自動車ジャーナリズムの責任について…そして"ベストカーやWebCG"の執筆について

 

 

昨年来 私はベストカーとWebCG(有料サイト)の2誌について執筆をしていますが、これに込めている想いについて少しお話させて頂きます。但し…、これは私個人の込めた想いである事をご理解ください。

 

私は 自動車ジャーナリズムには 大きくは2つの大事な社会的使命があると思っています。

①…「素晴らしい写真や 試乗やメカニズムの感想」を提供して、ユーザーの情緒的価値やイメージ造りの助けをする。

…「主として売る為やイメージ作りの為に商品の素晴らしさだけ」を情報提供するメーカーと「実際に買って、本当にあらゆる場面で使い、試される」ユーザーとの間に入り 真の商品の価値や性能や機能等を教える翻訳機能。

 

 ①の部分は現在色々な媒体で既にあると思いますし、ジャーナリストで無い私は専門家に任せる事が賢明と思います。 但し②を考えてみると現状に少し不足している問題があるのではないでしょうか?

・欧米 特に雨の中でも速度無制限の高速道路やMax114km/hまで走れる一般道速度規制の欧米では、自己責任で車の走行や事故防止を図る事が徹底している。

 

特に生活用の一般道はセンターラインの無い狭いカーブの道が雨でも雪でも 日本の高速道路と同じ速度制限であり、自己責任と運転の自己管理でしか事故は防げない。

 速度規制に従っていれば安全と思われている日本とは全く違っている。

 

 その為にユーザーは買おうとする車や、使っている車の本当の性能や機能を知ろうとするし、又ジャーナリズムも「実際のテストコースで、単に速さだけで無く、色々なシーン、特に緊急時における回避性能や限界性能付近のスタビリティー(懐の深さや扱い易さ等)での性能や機能、更には届け出の規定計測結果のメーカー公表カタログ燃費、CO2排出量と 実用的な実際の燃費、CO2排出量の違い等もきちんと計測評価し、それらの評価結果に加えて、公道試乗における感想文を提供している。

 

つまり ①と②がきちんと併記された情報がユーザーに雑誌等から提供されているし、又ユーザーも利用している。(初期の新車情報だけを書いたインターネットと共存する意味がある存在をしている)

 

 ・日本の現状はどうであろう…? 高速道路の制限速度は100km/hで欧米の一般道路並み、一般道も最高速度は60km/hでもその殆どは40km/h程度。

 

何かあれば 集団管理に依存し、政府が…、警察が…と公共に頼り、自己責任能力が極めて低く、又「車はどれも同じ」と言わんばかりに、軽自動車のおばちゃんやトラックのお兄ちゃんが、いざという時の性能差も解らずに、ドライだけでなく雨の日もぴったりとポルシェやベンツの後ろにくっついて走っている。

 

だが 実際には最高速度規制に関係なく、自爆事故や衝突事故等ありとあらゆる性能や機能にまつわる事故は起きているが「運転未熟や不注意」等の言葉で片付けられている。

 もし 車を買う時に、本当の性能や機能の日常ユースでの違いを知った上で車を買っていたら、今と違うメーカーの車に乗っていれば、少しだけお金が高くても性能の良い車に乗っていたら、どうしようもなく突っ込んでしまうような事故やひっくり返る様な事故や停止距離が不足した追突事故は起きなかったのでは…。

 「自動車はみな同じ、事故は誰でも平等に起すかも知れないもの…」本当に 自己責任と自己管理能力が 車社会に限ってみれば低いと言わざるを得ない日本。

 

[ 育成指導する側の警察の現状レベルは皆様の評価と判断におまかせしますが…。]

 

 ・従って私は、売る為の良さや、日常の楽しさだけをアピールする自動車会社からの情報と ジャーナリストやメーカー開発者と違い、何も知るすべもなく、普段あらゆる危険や疲労や多種の出費等の状況と隣り合わせに車を使っているユーザーとの間に入ったジャーナリズムとしての「本当の商品性能や機能についての翻訳機能の提供」が今の日本にとって とても必要な状況になっているのではないかと思っています。

 

