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議会質問&会派取組

2017-11-30 11:11:00

 

 

≪①性的マイノリティ支援について ②藤原市長2期8年の総括と3期目に向けての取組みについて≫

 


 ◆南野敬介議員


 議長よりお許しをいただきましたので、通告順に従い、一括質問方式にて進めてまいりたいと思います。

 まず第1点目に、性的マイノリティー支援について質問させていただきます。

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 最近、LGBTという言葉をよく耳にするようになりました。


 性的少数者を限定的に示す言葉で、Lがレズビアン(女性同性愛者)、Gがゲイ(男性同性愛者)、Bがバイセクシュアル(両性愛者)、Tがトランスジェンダー(出生時に診断された性と、自認する性の不一致)の頭文字をとった総称であり、ほかの性的少数者は含まれないとされております。


 世界最大規模のブラジル・サンパウロ「ゲイ・プライド・パレード」では、2009年に推計320万人が参加しており、日本でも各都市で大規模なパレードが開催されました。


 現在、同性結婚を認めた国は約20箇国以上に上り、2014年4月15日には、インドで第三の性(トランスジェンダー)を法的に認める最高裁の判決が出されました。


 しかし、この四つのくくり以外にも、IAQといった方々もいます。


 Iはインターセックス(身体的に男女の区別がつきにくい人)、Aはアセクシュアル(無性愛者。同性も異性も好きにならない人)、Qはクエスチョニング(自分の性別や性的指向に確信がもてない人)と言われており、このように、現在、男女という区分けでは説明のできない性というくくりになってきております。


 現在、同性愛や性同一性障害のことは、法務省の主な人権課題の中で明確に取り上げられており、我が国における人権問題として取り組むべきであるとされております。


 性的マイノリティーについては、社会的に十分に認識・理解されていないため、自分の性的指向などを明らかにし、当事者が自分らしく生活することは、周囲から異常視されることも多く、大変困難を伴っております。


 また、若年層においては、当事者自身が正しい知識を得る機会がなく、性のあり方について違和感を持ち、誰にも相談できずに悩み続ける場合もあります。


 一方で、先ほど申したように、近年、欧米諸国等でも同性婚や同性カップルに結婚とほぼ同等の権利を認める動きがあるとともに、国内外で性的マイノリティーであることを公表、カミングアウトした人が、政治、スポーツ、芸術等さまざまな分野で活躍したり、当事者で構成するNPO団体が地道な活動を進めていることなどにより、社会において少しずつではありますが、理解や共生の意識が広がってきております。


 しかし、偏見や差別を助長する興味本位の扱いもまだまだ多く見られ、依然として性的指向や性同一性障害を理由とした嘲笑やいじめ、解雇、賃貸住宅への入居拒否などが発生しております。


 そのため、性的マイノリティーの多くの方は、周囲に知られることを恐れながら生活しているものと思われます。


 性同一性障害に関しましては、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律が平成16年に施行され、一定の条件を満たした場合、家庭裁判所の審判を経て、戸籍の性別変更が認められることになり、2008年にはその条件を緩和する法改正も行われました。


 昨日11月29日の朝日新聞の朝刊で、性転換手術で保険適用をするかどうか、厚生労働省が諮問機関である中央社会保険医療協議会で議論してもらえるよう提案すると報道されました。


 このように、対策や考え方の整理、対応については、少しずつ進んでいるのであります。


 しかし、性的マイノリティーに対する人々への偏見・差別が当事者を苦しめており、私たち一人ひとりが性的マイノリティーについて正しい理解や認識を深めることや、学校、地域において、当事者や保護者の思いを受けとめた対応をすることが必要となってきております。


 市民が性的マイノリティーについて正しい知識を持ち、偏見・差別が解消されるよう、啓発活動を強めなければならないと考えております。


 その中で、幅広い啓発活動を進める上で、特に公務員や教員が性的マイノリティーについて正しく理解し、適当な助言、指導を行うことができるよう、現場における研修などに取り組むことが重要と考えますが、いかがでしょうか、お尋ねいたします。


 また、当事者が就職や賃貸住宅の入居などに際して不利益を生じないように、企業などへ働きかけることも重要であると考えます。


 日本国内でもパートナーシップ条例を策定し、性的マイノリティー支援に取り組む自治体もふえてまいりました。


 2015年11月、東京都渋谷区、世田谷区、2016年には三重県伊賀市、兵庫県宝塚市、沖縄県那覇市において、2017年には北海道札幌市で制定されました。


 同性カップルを結婚に相当する関係と認める同性パートナーシップ条例が渋谷区で成立されてからちょうど2年が経過しております。


 今年11月に政務活動で参加しました全国都市問題会議にて、沖縄県那覇市の城間市長によりますと、那覇市では平成27年7月に「性の多様性を尊重する都市・なは」宣言(レインボーなは宣言)を発表し、LGBTを含む性的マイノリティー問題を人権問題と位置づけ、パートナーシップ登録を開始したそうであります。


 この登録により、一部の金融機関での融資も可能となり、市営住宅の入居基準にも登録者が適用されるよう条例改正も行ったとのことでした。


 こうした取組みこそが一人ひとりの人権を大切にする取組みの一つであると考えております。


 非常に難しい問題であるとは思うのですが、最終的には性にとらわれることなく、誰もが安心して暮らせる貝塚市を目指すために、性的マイノリティーに対する行政的施策も検討しなければならないと考えますが、いかがでしょうか、お尋ねいたします。


 次に、藤原市長の2期8年の総括と3期目に向けての取組みについてご質問させていただきます。


 藤原市長は、平成29年第3回定例会の最終日に、来年1月に行われる貝塚市長選挙に三たび立候補を表明いたました。


 これまで「スピードと行動力をモットーに市政改革を進める」「元気あふれる みんなのまち 貝塚」「魅力かがやき 未来へつなぐまち 貝塚」の実現に取り組んで来られたことに改めて敬意を表したいと思っております。


