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議会質問&会派取組

2015-12-19 09:18:00


参加者
新政クラブ代表 南野 敬介
        真利 一朗
        阪口 芳弘
        松波 謙太(副議長)

 

報告1 宮城県登米市「復興の進捗状況・主な取り組み」について

 

 実施日 平成27年11月17日

 

P1050304 (1024x576).jpg 平成27年11月17日午後1時頃、宮城県登米市迫町佐沼字中江2丁目6-1の登米市役所へ到着。

 

 登米市議会事務局庄司美香氏のお出迎えを受け、同市議会議長の沼倉利光氏より歓迎のご挨拶をいただきました。

 

 引き続き、同市総務部防災課長の千葉勝範氏並びに危機管理監の星茂喜氏より「東日本大震災の対応と教訓」と題してご説明いただきました。

 

 登米市では最大16mの津波に襲われ沿岸部を中心に約2,000戸の被害がありましたが、火災による被害は0件であったとの事です。

 

 市内全域では全壊・半壊・一部破損まで含めると約5000戸の被害があり、その直後に災害対策本部が設置され対応を協議することになったのですが、市庁舎周辺でも停電が発生し、対策本部が機能しなくなり、電源の通っている「消防防災センター」に対策本部を移設して対応が行われたようです。

 

 この間も各避難所との連絡は停電等のため一切取れず、各避難所へ出向いての連絡となり、現場はかなり混乱したとのことです。

 

 合わせて市で備蓄していたアルファ米9000食分は1日でなくなったのですが、近隣のSB食品(パックご飯工場)からの食料提供で3万5千食が確保されたとの事でした。

 

 この間、無線や電話つながらない状態であったことから各避難所によって食物の有無、足りているのか不足しているのかの情報が共有できなかった事が辛かったとおっしゃっていました。

 

 当時FM放送に取り組んでいたのが幸いし、出力を20ワットから80ワットにアップし、市内の80%に災害情報や安否情報など提供できたことが停電回復までの間、非常に役立ったとの事でした。

 

 登米市は隣接する南三陸町が甚大な被害を受けたことにより、南三陸町住民を避難所に受入れることになり混乱はしばらく続いたとのことです。

 

 これらの教訓を生かして新たな防災対策に取り組んでいます。

 

 まず、登米市は地震災害のみならず、台風による水害、福島原発の原子力災害も視野に入れた防災対策が必要という認識のもとで以下の防災計画が立てられています。

 

 市役所周辺が停電で対策本部が機能しなかったことから、①庁舎の自家発電強化②避難所での可搬型発電を配置③避難所へ太陽光パネル蓄電池設置を行いました。

 

 通信設備については、①FM放送が大変役立ったことを受け、コミュニティFMとの連携強化、②災害用PHSの配備を行っています。

 

 P1050322 (1024x768).jpg備蓄品については、数量を見直し、庁舎の高層階へ備蓄すること、また各家庭でも3日分以上の備蓄を推進する等取り組みを進めています。

 

 私達に「教訓」として・・・・

 

 ①市庁舎の対策本部は如何なる震災でも対応できるものでなくてはならない。

 

 ②各避難所との連絡、連携方法も有線・無線を問わず整備し、自家発電導入を視野に検討する

 

 ③備蓄品は低層階より高層階へ(津波発生時)

 

 等アドバイスいただき意見交換を行わせていただき終了いたしました。

 

 

報告2 宮城県登米市「公設民営の直売所『産直なかだ愛菜館』」について

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 引き続き同所において、同市産業経済部農産園芸畜産課農産園芸振興係課長補佐兼係長の高橋紀元氏、同主事の千葉一雄氏により市役所にて概要を説明いただいた後、宮城県登米市中田町石森字本町95-1「産直なかだ愛菜館」にて、協同組合産直なかだ愛菜館理事長の門馬一朗氏並びに副店長の千葉正弘氏より現地にてご説明いただきました。

 

