もうトップ会談しかないなと思って社長に何度も話をしていまして、行きました。何とかなりませんかと、貝塚市の雇用の場の確保、税の確保の観点から社長、判断をしてくださいと、副市長と2人で伊藤忠ビルの本社に行って話を詰めております。

 

 ただ、簿価の問題があるのでなかなかないというのが難しくて、しかし、私は諦めているわけでもなしに、何とかあそこに住宅、企業、地域の活性化につながることを今一生懸命模索しているということでご理解願いたい。貝塚市としても必死で動いているということをご理解していただきたいと、このように思います。

 

 

 

◎都市整備部長

 

 お答えいたします。

 

 先ほどの再質問でございますが、JR東貝塚駅は確かに駅前広場も未整備でございますし、課題点はたくさんあるかと思います。

 

 それから、ご指摘いただきました公園ということでございますが、これも、もともとユニチカの貨物の引き込み線があった部分を将来のそういう西側改札口の設置とか、またバリアフリー化のための用地として貝塚市で購入した経過がございます。そういったものを活用しながら今後、バリアフリー化等々についてもJR西日本と現在、協議から進めまして勉強会をつくってやっておりますので、その中で協議していきたいと、このように考えております。

 

 それから、ユニチカの約1万6,000坪につきましては、開発のお話がございましたら、その中で先ほどの市長のご答弁にもございましたように取り組んでまいりたいと、このように考えております。

 

 それから、3点目にトイレの話でございますが、これは、先ほどもご答弁いたしましたとおり、本年度中に水洗化と男女の区別につきましては設置していきたいというご回答をいただいておりますので、本年度中にできるものと信じております。

 

 以上でございます。

 

 

 

 

 

◎教育長

 

 バレーボールのまちについてお答え申し上げます。

 

 今、阪口芳弘議員のほうからお話しありました掲載用のバレーボールのまちの看板でございますが、まだ使用に耐える状況で撤去したわけじゃなくて、市民の方からも、非常にみすぼらしい状況になっていると、ご存じのように布地のネットの上に文字を張ったものでございまして、もう相当の年数がたって傷んでおりましたので撤去しております。

 

 バレーボールのまちにつきましては、ご質問の中にもありましたように、貝塚ナショナルトレーニンングセンターをつくったことを契機にバレーボールのまちという名称を標榜しています。そのきっかけになったセンターがなくなり、JVA貝塚ドリームスがなくなり、本当に取っかかりがなくなってしまっているというのが実態でございます。

 

 昨年までは東洋の魔女の中心になられた河西さんがいらっしゃって、ご存じのように昨年、宝くじの事業ということで、バレーボール教室に全日本のゴールドメダリストが来てくれて市民にいろんなアトラクションをやっていただけたという取組みがございましたが、これもひとえに河西さんのお力であったわけです。

 

 加えて、この5月には小島監督もお亡くなりになられたということで、非常にもう取っかかりがなくなってきておることは事実でございますが、東京オリンピックという一つの大きな契機がございますので、再度、何らかの突破口ができないものか、小説とは限定せずにさまざまな形で研究をしてみたいと、そのように考えております。

 

 

 

◆阪口芳弘議員

 

 最後に1点だけ、自席からでございますが質問させていただきます。

 

 今、構内にあった布でできた看板的なものをとられたということで、もう設置していただけることはないというふうに、どんどんああいうのは劣化していきますので定期的にかえる必要があると思うんですけれども、それは東貝塚駅構内だけではなくて貝塚市には結構あっちこっちあると思うんですが、古くなればもうそれでとってしまって終わりということでしょうか。

 

 

 

◎教育長

 

 現在のところ、再度それを掲示するということは考えておりません。というのは、「バレーボールのまち貝塚」という大きな看板を出しながら貝塚市へ来てみても、今、バレーボールのまちを味わっていただけるのが、貝塚市歴史展示館(愛称:ふるさと知っとこ!館)のあの1コーナーだけしかないというのが実態でございます。

 

 やはり、あの看板を見て貝塚市へ来て、ああやっぱりバレーボールのまちだなと思っていただけるものが本当になくなってしまったというのが実態ですので、そのこともあわせて、またバレーボールのまちを標榜していけるような環境が生まれましたら再度考えていきたいと思いますが、今のところは、積極的に再度かけていくということは考えておりません。