 立候補表明の中で、1期目は行財政改革を中心に市職員の意識改革や市役所の体質改善を進め、2期目はフットワークも軽く、未来につながる新たな取組みに着手したと述べられました。


 また、3期目の決意の中に、「教育」「健康」「にぎわい」「産業」「安全・安心」の五つの分野について、ナンバーワンをキーワードに決意を述べられました。さらに、第二次貝塚新生プランの実行も掲げられ、取組みを進めるとも決意をされました。


 このような中で、私は、今ここで改めて、これまで市長が進められてきた2期8年の実績を総括する必要があるのでないかと思っております。


 平成29年第3回定例会では、あいさつの中で端的に総括されていましたが、市長の思いも込めて、しっかり総括していただきたいと思います。


 というのも、その総括がなければ、次の新たなステージに進めないと思うからであります。どのように振り返られますか、お尋ねいたします。


 また、その総括を受けまして、来年1月に選挙があるのかないのか、現段階では不明ではありますが、当選した際、いかに3期目に取り組むのか。


 5分野でのナンバーワンを進めるために、具体的にどのように取組みを行うのか述べていただければと思っております。


 私に与えられた質問時間は、質疑応答も含め1時間です。


 藤原市長の意気込み、夢、貝塚市に対する思いを、残された時間で語っていただければと思います。


 よろしくお願いいたしまして、私の質問といたします。ありがとうございました。

 


 

◎藤原龍男市長


 まずは、性的マイノリティーの支援ですが、実はこのご質問に対して、我々理事者は、部長級以上、また主な関係課長も入って、昨日話したのですが、その中で、私から出席している職員に、性的マイノリティーの支援、この近辺では兵庫県宝塚市が先行してしているが、君達どう思うかとみんなに聞きました。


 こういう答えでした。基本的にいうと、ちょっと早いのではないか、もうちょっと待ったらどうかという答えが多かったです。


 私は、貝塚市職員の皆は、そうなのかなと思いました。


 しかし、私は首長として、同じ関西の宝塚市の中川智子市長がそのような動きをしているというのを昨日聞きましたので、貝塚市も一度研究してみようという思いであります。


 何もする前から様子を見ようというのは、どうも私の政治スタイルに合わないと思いますので、担当職員、宝塚市ではどんなことをやっているのか、ほかのところはどういうことをやっているのか、貝塚市は何ができるのかも含めて、一度前に進めるような研究をしていきたいと思います。


 2問目の、私の2期8年と3期目に関する思いですが、今からちょうど8年前に出馬を決意し、厳しい選挙戦に挑みました。


 私は、貝塚市には地縁、血縁、同級生が全くない中で立候補し、私の前任の市長から、勝つことないよと。戦艦大和に向かっていく手こぎボートみたいな戦いだから、途中でやめようというご指導もいただきました。


 しかし、私は、一度こぎ出した以上は最後まで進んでみますということで、前に出ました。


 当時は、よそ者ということで、厳しいご指摘をいっぱい受けましたが、どんなことがあっても私がやめなかったのは、一つの強い思いがありました。


 それは、貝塚市は少子化が進み、このまま何も手を打たないと、貝塚市の力が衰退する一方であり、このまちの活力を維持し、さらに発展をするには、子どもたちに教育を、そしていろんな面での訓練を受けていただき、その子たちが社会人となって、貝塚市、大阪府、日本、世界で活躍をし、その力を地元貝塚市で活用してもらいたいという強い思いがあり、8年前の第1期の選挙のときの公約は、教育ナンバーワンという1点で選挙に挑みました。


 それは、全ての分野において、教育という視点を一番先に政策立案に掲げようという思いであります。


 フィンランドにおいては、よき納税者を育てるのが国の基本方針であります。私も同じように、このままでは税が減り、活力が減る中で、やはり人づくりはまちづくりという観点で取り組んでまいりました。


 特に、8年前は、市立貝塚病院のドクターは46名ぐらいでした。入院患者も少なく、ある大きな民間病院の理事長が私に病院を売ってくれという話がありました。


 阪南市は指定管理者を導入し、泉佐野市は地方独立行政法人化を選択し、和泉市も医療法人徳洲会に指定管理をしました。


 堺市も地方独立行政法人を選びました。


 私は随分悩みました。


 しかし、地域で最大の資源は病院であるという信念のもとに、小川病院事業管理者と何度となく、大阪市立大学、大阪大学、和歌山県立医科大学、近畿大学、兵庫医科大学に足を運び、医者の確保に精力的に取り組みました。


 小川病院事業管理者の大変なご尽力のおかげで、今、市立貝塚病院は58名の体制ができ、日本でベストドクターを選ぶ中で4人が選ばれていると。


 婦人科については、手術件数は府下で2位のものもあり、全国で16位のランクのものもあるまで持ってきました。


 これは、小川病院事業管理者を初め、みんなの努力のたまものだと思います。


 そして、私が市長になったとき、こういう決断をしました。


 公の仕事につき、みんなのトップになった以上は、私は捨てようと思いました。


 ですから、私は妻と5月の連休に北海道旅行に行ったとき、こう言いました。


 市長をしている間は、もう二度と旅行に行くことはないだろうと。


 元旦にも仕事に行き、365日仕事をすると妻に宣言しました。


 毎日7時には家を出て、1年間で約1,500箇所以上の集会、いろんな会議に出席し、いろんな人との話し合いを進めてきました。


 そんな中で、直接市民の人の話を聞き、何が今必要か。


 最初のころは、もう半分以上が批判でした。


 今でも、やっぱりいろんな意見は直接伺います。


 平成29年第3回定例会の最終議会で出馬表明をした後、いろんなところで新聞に載りました。


 いろんな意見を聞きました。


 私はもう直接市民の人と何度も話をしています。


 選挙というのは、市民の民意を聞く最高、最大の舞台であるので、民意を問うこれ以上のいい機会がないので、市民の声を聞く、聞けというのであれば、皆さん立候補されて、政策議論をすればいいと思います。