 P1050325 (1024x768).jpgスタートは登米市合併前(H17)の旧中田町により平成16年より実施された取り組みで、小学校跡地を利用した取り組みです。

 

 施設の建設費用が直売所約8,200万円、加工所が約9,000万円。年間指定管理予算57万円で運営されている施設です。

 

 指定管理先は「協同組合産直なかた愛菜館」で中田地区内に置く農業、林業、食品製造業を営む小規模事業者で組織・運営がなされ、平成26年度の売り上げが2億1千万円であるとの事でした。

 

P1050328 (1024x768).jpg 住宅地に隣接する旧小学校跡地であることから家庭からの買い物客が多く、また観光バスも停車できる駐車場もあり売り上げが伸びているとの事です。

 

 また、施設内には福島原発事故の影響による「放射線測量」部屋も設置されており、常に安全な商品の提供に取り組んでいるとの事でした。

 

 P1050331 (1024x576).jpg貝塚市でも小学校跡地を利用した「ほの字の里」があります。

 

 立地条件など一概に対比することはできませんが、人を寄せ付ける魅力をいかに出すかという点において参考にさせていただき意見交換を行い視察が終了しました。

 

 

 

その他1 「南三陸町の様子」について

 

 11月17日の宿泊先は、翌日の「語り部ツアー」参加のため、宮城県本吉郡南三陸町の「ホテル観洋」となっていました。

 

 南三陸町は、東日本大震災発生後、貝塚市社会福祉協議会の震災ボランティアで訪れたところであり、新政クラブメンバーも3名が参加したものです。

 

 また、平成24年10月には三陸鉄道主催の「フロンティア研修」参加後、南三陸町を訪れ復興についてお話をお聞きしました。

 

 その時お聞きしたのが、湾岸部をかさ上げして工業地帯に。山間部を切り開いて宅地にと。

 

 あれから3年。どこまで復興が進んでいるのか独自で訪れてきました。

 

 

 3年前にお話をお聞きしたように、道路や湾岸部のかさ上げは大分進んだように見えます。しかし今なお人が住めるような状態ではありません。

 

 南三陸町の多くの方々は仮設住宅や隣接市に居住しています。一日も早い復興を願います。

 

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2012年10月の南三陸町

志津川小学校より

 

2012.10南三陸町小学校より.jpg

 

2017年11月の南三陸町

志津川小学校より

 

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震災後、ボランティアに訪れた「志津川保健センター」。空き地となっています。

 

 

 

 

 

 

報告3 「語り部ツアー」について

 

 11月18日、宮城県本吉郡南三陸町黒崎99-17「南三陸ホテル観洋」主催の「語り部ツアー」に参加しました。

 

P1050332 (1024x576).jpg コーディネーターは、副支配人昆野守裕氏でした。

 

 ホテル観洋は高台に位置し、フロントが5階部分という建物です。震災当時、2階に位置する浴場まで津波が押し寄せたとの事。直後から宿泊客の安全を考えた行動を行っていたとの事でした。

 

 語り部ツアーではまず戸倉地区の小学校跡地に伺いました。

 

 ここも高台に位置しているのですが、津波が押し寄せたようです。しかし、沿岸部からの津波ではなしに、建物や山間で反射された波が横手より押し寄せ被害も多く出たとの事。津波は海からの波だけで無しに、四方八方(引き潮も含め)から押し寄せてきたとの事で予想不能の状態だったとお聞きしました。

 

 続いて高野会館前を訪れ説明いただきました。高野会館はホテル観洋の持ち物で当時は町の老人クラブの連合会が会合を開いていたそうです。

 

 近くの避難所までの距離を考えると屋上に避難することを選択し、多くの高齢者の命が守られたというお話をお聞きしました。

 

img045.jpg 3月という寒い時期ではあったのですが、それまで指定されていた避難所をあきらめ屋上に避難していただいたことは今となっては防災計画に違反ではあったのですが、その場の対応としてはよかったのではないかとおっしゃっていました。

 

 その後防災庁舎跡地を訪れ、当時の様子をお伺いすることができました。

 

