虎使いの涙(未完)

  ドカ・・・!!

 パン屋の扉が、乱暴に開かれる。
 平穏であった店の空気が、突如乱された瞬間であった。
 それまで騒がしいほど賑やかに響いていた店内の笑い声がピタッと止んだや否や、その沈黙は、激しい銃声と若い女性の悲鳴にかき消された。
「だ・・誰だお前らは?!」
 パンバサミを握り締めたまま奥から出てきた店の主は、扉の前に立ち塞がる群集に向かって怒鳴りつけた。
 天井に焼け付いた二つの黒い穴から、白い煙がゆらゆら立ち昇っていた。
「私の店でふざけた真似をするな!警察に通報するぞ!」
 群集の先頭に立っていたその少年は、ニヤリと口元を歪ませる。
 店長の脅しに、かえって心躍らせたかのように。
「ほぉ・・てめぇ、これを見ても、もういっぺんそんな口が叩けるのかな?」
 そう言うなり少年は、身にまとっていたジャケットをガバっと剥ぎ取り、店長と買い物客に背中を向けた。
 少年の背中を見た瞬間、人々は息を飲んだ。
 店長の額から、冷や汗が、気配を窺うが如くゆっくりと流れ落ちた。
「・・お前まさか・・そ・・その背中のクロスは・・?!!」
 虎使い、獅子ノ辺仁。
 彼がその者である事を、彼の背中に深く刻み込まれた十字型の傷が物語っていた。
 街最強の盗賊団の頭で、虎のように強い手下たちを従えることから、「虎使い」と呼ばれるようになった。
 狙った獲物は決して逃さず、邪魔者は虎の餌食にする。
 その上、狩りを迅速に済ませて去っていくため、警察も手が回らない。
 民衆は彼らの存在に恐れ戦き、街の人口は日を増すごとに減ってきている。
「ま・・待て!近づくな・・!」
「おぃ、おっさん!もしサツなんかに通報したら、お前やこの店の客たちがどうなるかわかってんだろうなぁ?!」
 虎の一人が、そう言いながら店長の方に歩み寄った。
「うわぁ・・!た・・頼む!私はどうなってもいい!ただお客様の命だけは助けてくれ・・!」
 店長は思わず後ずさり、後ろの棚に激しくぶつかったせいで、棚の中の何かがポタリと落ちた。
「プッ・・そんな今にもチビりそうな顔でそんな立派な事言われても説得力ねぇなぁ!」
 どっと沸きあがった他の虎たちの笑いに煽られ、その虎が店長に銃口を向けた時・・「虎使い」が虎と店長の間にわり込み、後ろ手で銃口を払いのけた。
「余計な事すんじゃねぇ。弾の無駄だ。」
 彼は、チラリと後ろの虎を睨みつけた。
「へ・・へぃ!すんません、ヘッド!」
 虎は背筋を伸ばした。
 それから、獅子ノ辺仁は店長の胸倉をつかみ、激しい形相で怒鳴りつけた。
「わかったら、大人しくこの店のもん全部よこせ!!いいな!?」


「・・っしゃ〜!今日も大漁っすねヘッド
 荒れに荒れた店と、絶望にひたる店長を後にして。
 袋いっぱいに詰め込まれたパンを抱えながら、虎が満足げな表情で言った。
 仁は数秒黙ったが、やがて、喉から搾り出すような声で呟いた。
「いや・・まだだ。」
「え?まだ行くんすかぁ?!」
「俺たちの夜は・・まだまだこれからょ!!」
 そう言うと仁は、街中に響くような大きさで、雄叫びに近い笑い声をあげた。
 しかし・・その笑いは、傍らに虚しさをはらんでいた。


 虎たちに暫し休憩を与え、仁は自身も用足しに出た。
 手を洗った後、彼はふと、前の鏡に目をやった。
 そこには、やつればんだ全身に、鋭い目つきでこちらを眺める少年の姿があった。
 彼は、その姿を呆然と見つめながら、小さく問いかけた。