 そんな中で、8年前からこの間を振り返りますと、知ってのとおり、スピードと行動力で私は邁進してきました。


 「元気あふれる みんなのまち」、次は「魅力かがやき 未来へつなぐまち」の実現に向けて、私一人ではとてもできません。


 両副市長、教育長、病院事業管理者、一丸となっていろんな取組みを進めてきました。


 まず、教育分野においては、中学校における給食、エアコンの設置、義務教育施設のトイレの洋式化、これは府下でも断トツの水準を誇っていますし、耐震化、そして教育環境の安定化を進めるため、警察官OBを小学校、中学校に1名配置し、弁護士先生を毎週1回、教育庁舎で待機をしてもらい、法律相談、いろんな面での相談を受けるように対処をしています。


 さらに、貝塚市に生まれたことを誇りに思い、夢ときずなを保てるように、貝塚学や11月第3日曜日を「かいづか家族の日」として制定し、いろんな取組みをしていっています。


 そして何より、今日は子育て中のお母さんがたくさんお見えになっていますが、子どもを産みやすく育てやすい貝塚市づくりに取り組もうということで、府下でも初めてになるような子育て応援券を初めとした貝塚版ネウボラに着手し、私が市長になったときは就学前までの子ども、それも所得制限がありましたが、今所得制限を撤廃し、中学3年生までの子どもの医療費を無料にしたり、移動式赤ちゃんの駅も全国で初めて導入したり、保育所も整備するなど進めてきました。


 毎年4月では、保育所の待機児童をゼロにするということで進めています。


 病院については、緩和ケア病棟を開設したり、消化器・肝臓センターをオープンさせました。

 
 医者の確保、医療器具の充実にも精力的に取り組んできました。


 水道事業、これは大きな地震が起こっても、皆に安定的に水が届けられるよう、30億円のお金を投資して耐震化工事を終えました。


 大阪府の発表では、東南海・南海地震が発生したとき、水道の供給がとまるのですが、我が貝塚市だけは、次の日は多分水道が届くだろうと。


 それはなぜかというと、津田浄水場を全て耐震化し、施設そのものを耐震化しているので、少々無理があっても届くし、届かなくても井戸水がありますので、それを供給できるということです。


 そして、お年寄りの元気を、いつまでも地域で活躍できるようにふれあい喫茶、私が市長になった当時は10箇所ぐらいだったと思います。


 今はもう60箇所足らずまでなりました。


 ずっと私も回らせてもらっています。それ以外にもボーリングや卓球教室、お年寄りが参加して、楽しめる機会づくりにも努めてまいりました。


 また、産業・観光分野では、市長が直接行かないとなかなか企業誘致は進みませんので、無添くら寿司、日本生命保険相互会社、一旦閉めた麻生中のパナソニック工場、これも東京まで行きました。


 私はいつも言います。貝塚市に来てくれと。


 税収で優遇したり、水道料金で優遇するということはなかなかできませんが、貝塚市に来てよかったと言えるように私が責任を持つと。


 議会、政治、地域も安定しているし、来てよかったと言ってもらえるような取組みをするということを進めました。


 おかげさまで、無添くら寿司だけでも500人以上の雇用があり、来年の春には、100席以上の大きな喫茶店もオープンの予定で今進めています。


 これでも70人ぐらいの雇用があると。


 あの地域がこれを起爆剤に大きく開発され、念願でありましたスポーツ施設、温水プールを含めたような施設も今計画をしているところであります。


 プレミアム商品券を使って、地元商店街の活性化にも取り組んできました。


 大阪府下の商工会議所の会頭の方が集まる場で、プレミアム商品券、何でそのようなことができるのかと。


 担当者の努力もありますが、これは議会のご理解があるからです。


 平成11年をピークに我が貝塚市の税収は横並びか下がってきています。


 その中で、今言ったように医療費の拡大、病院、いろんな面で取組みができたのは、一般に言います身を切る改革を我々が率先してやってきたからです。


 その効果が今の市政になっていると思います。


 ここまで取組みができたのは、もちろん議会の皆さん方のご理解、そして市民の皆さん方のご支援があったからだと。


 私は一番は、職員がみずから動く体質に大きく意識改革をしてくれたことだと思います。


 いつも言うのですが、信用・信頼を得て、評価を得るには日々の並々ならぬ努力の積み重ねであると。


 しかし、信用を失い、評価を下げるのは一瞬の出来事であると。


 築城3年落城3日と言いますように、常に緊張感を持って任にあたってくれと言っています。


 そして今年の年度当初に言ったのを覚えてられると思いますが、一番強いものが生き残るのでもなく、一番賢いものが生き残るのでもなく、一番変化するものが生き残るということを、我々職員と常に話をしています。


 そのために、よその市よりもどんどん前向きに、税収が限られた中で、貝塚のまちを市民の人に楽しんでもらえるようなまちにしようと取り組んでいます。


 そういう観点でこの8年間を総括しますと、各地域における市民の方々の力が強くなったことと、職員の意識改革が着実に進み、職員がみずから市民のために働こうという意識が強くなったことだと思います。


 8年前、出馬するときに、一つこういうことも目標にしました。


 市民のために、より働き、より動く市役所づくりをしようと決めました。


 これを決めたのは、当時貝塚市職員労働組合の委員長の阪口 勇議員と相談して決めました。


 彼は貝塚市職員労働組合の委員長で、私は副市長でしたが、やっぱり役所全体の体質改善が要るということで、それを当時の阪口 勇委員長の意見も参考に決めました。


 さて、私は平成29年第3回定例会で市長選への出馬表明をし、新聞の記事にもなっていましたが、これまでの取組みを大きく花開かせ、市民の方々と手を携え、より一層市の発展に向けて取り組んでいきたいと考えています。


