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せいゆう丸釣行記

2018-10-24 03:36:00

一昨日の22日に安倍さんは未来投資会議とかいう場で、企業の雇用継続年齢を65歳から70歳に引き上げる方針を表明したらしい。

 

それって高年齢者雇用安定法を改正する意図なんでしょうが、昔は55歳で今は60歳の定年を目標にしてきたサラリー諸氏にとっては複雑な胸中でしょうなあ。

 

 

 

「70歳まで働ける」 と思うか、 「70歳まで働かなければいけない」 と思うかに分かれるところでしょうけど、サラリー経験者の自分の思いとしては、 「365日組織に拘束されている現状から解放されたい。」 の気持ちが定年近くなると次第に強くなるものでして、定年延長というのはマラソンで例えますと、必死に走り続けてようやくゴール近くに辿りついて 「やれやれ」 と万歳してゴールするため両手を上げようとした矢先に、大会運営組織の都合で突然ゴールが5km先に伸ばされるようなもので、その落胆と失望は想像に難くなく、 「解放されたい」 のせつない想いがガラガラと崩れていきますわな。

 

農業や商店などの自営業と違ってサラリーの世界は24時間365日組織に拘束されてるから、どうしてもゴールを目指す傾向にありがちですが、意外とゴールした後に何があるのかは漠然としてて且つあまり考えてない。

 

自分の親が公務員だったからなのか分からないけど、 「良い学校を出て、良い職場に就職して、最後まで努め上げれば悠々自適な老後が待っている。」 と何となく教えられてきた気がする。

 

悠々自適が何を意味するのか疑いもせずそのレールを信じて頑張って来られたお方も多いかと思いますが、さあて近頃になってその悠々自適の雲行きが怪しくなってきましたわね。

 

 

 

問題は伸ばされた5kmを 「ゆっくり歩いてゴール目指して良いですよ。」 と長い年数頑張ってきたことに対するねぎらいの気持ちで優しく言ってくれれば考えようもあるけど、現実には 「継続雇用で人件費が余計にかかるし、使い物にならならいし、管理職気分が抜けないし。」 と厄介者扱いされて存在否定されてるような話も聞く。

 

つまりは給与体系を含めて社会の仕組みが60歳定年を前提にガチガチに構築されていて、定年以降に働くサラリーの働き方が社会のシステムとして確立されてないから、溢れた定年組が彷徨う羽目になっちまってるのですなあ。

 

多分ほとんどの企業では、継続雇用になっても現役の社員と同じように出社して、朝礼があってフルタイムで仕事して、週末が来るのを楽しみにしての繰り返しになるのでしょうが、継続雇用となると仕事の内容が単純作業になったり肉体労働だったりに変えさせられることも多いそうで、必ずしも居心地良い職場環境ばかりでは無いとも聞く。

 

継続雇用というのは 「ゆっくり歩いてゴールを目指す」 環境に無いことが多いのが現実なんですわ。

 

 

 

そしてさらに大事なのは5km伸ばされたゴールに辿りついた先に何をするかでありまして、この問題について沢山のお若いサラリーの方達に問うてもほとんど考えていらっしゃらないのが現状のようです。 

 

それこそゴールした後にはクールダウンしなきゃいけないし、水分を補給したり、痛めた足をマッサージしたり、帰宅途中に温泉に立ち寄って体をいたわるのも良かろうが、その後が大事なんだなあ。

 

やっぱりゴールした後にはいつもの生活が待っている訳だから、現役時代とまではいかなくても同じようなライフスタイルを送れるのが望ましくて、体が続く限り 「行ってきます」 「ただいま」 が出来るのが理想でしょうねえ。

 

国の中枢におられる方達は数字的な頭は良いかも知れないが、そうした人の深層の部分まで考慮した政策をしないと 「ただ働け、財政厳しいからとにかく働け、社会保障の限界が来たから何が何でも働け」 と年老いた国民に対して無理を強いているだけと思われかねないよね。

 

 

 

まあ自分のように勝手気ままに生きてる自由人が何を言っても屁の突っ張りにもならないが、イキイキと老後を明るく健康で過ごせるためには、若いうちから先の将来について良く良く考えておかないといけないでしょうねえ。

 

でもそれは書店でよく見かける 「老後の資産運用」 的なマネーのお話ではなくて、 「毎日何をして過ごすか」 に尽きると思いますよ。 

 

 

 

さてと、今日は久しぶりに海に出てみる気分になりましたが、クロエバがようやくやって来たみたいなので、潟に張り付いて辛抱強い釣りをしてみましょうかね。

 

とりあえず夜明けの堀切峠からの観察で決めるとしましょう。