「お前は誰だ・・?」

 鏡の中の自分が答える。
『俺は俺。俺はお前だ。最強であり最恐の虎使いの名は正に俺に相応しく、今や街全体が俺の支配下にある。誰もこの俺を超えることなどできない!』

 仁は、更に問いかける。
「本当にお前が俺なのか・・?なぜ俺がここでこんな事をしている?」

 もうひとりの自分が、また答える。
『これが俺の生きる道。ここだけが、俺のあるべき所。
この世に生き延びる唯一の術。』

「じゃあ・・なぜ俺は生きているんだ・・?」

 鏡の中の少年の影が、一瞬歪んだ。

『馬鹿な質問すんじゃねぇ。
生きる事に、理由など必要無い・・。』


 虎たちの舞踏の第二の幕が上がる。
 銀行に正面から乱入し、中にいた者は震え上がり、抵抗する者は、今、虎に食われんとしている。
「やめてー おとうさんをいじめないでー 」
 泣き叫ぶ子供の声が、頭の中で木魂する。
 痛いものを胸に走らせながら、仁は金庫がある二階へ急いだ。

「死にたくなければ道を開けろ!虎使い、獅子ノ辺仁様のお通りだぁ!!」
 金庫を守らなければならないはずの銀行員たちは、仁の姿を見るなり、皆その場を立ち退くか脇によけた。
 銀行員としての使命は、自分の身を守るための本能に打ち破られた。
 仁は、金庫室まで続く長廊下を駈け抜けた。
     百獣の王の如く  加速度を増しながら
          何者にも遮られることなく  風にとける
 この瞬間が、彼は好きだった。
 彼の道に立ちはだかっていた人間たちが、次々と、怯えながら彼のために道を開けていく。
 その光景のなんと快感なことか。
 愛などはこの世に無意味なもので、強ささえあれば、全てを操ることができる。
 それが実感できるのが、正にこの瞬間なのだ。
   
   ここには、誰一人として俺を見くびる者はいない。
   見くびれるはずがない。
   最強さが俺の下にある以上、全ての力も俺の下にあるのだから。
   奴らが心で俺をどう思っていようと、そんなものは関係ない。
   たとえ五千人が俺を憎んでいようと、力が無ければ、その憎しみも意味を持たない。
   ・・そんなのは寂しい?  ふっ・・馬鹿を言え。
   愛や絆などという、漠然としていて壊れやすいものを追い求めるために
   時に何も見えなくなり、
   自分の面子を潰してまで、一生をかける
   それがどんなに愚かなことか、考えたことがあるか?
   最後に生き残るのは、力のある者だ。
   そう・・だから・・力を持つ俺こそが・・
   俺こそが・・
   この世の全てだ!!!