 まずは、教育ナンバーワンのまちとしては、全ての小学校の教室にエアコンを、今年は設計し、来年に設置をしようと考えています。

 

 そして、やはり三つ子の魂百までもということわざがありますが、就学前児童の学習環境の向上を図るために、公立幼稚園におけるキンダーカウンセラーを増員して、就学前教育をより充実していきたいと考えています。


 次に、子育て応援券、これは従前から言われていましたが、出産前の妊娠期のときから、相談があれば、食事や掃除などを行うホームヘルパーも派遣できるように、その機能を拡充し、乳児を抱えておられる家庭への負担を軽減していきたいと考えています。


 次に、健康ナンバーワンのまちとしては、引き続き高齢者の健康維持増進を図るため、健康ボーリング教室や卓球教室、新たに貝塚市には関西一の大きな屋内馬場がありますので、そこを生かした健康乗馬教室を日本で初めて取り組んでいこうと考えています。

 

 そして、私は市長になったとき、こういう要望を二つ受けました。生活保護を適正化にしてくれ、大学を誘致してくれと、この二つが一番多かったです。


 こんな少子高齢化の折に、大学を誘致できるなんて、とても私は不可能だと考えていました。


 しかし、あるときに、産経新聞の1面に、学校法人清風学園がこの南大阪で農業系の大学を構想しているという記事を見つけました。


 早速、波多野副市長に、就任して間がなかったですが動いてくれと、動いていただきました。当初は全く論外のような話でした。私も何度も行き、波多野副市長も何度も通い、いろんな条件をしました。学校が安定的に運営できるかどうか。


 まず何よりも、文部科学省が許可をくれるかどうか、本市がどこまで応援できるかどうか、それは担当者の苦労は並大抵ではなかったし、日々折衝を重ねてきて、何とか、今日は今年度の申請の締め切りなので、もし文部科学省が受けなかったら、また来年になると思うのですが、やるということは確実に協定を結んでいますので、時期的にずれることはあっても、今さらなくなることはないと思います。


 そしてまた、総合防災公園としての場所にドローンを飛ばせるような基地をつくろうと。これは何もドローンが目的ではなく、国の地方創生拠点整備交付金、半額当たるんです。


 その金を当たって、砂利を敷いて整備をして、準備していくには莫大な金がかかりますので、一生懸命担当の人達は大阪府と話をして、いかにお金を少なくして整備ができるのかと。


 ですから、まずはドローンができるような砂利を敷いて、これは国の地方創生拠点整備交付金が半額入りますが、その上で芝を張っていこうと。芝を張るにも何かPRしないといけないということで、クリケットが今世界でナンバーツーのスポーツ人口がありますので、これにどうかということで、貝塚市のPRになり、人も来るだろう、観光にもなるだろうということで、毎日クリケットをするわけじゃないのですが、クリケットを看板に上げてまちをつくっていこうということで、早速来月、12月18日にNPO法人日本クリケット協会の事務局長が本市にお見えになって、いろんな面で話をしようと思っています。


 さらに、東京オリンピック・パラリンピックの際に、ホストタウンをしたいと。私は昭和39年の東京オリンピックの際に、日紡貝塚が金メダルを取るのを小学校6年生のときに見て、これはすごいと思って、バレーボールクラブに入り、ずっとバレーをしていました。


 大学を出るときに、日紡貝塚の採用試験があるというので、初めてここに来たんです。


 やっぱりスポーツは子どもに夢や希望を与えるというのは私の思いであります。


 ですから、東京オリンピックに際して、日本生命保険相互会社の卓球場、これを活用してのホストタウンはできないものかと、これも随分前から誘致活動に取りかかっていました。


 今、卓球はすごい人気で、特に台湾は福原 愛さんの旦那さんが所属しているチームで、日本の各地が誘致に行っています。


 波多野副市長、担当の一色都市政策部参与は2度私の特使として行っていただいています。


 去る10月26日に台湾政府に行っていただいたときには、何と全日本の村上前監督、日本生命保険相互会社の監督も一緒にご同行願って、台湾の卓球協会の監督・役員全てに貝塚市の熱い思いを伝え、何とかいけるんじゃないか、まだ政府同士の取り決めなので、好意的な感触が得られたのではないかと、私も思います。


 これが来たら、子どもにまた夢を与えられると思っています。


 そして、何よりも今大事なのは、都市計画道路泉州山手線の整備であります。


 40年間眠っていたのを、波多野副市長をお迎えし、何とか巻き直そうということで、国土交通省近畿地方整備局を2人でしょっちゅう通いました。そのときの人が、今、国土交通省の技監とナンバーツーになっておられ、一緒にやった人が、今、国でいろんなポストについておられます。


 何とか前に進めたると、大阪府を説得してこいと、こう言われて、今井府議会議員初め大阪府知事のところにお願いに行き、一歩進んできました。


 しかし、私としては、貝塚市の市長なので、貝塚中央線から大阪外環状線を最優先にやってくれという思いでいっぱいです。


 岸和田市から入ってきたらずっと山を割ってきて、買収に時間がかかり、いつのことになるのかわからないと。


 やはり我が貝塚市、市長だから当然のことながら、貝塚市からやってくれと。


 そのために、さっき中川議員が質問されたように、地籍調査をするよと。


 もうほとんど、国と府のお金でいけますし、地籍調査をするから、貝塚市はこれだけ前向きにやっているから、大阪府、何とかここの事業着手にゴーを出してくれと。


 今、時期を逃がすと、もう一生、その順番は変わりません。


 来年ぐらいにそろそろ順番を決め、再来年ぐらいに決まるのですが、もう今から貝塚市は取り組んでいって、早い目に貝塚市から着手をしてもらえるだろうと思います。


 自由民主党、公明党や維新の会の政党要望にも行きました。


 谷口議員にもついて来ていただき、大阪府に強い希望を寄せてきました。


 次に、安全・安心のまちで、タイムライン(事前防災行動計画)、二色の浜旭住宅が取り組んでくれました。


 実は今年は、馬場町会が土砂崩れ対応についてのタイムラインを策定するということで、来月の12月21日に防災講演会の中で、日本でのタイムラインの第一人者である松尾先生を貝塚市の政策アドバイザーにお迎えしようと、今話を進めています。