 私が個人的に感じた現状例を挙げると…、これはあくまでも私の感じた例ですが…。

 ・「気持ちよいハンドリングを感じ、加速時も後ろがシッカリしているBMW等は日常域では楽しいし素晴らしい車だと感じます…、しかし一般的には、フロントを柔らかくし前と後で足の硬さを大きく変えた場合、フロントだけが動き過ぎる為、突然のうねり路面では前が暴れるし、長距離も前のめりの動きで目線の移動が多く疲労も助長され、そして何より緊急時にブレーキを踏みながら急ハンドルを切ると前の外輪が極端に沈み、後輪の内輪が浮き 姿勢が大きく変化しタイヤグリップバランスが崩れ、挙動が不安定になる。この事故防止の為のESP等の電子制御も低いレベルでの作動となってしまう。

 

一方 前と後ろの足の硬さを常にバランスよく同じにしている ベンツは日常域では八方美人的で軽快な面白さ等は余り感じられないかもしれないし、乗り心地も少し硬く感じるところもある。しかし長距離運転しても目線の移動が少なく疲れにくいし、急ブレーキや非常時でも姿勢の変化が少ない為、緊急回避性能の懐は極めて深くESPの電子制御も雨の中等でも素晴らしい許容力がある。

 

⇒「日常の楽しさや、素晴らしさをとり BMWを買うか、それとも長距離での疲労やいざという時の安全性を考えてベンツを買うか?」は、顧客が決める事であり、ジャーナリズムとしては真実で中立な商品の翻訳情報を責任を持ち提供する事が使命ではないでしょうか。

 

・あまり言いたくはありませんが…、最近で感じた例は「今度のGT-Rは水野氏の従縛を解かれやっと欧州車並みの乗り心地になった、このやわらかいサスペンション、これは正常の進化である…」という記事を見かけたが、その結果その先に何が考えられるか?という翻訳と解説は探したが無かった。精々「サーキットタイムは少し…」程度であった。

 

例えば同じ重量で人並み外れたブレーキ減速や加速性能や旋回性能を持つ車のタイヤ荷重の変化量は、普通の車とは次元が違います。

この違いは 高校の物理程度の知識で理解できるし、自動車会社の専門技術でもなんでもない話である。

仮に欧州車に対してブレーキ減速性能が1.3倍、加速性能が1.3倍、コーナリングGが1.3倍とすると 単純に欧州車に対して慣性力分の補正を含めると 60%以上荷重の変化が速さも、量も共に増加する事になる。更にこれに実際には重量の違う分も加わる。

それに対して 仮に乗り心地の為にサスペンションの硬さを欧州車並みにした場合何が起こるか?

 

もう一度言いますがこれは 高校の物理程度の話です

 速い車の足のセットをある限度を超えて柔らかくしてしまうと何が起こるのか?

一般論で言えば、ある限度を超えた急激な姿勢の変化は、ブレーキ時の前輪の沈み込みと後輪の浮上がり、旋回時の前輪外輪の沈みと後輪内輪の浮きを異常に増やし結果として、山道等上下動のある日常域での アンダーステアとオーバーステアの極端な繰り返し、更に緊急回避運転でのブレーキとステアリングの同時操作ではスタビリティーは低下する。特に雨や荒れた道ではこれが更に顕著になるのが 普通の一般論である。

これに対して、ショックアブソパーやVDCの制御で対処している事は 皆さんご存知のとおりである。しかしこれらは全て過渡つまり変化の途中を制御するだけで その本質はバネ系の硬さで支える事です。

 

"ある限度が何処か"これこそが、開発者個人や専門会社が持たなければならないノウハウそのものであり ここに商品毎のレベルの差や違いがある。 ここをジャーナリズムが見抜けるか…今度はこれがジャーナリズムとしての ノウハウや専門技術ではないでしょうか? 

(参考としては,発売中の「ベストカー+プラス」の山野氏ターンパイク試乗等の記事等…)

[因みに 私のセットアップは、会社の業務としてでは無く、個人のお金や有給休暇を使い遣ってきた活動で創った独自のモノで、現在 一般的に自動車会社や専門書に書かれている方法とは、使用しているパラメーター等を含め全く異なります]

 

⇒大事な事は良くなった点と逆に失ったものがきちんと併記されている事ではないでしょうか。ここにジャーナリズムとしてメーカーの投げ売りで無く、自身の真実評価を記載する事に責任がある事ではないでしょうか? 何度も言いますがユーザーは比較や緊急回避性能等は知る由もないから雑誌等にお金を払い求めるのではないでしょうか?