 長廊下の突き当たりにぶつかった時、左手に大きな扉があった。
   ここだ・・
 そこが金庫だ、と、妙な確信が湧いた。
 狩りの成功を積み重ねる度に、彼の直感もまた、確実性を増してきているのだ。
 扉はロックされており、そうでなくても、金属でできているため、重い。
 開けるのには、かなりの力を要しそうだ。
 仁は、力いっぱい扉の取手部分を蹴り上げ、まずはロックをぶち壊した。
 それでも、下手に鍵を壊したせいか、すんなりとは開かなかったので、今度は扉の角の方に力を加え、ぶ厚い金属片を徐々にねじ曲げていった。
 約五分がかりの大仕事だった。
 やっとのことで、下の方に人が通れる位の入口ができた。
 幸い、その間に警察が駆けつけて来なかったので、仁は自分で作った入口を潜り抜け、中に侵入した。
 入るなり、室内の床に札束がわんさか置いてあるのか、と思いきや・・案外、中はがらんとしていた。
 しかし、どこかに大量の金が保存してあるはず。
 彼はそう思い、部屋全体をぐるりと見渡した。
 すると・・
 部屋の隅の方に、またひとつ大きな扉・・というより箱があった。
 そして、その箱の前で、札束と思しきものを腕いっぱいに抱えて立ち去ろうとする人影が見えたのだ。
   先客がいたか。
   目障りだ。一分でかたをつける。
 彼は、その人影に向かって遠くから叫んだ。
「そこにあるのは俺の獲物だ。どけ!」
 人影の動きが、ぴたっと止まった。
 先程よりも、その人物の様子が観察しやすくなったので、相手をよく見てみると・・札束を抱えている手は、華奢なものだった。
 仁は、ハッとした。
 その人物がこちらを振り向いた顔を見ても、やはりそうだ。
 相手は、自分と同じ位の歳の少女であった。
 少女は、仁を暫し見据えた後、
「やだ」
と一言言い放ち、反対側の扉から、そのまま出て行こうとした。
「おぃてめぇ・・こら!待ちやがれ!」
 仁が持ち前の速さで少女を追いかけたので、数秒後、少女は仁に取り抑えられた。
 後ろから腕を回され、首と腰の二箇所から、仁の身体に固定された状態だ。
「ねえちゃん・・この俺に逆らおうとは、いい度胸じゃねぇか。え?」
 少女は黙って抵抗しなかった。
 が・・他の人間とは、放つオーラがどこか違う。
 仁がいつもの調子で脅しをかけても、怯えの色ひとつ見せずに、彼の顔をじっと見上げているのだ。
 仁は、予想外の相手の反応に、内心少し動揺した。
 しかし、操る相手に弱みを見せないのが、虎使いの極意。
 顔色ひとつ変えずに、更なる脅しをかけようとした。
「なぁ、これ、何だか知ってるか?」
 彼は、ジャケットの内ポケットから、銃をひとつ取り出した。
 普段は、自らの手は汚さず、邪魔者は虎たちに始末させるため、この銃が表に出るのは何ヶ月ぶりかだ。
「COLT445.アメリカで古くから使われている代表的なハンドガンの一種で、今じゃ向こうのサツの間で人気の代物だ。殺傷力は絶大。」
 仁は、その銃を少女の頭に突きつける。
「さぁ・・どうする?あんたみたいな可愛い娘を殺すのは酷だが。その手に持っている金をこのまま放さなければ、すぐにでも、あんたの美しい顔が赤い血で染まることになるぜ。」
 彼の目が据わり始める。
 しかし・・少女の様子は変わらない。
 仁の焦りが増す。
 彼はもうやけになり、今度は心にも無い事まで言い始めた。
「ふっ・・どうした?怖くて声もでねぇか・・」
「撃てば?」
 彼がきちんと言い終わる前に、急に、冷たく突き放すような返事を返した少女。
「なっ・・・・・・・?!」
 思わず、声が漏れてしまった。
 彼の焦りは、頂点に達した。
 少女は、ただ無表情で仁を見つめ続けるのみである。

    こいつ・・まさか・・知っているのか?
    俺の銃に、本当は弾など入っていないことを・・・・・!?
 
 感情が錯乱し、何も言えないでいる仁に、今度は少女が言葉を投げる。
「撃ちなよ?あんたみたいなイケ面にヤられるなら、本望だよ。
あたしは全然構わないわ。生きてる意味なんてわからないし。
こんな命、5円で売ってやってもいいくらい。」

   そう言えば俺が本当に殺すとでも思っているのか!?

   それとも、俺が本当は人を殺せない人間だという事を
   わかっていて挑発しているのか・・?!

 今、腕に抱いている人物が、だんだんと、仁にとって得体の知れない存在になっていく。
「てめぇの命なんぞに、1円たりとも払う気はねぇ・・!」
 鼓動が、徐々に高鳴る。
 仁はそれを必死で抑えようとするが、どうにもこうにも抑えきれない。
 彼は、内から湧き上がる動揺が、少女に伝わってしまうことを恐れた。
 少女と接している身体の全ての部分から。
 首から。
 胸から。
 腕から。
 爪先にかけて。
 この、体温が上がっているのか下がっているのかもわからない奇妙な感覚が、激しい鼓動に乗って、少女の身体に伝わることを恐れた。
 しかし、それを考えれば考えるほど、逆効果だった。

 「虎使い」が「虎使い」でなくなる時。
 それは、従える虎に、自分の「弱み」や「怯え」を一瞬でも見せてしまった時。

 虎は、愛している者に従う訳ではない。自分よりも強い者に従うのだ。
 虎たちが敬う「虎使い」とは、虎が自分たちよりも強いと思い込んでいる「頭」なのである。
 
 しかし
 実際は、虎使いなど、ただの人間だ。
 牙と爪を持つ虎に比べ、人間にできることなど、高が知れている。

 だから、虎使いが虎に素の自分をさらけ出してしまった時、
 その人間に待ち受けているのは、死である。