 やはりどこよりも貝塚市は一歩も二歩も進んだ対策をしていこうと思います。


 次に、一番ネックとなっております市役所の建替え、福祉庁舎等も総合的に建て替える話なのですが、これが長い期間を要します。


 私は今期でもし退任したら、新しい庁舎に入ることは絶対ないのですが、何とか私が市長をしている間にみんなと安定的な政治基盤の中で工事着手をしようと決意をしました。


 今回補正予算を出させていただきましたが、そのときに、より利便性の高いものにするためには、新しい庁舎に、例えば国の機関、年金事務所に入ってもらえないだろうか、近くに郵便局は来てもらえないだろうか。


 市民の利便性は格段に上がります。年金事務所は狭いところで車を置くところもない。


 できたら警察署もこの辺に来てもらえないだろうか。


 やっぱり総合的な貝塚市の中心的な安心、そして行政の中心地域にしていって、後々市民の人の利便性が向上するような庁舎の建て替えを進めていこうと。


 国の交付金も、PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)も有効に使い、両方使ったような建て替えをしていこうと思います。このためには、市の能力だけではなかなか難しい。


 専門家のご意見、さらには大阪府の担当職員の派遣も依頼して、本格的にかかっていこうと思っています。


 要するに、1期目、2期目で職員の意識改革や財政体質などいろんな見直しをしてきました。


 3期目は、貝塚市は大きく変わったなと、よそよりも進んだと言われるようなまちになるように、渾身の努力を重ねていきたいと思います。


 市営住宅の建替え、これも何十年と放っていたのを、私は決断しました、やろうと。


 正直、庁舎の建替え、市営住宅の建替えと決断するには大変勇気が要りました。


 何で僕がこんなしんどいことしないといけないのだろうという思いも実はありました。


 だけど、私が市長をしている間であれば、何とかいけるやろうという思いで決断をいたしたところであります。


 私は、昭和50年、この貝塚市役所に入所以来、寺内町で願泉寺シアター運動を立ち上げ、市民の皆とともにいろんな運動に取り組んできました。


 ある雑誌の取材で、市長、何に夢中ですかと聞かれたときに、私はこう言いました。


 貝塚市に夢中だと。趣味は何ですかと聞かれたら、趣味は貝塚市だと言いました。


 この気持ちで、市長をしている間は、みんなの力で貝塚市を前に進めていきたいと思います。


 中川議員が質問の中で、東山地区の留守家庭児童会の話をおっしゃっておられました。


 みんなはそれで傍聴に来られていると思いますが、問題意識はよくわかっていますので、担当者の人達は必死でどういう解決策があるのか探っているところです。


 やはり市民の声に満足、100%応えることができなくても、少しは前に進めるような取組みをこれからもしていき、我が貝塚市のまちを前に進めるために、さらなるご理解、ご協力をお願いします。

 
 南野議員が市長選挙あるのかないのかとおっしゃっていましたが、私もよくわかりません。


 ただ、最初に言いましたように、選挙というのは市民の民意を問う最高の舞台であると思うので、選挙を通じて、私はもう自分の考え方を言っていますので、よろしくお願いしたいと思います。どうもありがとうございます。

 

 

◆南野敬介議員

 どうもありがとうございました。自席から再質問をさせていただきたいと思います。


 市長の思い等々は十分聞かせていただきましたので、どうなるか、来年1月になってみないとわからないということですが、これからまた4年間、いろいろそういった分野で一つずつこなしていっていただければと思います。


 一つだけ再質問させていただきたいのですが、最初の1点目の性的マイノリティーの関係は、本当に難しい問題だと思います。


 市長がわかりやすく職員に聞いたら、まだ早いのではないかというお答えをいただいたということで、いろいろこれから研究していこうということは非常にわかるのですが、ただそういった方々が、この貝塚市の中でもたくさんおられ、私の周りにも実はいらっしゃいまして、悩みながら生きているというのは、全くほかに住んでいる方じゃなくて、実際周りにもいると。


 いるということは職員の皆さん、ぜひ認識していただきたいと思います。


 それと、本当に千差万別で、10人いたら10人それぞれ捉え方が違うデリケートな問題であり、私自身も今これをしないといけないということは、はっきり言って、何が正しいのかはわからないのですが、正しいと思う人もいれば、間違いという人もいるので、僕は何でもしたらいいと思うのです。


 ただ、今言って、何箇月後に、沖縄県や宝塚市で取り組まれているようなことをしてくれと言うつもりはないので、ぜひ前向きに、応援施策を検討していただきたいというのが1点です。


 実は、そういった性的マイノリティーの問題を抱えられている方は、子どものころから、生まれたときから、自分の性に対する違和感を持っている方がたくさんいらっしゃいまして、そういった中で子どもたちへの教育という部分でも、非常にこれから重要になってくると思います。


 こういったマニュアルは、あったら教えてほしいのですが、多分ないと思いますし、学校の先生が子どもたちにこの問題をどう伝えていくのかは、非常にこれから重要になってくると思いますので、もし今、そういった指針や、対応がありましたら教えてほしいのですが、ないようでしたら、今後、そういったことも専門家を交えていろいろ検討する必要があると思いますので、その辺、教育委員会としてのお考えを一度お聞かせ願えたらと思います。

 

◎藤原龍男市長

 後ほど教育委員会からお答えさせてもらいますが、私の前段の宝塚市で取り組むことができて、貝塚市で取り組むことができないことはどんな分野でもないと思います。
 

 南野議員がおっしゃったように、直接身近な人の声を聞いているのでしたら、私を初め、幹部職員にもその話を伝えていただき、こういう対応策がありますよという具体の取組みも含めて、一度話を進めていただいたらと思いますので、よろしくお願いします。