 残念ながら多くの犠牲者がでた南三陸町ではあるのですが、震災後ゆっくりであるかもしれませんが復興に向けてすすんでいると感じました。

 

 最後にバス内で「南三陸てん店マップ2015」のご紹介をいただきました。本来なら観光客やボランティアさんにお店の紹介や「スタンプラリー」の取り組みもうと企画実現されたようですが、本来の目的は勿論、避難所で生活されている町民の皆さんにも喜んでもらえたそうです。

 

 このパンフレットに掲載されている店舗を見て元気に暮らせている事がわかったりすることもあったようで、町民の皆様にも喜ばれたとの事でした。

 

 

報告4 岩手県陸前高田市「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」について

 

 実施日 平成27年11月18日

 

 平成27年11月18日午後1時半ころ、岩手県陸前高田市字鳴石42番地5の陸前高田市役所仮庁舎に到着。

 

P1050359 (1024x576).jpg 陸前高田市議会事務局長補佐の菅野洋氏のお出迎えを受け、当初予定の日程の順番を変更し「ノーマライゼイションという言葉のいらないまちづくり」からレクチャーを受けました。

 

 説明は、同市企画部部長兼企画政策課長兼まちづくり戦略室長の蒲生琢磨氏と同市民生部社会福祉課長兼被災者支援室長の菅野利尚氏より行われました。

 

 この取り組みは市長の選挙公約のひとつであり、平成30年までの復興計画であり「言葉」にとらわれず、当たり前の生活を当たり前に行いたいという願いから作られたものです。

 

 障がいをお持ちの方や高齢者、妊婦さんなどが住みやすい町が、健常者にとっても住みやすい町であり、誰もが個々の能力を生かしながらあらゆる分野で活躍できる機会が保障されることを目指して取り組まれています。

 

 プランは4つの柱からなり、

 

 A)防災、コミュニティ、情報共有、PR(4テーマ)

 

 B)教育、子育て(4テーマ)

 

 C)保健、医療、福祉、介護(3テーマ)

 

 D)産業、雇用、観光(3テーマ)

 

 E)建物、道路、公園、交通(3テーマ)

 

 に分けられ、56のアクション(カテゴリー)に分けられています。その内容は東日本大震災の教訓を生かしたものでもあり、庁舎建設や市内施設の建設にこのプランの理念にのっとって進んでいるとの事でした。

 

 特に「ノーマライゼーション」という言葉の意味が浸透していない中で「まちづくり」に参加する意欲がわかないという課題もあり、誰もが親しみやすい方法で議論や課題整理を行いたいという考えで進められています。

 

 各テーマごとに「現状と課題」、「具体目標」を掲げたうえで施策を進めていくプランとなっております。

 

 あえて「ノーマライゼーション」という言葉を使わないで「市民すべて」が対象だという意識付けを行い、震災で失ったものも大きいが、これからの陸前高田市のビジョンを明確にするために活用していきたいとの事でした。

 

 その後、質疑意見交換を行い終了いたしました。

 

 

報告5 岩手県陸前高田市「復興の進捗状況・主な取り組み」について

 

P1050363 (1024x576).jpg 引き続き、議会事務局長補佐の菅野氏より、陸前高田市の復興の取り組みについてご自身の体験も含めてご説明いただきました。

 

 まず、東日本大震災当日の様子を生々しくお話しいただきました。

 

P1050365.JPG 東北地方では、震災以前の数日間、予兆と思われる地震が頻繁に発生しており、津波の警報も幾度かは発令されていたとの事でした。

 

 そんな中3月11日の本震の際の「津波警報」も「たかが知れている」という意識もあったんだとおっしゃっていました。

 

 しかし現実的には本庁の4階部分まで津波が押し寄せ、その屋上からみる「避難所」とされていた建物も津波にのみこまれている様を見たとき、「死」を覚悟したとの事でした。

 

P1050374.JPG 多くの仕事仲間や友人・家族を失ったとは思いますが、行政マンとして復興に対する強い思いを持って取り組んでおられる事に感服いたしました。

 

