ヨガを深める。ヨガとは?

 ヨガとは何でしょう?

 

誰でも、いくつになってもできるのがヨガ。呼吸をゆっくり感じ、意識をそこに集中させるだけでもヨガです。運動不足の解消や内臓機能の活性化、不調の改善など、身体的な効果はもちろん、ヨガの一番のメリットは実はそこではありません。誰でも幸せになりたいと願いますが、幸せとは実は自分の中にすでにあるということに気づくことができるのがヨガ。

 

ヨガは身体的効果のみならず精神的リラックス・心を鎮めるのが手軽にできる、誰でも使えるツールです。呼吸法やアーサナは瞑想のために意識を集中する練習のような存在です。

 

ヨガの教典である『パタンジャリのヨーガ・スートラ』中には

「YOGAS CHITTA VRITTI NIRODHAH. 心の作用を止滅することが、ヨーガである」

と明記されています。「感情の動き、心の波立ちを制御することができたら、その人はヨガをしていることになる」と。

「ヨガとは心をある対象だけに向かわせ。その心を動揺させずにひたすらその対象に向け続けること」とも言えます。

 

〇〇したいという欲望⇒その欲望が満たされない⇒欲望は悲しみに変わる・心が安らかにならない

 

外界の現象はすべて心の作用の産物と言えます。自分の思い込みや自身の物の見方によって認識しているだけに過ぎないと考えられています。その外界の現象について私達は日々、喜怒哀楽で心が揺れ動いています。心の作用によって喜びも生まれますが苦しみも生み出す、と経典は教えてくれています。

 

良いことも悪いことも心が大きく揺れ動きます。喜び・楽しみもそれが失われた時には大きな悲しみや怒りとなり得るでしょう。その悲しみ・怒りは心に重くのしかかり心身に影響を及ぼすことにも。

 

心の揺れ・心の動きを止める、心をコントロールする。そうすれば何もかもコントロールしていることになり、この時、人は何にも捉われず縛られることがない。そして心の作用の完全停止によって、最終目的に達すると考えられています。

 

心の調整とは?瞑想とは?ヨガの神髄でもある瞑想を深めるには

 

心の動きを止める(小さくする)ため、瞑想を深めるために大切なことはその前提となる行動規範・物事の考え方や、静かに座って瞑想するに堪えうる心身の鍛錬というものがあります。

 

前述の『パタンジャリのヨガ·スートラ 』 にその内容も明記されています。人の行動規範から物事に対する考え方まで、人生のあらゆる側面に従って示されています。ヨガの目標と、そこに至るまでの行程が明らかにされてます。

 

8つのステップから成る教えでこの8つのステップはアシュタンガ(astanga :八支則) と言われます。これらのステップを実施していくことによって、より高い意識に到達できる、サマーディに達することができると『ヨガ·スートラ』には記されています。

 

①ヤマ 禁戒 行わない方がいいこと

②ニヤマ 勧戒 やった方がいいこと

③アーサナ 座法 理想的な姿勢

④プラーナヤ―マー 調気 呼吸を整える

⑤プラティヤハーラ 制感 感覚を調整・五感を鎮める

⑥ダーラナ― 集中

⑦ディヤーナ 瞑想

⑧サマーディ 三昧

 

慣れない言葉が出てきましたので分りやすく紐解いてみましょう。道徳と社会における行動規律を示しているのが、最初の2つ、ヤマとニヤマです。

 

【ヤマ】・・・全人類共通の戒め

(アヒンサー)非暴力 暴力をふるわない、他の者、及び自分を傷つけない

(サティア)真実 正直であること、嘘をつかない

(アスティア)不盗 盗まない(物だけではなく、他人の時間や考えや許容した範囲以上に利用することも)

(ブラフマチャリア)自制 身体と言葉と心の節制、与えられた仕事を全うする、本当の自分を抱えて生きる、エネルギーの無駄使いをしない

(アパリグラハ)貪らない 度を超えて欲に溺れない、過剰に所有しない

 

【ニヤマ】・・・個人の規律として守るべき行動の掟

(シャウチャー)清潔 心身をきれいに保つ

(サントーシャ)満足 足るを知る 今ここにあるもので満足する心

(タパス)熱心・厳しさ 苦しい環境・苦痛を受け入れる。いかなる状況の下でも最大限の努力をする心・目の前の事に一生懸命取り組む

(スヴァーディヤーヤ)自己の教育 聖典の研究、神の教えの書を学ぶ、心が整う書を読む⇒学び続ける心

(イシュヴァラ・プラニダーナ)神への献身 万物に対して献身的・感謝の心を持つ、身の回りの何に対しても捧げる気持ち、

 