 

◎西敏明教育長

 性的マイノリティーの問題、ジェンダーの問題も含めて、本市ではいわゆる人権教育ということで、もう随分昔から取り組んでおります。


 ただ、現在しているのは教職員の研修が大半で、まだ具体的に子どもたちの心と体の違いをどう理解して、例えば学校のトイレ一つにしても、対応していくのか。


 心が女性で体が男性の子どものトイレをどうするのかなども含めて、これから課題は山積していると思っています。


 そういう問題があることを、今、教職員が認識した段階までの研修は一定程度できたと思っていますが、今後、今ご指摘のようなことを一つずつクリアして、一人でも子どもの心が痛むことがないように頑張っていきたいと思っています。

 

 

 


2017-11-16 10:47:00

 

PDFはこちら↓

pdf 2017.11.9全国都市問題会議報告書.pdf (0.37MB)

 

はじめに

 

 平成29年11月9日から10日に沖縄県那覇市の沖縄県立武道館で開催された「第79回全国都市問題会議」へ出席しました。

 

 全国都市問題会議は、全国市長会、公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所、公益財団法人日本都市センター、那覇市の4者が主催となって開催される会議です。

 

 

 

報告1 基調講演「多様性のある江戸時代の都市」

 

 まず基調講演として、東京大学史科編纂所教授の山本博文氏によって行われました。

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 教授はまず江戸時代のまちについてどのように発展していったのかを説明されました。江戸時代のまちづくりを参考に現代と比較して説明されました。

 

 城下町が発展した仕組みや「三都」(江戸・京都・大坂)の発展の仕組みなども説明されました。

 

 さらに参勤交代により江戸へ人口が集中し、武家人口が飛躍的に増加したのも要因のひとつです。

 

 そして三都が発展したのは米の流通が発展したからであり、特に大坂では世界に先立って先物取引を取り入れた歴史を忘れてはなりません。

 

 また260ある藩に課せられた参勤交代によってもたらされた経済効果では宿場が発展し、その街道も発展する。

 

 参勤交代はご承知の通り全国各藩が課せられたものであり、石高に応じて連れて行く人数も決まります。

 定期的に行われた制度であったのである程度収入の予測もたてられたのではないでしょうか。

 

 さらに流通網が発展することにより日本海航路も発展し港町も整備され、それが現代にも活用されているのです。

 

 その事を踏まえ今後のまちづくりの参考になればとご講演いただきました。

 

 

 

報告2 主報告「ひと つなぐ まち -新しい風をつかむまちづくり―」

 

 次に沖縄県那覇市長の城間幹子氏により那覇市の取組みについてご講演いただきました。

 

 那覇市の人口は31万人。人口密度が高い町で都道府県庁所在地で全国4番目の高さとなっています。

 

 そんな那覇市では、クルーズ船の誘致をはじめ観光事業に力を入れまちづくりにつとめているとの事です。

 

 「ひととのつながり」を大切にし「おもてなし」の気持ちで取り組んでいますが、交通渋滞問題や本土復帰45年を迎えた中で「沖縄らしさ」が無くなったとの声なども聞こえてきているようです。

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 しかし地元観光ボランティアガイドが案内する「那覇まちまーい(まち巡り)」等の観光は順調であり修学旅行やアジア各地よりの旅行者からも人気が高いようです。

 

 クルーズ船でも歓迎セレモニーも企画し現在では台湾・中国方面からのリピーターも多く国際化時代にふさわしい取り組みとなっています。

 

 そんな中「地元市民も楽しめる町」の創造にむけての取組みの一つとして第1牧志公設市場の建て替えがあげられていました。

 

 近年では多くの県外客や外国人観光客が訪れる第1牧志公設市場は訪れた方々の目を楽しませその場で味わう事の出来るサービスも開始されました。

 

 観光客のみならず市民も利用できる施設として、地域観光に寄与する中核視察としてだけでなく、県民からも愛される施設を目指したいとの事でした。

 

 また沖縄県は琉球王国の芸能を伝える事にも力を入れています。

 

 那覇市では新文化芸能発信拠点施設、「のうれんプラザ」を建設予定で「感動を共有する」を基本理念として取り組んでいるとの事です。

 

 市民一人一人のアイデンティティを大切に様々な人権問題にも取り組まれています。

 

 平成27年7月には「レインボーなは宣言」を発表し、LGBTを含む性的マイノリティの問題を人権問題と位置づけ「パートナーシップ登録」を開始したそうです。

 

 この登録により一部の金融機関では融資も可能となったり、市営住宅の入居基準にも登録者が適応される条例改正も行ったとの事でした。

 

 またコミュニティの力を結集するために、子どもの貧困対策にも取り組み市営住宅の一室を保育園として利用したり、子どもみらい応援プロジェクトを策定して取り組まれています。

 

 生活保護世帯の中学生に対する無料塾を開設したり、子どもより添い支援員の配置、奨学金の3月支給等多岐にわたる子育て支援制度も創設されています。

 

 次に健康問題ですが、沖縄県は長年男女とも長寿日本一でした。

 

 しかし現在は一位から転落し新たな健康づくりにも取り組まれています。

 

 健康づくり協力店を募集し健康食の提供などにも取り組んでいるとの事です。

 

 最後にこれからの都市像についてですが、地域コミュニティの担い手不足があり、自治会の役員のなり手が少なく悩みはあるものの、「目指す将来像」をしっかり提案しながら進めているとの事。

 

 その中で36校区で町づくり協議会ができ、点から線へ。そして線から面へと取り組みの広がりを進めていきたいと述べられました。

 

 

 

報告3 一般報告「人口減少社会の実像と都市自治体の役割 -人口インフラの適正な持続的配置はいかに可能か?-」

 

 次に、首都大学東京学院人文科学研究科准教授の山下祐介氏のご講演。

 

 山下氏は地方消滅から地方創成へ―東京一極集中と人口減少社会の中で、国家と地方のバランスが崩れていると指摘。

 

 地方再生といいつつ本社機能が首都(東京)に集中している。

 

 若者が魅力を感じるのは物価など高くても首都に魅力を感じている現実。

 

 またその首都でも暮らしと経済のバランスが悪いと指摘。

 

 バランスが悪いから行政に頼る傾向がある。しかし少子化が止まらない。

 

 今ここで行政依存からの脱却が必要であると指摘。

 

 そもそも自治体は稼げないし稼いではいけない。

 

 東京一極集中や権力が集中する現実を変えるのはかなり難しい。

 

 不安の悪循環に陥っているのではないか?