 

勿論これも「日常域で乗り心地の良い車」を選ぶのか「超高性能な車なのでハンドリングの安定した、緊急時に懐の深い車」を選ぶのかは 顧客が決めれば良い事だと思います。

 

・もう一つ大事な点があります。「新しいものが良いモノ」とは限らない事です。 人が造る以上 変える事や新しい事が必ずしも良いモノで無い事が多々ある事です。

例えば「ワイン、時計、ファッションや 過去の幾つかの車等」作り手が変わった時に必ずしも コンセプトやテクノロジー等が顧客の期待値に対して「最新が最良にはなってい無い」事です。

 

個人的な感想ですが…、私の場合、日産マーチが例にあります。先代は「コンパクトカーとは…一緒に出歩く連れ」という感じで造り手の思いを感じましたが、現在のモデルは「会社として良くし、グローバル海外生産対応の開発をした」とのアナウンスの通り低開発国生産の為の製品と感じてしまいます。1990年代初めのポルシェや R32⇒R33も「本当にモデルチェンジが良い事?」と疑問を感じました。
 

・要は 良いとか悪いとかでも無く、又ダメだとか、イイとかの話では全くない。ジャーナリズムは「ニュートラルにそして常に顧客のライフスタイルの中で その商品に必要と思われる要件に対して必要な情報提供をする事」に顧客に対しての社会的使命があると私は思いますし、先に言いました、「情緒的感想と商品翻訳機能を併せ持つ」ことを大事な事ではないかと常々思っていますし、これを自薦して皆さんに提供していきたいと思っています。勿論 責任と共にです。

 

・しかしながら欧米の市場環境と違い日本にはジャーナリズムが気軽にテストできる場所はそうそうないのも現実です。

 この現実を踏まえ私が翻訳機能を実践する為に心がけている事は「絶対に自分の運転はしない!!!、顧客再現の為の運転だけをして車は評価する」です。全てお客様の為に徹する事だと思っています。

 

この内容につきましては以前、ベストカーの中や FM横浜の番組の中でお話ししましたが、車はタイヤを潰して走ると、現象解析やその先の予測が解らなくなるモノです。

タイヤを正常な状態にして、かつ各部分に「少しと普通と大きなの3種類の荷重や負荷」を入れて この各事象での結果のマトリックスを頭の中に造り、そのマトリックスから、大事な部分やその車の特徴的な部分を追加重点ポイントとして評価していくものです。要は通常運転ではあるが何で起こるかを読み取る運転と試乗をすることでこれらの この先にどんなメカニズムでどんな現象が起こり、どんな性能や機能の変化が起こるかの予測評価は可能なのです。これならテストコースなどの特殊な設備が無くても出来ますし、まして顧客はテストコースで乗る事は無いし、何車種も同時に比較する事は出来ないのですから、公道での評価の方がよりお客様再現と思います

 

 お客様の為の運転評価の例で言うと、鈴木利男さんもGT-R開発の中で 其れまでの「優秀なドライバーの運転」から「お客様の為の開発&評価運転」に変える事に悩まれ苦労され、半年かけて自身の運転を改造しました。

 

 私も何十年も 試乗会を実施してきましたが、全ての方では無いですが…、乗り出すと直ぐに「どうだ俺の運転技量は…」と言わんばかりに全開で発進していく ジャーナリストの方を見るたびに「本当にこの人たちはこの試乗で何を視るのだろうか? そして何を顧客に伝えたいのか?」という虚しさにさいなまれてきました。鈴木利男さんとも 何時も話してもいました。

 

ですから 私は 開発者として働いていた時から「いつか 俺が開発の立場から離れる時が来たら絶対に お客様の為の 商品の翻訳評価をしよう」と心に決めていました。

 

今現在はそんな思いを込めて ベストカーやWebCGを遣っています。

 

皆様のご意見やご感想なども聞かせてください。みんなで日本の車文化をもっともっと進化させていきましょう。

 

 2014年2月    水野和敏

 

 

 

追伸:)  最後にこの場をお借りして…、

 

よく皆様から「今度の2014年GT-Rをどう思う?」という質問を頂きます。前任者と後任者は違う人であり、後任者に対して前任者が自分の遣りたかった事を押し付ける事は避けるべき、それが進化、というのが私の持論ですし、そうしてきました。

良い悪いで無くあえて一言だけ個人の感想として言うとすれば…、

"・チームの進化 から組織での改良への変革 "

"・チームの作品 から会社の製品への変貌 "

これは 日産という会社が発展の為には必要と判断した上での変更と思いますが…。 

これが皆様から頂くご質問への 私ごとの一言です。