 陸前高田市では6つの復興のまちづくり基本方向を定め、総事業数は151にも及ぶのですが一程度進捗状況をチェックしながら進めているとの事です。

 

 P1050366 (1024x576).jpgただし、全体の17%しか達成しておらず、復興の難しさが指摘されました。これまで過去4年、右往左往し、計画もその都度変更されながらではありますが、着実に一歩進んでいる状態ではあるとおっしゃっていました。

 

 陸前高田市では、山間部を切り開き、土砂を湾岸部に運搬してかさ上げを行っているのですが、大規模のベルトコンベアを使用する事により経費は158億とかさんだものの10年かかるといわれた運搬を約1年で終了することができ、復興のスピードを加速させています。

 

P1050373.JPG 被害の大きかった湾岸部を「防災メモリアル公園として位置づけ、切り開いた山間部に居住スペースを作るという計画になっています。

 

 震災から4年。我々が3年前にフロンティア研修で訪れた頃は、まだ車の残骸なども残っていた状態でしたが、かさ上げ作業も一程度進み今後ますます迅速な取り組みを行っていきたいと語られました。

 

 その後質疑、意見交換を行い市役所を後にし、陸前高田市内を視察させていただきました。

 

 

報告6 岩手県一関市「一関市移住定住奨励事業」について

 

 実施日 平成27年11月19日

 

 平成27年11月19日午前10時頃、岩手県一関市竹山町7-2、一関市役所へ到着。議会事務局調査係長の及川真一氏の出迎えを受け、まちづくり推進部いきがいづくり課主任主事兼社会教育主事の小山貴史氏より「移住定住奨励事業」についてご説明いただきました。

 

P1050380 (1024x576).jpg 一関市でも人口減少に歯止めをかけるために、様々な施策を展開しており、その一環としてこの事業に取り組んでいるとの事です。

 

 そこで平成25年度より移住定住環境整備事業をスタートさせ「一関市へ移住を検討している方」「移住して家を取得した型」「興味はあるが、どんな町かわからない方」と分野別に人の段階に応じて「移住定住促進事業」「移住定住奨励助成事業」「いちのせきファンクラブ事業」の3事業を実施しました。

 

 移住定住促進事業では、「空き家バンク」「体験ツアー」「説明会の実施」や情報発信に力を入れ「あばいん(おいでという方言)一関」というサイトを運営しております。これは市の認知度を向上する取り組みとして展開されております。

 

 その中の空き家バンクでは担当職員が市内を巡回し宅地建物取引業者が扱っていない物件を見つけ掲載されており、民間事業者とのすみわけも行われています。

 

 サイトを見てみると、すでに契約済の物件もでておりその取り組みが広がりを見ているのがわかります。

 

 その他、「いちのせき暮らし体験ツアー」等企画し移住促進の取り組みが行われています。

 

 また関東地方での移住相談会を開催したり、他県に出向いてアプローチする取り組みも繰り広げられています。

 

 奨励助成期事業では、3年間の事業ですが、新築や中古物件購入にも助成金を出したり、中学生以下子どもを扶養する世帯に子一人につき5万円を基本額に加算するなど何とか「一関市にあばいん」という気持ちが前面にでていると感じました。

 

 今後の展望として受けいれ体制の充実や費用対効果も検討し、3年に1度、助成額や内容なども検討を加えていき人口流出を防ぎ、逆に流入されるような取り組みを考えなければならないのが課題との事でした。

 

 その後、質疑、意見交換を行い一関市での視察は終了しました。

 

 

 

 

その他2 視察を終えて

 

P1050382 (1024x576).jpg 11月19日、当初予定していた視察は終了しましたが、帰りの飛行機の時間調整の為、平成24年にフロンティア研修で訪れた大船渡市を訪れ、市内を視察させていただきました。その後沿岸部を通りながら、まだまだ復興の道が始まったばかりなんだなと痛感し3日間の視察を終えました。