 

 団塊の世代が高齢者になる時代。ますます大都市圏に人口増加現象に拍車がかかるのでは。

 

 一方東京では、「東京で稼いだ金を地方に渡すのはおかしい」との風潮もある。

 

 しかし本当に東京で稼ぐことができるのか。

 

 例えば工場は地方や外国にあり、本社だけが東京にあるという場合は東京で生産もできないし本当の意味で稼いでるといえるのかと指摘されました。

 

 ただお金が集まっているだけだとも指摘されました。

 

 最後に人口減少社会に向き合うことが最大の課題であると指摘され、住民参加と連携、協働の取り組みが重要であると述べられご講演が終了しました。

 

 

 

報告4 一般報告「事前と都市が融合し共生が地域の価値を高めるまちづくり」

 

 次に北海道釧路市長の蝦名大也氏のご講演。

 

 蝦名市長は世界一級の観光地づくりの取り組みで「観光立国ショーケース国立公園満喫プロジェクト」を紹介されました。

 

 釧路市では平成19年「釧路市観光振興ビジョン」の策定、平成20年に「総合計画」、平成24年に「釧路市都市経営プラン」、平成27年に「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を策定し人口減少に歯止めをかけることを最終課題にした取り組みを進めています。

 

 その中で「観光立国ショーケース選定」を平成28年1月に、「国立公園満喫プロジェクト選定」を平成28年7月に行いました。

 

 ショーケース事業については、訪問外国人旅行者を地方へ集客するモデル事業です。

 

 目標指標を設定し自然を生かした環境づくりに取り組まれています。

 

 また国立公園満喫プロジェクトも阿寒国立公園でナショナルパークとしてブランド化を測り2020年までに訪日外国人の利用者数を1000万人をめざすとしています。

 

 大自然の中に身を置きながら利用の拡大を図る取り組みです。

 

 また「長期滞在(ちょっとくらし)」の推進に取り組んでいます。

 

 釧路市への移住や二地域居住、避暑、滞在観光、文化芸術活動を希望している方に備え付け可能な施設を提供することによって釧路市での生活体験をしてもらうというものです。

 

 自然を生かした取り組みについてのご講演でした。

 

 

 

報告5 一般報告「新たなステージに入った沖縄観光―複合的な魅力を有するハイブリッドリゾートへ―」

 

 次に琉球大学観光産業科学部長・教授の下地芳郎氏のご講演。

 

 観光とはなにか?という壮大なテーマ。沖縄への観光の目的は53%がレジャー。知人訪問や等が27%。ビジネスが14%となっており訪日外国人も約2割はビジネス目的であり、そのことを踏まえて観光事業を考える必要があるとされました。

 

 また沖縄の観光の歴史にも触れられ、戦後1975年に開催された「沖縄国際海洋博覧会」が転換期となったとの事でした。(もちろんアメリカより返還された時も大転換であったと思う)

 

 那覇空港や高速道路の整備、首里城の復元など取り組まれました。

 

 さらに音楽、食、芸能などの評価も高いともいわれています。

 

 そのほか修学旅行の誘致や沖縄サミット、LCCの普及や大型クルーズ船を誘致することによって外国人観光客も増加し、官民一体となった取り組みに効果があがっています。

 

 歴史的経過から「琉球」「日本」「中国」「アメリカ」という4つの顔を持つ都市であり日本とアジアを結ぶ拠点としてこれまでの取り組みに加え「観光は平和へのパスポート」として位置づけ平和研究の取り組みに期待したいと述べられご講演は終了しました。

 

 

 

 

報告6 パネルディスカッション 「ひとがつなぐ都市の魅力と地域の創生戦略―新しい風をつかむまちづくり―」

 

11月10日第2日目。

 

 コーディネーターに早稲田大学理工学術院教授の後藤春彦氏が就かれ、パネリストに㈱能作の能作千春氏(予定では代表取締役社長の能作克治氏でしたが所要のため欠席され代役となりました)、まちとひと感動のデザイン研究所代表の藤田とし子氏、沖縄文化芸能振興アドバイザーの平田大一氏、福井県勝山市長の山岸正裕氏、静岡県島田市長の染谷絹代氏が務められました。

 

◎静岡県島田市長染谷絹代氏

 

 静岡県島田市は大井川鉄道が走っており日本で唯一毎日SLが走り、またトーマス号も走っています。さらにジェームス号、バスのバーティーが仲間に加わり鉄道ファンのみならず老若男女も楽しんでいるようです。

 

 島田市は38.9%の高齢化率と推計されており生産年齢人口の減少により労働力不足、雇用量の低下、後継者不足など課題も抱えています。

 

 そんな中、島田市では島田市の特産である「緑茶」にスポットをあて「緑茶化計画」を策定し様々な取り組みが行われています(新政クラブでは以前島田市を視察させていただき、健幸マイレージの取り組みをお聞きしました)。

 

 イメージカラーをグリーンで統一し、市内の小中学校に緑茶のでる蛇口を設置しその緑茶でうがいを行い風邪対策に取り組んでいます。

 

 さらに郵便ポストも「緑色」にし啓発しているとの事です。

 