①のヤマは、肉体的にも精神的にも、いかなる思考や行為において物や人を傷つけない、暴力的にならず節度を守った行動をとること、命あるすべてのものを尊重し、思いやりの心をもって関わること。むやみに欲さないことなどから成っています。

 

②のニヤマは、清浄であること、心と身体の中の不純物を取り除くこと、満足する心を持つこと、自己を律することで困難なことや逆境にも耐えうる心を養う、学ぶこと、そしてより高位の知性の存在を敬うこと、あるいは神の下で謙虚な心を持ち人間の限界を受け入れることなどから成っています。

 

③のアーサナでは、意識は清明でありながらも、緊張がなくリラックスしているという2つの状態を同時に得ることができます。この状態は様々なポーズをとることで起こる、体および呼吸の反応を観察・認識することによって得ることができます。

 

強く柔軟で、健康で緊張の無い身体、瞑想のための身体づくりです。そしてその結果、気候や食事、仕事といったような外部要因からの影響に耐える、あるいは影響を最小限にできる身体が作られるとされています。肉体的向上と精神的向上に役立ちます。

アーサナの実践者は肉体的能力が向上するだけではなく、注意散漫・不安定といった精神性も安定します。アーサナは健康、強さ、堅固さ、軽さ、精神の平穏、幸福感をもたらします。

 

④のプラーナヤーマとは、呼吸を抑制しコントロールすること。意識的に・息を吸う(吸気)、・息を止める(止息・クンバカ)、・息を吐く(呼気)の時間を伸ばすこと。吸気は宇宙エネルギーを受け取る行為、止息(クンバカ)はそのエネルギーを活性化すること、呼気はすべての思考と感情が空になること。これによって安定した心、強い意志、健全な判断力を養うのに役に立ち、物事を明確に感じとれることができるようになります。

 

⑤のプラティヤーハーラは、心と感覚をコントロールすること。欲望や感情を和らげ、感覚を鎮めて内面に向けることであり、気を散らさず定めた対象にのみ心を向かわせることをいいます。

 

次の段階である⑥ダーラナ(集中)は、外から入ってくる物事にとらわれることなく、定めた対象に心をとどまらせる能力をいいます。定めた対象物に意識を集中することで心は動かず、冷静に。心が内面に向かいすべての緊張を取り除くことができる。その状態が長く続くことで瞑想・ディヤーナへ。

 

⑦のディヤーナ(瞑想)は、私たちが到達したい対象との結びつきを深める能力をいいます。瞑想する者と瞑想する行為、瞑想の対象物が一つとなる状態。

 

そうして⑧のサマーディという自己と瞑想の対象物が一体となる、宇宙の根源と一体になる、自己実現という最終の段階に到達するとされています。無限なる平和な世界、知性や純粋性が光り輝く世界を感じることができるなどとされています。

 

いかがでしたか? クラスの最後に静かに座って瞑想をするための前段階・下準備として位置づけられているのが、ふだんレッスンで多くの時間を割いている③アーサナ(ポーズ)「座法」、クラスの初めに行っている呼吸法「調気」です。

 

そしてふだんのレッスンではあまり触れない部分ですが、ヨガの最初のステップとして存在する①ヤマと②ニヤマがあります。ヤマ・ニヤマの教え。一番大切なことですが、一番難しいとも言えます。

 

私たちは聖人ではなく過ちを犯す愚かな生き物。難しいからこそ、完璧にはなれないからこそ、過ちや失敗があるからこそ、そこに学びがあり、人生を通して誰もがずっと学びつつけることができるとも言えます。

 

ヨガはアーサナ(ポーズ)を極めることだけではないということがお分かり頂けたでしょうか。

 

社会生活を送る私達は常に外界の刺激に晒されています。その刺激を追い求めることで時にはモチベーションアップにもなり、楽しさ、喜びもあるかとも思います。同時に、手に入れられない苦しみ、欲しいものを手に入れたと思ったら次の瞬間訪れる虚無感など、いつまでも満たされない気持ちになり得ることも。

 

社会生活での刺激を楽しめる時は十分に楽しみ、でもその外界の刺激により疲れてしまった時、心が苦しくなってしまった時には、このヨガの教えは拠り所となり得えます。そんな時には思い出してみるといいでしょう。

 

また、インドの代表的な経典『バガヴァッド・ギーター』には

 

ヨガとは暴食することでも 極端に食を切り詰めて飢え死にすることでもない。 また眠りすぎることでも全く眠らないことでもない。 適度な食事と休息をとり仕事をし、眠り、目覚めることによってヨガは苦しみと悲しみを追い払うことができる。

と記されています。極端になりすぎることなく、生活習慣のバランスを保つことが私たちの心の平穏にも大切だということです。

 

ヨガの思想だけに傾倒する必要はありませんが、社会生活を楽しみながら、上手に自分のバランスをとっていけるようになりたいものですね。