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せいゆう丸釣行記
まともにドックに船を上げて船底を洗って船底塗料を塗ったのは、もう10年近く前になるだろうか。
それからずっと橋の下の天然ドックで砂地にゴロリとさせてお腹をゴシゴシするようになりまして、当然船底塗料は塗れないけど特に何の支障もなく現在に至っております。
係留している避難港は川の中にあるので海水濃度が低いためにフジツボが付き難く、海苔みたいな海藻が付く程度なので1年に1度ゴシゴシすれば良いくらいなのであります。
しかもせいゆう丸の船足が時速12km程度と極端に遅いので、フジツボが付着してもあまり速度に関係しないので随分と無頓着になってしまいますが、さすがに2年もゴシゴシしてなかったので一昨日と昨日で左右半分ずつ除去作業いたしました。
これで多分時速1kmくらいは違うと思いますので、燃費も少しは向上することでしょう。
さてさて、いわゆる 「軍の暴走」 が原因で引き起こされたと教えられてきた太平洋戦争について、調べていくうちに腑に落ちないことが続々出て来てあれこれ調べてましたが、 「こりゃ、明治維新の頃までさかのぼって改めてこの国の成り立ちを理解しなければいけないなあ」 と気づき、明治の憲法である 「大日本帝国憲法」 を中心に今一度お勉強をしているところであります。
さかのぼるなら大和朝廷の時代まで調べる必要があるのでしょうが、海に出られなくて最近暇な自分でありますがさすがにそこまでさかのぼるとなると途中でくじけて心折れそうになるので、とりあえず明治維新から取り上げてみたいと思います。
歴史がお好きでたくさん勉強されて来られたお方にとってはつまらない内容でしょうが、まあ我慢して目を通してくださいな。
明治維新の初期の頃を時系列に並べてみますと次のようになります。
① 1867年11月9日に15代将軍徳川慶喜が明治天皇に統治権の返還を表明し、天皇がこれを勅許して大政奉還が行われた。
② 同年12月9日に江戸幕府を廃止し、新たに明治政府が設立され王政復古が実現した。
③ 明治2年版籍奉還が行われ、藩主は土地と人民の統治権を全て天皇に奉還したが、これは天皇の下にある中央政府が直接に土地と人民を支配し、統治権(三権分立の立法権・行政権・立法権)を行使することになった。
④ 明治4年には「廃藩置県」が行われ、藩が名実ともに消滅し国家権力が中央政府に集中することになった。
⑤ 公家や諸侯は華族に、武士は士族に、その他は平民という形に改組し、士族には農業・工業・商業に就くことの自由を与えた。
この後に急激な世の変化に対応しきれない士族の不満が噴出して、佐賀の乱や西南戦争が勃発して混乱を極めることになるけれど、結局政府軍が鎮圧して日本国内の内戦は以後起きていない。
もう出立の時間になったので中途半端ではありますが今日は終わりにしますが、何回続くか分かりませんが頑張って書いてみることにしますわ。
今月は北東の風がずっと続くみたいで、自分の中では10月は既に終わってしまいました。
来月には出港率が上がってくれないと、本当に廃業に追い込まれるかも知れませんわ。(笑)