 また地域住民との協働の取り組みとして、大井川流域の滞在観光地として川根温泉があるのですが、その川根地区に「川根パラグライダーパーク」を開設し全国の愛好家から注目されています。

 

 7月にはワールドカップ優勝経験のある方が移住され、飛行体験やスクールの開設など取り組まれています。

 

 市としては「パラグライダー」のメッカになればと考えているようです。

 

 さらに世界一長い木造の歩道橋としてギネスに登録されている橋「遭菜橋」の整備も行いたいと考えています。橋の周辺に観光物産展を整備したいと語られました。

 

 最後に市職員の若手を中心に「しまさぶ」を組織し、若手の柔軟な発想を市政と街づくりに生かすために取り入れたいとの事でした。

 

 

 

◎福井県勝山市長山岸正裕氏

 

 山岸氏著は2000年12月に市長に就任。地域住民と一体となり「地域に誇りを持つ市民を増やす勝山市」を目指して取り組みを進めています。

 

 まちづくりの理念は「あなたと一緒に21世紀の勝山をつくります」。

 

 新しい価値観の元「ふるさとルネッサンス」を理念に掲げ具体的事業を進めました。

 

 その中で地域全体を「エコミュージアム」にしようと考えました。

 

 エコミュージアムは1960年代にフランスで生まれた地域全体を博物館とする構想で、「屋根のない博物館」とも言われています。

 

 市内10地区に町づくり団体を設立し、住民が学芸員として様々な遺産を発掘しアピールする構想でした。

 

 その10地区を束ねて「エコミュージアム協議会」が設立され、1地区に年間100万円の補助金をつける「わがまちげんき事業」をスタートさせました。

 

 3年間で30事業に及びそこから継続して続いている事業もあるとの事です。

 

 これまで16年実施してきましたが、3年ごとに事業の改良を行いその時代に応じた制度となるよう取り組まれているようです。

 

 

 

◎まちひと 感動のデザイン研究所代表 藤田とし子氏

 

 千葉県柏市で「かしわインフォメーション」(千葉県柏市)の事務局長として取り組みを始める。

 

 地域における持続可能な取り組みが大切だと考えるが、個々での想いを伝える場がない。

 

 そこで思いが形となるようインフォメーションセンターを開設しました。

 

 「毎日来ても楽しい柏市」を目指す。そんな中で「ワクワクのネタ」になるよう「市民参加で作る歩きMAPプロジェクト」を立ち上げ取り組みがスタートしました。

 

 色々な意見を取り入れられ「自分ごと」として街づくりに取り組む機会となっています。

 

 また和歌山県田辺市でも取り組みがスタート。JRの無人駅の活性化を図りたいとの希望があり試行錯誤を繰り返しました。

 

 沿線の20駅を対象に「紀の国トレイナート2014」がスタートされました。

 

 まちなかレンタサイクル事業や食べ飲み歩き事業等取り組まれ市民も徐々に参加するようになってきたようです。

 

 これらの実践は「市民起点」のまちづくり事業であり、地域に暮らす人々の想いが積み重ねなければならないとの事でした。「自分ごと」で町づくりをと提案いただきました。

 

 

 

◎㈱能作 能作千春氏

 

 「産業観光による地方創生」と題してお話されました。

 

 ㈱能作は富山県に本社があり高岡土器の生産を行っている企業。地域に根差した会社を目指し、地方創生の一翼を担いたいとの想いから様々な取り組みを展開。

 

 伝統の産業の復活地域の創生につながるとの想いから子ども達に優先して工場見学を始めました。

 

 続けることにより見学者の中から研磨職人を目指したいという人材も出てきたそうです。

 

 そんな中新製品の開発と増える工場見学に対応するために新社屋を建設され、職人の技術がまじかで見れるような見学コースとなっています。

 

 北陸新幹線が開通し開業前の2倍の観光客は訪れているが高岡におりる観光客はまだまだ少ない。

 

 そこで制作体験や観光情報誌の発刊など会社独自で取り組んでいます。

 

 また人集めとなるよう本社にプロジェクトマッピングを実施し、富山県の四季・観光地・催事など放映した取り組みも行われています。

 

 工場見学を通じて想定以上の来場者があり嬉しい悲鳴を上げている現実もあるとの事。

 

 見学者に説明する人員不足(無料で見学してもらっているが説明員には賃金が発生する)、交通網整備など課題はあるものの地域創生の一助となればとの事でした。

 

 「産業観光」を目指したいという企業が富山県で出てきた事も成果の一つであると語られていました。

 

 

 

◎沖縄文化芸術振興アドバイザー平田大一氏

 

 平田氏は沖縄県の観光・文化を統括する部局の部長として従事。

 

 本来文化面を担当するのは教育委員会の枠組に位置づけられることがほとんどだが、沖縄県では知事部局に配置されました。

 

 しかも民間人を登用するといった大胆な取り組みが行われています。

 

 また文化予算も全体予算の1.2パーセントまで確保したとの事。

 

 就任時(2010年)の文化予算は30億。2017年の予算額は73億となっている。

 

 文化庁が目指している文化予算は総予算の1%をめざそうといわれている中で1.2%確保できているとの事。

 

 そんな中で気づいたこともある。「予算規模によってやり方を変えればいい」「同じゴールでもやり方次第で低コストでできる」といったものです。

 

 また文化は「おやつ」ではないく「主食」であるのだという。

 

 文化を前面に立てて取り組めば観光も進むと考える。

 

 文化にとらわれず様々な事業を行うには「台本(ストーリー)配役(キャスティング)予算(バジェット)」が大切。

 

 絶えず具体的なイメージを持ち、算出の根拠を持ちながら事業に取り組まなくてはならないとの事です。

 

 部長退任後文化振興会理事長に4年間就任し部長時代と理事長時代に経験したことでたどり着いたのは「感動産業」だと考えられています。

 

 行政が「感動」できずに市民が「感動」しないのではないか。感動県沖縄を宣言することを提案したいと思っているとの事でした。

 


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